第26話 繊麗の女神アルシノエ、雄渾の女神ネグベド

神穹姫アスベル・バウムガルトナーの物語


「行きますよ、お嬢」

 丹念に鞣された皮革のサーコートを着込んだ若い騎士がそう言った。

騎士が纏うサーコートの胸部には、「矢を番え、背いて立つ二人の少女」の紋章が刺繍されている。

 これは、ヴァルデス公国の名門、今は騎士爵の地位に甘んじているとはいえ、

十年前まで、公国の外務卿の重責を担ってきたバウムガルトナー家の家紋である。

 ヴァルデス公国の高位の貴族たちがそうであるように、バウムガルトナー騎士爵家のまた、その血筋の起源を北方の雄、エフゲニア帝国に於いている。

 この紋章は、バウムガルトナー家がエフゲニア帝国に所属する原始的な部族であった頃から、同じ血が流れている一族の証として、槍の穂先に掲げていた旌旗に由来するものだ。

 「お嬢」と呼ばれたのは、バウムガルトナー騎士爵家の二女、マリベル・バウムガルトナーであった。

 マリベルもまた、戦闘用のライナーコートに身を包んでいる。

ライナーコートは、マリベルの体をぴっちりと覆い、硬さを残した幼い肉体のシルエットを際立たせていた。

 彼女の手には、緩やかな弧を描く弓が握られている。

しかし、不思議なことに結弦が張られていない。

 これは、魔力の矢を発射できる特製の魔導弓なのであった。

ここは、バウムガルトナー騎士爵家の邸宅。

 そして、この場所は、騎士たちの訓練場である。

元々、伯爵の爵位を保っていた名門貴族らしく、訓練場の面積はアカデミーの練兵場にも匹敵する広さであった。

 マリベル・バウムガルトナーの周りを、同じ紋章がデザインされたサーコートを着用した六人の若き騎士たちが包囲していた。

 男性が四人、女性が二人、いずれもバウムガルトナー家に仕える近侍の騎士たち、騎士見習いたちであった。

「頑張って、マリベル」

 アスベル・バウムガルトナーが双子の妹に手を振りながら、そう言った。

アスベルの傍らでは、沙馮シャフーの少女、リィーン・アフメドがテーブルに紅茶の準備をしていた。

 マリベルが微笑を姉に返した。

「行きます」

 そう言ったのは、女性の騎士だ。

彼女の手には、ワンドが握られている。

 そのワンドは、魔法を発生させる際の触媒であり、魔法の威力を大幅に高める機能がある。

 この女性騎士は、魔術師マージなのだった。

「ストーンエッジ」

 女性騎士がそう叫んで、ワンドから「地」系の初級魔法を発射した。

魔法は、マリベルから逸れ、彼女の数歩手前で地面に落下した。

 濛々と土煙が舞い上がる。

狙いが逸れたのではない。

 わざと標的を外したのは、魔法を地面で炸裂させ、土煙を巻き上げて、マリベルの視界を奪うためであった。

「失礼しますよ、お嬢」

 女性騎士の両側にいた二人の男性が、同時にダッシュする。

一人は、剣を持ち、もう一人は槍を構えて突進してきた。

 いずれも本物の剣や槍ではなく、魔力を良く伝導する特殊な素材でできた

訓練用の武器である。

 一人目の騎士が何事か呟くと、彼が持つ剣に魔法の炎が宿った。

同じく、二人目の騎士の槍には、真空の刃を纏う。

 この二人は、ともに「火」と「風」を属性とする優秀な戦士だ。

武器を使った近接戦闘と、魔法による遠隔攻撃、そしてその両方を組み合わせて、打撃と魔力の相乗効果を持つ多彩な攻撃手段を操る騎士たちである。

 剣と槍を構えた二人の騎士たちは、両側からマリベルを挟撃するように、彼女の元へ殺到した。

 魔法の炎を宿した剣の斬撃が右側からマリベルの上半身を薙ぐ。

同時に左側から、風の魔法を纏う槍の刺突が繰り出される。

 しかし、マリベルの左右から加えられた攻撃は、空しく空を切った。

土煙によって視界を奪われたマリベルが、宙高く跳躍したのだ。

 しなやかでスピーディなハイジャンプであった。

「逃がしませんよ、お嬢」

 もう一人の女性騎士が鋭く叫んだ。

彼女の手には、満月の様に引き絞られた弓が握られている。

 女性騎士は、跳躍中のマリベルに向かって、矢を放った。

三本の矢は、切っ先が鋭きとがった氷柱であった。

 この女性騎士が使うのもまた、魔導弓だ。

氷柱の魔法を使う以上、彼女の魔法属性は、「水」であるらしかった。

 三本同時に放たれた氷柱が、身を躱しようのない空中でマリベルを襲う。

しかし、マリベルは手にした魔導弓で軽々と飛来した氷柱を払いのける。

「お見事」

 氷柱を発射した側の女性騎士が、思わず賞賛のため息を漏らした。

「今度は俺だ」 

 巨大な双刃を備えたグレートアックスを掲げて、巨漢の騎士が突進する。

斧の刃には、禍々しい漆黒の瘴気がまとわりついている。

 この騎士もまた、その豪快な見かけによらず、打撃と魔法の両方を駆使する魔法戦士なのだった。

 地面に着地したマリベルは、まずは鮮やかな体転換で、グレートアックスの初撃を躱して見せた。

 「円」と「球」、「螺旋」の動きを主体とするケイパーリット式旋舞拳闘の技術である。

 たたらを踏んだ騎士は、急いで体勢を立て直して、グレートアックスでマリベルを横なぎに攻撃する。

 マリベルは、あえて騎士の懐に入ることで、グレートアックスの攻撃を躱し、そのまま騎士の手首を決めて、相手の勢いを利用して投げ飛ばした。

 マリベルの体重の三倍はありそうな巨漢が、軽々と宙に舞う。

「ぐはっ」

 騎士は、訓練場の地面に背中から落ち、衝撃で肺から空気を吐き出した。

その様子を見やって、リィーンが感嘆の声を上げた。

「凄いですね、マリベル様」

 アスベルは、双子の妹が六人もの騎士を同時に相手にして、華麗な戦闘スタイルを披露するのを複雑な表情で見守っている。

「さすが、マリベルね… ケイパーリット式の技術は完璧だし、弓術だけでなく、剣術、槍術、魔法、その全てに秀でていないとこんな戦い方は出来ないもの…」


 比べても仕方がないことだ。


 子供の頃から何度、そう思ったことか。


 マリベルは、この三百年でバウムガルトナー家が生んだ最高の俊才だと言われている。


 マリベルに比べたら、自分は本当の出涸らし姫だ…


「今度は私の番ね」

 マリベルが弓を引いた。

とはいっても、彼女が手にした魔導弓には結弦はなく、その白い手が番えるのもまた、淡い光を放つ魔力の矢であった。

「みんな、後ろへ」

 盾を構えた騎士が叫ぶ。

この騎士は、「盾士タンカー」である。

 防御を主体とし、仲間たちを敵の攻撃から守るのが任務だ。

騎士が構える盾が、神々しい白い光に包まれた。

 「光」属性の魔力を帯びた盾だ。

マリベルは、その盾に向かって黒く輝く魔法の矢を放つ。

 こちらは、「闇」の属性を持った魔法の矢である。

「闇」の魔法の矢は、「光」の魔法の盾にぶつかって、魔力を巻き散らしながら、弾けた。

 楯を構えた騎士が歯を食いしばって衝撃に耐える。

マリベルが放った魔法の矢は、騎士が構える魔法の盾をほとんど打ち砕かんばかりの勢いで命中したのだ。

「くっ、さすがの威力ですな…」

 「光」と「闇」は、お互いに相反する属性であり、衝突すればより激しく反発しあうのだった。

 もちろん、マリベルはそれを見越して、「光」属性の魔力を帯びた盾を、「闇」属性の魔力を帯びた矢で射たのだった。

 「地」「水」「火」「風」「光」「闇」、六つの魔法属性を全て使用することが出来るマリベルならではのマルチな攻撃であった。

 マリベルがダッシュした。

「光」属性の魔力を帯びた盾の後ろには、六人の騎士たちが集まっている。

 マリベルは、魔導弓をバトンのように回転させた。

回転する弓に魔力が供給され、魔法のシールドを形成する。

「シールドバッシュ」

 マリベルが叫んだ。

マリベルは、「闇」の魔力を帯びたシールドを、「光」の魔力を帯びた盾にぶつける。

「うわっ」

 六人の騎士が同時に後方へ弾け飛ぶ。

「シールドバッシュ」は、縦で相手に打撃を加える手法である。

 本来は、「盾士タンカー」のジョブアビリティであったが、マリベルは幼いころから、剣士や槍使い、魔術師マージなどの子どもたちと遊んでいるうちに、天性の才でそれらを吸収していった。

 子どもの遊びから、それぞれのジョブのエッセンスを学び取り、その本質を理解してわが物とするのは、まさに天才のなせる業という他はなかった。

 マリベルは、六つの魔法属性を同時に兼ね備え、それらを魔法の専門家である魔術師マージと同等か、それ以上の威力と精度で使いこなせるだけでなく、剣や槍、戦斧など、武器を持って戦う騎士たちに勝るとも劣らぬ物理の戦技を誇っている。

 バウムガルトナー家がこの三百年で生んだ最高の逸材であると呼ばれているのは。当然であった。

「本当に優れておいでですね、マリベル様は…」

 リィーンが、大きなため息をつきながら言った。

「ええ、バウムガルトナー家の誇り… マリベルなら、絶対に金と銀、二張りの魔導弓のどちらかを女神さまから、授かることが出来るはずだわ…」

 アスベルが、そう答えた。

「金の魔導弓クリューソス、そして銀の魔導弓アルギュロス… それぞれ、繊麗の女神アルシノエ様と、その妹君である雄渾の女神ネグベド様… この三百年間で、バウムガルトナー家の娘が、金銀の魔導弓を授かったのは、わずかに数回のみ。繊麗の女神アルシノエ様が、金の魔導弓クリューソスを授けて下ったのは、この三百年でたったの一回だけ。雄渾の女神ネグベド様が、銀の魔導弓アルギュロスを授けて下さったのは、同じく三百年間でわずか六回… でも、マリベルなら、そのどちらかの『魔神器』を授かることが出来るのは確実だわ」

 リィーンは、そういうアスベルの口調に、静かな悲しみと絶望が含まれていることを敏感に察知していた。

 マリベルならば、「魔神器」を授かることが可能だろう。

しかし、「出涸らし姫」と嘲笑される自分には、まず無理だ。

マリベルがこの三百年でバウムガルトナー家が生んだ最高の才能ならば、アスベルは

同じ三百年で最低の劣等生だ。

 リィーンは、幼心に「話題を変えなければ」と判断した。

「ア、アスベル様、金の魔導弓クリューソスと銀の魔導弓アルギュロス、二張りの魔導弓がバウムガルトナー家に同時に授けられたことはあったのですか」

 アスベルは、視線を宙に泳がせた。

「一度だけ、金銀の魔導弓が同時に地上に顕現したことがあったそうよ。ヴァルデス公国がまだ、ヴァルデス選帝侯国と呼ばれていた頃、エフゲニア帝国と袂を分かつ独立戦争を戦った時、当時の遺跡探究者エクスカベーターたちは、ヴァイスベルゲンの地下に広がる廃ダンジョンで、四つの『魔導器』を発見した。その際、繊麗の女神アルシノエ様とその妹君である雄渾の女神ネグベド様が、バウムガルトナー家の双子の姉妹の元へ出現して、直接、魔導弓の使い方を教えて下さったのだとか…」

「双子の姉妹…? アスベル様やマリベル様と同じ…?」

 リィーンの言葉にアスベルが答えた。

「双子の姉妹の名前は、ルナマリアとルナフレア、繊麗の女神アルシノエ様は、姉のルナマリアに金の魔導弓クリューソス、雄渾の女神ネグベド様は、妹のルナフレアに銀の魔導弓アルギュロス、それぞれの魔導弓の能力とその力の使い方を伝授して下さったと聞いているわ」

 アスベルの説明に、リィーンは首を傾げた。

「二張りの魔導弓は、どう違っているんですか?」

 アスベルは、首をすくめた。

「私も知らないわ。なにしろ、三百年で数回しか、地上に顕現してないんですもの。

リィーンも知っているかもしれないけど、ヴァルデス公国が誇る四つの『魔導器』のうち、金の魔導弓クリューソスは、『恐ろしい』と言われているし、銀の魔導弓アルギュロスは、『強い』と呼ばれている。いずれにしても、実際に金銀の魔導弓を使ったことがある人たちがこの世にいないのだから、その能力の正体は、誰にも分らないのが本当のところね」

「そうですね」

「銀の魔導弓アルギュロスを授かった双子の妹、ルナフレア様はマリベルと同じく、魔法にも物理にも秀でた方で、アルギュロスを駆使して、帝政エフゲニアの戦士たちと戦った。一方、姉のルナマリア様は、ご幼少の頃から病弱で、ずっとベッドで臥せっていらしたそうよ。でも、戦闘となったら、ベッドから上半身を起こして、金の魔導弓クリューソスを引き絞って、エフゲニアの戦士たちをばったばったと打ち倒して行った。そんな伝記が、わがバウムガルトナー家には残されているわ」

「アスベル様とマリベル様だって、双子の姉妹でいらっしゃるのですから、今回もきっと…」

 リィーンは、そう言ってアスベルを励まそうとしたが、それはアスベルの心にわだかまる深い絶望を溶かすものではなかった。

「あなたはいい子ね、リィーン… でもね、思いやりは、ときにはかえって相手の心に負担になるものなのよね」

 リィーンは、息を飲んだ。

「ご、ごめんなさい、アスベル様。私、そんなつもりじゃ」」

 アスベルは、弱々しく微笑した。

「良いのよ、リィーン。気遣ってくれるのは、本当にありがたいと思ってる…」

「アスベル様…」

「ほら、そろそろ、トレーニングも終わりよ。リィーン、マリベルが好きなサワーミルクの用意をしてあげて。あ、それから、汗を拭くタオルもお願い」

「わ、分かりました」

 リィーンは、アスベルに言われたサワーミルクと速乾性のタオルを用意するため、本邸へ戻っていった。

 アスベルは、訓練場で戦う妹の雄姿を改めて見やった。

三百年前の独立戦争で、銀の魔導弓アルギュロスを駆使して戦うルナフレアとは、まさにこんな女性であっただろうと、アスベルは妹の背中を見詰めながら想像した。

「一斉にかかるぞ」

 六人の騎士と騎士見習いたちは、それぞれの得物を抱えて攻撃態勢に入った。

ばらばらに攻撃していては、マリベルにひとかけらのダメージも与えられないと判断したのだろう。

「ストーンランス」

 「地」属性の女性魔術師マージが、ワンドを振りかざして叫んだ。

鋭く尖った鉱物性の魔法の槍が複数、何もない空間に出現し、マリベルに向かって殺到する。

 「地」系の中級魔法である。

同時に、弓使いの女性騎士が、「水」系魔法を繰り出す。

 魔導弓から放たれたのは、実体のある矢ではなく、これも何本かの氷柱である。

それに続いて、若い騎士が、「火」系の魔力を纏わせた剣を振りかざして、マリベルに向かって突進する。

 反対側からは、「風」系の魔法を載せた槍をしごいて、もう一人の若い騎士が突撃してきた。

 マリベルは、魔導弓を回転させて、魔力による疑似的な盾を形成する。

いわば、マジックシールドである。

 それをぐるぐると回転させ、マリベルは、右側から到来した「地」系魔法の槍を右側に弾き返し、同じやり方で左側から飛来した「水」系魔法の氷柱を左側に弾き飛ばした。

 弾き返された「地」系魔法の槍は、剣を構えて突進してきた騎士に向かって飛び、

騎士は、それを避けるために慌てて剣を奮って払い落とした。

 同じく、「水」系魔法の氷柱は左側から襲撃してきた槍を使う騎士の正面に向かって飛び、その動きを押しとどめた。

 マリベルは、剣を持った騎士の足首に「水」系の氷結魔法を載せた魔力の矢を放ち、ほぼ同時に、槍を構えた騎士の足首に「地」系魔法の魔力の矢を打ち込んだ。

 それぞれ、反対の属性を持つ魔法による一撃である。

「地」と「風」、「火」と「水」は、お互いに相反する属性を持つため、攻撃を受けた場合、ダメージが加算されるのだった。

「ぐわっ」

「ううっ」

 二人の若い騎士が、その場にうずくまる。

「やれっ」

 盾士タンカーが、バトルアックスを抱えた巨漢の騎士を盾に乗せて、その身体を宙に跳ね上げた。

 驚くほどの高さまで、双刃の戦斧を持った騎士が舞い上がり、上空から魔力と体重と位置エネルギーを載せた渾身の一撃をマリベルに向かって放った。

 マリベルが手にした魔導弓から、「光」系魔法の矢を放つ。

淡い光を帯びた魔法の矢は、巨漢の騎士の手首と両足首、都合四か所を同時に貫いていた。

「おおっ」

 巨漢の騎士は、空中で戦斧を取り落とし、地面に着地してからバランスを失って、

大地に転がった。

 マリベルはそのまま、盾士タンカーに向かって突進する。

楯を構えた騎士は、自分の武器に「光」系の魔力を帯びさせて、マリベルの攻撃に備える。

 マリベルは、魔導弓の端を握って、それに「闇」系の魔力を通す。

そして盾士タンカーに近接すると、弧を描く弓の反りを利用して、楯越しに「闇」系の魔力を載せた打撃を加えた。

 楯を構えた敵を盾をまたいで攻撃するショテルのような使い方だ。

盾士タンカーの方に電撃のようなショックが走る。

 マリベルは続いて、弓を反転させて、盾士タンカーの足首を払った。

「うわっ」

 楯を使う騎士は、足払いを受けて仰向けに点灯した。

続いて、マリベルは、残った二人の女性騎士に向かって、魔法の矢を放つ。

 「地」系と「水」系の属性を持つ魔術師マージ弓兵アーチャーである。

 マリベルは、その二人の足首に、それぞれ、相反する属性である「風」と「火」の魔法の矢を正確に撃ち込んだのだ。

「きゃっ」

「ああっ」

 二人の女性騎士は、悲鳴を上げて転倒した。

「あたしの勝ちね」

 マリベルは、地面に転がる六人の騎士を悠然と見下ろしながら、にこやかな笑顔でそう言った。

 六人の騎士たちは、苦笑しながら、お互いに手を貸しあって立ち上がった。

「かないませんね、お嬢には」

「ますます、強くなってるんじゃないですか」

「お嬢の強さは、女離れしているよな…」

「こういうのは、人間離れって言うんだ」

 マリベルが口を尖らせた。

「何ですって!!」

 それから、彼女は六人の騎士たちとともに哄笑した。

騎士たちは、マリベルに一礼して、訓練場から離れる。

 マリベルは、軽やかな足取りでテーブルで待つアスベルの元へ歩いてきた。

「ああ、いい汗をかいたわ」

 マリベルはそう言って、太陽のような笑顔を見せた。

「お疲れ、マリベル。今、リィーンが飲み物を取りに行っているわ」

「それはありがたいわね。でも、ここは風が通らなくてちょっと暑いわ。姉さん、

中庭の方へ行かない? あっちは木陰があって涼しいから」

「良いわね、そうしましょう」

 アスベルは、リィーンにあてて、自分たちが中庭の方へ場所を変えることを記したメモをテーブルに書き残した。

 

「ああ、いい風」

 マリベルは、ガゼボのベンチに寝転んで大きく伸びを打った。

アスベルがくすくすと笑う。

 バウムガルトナー家の中庭にあるガゼボは、六角形をしている。

ガゼボは、人々に日陰や雨宿り、休息や展望の場所を提供する施設であるが、大貴族の邸宅に設けられたものらしく、装飾的でありながら、過剰な華美に走ることなく、

樹間を渡る冷風がよく通るように設計された、瀟洒な四阿あずまやであった。

「マリベルったら、お行儀が悪いわよ」

「運動の後の火照った身体に、涼しい風は何よりのごちそうだわ…」

「マリベル?」

 アスベルが呼び掛けた時には、マリベルはもう、午睡に入っていた。

子どものように深い眠りである。

 マリベルはアスベルの前で全く無防備で、無邪気な姿をさらす。

それは、彼女が双子の姉を心の底から信頼しているからこそ、なせることであった。

 自分とはかけ離れて優れた能力を持っていて、そのことで自分の劣等感、コンプレックスをひどく刺激する存在であっても、やはり、マリベルはいつまでも自分にとって、この世で最もかわいくて大切な妹なのだった。

「……」

 アスベルは、そっと妹の髪を手で梳いた。

「大好きだよ、マリベル」

 マリベルは、天使のような寝顔で軽やかな寝息を立てていた。


「アスベル様、マリベル様、どちらにおられますか」

 リィーンは、泣きそうになりながら、バウムガルトナーの双子の名前を呼んだ。

訓練場の一角に設えられたテーブルにいたはずなのに、アスベルもマリベルも、姿を消していた。

 アスベルがリィーンに書き残したメモが、風で飛ばされてしまったので、リィーンは、双子の居場所を見失ってしまったのだった。

 もしやと思い、リィーンは中庭には足を向けた。

中庭には、双子がお気に入りのこじゃれた四阿あずまやがあったからだ。

「あっ、アスベル様、マリベル様」

 リィーンの予想は当たっていた。

バウムガルトナー家の双子は、赤茶色の小石が撒かれた敷地の上に、白く塗装されたウッドデッキの建築物が乗っている四阿あずまやで仲良く眠っていた。

 同じ顔をした二人の美少女が、ガゼボのベンチで眠りについている光景は、一幅の絵画のようであった。

 リィーンは、双子を起こさないようにそろそろと近寄った。

アスベルとマリベルが目覚めたら、彼女たちに氷で冷やしたサワーミルクを供するためであった。

 リィーンの足がぴたりと止まった。

その双眸が大きく見開かれた。

 すんでのところで、リィーンは手にしたポットを取り落とすところだった。

アスベルとマリベル、神穹姫と呼ばれるバウムガルトナー騎士爵家の双子の頭上に、きらきらと輝く黄金の微粉を纏う、宙に浮かんだ二人の美しい女性の姿がさしかかっていたからだ。

 その二人の女性が、人間でないのは明らかだった。

なぜなら、その姿は半透明で、彼女たちの全身を通して背後の風景が透けて見えていたからだ。

 一人は、ほっそりとした小柄な女性で、その髪は肩までかかるカラスの濡れ羽色の黒髪であった。

 白いレースの薄絹を纏い、その裳裾が緩やかに揺れ動いている。

もう一人は、燃えるような深紅の髪をした大柄の女性で、その腕は鋼鉄の発条ばねを撚り合わせたように太く、タンクトップの胸は雄大に盛り上がり、その下には見事に割れた腹筋が見て取れた。

 こちらの女性も空中に浮いたまま、ジッと双子の寝顔をのぞき込んでいる。

薄絹を纏った華奢な女性が、リィーンの存在に気が付いて、彼女に視線を向けた。

 それは、夜の闇を写し取ったかのごとき、漆黒の双眸であった。

もう一人の女性がそれによって、同じようにリィーンの方へ視線をやった。

 それは、まるで燃え盛るかがり火のような黄金の色をしていた。

二人の女性が、リィーンに向かって、莞爾とほほ笑んだ。

 そのまま、二人の女性の姿は、淡い輝きを残しながら消滅した。

この時、リィーンには彼女たちが何者かを知るすべはなかったのだが…

 その二人は…

バウムガルトナー家の少女たちに、金の魔導弓クリューソスと銀の魔導弓アルギュロスを授ける繊麗の女神アルシノエと、その妹、雄渾の女神ネグベドであった。



 


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