第28話 審問会

愛し子 ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスの物語


「使用された毒薬が、エフゲニア製であったという、明らかな証拠があると、そうおっしゃりたいのね、あなた方は」

 「凍結した美貌」と称賛されるその白皙に狂熱の炎を浮かべながら、ダーリア・ゲルトベルグ・ヴァルデスは憤怒を込めた言葉を吐いた。

 それは、凍土に住まうという氷竜アイスドラゴンの息吹であるかと思われた。

「仮にそうであったとしても、暗殺者は、沙馮シャフーのザッタギア族の騎兵隊長の娘だと自ら名乗ったそうじゃないの? だったら、どこからか北方由来の毒薬を入手して、それを暗殺に使用したと考えるのが、自然ではないかしら」

 処女雪の肌、ペールブルーの双眸、豊かなホワイトブロンドの髪、瞋恚に身を焼かれていても、エフゲニア帝室を出自に持つダーリア・ゲルトベルグは、氷で出来た彫像のように美しかった。

「母上のお言葉通りだ。そもそも、ヴァルデス公国のブラックマーケットには、沙馮シャフー産の魔薬を含め、様々な禁制品が半ば、公然と売られているというではないか。砂漠の狐どもがブラックマーケットでエフゲニア製の毒薬を秘密裏に購い、それを暗殺に用いた。その意図する処は、当然、事件の責任をエフゲニア帝国になすり付ける事だ。そう考えれば、全て辻褄が合うであろう」

 ダーリアの言葉を引き継いだのは、彼女の息子、ウラジーミル・ゲルトベルグ・ヴァルデスであった。

 母親と同じ、陶器のような純白の肌と色素の薄い瞳、金よりも銀に近いブロンドの髪の持ち主である。

 母親のダーリアが雪の女王なら、息子のウラジーミルは氷の魔王というべき風貌であった。

 世界で最も強く、美しい人種を自負する北方エフゲニア帝国の古い部族の血を受け継いでいる証と言ってよかった。

 ダーリア・ゲルトベルグは、エフゲニア帝国の皇帝インペラートル、ゲオルギー・ゲルトベルグ一世の娘であり、ウラジーミルは、ダーリアとヴァルデス公国の前大公、ミハイロフ・ヴァルデスとの間に生まれた男子である。

 当然ながら、純粋な白人種であり、その名とともに身体の中を流れる北方の古い血脈を何より誇りにしている。

 ウラジーミルの場合、その精神構造が、出自からくる矜持によって、他の民族を「劣等」と見る人種的な優越思想に直結している。

 ウラジーミルの正面から反駁の声が上がった。

「お言葉ながら、兄上」

 口元に皮肉な微笑を浮かべて、アブド・アルラスール・ヴァルデスが指摘した。

「暗殺未遂に使用されたのは、二種類の薬品を同時に用いた場合にのみ、有毒性を発揮するという、極めて特殊な毒薬だとか。なんでも、混合毒とか言うらしい。公国の下町で、様々な違法薬物が流通しているのは確かだが、暗殺という特殊な用途に特化した希少な薬物が販売されていたという事実は、これまで一件も確認されていない。これは、毒薬の出所がエフゲニア帝国のかしこき辺りという事ではございませんかな」

 アブドの容貌は、南方人種の典型的なそれだ。

ウラジーミルと正反対に、アブド・アルラスールは濃い褐色の肌、鳶色の双眸、石炭色の髪の持ち主である。

 アブド・アルラスールは、現大公ペンドラゴン・ヴァルデス三世の実兄であり、前大公、ミハイロフ・ヴァルデスと、沙馮シャフーの最大部族、サイード族の族長であり、沙馮シャフーの最高権力者である「天王可汗テングル・カガン」、イスカンダル・アルラスールの娘、シャルーシャとの間に生まれた男児である。

 アブドの血の半分は、北方を出自とする白人種であるはずなのに、アブドの外見は、どこから見ても純粋な沙馮シャフーのそれであった。

 アブドの言葉を、春風の様に穏やかな雰囲気をした沙馮シャフーの女性が引き継いだ。

 アブドの母親、シャルーシャ・アルラスール・ヴァルデスであった。

「わ、私もアブドが申したとおりであるかと思います。世間には、金で雇われ、汚れ仕事を請け負う輩が少なからず存在すると言います。大金を払って暗殺者を雇い、その者に毒薬を渡して暗殺を実行させる… 暗殺者に沙馮シャフーの人間を選んだのは、当然、事件の黒幕は沙馮シャフーであると誤断させるためです」

 いかにもおとなしそうなシャル―シャは精一杯の勇気を振り絞って発言したらしかった。

 ダーリアの青い炎が燃え盛るような双眸で睨み付けられ、シャル―シャは怯えた表情で肩を竦めた。

 ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスは、大きくため息をついた。

自分も含め、この場にいる人間は全て「ヴァルデス」という公国の大公位を意味する家名を持っているのに、お互いを心から嫌悪しあっている。


 本当なら、我々は同じ家名を抱くファミリーではないか。


 それぞれが心を一つにして、ヴァルデス公国の発展と公国民の幸福のため、懸命に働くというのが、真実ではないのか。


 ダーリア・ゲルトベルグ・ヴァルデスは、ラスカリスの父である現大公、ペンドラゴン・ヴァルデス三世の兄、ミハイロフ・ヴァルデス前大公の第一夫人であり、ウラジーミルはその長子である。

 ダーリアもウラジーミルも、「ヴァルデス」の家名を持ちながら、その出自を誇るように、エフゲニア帝室である「ゲルトベルグ」のミドルネームを維持している。

 シャルーシャ・アルラスール・ヴァルデスは、ミハイロフの第二夫人であり、アブド・アルラスールはその長子である。

 こちらもまた、沙馮シャフー最大の部族であるサイード族の可汗カガン、アルラスール家の家名をセカンドネームに持っている。

 そしてラスカリス自身は、亡き兄のミハイロフ・ヴァルデスの跡を襲ったペンドラゴン・ヴァルデス三世の実子である。

つまり、ウラジーミルとアブド・アルラスールが異母兄弟、この二人とラスカリス・アリアトラシュは従兄同士にあたる。

 ラスカリス自身もまた、沙馮シャフーの有力部族であるハザーラ族の可汗カガン、アリアトラシュ家の家名をセカンドネームに持っている。

 前大公ミハイロフ・ヴァルデスの第一婦人、ダーリアの息子、ウラジーミルがヴァルデス公国の大公位を襲名する第一継承権を持っている。

 同じく、ミハイロフの第二婦人、シャルーシャの息子、アブド・アルラスールが大公位の第二継承権を持っている。

 ラスカリスもまた、立場上は、大公位を継ぐ三番目の権利を所有しているが、ウラジーミルやアブドと異なり、強力なバックアップを持っていない。

 ウラジーミルとアブド・アルラスールは、それぞれ、北方の雄、エフゲニア帝国と南方の騎馬民族、「沙馮シャフー部族国家連合群」の全面的な支援を受けている。

 ウラジーミルとアブド・アルラスールはヴァルデス公国の次期大公位を巡る権力争いにおいて、これまでお互いに憎悪を隠そうともしなかった。

「恐れながら、双方、そんなに角を突き合わせておられては、話し合いが進みません。この審問会は事件の顛末と真実を明らかにするための場であって、南北の大国の諍いを助長するのは本意でありません」

 審問官が、恐る恐るという表情でそう言った。

ダーリア・ゲルトベルグが氷の視線を審問官に飛ばす。

 その圧迫に耐えかねて、審問官は目を逸らした。

深くため息をついて、ラスカリス・アリアトラシュは、参考人の席に着席する友人、ジークベルト・フォンアインホルンを見やった。

 ジークベルトは、弱々しい微笑をラスカリスに返す。


全くの茶番だ。


 ラスカリスは、苦い思いとともに心の中でそう呟いた。

暗殺未遂事件の真実を闡明にすべき審問官さえ、エフゲニア帝国、「沙馮シャフー部族国家連合群」の国力を恐れて、尋問どころか、普通の質問さえできない。

 北方の大国、強大なる帝政エフゲニアと南方の剽悍な騎馬民族の緩やかな連合体である「沙馮シャフー部族国家連合群」。

 南北の大国は、ヴァルデス公国がエフゲニア帝国から独立を果たして以来、三百年間、常にその圧倒的な国力で公国を脅かし続けてきた。

「参考人、あなたは、ラスカリス・アリアトラシュ殿下ととともに、事件の現場にいた。あなた自身は、暗殺者の正体について、どう考えていますか?」

 審問官がジークベルトに、そう尋ねた。

ジークベルトの意見を参照したいというより、ダーリアの圧迫から身を躱したかったというのが本当のところだろう。

 ジークベルトは起立しようとしたが、ラスカリスがそれを押し止めた。

「そのままでいいよ、ジーク」

「畏まりました、ラスカリス殿下」

 ジークベルトはラスカリスの友人であり、公立魔導アカデミーの同級生である。

ともにファーストネームで呼び合う仲であるが、この場では公国における主従の序列を正しく守っていた。

「暗殺実行犯であるガザーラ・アフメドは、最初、ミロスラーヴァというエフゲニア風の名前を名乗っていました。しかし、この名前はエフゲニア帝国の貴族の婦人の名前、それもかなり年配の女性に多い名前です。まず、引っかかったのはその事でした。それに彼女にはわずかながら、沙馮シャフーの一部族、ザッタギア族のなまりがありました。それに、彼女の髪の色は、明るいブロンドで、エフゲニア人のそれに比べると髪の毛の色が異なっているように思われました。ですが、決定的な事は…」

 ラスカリス・アリアトラシュが、ジークベルトの言葉を引き継いだ。

「ガザーラ・アフメドは、私が仕掛けた簡単なトリックに引っかかったのです。私は、あの時、『アメリアは具合が悪いのか』と聞きました。ですが、アイヴォリー・キャッスルには、アメリアという名前のメイドはいないのです。ガザーラ・アフメドはそれを知らず、『彼女は熱を出した』と言いました。それで、彼女が身分を偽り、穏かならざる目的で城に入り込んだ賊だという事が分かりました」

 ラスカリスの言葉を聞いて、シャルーシャがため息をついた。

「頭がいいのね、ラスカリス君は…」

 ラスカリスは莞爾と笑った。

「ありがとうございます、シャルーシャ様」

 ダーリアが、フンと鼻を鳴らした。

「では、その頭のいいラスカリス君にお聞きしますけど… あなたが見た感じ、そのガザーラ・アフメドという少女は、本物の沙馮シャフー、ザッタギア族の人間だったのかしら? それとも、沙馮シャフーに化けたエフゲニア人であったのかしらね?」

 ラスカリスは唇をかんだ。

ダーリアが何を言わせようとしているのかは、明白だったからだ。

「彼女は… 当初、ミロスラーヴァと名乗った少女は、本物の沙馮シャフー、ザッタギア族の人間であったと判断できます。ガザーラは、暗殺を目論んだのは、シャンプール砦の復讐だと言ってましたから…」

 ウラジーミルが嘲笑した。

「騙るに落ちたな… 暗殺者の正体は、沙馮シャフーの人間で。犯行をエフゲニア帝国に仕業に見せかけるため、態々わざわざ、エフゲニア人に化けるという、手の込んだことをやったのだ。砂漠の狐どもらしい、小賢しさだな」

 ウラジーミルの言葉に、アブド・アルラスールが反撃した。

「では、混合毒はどこから? 何者がザッタギア族の少女に、そのような希少な薬物を提供したのでしょうか?」

 ウラジーミルが獰猛に笑った。

「先程も申し上げた通り、暗殺にしか用いることがない特殊な薬物がそこいらで普通に販売されているはずがない。ガザーラ・アフメドが本物の沙馮シャフーの人間であったとしても、彼女に背後にいたのがエフゲニア帝国、そして、彼女に毒薬を提供したのは、エフゲニア帝国であるとの疑いが晴れた訳ではありますまい」

 ダーリアが、肩を竦めた。

「このままじゃ、水掛け論が続くだけね… 暗殺の黒幕は、フォン・ゼークト伯爵家らしいじゃないの。フォン・ゼークト家の次男坊は、事件の後、伯爵家を出奔して行方知れずになっているらしいし、その坊やが真犯人でしょうよ」

 審問官が、恐る恐る、ダーリアに告げた。

「実は、そのフォン・ゼークト家の次男、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトは、単身、アインホルン侯爵家を襲撃し、ユルゲン宰相閣下のご息女、メーア様を凌辱し、ジークベルト様を殺害しようと図った挙句、お二人の逆襲を受けて撃退され、逃亡する際、何者かに毒物を塗られた刃物で狙撃され、命を落としております。エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトが一連の陰謀の関係者であることは間違いないことでしょうが、その背後にはさらなる大きな影が存在していると言ってよいかと思われます」

 一同の視線が、ジークベルトに集中する。

「暴漢の手が、姉メーアに伸びようとした時、メーアが隠し持っていた暗器でエドラー・ヴォルフを攻撃し、かろうじて撃退に成功した… それが事件の顛末です」

 ジークベルトがそう答えた。

「ツアィガーか…」

 ウラジーミルがほっと息を吐いた。

アブド・アルラスールが口元に悪意ある微笑を浮かべた。

「兄上は、ツアィガーの味を知っておいでなのですかな。若い女性を無理やり、わが物としようと図った経験をお持ちであるように聞こえますが」

 ウラジーミルが鼻を鳴らした。

「無理強いをしなくても、この俺の誘いを断わる女など、この世にはいない。母上の前だが、こちらが望んで拒絶された経験など、ただの一度もない」

「それはご立派だ。しかしながら、それは兄上ご自身の男性的魅力の致すところのものでしょうか? 兄上の事ですから、エフゲニア帝国の威光を借りて、関係を強要するような無様な真似などは決して、なさらないでしょうが」

 ウラジーミルが、じろりとアブド・アルラスールを睨み付けた。

アブド・アルラスールは、知らぬ顔で明後日の方角を向く。

 シャルーシャが、精一杯の勇気を振り絞って声を発した。

「お、お話があらぬ方法を向いてしまったと考えます… そのエドラー・ヴォルフなる少年が暗殺未遂事件に深くかかわっていることは論を俟たないでしょう。しかしながら、伯爵家を出奔の後、激情に任せてアインホルン侯爵家を襲うなど、あからさまに思慮の足らない人物であるように思われます。それにいかに凶悪な人物であるとはいえ、まだアカデミーの学生の身でしかありません。そんな人間が、仮にもヴァルデス公国の公子に対して暗殺を試みるという陰謀の中心人物であるとは思えません」

 ダーリアが言った。

「フォン・ゼークト家の当主は、その子ではなく、その子の兄である… なんとおっしゃったかしら… 現フォン・ゼークト伯爵でしょう。その人物こそが、陰謀の本物の黒幕なんじゃないの?」

 ウラジーミルが母親の言葉を引き継ぐ。

「母上のおっしゃる通りだ。そのガザーラ・アフメドという沙馮シャフーの女暗殺者は、フォン・ゼークト伯爵家から出動したのだろう? 現フォン・ゼークト伯爵こそが、陰謀の主であると判断するのが妥当ではないのか」

 ラスカリス・アリアトラシュが答えた。

「フォン・ゼークト家の現当主は、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵です。しかしながら、ルードヴィヒ殿は幼少の頃より、病弱でいらして、肉体的にも精神的にも、ヴァルデス公国の大公位後継者を暗殺しようとする強さを持ち合わせてはおられないと判断できます」

 ダーリアがラスカリスを睨み付けた。

「しかし、それはあなた自身の感触なのでしょう。たとえ、ベッドに縛り付けられていたとしても、後ろ暗い陰謀を巡らす知性と行動力が備わっていないとは言えないでしょうよ」

「僭越ながら…」

 口を挟んだのは、ジークベルトであった。

「このジークベルト・フォン・アインホルンは、ここにおられるラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス公子殿下と、ルードヴィヒ様のアカデミー時代の旧友であるギデオン・グアルネッリ伯爵とともに、フォン・ゼークト家を訪い、病床にあるルードヴィヒ様をお見舞いたしました。ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵は、ベッドから身を起こすのも一苦労であるほど、羸弱しておられました。とても大それた陰謀の黒幕であるとは、思われません」

 ウラジーミルが怒鳴った。

「誰が貴様に発言を許可したのか。この薄汚い娼婦の…」

 ウラジーミルが言い終わるより先に、鋭い言葉が飛んだ。

「ウラジーミル殿、ジークは、アインホルン侯爵家の人間であり、ジークの父上は、公国の宰相と財務卿を兼任する国家の重鎮であります。何より、事件の顛末の顛末を知るものとして参考人の立場で、この審問会に召喚されているのです。そもそも…」

 普段は羊の様に温厚なラスカリス・アリアトラシュの双眸が、瞋恚いかりに燃えていた。

「ジークはこのラスカリス・アリアトラシュのアカデミーにおけるクラスメートであり、普段はファーストネームで呼び合う仲です。私の友人を侮辱するのは、お控えいただきたい」

 思いもかけぬ、年少の従弟からの圧迫を受けて、ウラジーミルはそっぽを向いた。

ダーリアが、口を挟んだ。

「では、侯爵家の貰い子殿の言葉を信じて、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵は、シロという事に致しましょう。しかしながら、ガザーラ・アフメドなる沙馮シャフーの暗殺者が、フォン・ゼークト伯爵家から放たれたのは、間違いのない事実。ならば、全ての陰謀の主は、ルードヴィヒ殿の弟、亡くなったエドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトその人であるという事でよろしいのでは?」

「母上のおっしゃる通りだ。我らとて、暇なわけではない。いつまでも、こんな下らぬ茶番に突き合わされてはかなわぬ。そのエドラー・ヴォルフとやらが暗殺事件の黒幕という事でよいではないか。悪辣極まりない陰謀をたくらんだ輩が、更なる悪行を重ねようとし、思わぬ反撃を食らって、自業自得の最期を遂げた… そういう事でよかろう?」

 ウラジーミルの言葉に、アブド・アルラスールも、シャルーシャ・アルラスール・ヴァルデスも沈黙を守ったままだった。

 事実上、これが審問会の最終結論となった。


死人に口なしか…


 ラスカリス・アリアトラシュの胸の中に苦々しさが広がる。


エドラー・ヴォルフが全ての陰謀の首魁であるというなら、そのエドラー・ヴォルフの死の刃を放ったのは、いずれの手のものであるのか。

 審問官の態度には、何とか、大事にならずに今回の事件をうやむやのまま葬り去れる状況になってきたので、心からほっとしている様子があからさまに見て取れた。


小国の立場とは、つらいものだ…


「そうか… 予想通りの結果に終わったという事だな…」

 ベッドから半身を起こした状態で、ヴァルデス公国現大公、ペンドラゴン・ヴァルデス三世は、小さく咳き込んだ。

 ここは、アイヴォリー・キャッスルの最奥部、大公、ペンドラゴン・ヴァルデス三世の寝室である。

 ジークベルトは、ラスカリスとともに公国にあって最高の地位を持つ人物のプライベート空間に立ち入ることを許された。

 ジークベルトの頬の産毛が、チリチリと総毛立つ。

盗聴防止のために、ペンドラゴン・ヴァルデス三世の寝室に強力な静電界が張り巡らされている証拠だった。

 ラスカリス・アリアトラシュが、父大公を気遣う。

「無理をなさらず、どうぞ、お休みください、父上」

 ペンドラゴン・ヴァルデスは、弱々しく微笑した。

「ラスカリスよ、そなたが折角、アカデミーの友人を連れてきてくれたのだ。寝台に臥せったままでは、失礼であろうよ」

 心根の優しさが、その言葉にこもっていた。

ジークベルトは、ヴァルデス公国の最高権力に気を使ってもらって、深い感動を覚えていた。

「このジークベルト・フォン・アインホルン、ラスカリス・アリアトラシュ殿下と友誼を結ぶ光栄を賜っています。私の出自については、ご存じでありましょうが、本来ならば,私のような人間は、殿下とは…」

 ペンドラゴンは、片手をあげて、ジークベルトを制した。

「ジークベルト・フォン・アインホルン、君が今年の公立魔導アカデミーの新入生総代を務めたことは知っている。成績最優秀の生徒にしか、この栄誉は与えられることはない。君は、君の出自ではなく、君自身の努力によって獲得した価値で、自分が何者であるかを証明したのだ。こちらから、お願いする。父親として、これからも、わが息子、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスの友人であり続けてほしいと強く望んでいる」

「私にとって、何よりも名誉とするところでございます、ペンドラゴン陛下。このジークベルト・フォン・アインホルン、陛下のお言葉を終生、忘れません」

 ペンドラゴン・ヴァルデス三世は、莞爾と笑った。

また、小さく咳をして、ペンドラゴンは息子に尋ねた。

「暗殺事件の全貌を結局は、まだ、十代の少年一人に擦り付けて、この問題はうやむやのまま、幕引きという事だな… それが、エフゲニア帝国、沙馮シャフー部族国家連合群、双方にとって、望ましい結末であるらしい…」

「父上」

「ラスカリス・アリアトラシュ、誰よりも愛する、わが息子よ。そなたの境遇は、ある意味、このヴァルデス公国の立場そのものだな…」

「どういう意味でしょうか、父上」

「北方の大国、エフゲニア帝国も、南方の雄、沙馮シャフーも、ともにこのヴァルデス公国を自らの勢力下に置くことを熱望している… ヴァルデス公国は、カルスダーゲン亜大陸の中間に位置し、アポリネール大河によって、河口の自由都市クリスタロスに水路が繫がっている。公国はまた、アポリネール大河の中州に居城、アイヴォリー・キャッスルを置いていて、それ自体が堅牢な要塞都市の形態を成している。ヴァルデス公国を勢力下に置くことに成功すれば、エフゲニアも沙馮シャフーも、お互いに対する最大の防壁を確保できることになる。また、ヴァルデス公国を起点にして、相手側領域への侵攻の前進基地にすることもできる…」

「そうなったら、最前線で戦わさせるのは、わがヴァルデス公国の兵士たちであるという事になりますね。エフゲニア帝国にしろ、沙馮シャフーにしろ、占領した土地の兵士たちを新たな侵略のための兵士として、最前線で戦わせる事を基本方針といます」

「ラスカリス・アリアトラシュ、賢明なる息子よ。いかなる手段を使っても手に入れたいと欲する土地は、言い換えれば、絶対に敵に渡してはならない土地であるという事になる… 分かるな?」

「はい、父上」

「年端も行かぬ少年であった頃から、帝政エフゲニアの皇帝インペラートルから、また、沙馮シャフーのサイード族の天王可汗テングル・カガンから、そなたはわが方に味方せよとの有形無形の圧迫を受け続けてきたな。賢いそなたは、これまで未成年を理由に、のらりくらりとこれをかわし続けてきたが、あと数か月で、そなたは十五歳を迎える。もう、これまでのやり方は通用しないのだ」

「私もそれは自覚しております」

 ペンドラゴンは、疲れた灰色の瞳で、ラスカリスを見詰めた。

「先程も言ったとおり、絶対に確保したい土地は、言い換えるなら、絶対に敵に渡してはならない土地だ。ラスカリス・アリアトラシュ、愛する息子よ。これまであらゆる甘言を弄して、そなたは自陣営に引き込もうとしていたエフゲニアと沙馮シャフーが、そなたの暗殺を企てたというのなら、それが意味することは… そなたを味方につけることが出来ないのなら、いっそのこと…」

 ジークベルトが息を飲んだ。

「いっそのこと、敵に渡すくらいならば、ラスカリス殿下を亡き者にした方がいいと、エフゲニアと沙馮シャフーが判断を変えた… その可能性が高いと、陛下は仰りたいのですか」

 ペンドラゴンは微笑した。

「頭のいい少年だ、君は。君がラスカリスの友人であることは、本当に心強い…」

 ラスカリス。アリアトラシュは、暫しの沈黙の後、重々しく言葉を紡いだ。

「先程、父上はこのラスカリスの境遇が、ヴァルデス公国の立場そのものであるとおっしゃいました。このラスカリスを味方に引き入れることが出来ないのなら、いっそ、敵に渡す前に殺害してしまった方が、後腐れがない… その流れで言えば、エフゲニア帝国にしろ、沙馮シャフー部族国家連合群にしろ、ヴァルデス公国を敵に渡してしまうくらいならば、いっそのこと、滅ぼしてしまった方が、後々、面倒がない、南北の両陣営が、そのように判断を変更したと、その可能性があると、そう仰るのですね」

 また、ペンドラゴンが小さく咳をした。

「私の思い過ごしならば、それに越したことはないのだがな…」

 ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス、次期大公位の第三の継承権を持つ少年の心に、真っ黒な叢雲が広がっていった。

 

 

 

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