第24話  少女の名は、ラーダ

「神の盾」 ヴァヌヌの物語


「あいたたたたっ、気をつけろ、ヴァヌヌ」

 尻に巻かれた包帯を取り換えてもらう際、チェーザレ・ヴァンゼッティは、女のような悲鳴を上げた。

「も、申し訳ありません、チェーザレ様」

 ヴァヌヌは、素直に主人に謝罪した。

乾いた血がこびり付いて、包帯を剝がすときに傷口を刺激したのだろう。

 肥満気味の少年が、尻を丸出しにしてベッドにうつぶせになっている光景は、傍目から見ても、滑稽だった。

「くそっ、アデリッサ・ド・レオンハルトめ… 折角、魅力的な条件を提示してやったのに、恩を仇で返しやがって…」

 従者であるヴァヌヌに尻の包帯を取り換えてもらい、上等な薬草をすり潰した乳液を塗ってもらいながら、チェーザレはぶつぶつと文句を言っていた。


全て、自業自得だろうに…


ヴァヌヌは、心の中で嗤った。

 チェーザレの尻に残った傷は、レオンハルト伯爵家の令嬢、アデリッサの氷魔法によるものだ。

 攻撃魔法を司る「魔核」=「ボアズ」を失い、防御魔法しか使えないヴァヌヌと正反対で、アデリッサ・ド・レオンハルトは、防御魔法を司る「魔核」=「ヤキン」を損傷していて、攻撃魔法だけしか使えない。

 チェーザレ・ヴァンゼッテイは、公立魔導アカデミーの練兵場で、アデリッサの模擬戦闘のパートナーに名乗り出て、その場でアデリッサに卑劣な取引を持ち掛けた。


「俺の女になるなら、この勝負、わざと負けてやろう。これから、あんたが戦闘訓練のパートナーを必要とする時は、俺が相手をしてやる。必要ならば、負けてやるよ。そうすれば、あんたも実技の単位が取得できるだろうよ。どうだ、悪い取引ではあるまい?」 


 攻撃魔法しか行使できないアデリッサが、単位を取得できないであろうとことを見越して、協力してやるから、その代わりに自分の女になれと迫ったのだ。

 アデリッサのような美少女をゲットし、あわよくば、レオンハルト伯爵家の身分と財産まで手に入れてやろうと欲をかいた挙句、アデリッサに拒絶されてしまった。

 申し出を拒否され、恥をかかされた怒りに任せて、チェーザレは、防御魔法を持たないアデリッサに対して、フルパワーの地系魔法を放った。 

 練兵場が「魔素マナ」を中和する機能を持つオベリスクに囲まれているとはいえ、至近距離で魔法の直撃を食らったら、アデリッサはただでは済まなかっただろう。

 ヴァヌヌは、咄嗟にアリーナの外から、彼のオリジナルである遠隔防御魔法、「リモートプロテクション」を使って、アデリッサを守ったのだった。

 その後、アデリッサは、反撃の氷魔法を放ち、アデリッサの「氷」の属性の下、

魔素マナ」が凝集して生まれた「アイスエッジ」が、チェーザレの尻に突き刺さったという次第である。

 ヴァヌヌが自分を守ってくれたことは、アデリッサにも伝わった。

これによって、ヴァヌヌとアデリッサは急速に仲を深めて言ったのだが…


チェーザレ様の怪我の原因が僕にもあると知られたら…


さすがに、気を悪くされるだけでは済まないだろうな…

 

 この事を傲慢な主人であるチェーザレに知られるわけにはいかない。

それでも、この陰湿さと底意地の悪さを一心に体現しているような貴族の少年が、尻を丸出しにしてうめいている光景を眺めるのは、密かに痛快だった。

「あれだけいい女を自分のものにできる、絶好の機会だったのに…」

 チェーザレは、まだぼやくのをやめない。

「チェーザレ様、あなたはヴァンゼッテイ男爵家の嫡男でいらっしゃるのですから、これからも見目好きご令嬢のとの出会いなど、幾らでもございます」

「あの女なら、上級貴族の門跡をいただく機会を得られるだけでなく、男の欲望を吐き出す相手としても最高だったのだがな…」

「チェーザレ様…」


どうして、この人は女性を性欲の対象としてしか、見られないのだろう。


胸がときめく、甘酸っぱい恋愛が出来るのも、今だけだろうに…


「そうだ、いいことを思いついたぞ」

 チェーザレが突然、そう言い出し、ヴァヌヌは緊張と警戒で身を固くした。

チェーザレがそのようなことを口にするとき、それが本当に「いいこと」であることは、ほとんどなかったからだ。

「ヴァヌヌ、お前、ヴァイスベルゲンのスラム街で女の奴隷を買って来い」

 ヴァヌヌは、絶句した。

「何とおっしゃいましたか」

「何度も言わせるな。スラム街へ行って、俺たちと同じ年代の少女の奴隷を買って来い、そう言ったのだ」

「な、何のためにですか」

 チェーザレは、鼻を鳴らした。

「男のお前にはできないことを、そいつにやらせるためだよ」

 男性であるヴァヌヌではできないこと、そして女性の奴隷ならできること、誰が見ても、下半身の世話をさせることでしかないではないか。

「お言葉ですが、娼婦と遊びたいとお考えなら、お怪我が治ってからご自身で娼館などへ足を運ばれたらいかがですか? ヴァイスベルゲンには、貴族様御用達の高級な妓楼などがいくつかあると聞きます」

「仮にも、ヴァンゼッティ男爵家の跡取りたるこの俺が、不特定多数の客を相手にしているような、安っぽい娼婦と遊べるか。俺は、俺専用の奴隷が欲しいんだよ」

「で、ですが、ヴァルデス公国では、奴隷の売買は禁止されています」

「お前、何も知らないんだな。おしゃれでこぎれいな表通りの裏側には、薄汚くて、立小便のにおいがする裏通りがあるように、ヴァイスベルゲンの裏町には、非公然ながら奴隷を扱っている商人たちがいるんだよ」


なぜ、同じ年の少年がそんなことを知っているのか。


 ヴァヌヌは訝しく思ったが、恐らくはチェーザレの父親、ヴォルド・ヴァンゼッテイ男爵からの情報であろうと推察できた。

「女の奴隷を買って、それからどうするのですか。彼女をどこに住まわせるおつもりですか」

「ヴァンゼッテイ家のメイドして、お前と同じように、アカデミーの寄宿舎に住まわせてやればいいさ」

「男子生徒の寄宿舎に居住できるのは、従者や護衛など、男性だけです」

「だったら、そいつには男装させればいいだろう。アカデミーの寄宿舎の場合、二人まで従者、召使い、侍従を置くことを認められているんだから、男のふりをさせれば、何の問題もないだろう」

 チェーザレは、そう言って嗤った。

「普段は、男の服を着ていても、用があるときは脱がせてしまえばいいのだから、メイドだろうが、召使いだろうが、関係ないってことだ」

「チェーザレ様…」

「金は出してやる。明日にでも、早速、言って来い。分かっているだろうが、男の格好をさせて寄宿舎に同居させるわけだから、同年代でないとまずいからな。多少、値段は張るが、若くて可愛いやつを買って来るんだぞ」

「チェーザレ様、ですが…」

「出来ないと言うなら、貴様は馘首クビだ。俺は指をパチンと弾くだけで、貴様の未来を奪えるってこと、絶対に忘れるな」


「ねえ、ヴァヌヌ、ちゃんと聞いてる?」

 ヴァヌヌは、サファイアのような淡いブルーの双眸が、自分を凝視しているのを知って、あわてて顔を挙げた。

「も、申し訳ありません、アデリッサ様… 考え事をしていました」 

 アデリッサ・ド・レオンハルトは、頬を膨らませた。

少女の幼さを残す容貌は、子猫の愛らしさを連想させた。

「私たち二人の将来にかかわる問題なのだから、あなたも真剣に考えて頂戴ね」

 隣のテーブルで紅茶を嗜んでいたアカデミーの女子生徒が、目を丸くして、ヴァヌヌとアデリッサを見やった。

 聞きようによっては、隣席の若いカップルが結婚を前提とした打ち合わせをしているように受け取れる。

 制服の袖を飾る線が、「一本線平民」と「三本線貴族」の取り合わせというのなら、なおさらだ。

 隣の席から注がれる、興味津々の視線に気付いて、アデリッサが彼女たちににこやかな笑顔を返した。

 少女たちは、あわてて二人に注いでいた視線を逸らす。

ここは、アカデミーのカフェである。

 燦燦と陽光が降り注ぐ中、パールホワイトのパラソルが差し掛けられた、同じく純白のラウンドテーブルで、ヴァヌヌとアデリッサは、午後の紅茶を楽しんでいた。

 もちろん、ヴァヌヌとアデリッサが話し合っていたのは、お互いに「魔核」を失った半人前として、何とか、残された機能で一人前の魔術師マージとして、身を立てる手段はないものか、それを二人で考えるためである。

 攻撃を担当する「魔核」=「ボアズ」を失ったヴァヌヌが、防御魔法を担当し、防御を担当する「魔核」=「ヤキン」を損なっているアデリッサが、攻撃魔法を受け持つ。

 二人で力を合わせて、ようやく魔術師マージとして、一人分の働きが出来るという勘定になる。

 そのことをアカデミーの理事長であるヴァラカ・シャヒーンに直談判に及んだのだが、残念ながら拒絶されてしまった。

 当然である。

攻撃魔法と防御魔法の両方を自在に駆使してこそ、魔法で戦う戦士、魔術師マージなのだ。

 また、淡い碧の瞳がヴァヌヌを注視している。

「ヴァヌヌ、ちょっといいかしら」

「な、何でしょう、アデリッサ様」

 アデリッサは、真剣な表情で言った。

「あなた、何か、悩みごとがあるのでなくて」

「えっ」

「あなたの主人、チェーザレ・ヴァンゼッテイから何か、何か、ひどいことを言われたのではないの」

「アデリッサ様、僕は…」

 アデリッサは手を伸ばして、テーブルの上に置かれていたヴァヌヌの手を握った。

「私たち、友達でしょ? それにあなたと私は、お互いの問題を一緒に解決していこうと誓った仲間… いえ、同志なのだから、どんなことでも話してちょうだい」

「…有難うございます、アデリッサ様。僕のような平民の子が、アデリッサ様みたいな大貴族のご令嬢にそこまで言っていただいて、これ以上の喜びはありません」

「大袈裟よ、ヴァヌヌ」

 少女は、ころころと笑った。

「言ったでしょ? 私たち、友達なんだから」

「アデリッサ様」

 アデリッサが眉間に皺を寄せて、真剣な表情で言った。

「ヴァヌヌ、提案があるのだけど… もし、あなたが良ければ、レオンハルト家であなたの身柄を引き受けてもいいと思っているの。チェーザレ・ヴァンゼッティはあんな人間だし、あの人があなたにひどい仕打ちをしているのではないかと思うと、私、いたたまれない気持ちに…」

 ヴァヌヌは、弱々しく微笑した。

「レオンハルト伯爵家が、僕をヴァンゼッテイ男爵家から買い取ってくださると…? そう、仰るのですか?」

 アデリッサは、息を飲んだ。

「ご、ごめんなさい、ヴァヌヌ。気を悪くしたのなら、謝罪します」

「いいえ、お言葉は涙が出るほど嬉しいです。本当にそうして頂けたら、僕の日々の生活がどれだけましなものになるか… まるで夢のようなお話です」

「ヴァヌヌ、だったら…」

「アデリッサ様は仰ってくださいました。伯爵家のご令嬢が、平民の僕に向かって、自分たちは友人であり、仲間であり、同志であると… このお言葉だけで、僕はどんな困難にも立ち向かっていける勇気を得た思いです」

「ヴァヌヌ」

「ヴァラカ・シャヒーン理事長は仰いました。君たちは長い人生で、ほんの一瞬だけ、このアカデミーで交わっただけだ… ずっと一緒にはいられないのだぞ、と。

ならば、そのほんの一瞬だけでも、僕はアデリッサ様と対等の友人でありたいと

願っています」

「……」

「アデリッサ様、『魔核』のひとつを失っている僕たちには、これからも想像を絶する苦難が待ち受けていると思います。僕は、今現在、僕が直面している問題から逃げたくはないと思っています。逃げ癖がついてしまったら、障害を理由に人生そのものから逃げ出してしまうような気がするのです…」

 アデリッサは、ヴァヌヌの言葉に感銘を受けたようだった。

「あなたは、本当に強い子なのね、ヴァヌヌ… 御免なさい、私、本当に余計なことを言ってしまったみたいね…」

「アデリッサ様からいただいたお言葉は、本当にうれしかったです。本気で涙をこぼしそうになりましたからね」

「ヴァヌヌったら…」

 アデリッサは、泣きそうな笑顔を見せた。

その時、教科書を小脇に抱えた二人の少女たちが、アデリッサに声をかけてきた。

「午後の授業が始まりますわよ、アデリッサ様」

 彼女たちに促され、アデリッサは立ち上がった。

「それじゃ、また、後で… 頑張ってね、ヴァヌヌ」

「はい、アデリッサ様」

 小さく手を振って、アデリッサは少女たちに合流する。

それを目で追って、ヴァヌヌは心の中でアデリッサに頭を下げた。


性処理をさせるため、スラムの奴隷商人から美しい少女の奴隷を購って来いと、チェーザレから命令されていることなど、アデリッサ様に打ち明けられる訳がない。


 しかし、その無法な要求にこたえることが出来なかったら、チェーザレは容赦なく、ヴァヌヌから従者の職をとり上げるだろう。

 それは、ヴァヌヌが公立魔導アカデミーで学ぶ機会を奪われるという事だった。

ヴァヌヌは、純白のテーブルに置いた手を握り締めた。

 自分の弱い立場をこれほど、痛感させられたことはなかった。

そもそも、公都ヴァイスベルゲンの裏道で、奴隷商人がどこに秘密の店を構えているのか、それさえ、自分には分からない。

 チェーザレは、ヴァヌヌに少女の奴隷を買う資金として、公国の通貨で30万ギルダーの大金を渡してくれた。

 ヴァヌヌのような平民の少年には、目を剥くほどの大金である。

これだけの金をただ、女と遊ぶためだけにポンと出せるのがチェーザレの立場であり、ヴァンゼッティ男爵家の財力であるのだ。

 世間というやつの不条理さが改めて身に染みる思いだった。


これから、どう行動すればいいのか…


誰に聞けばいいというのか…


奴隷を購入できる店の場所などを…


いっそのこと、この金を持って逐電しようか…


 ヴァヌヌは、力なく項垂れた。

その時、背後から彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「ヴァヌヌ」

 はっと息を飲んで、ヴァヌヌは後方を振り返った。

ぽやぽやした赤毛をした小柄な少年が、心配そうにヴァヌヌを見詰めていた。

「ザザ様」

 ザザ・グアルネッリは微笑して言った。

「座ってもいいかい、ヴァヌヌ」

「どうぞ、ザザ様」

 グアルネッリ伯爵家の次子、ザザ・グアルネッリはしなやかな動きでヴァヌヌのテーブルに着席した。

 ヴァヌヌは、弱々しくザザに笑いかけた。

「いらっしゃるのなら、声をかけてくださればよろしかったのに」

 ザザは、微笑した。

「アデリッサといい雰囲気だったからね。邪魔をしたら、悪いと思ってさ」

「揶揄わないでください。身分が違い過ぎます」

 アデリッサ・ド・レオンハルトは、ヴァルデス公国の軍務卿の要職にあるレオンハルト伯爵家の令嬢だ。

 そして、ザザ・グアルネッリもまた、ヴァルデス公国の内務卿に任じられるグアルネッリ伯爵家の令息である。

 ザザが真顔になった。

「声をかけなかったのは、幾分、深刻そうな空気だったからさ。何か、悩みごとがあるのかい、ヴァヌヌ」

「貴族様にお話しできることではないので…」

「ヴァヌヌ、わがグアルネッリ家は公国の内政を監察する内務卿の職を任されている。普通の貴族と違って、この国の夜の闇に巣くう者たちの裏事情にも通じている。

アデリッサは貴族のご令嬢で、純真で心優しい女性だ。彼女に打ち明けることが出来ないこともあるだろう。だが、僕なら男同士、腹蔵なく語り合う事だってできるだろう。良かったら、話してくれないか」

「ザザ様、ですが、僕は…」

 困惑の表情を浮かべるヴァヌヌに、ザザは莞爾と笑った。

「僕たち、友達だろう、ヴァヌヌ」

「ザザ様…」


 一組の少年と少女が、ヴァイスベルゲンの下町の通りを並んで歩いている。

少年の方は、上位の貴族に仕える執事らしく、上品で落ち着いた装いをしている。

 少女の方は、ありきたりのメイド服を着ているが、これも生地と言い、仕立てと言い、最上級の布地を最高の腕を持った職人が縫製したことが見て取れる。

 ともに下町とは名ばかり、最下層の住民たちが居住するスラム街と呼ぶべき一帯に、少年と少女の姿はあまりにも似つかわしくないものだった。

 路上で、昼間から酒をあおっている老人が、じろりと二人に一瞥をくれる。

巾着切りらしい子供たちが、二人の様子を見やって、顔を伏せたまま、こそこそと密談を交わしている。

 建物の陰から、様子を窺っているのは、この街のチンピラらしい。

黄色い老犬が、二人に吠え掛かった。

 少女が、老犬を睨み付ける。

老犬はそれだけで、キャンと尻尾を巻いて逃走した。

「それにしても… 改めて、凄いとしか言いようがないです…」

 執事に扮しているのは、ヴァヌヌである。

そして、メイドに化けているのは、ザザ・グアルネッリであった。

「どこから見ても、女の子にしか見えません… それも、頗る付きの美少女…

これが、ゴーレムマスター、グアルネッリ家の隠形術なんですね…」

 普段のザザは、ほとんど存在感のない、普通の少年だ。

顔立ちは悪くないが、眼をそらした瞬間、その人物の容貌がどんなものであったか、

記憶の淵からたちまち零れ落ちて、全く記憶に残ることがない… 

 ザザ・グアルネッリの顔貌や容姿は、そのようなものだった。


それもまた、ゴーレムマスターの技術のひとつなのだろうが…


「敬語はやめるんだ、ザザ。今の僕たちは、いかがわしい買い物をするために、わざわざ、下町まで遣わされた貴族の従者という設定なのだからね」

「申し訳ありません… ですが、本当にすごいと思います… あなたの声だって、同じ年頃の女の子にしか聞こえない… これが、グアルネッリ家の技術なんですね…」


 アカデミーのカフェで、ヴァヌヌはザザに現在、自分が置かれている苦境について、説明した。

 ザザは、黙したまま、ヴァヌヌの説明を傾聴し、ヴァヌヌが話し終わるのを待って、質問を発した。

「チェーザレ・ヴァンゼッティの命令を聞かないと、君は彼の従者の職を解かれ、同時にアカデミーで学ぶ機会を失ってしまう… そういう事だね、ヴァヌヌ」

「僕は、ヴァンゼッティ男爵家からお暇を出され、そのまま、路頭に迷うことになると思います」

 ザザ・グアルネッリは、大きなため息をついた。

「金で爵位を買った成り上がりの金貸しの息子に、貴族の気高さを求めるのは、無理があるとしても、さすがにあいつはひどすぎるな…」

 それから、ザザは淡い碧の双眸で、ヴァヌヌを見詰めた。

この瞳の色は、グアルネッリ家がその出自を北方の帝政エフゲニアに持っていることを現わしている。

「事情は分かった。僕が協力するよ、ヴァヌヌ」


 ヴァヌヌが着用している衣装は、ザザが貸してくれたものだ。

ザザは、ゴーレムマスターとして活動するとき、女装することが多いが、今回、ヴァヌヌが下町へ赴くにあたって彼に同行を申し出てくれたのだった。

 ヴァヌヌは、周囲の視線を否応なく意識せざるを得なかった。

「この服装はまずくないですか… こんなスラム街に等しい場所で、あからさまにお金持ちのお使いみたいな恰好をしているのは…」

 ザザは、ふっと嗤った。

「だから、いいのさ。堂々としているんだぞ、ヴァヌヌ。まわりの奴らは、どうしてこいつらはこんなに自信満々なのだ? 下手に、こいつらに手を出したら、飼い主である有力者から報復を受けるのではないか? そういう疑念に囚われて、僕たちにちょっかいをかけることを逡巡しているんだ」

「そういうものでしょうか」

「それにいざとなったら、僕が君を守る… 僕は、グアルネッリのゴーレムマスター、ゴーレムマスターのグアルネッリなのだからね…」

 静かな物言いであったが、そのことばには絶対の自信が満ちていた。

「感謝いたします、ザザ様」

「もう一度、言うが、その敬語はやめるんだ。店が見えて来たぞ」

 ヴァンゼッテイ男爵家の従者であるヴァヌヌと、グアルネッリ伯爵家の次子であるザザ・グアルネッリは、赤レンガで構築された倉庫の扉の前に立っていた。


ここが、奴隷商の店なのか…?


 ヴァヌヌはそう訝ったが、メイドに扮装したザザは、ポケットから銀色のカードを出して、それを壁の一部に押し当てた。

 その箇所がわずかに光り、すぐに壁の一部が大人一人がようやく通れるほどの扉が出現した。

「ここから先は魔窟だ。気を引き締めるんだ、ヴァヌヌ」

 本物の十代の少女のような、鈴を転がすような美しい声であった。

「はい」

 ヴァヌヌとザザは、扉を潜った。

二人の少年が通り過ぎると、すぐに扉は消滅した。

 建物の中は窓がなく、外の光が差し込んでこない。

照明も点灯してはおらず、暗さに慣れるまで、ヴァヌヌはしばし、視界を失った。

 隣のザザを見やると、ザザはこの暗闇の中で四方に視線を走らせている。


暗視の能力も、ゴーレムマスターのスキルのひとつなのだろうか?


 ヴァヌヌは、そう思った。


「買い物がしたいので、明かりを付けていただけませんか」

 暗闇に向かって、ザザが少女の声でそう言った。

途端に、建物の内部が光で満たされた。

 網膜を刺激することがない、優しくて穏やかな光である。

ヴァヌヌは、視界を回復することによって、自分たちが複数の屈強な男たちに囲まれていることを知った。 

「買い物とおっしゃいましたか」

 漆黒のモスリンを嫌味なく着こなし、上品な口ひげを蓄えた男性が、ヴァヌヌとザザを見詰めながら、そう言った。

 深い知性を感じさせる、落ち着いた声であった。

「そう言いました」

 ザザが応えた。

ふふふ、とその男性が微笑した。

「これはずいぶんと可愛らしいお客様ですな。お二方とも、ここが何の店であるか、承知の上でいらしたのでしょうか」

「愛玩用の少女の奴隷を購いたく、こちらを訪問させていただきました」

 ザザ・グアルネッリの直截な物言いは、ヴァヌヌを緊張させた。

「では、店を間違えておいでだ。うちは奴隷など扱っておりませんよ。そもそも、このヴァルデス公国では、人身売買は完全な犯罪行為として禁止されております」

 男はそう言って、嗤った。

だが、その目は決して笑ってなどおらず、ヴァヌヌとザザの周囲を取り囲む男たちは、二人にあからさまな殺気を向けている。

「駆け引きは無用に願います。私どもを遣わされたご主人様は、ここへ行けば、望みのままの奴隷を購入することが出来るとおっしゃっていました」

「あなた方のご主人さまの姓名を伺ってもよろしいですかな」

「素性を明かさないと、奴隷が買えない… こちらではそういうルールになっているのでしょうか」

 どんなに立ち居振る舞いが洗練されていようとも、明らかに闇社会の人間に対して、全く臆する様子もなく、ザザ・グアルネッリは対応している。

 それも可憐な少女の声でだ。

ヴァヌヌは、ヴァルデス公国の内務卿の要職を預かるグアルネッリ伯爵家の底知れぬ強靭さを垣間見た思いだった。

 漆黒のモスリンの男は、かすかな戸惑いを見せた。

「私らもそれなりにリスクを背負っておりますのでね…」

 ザザは少女のような可憐な唇で、ふっと嗤った。

「こちらの店は、ブルーノ組に面倒を見てもらっていると聞きました。そのブルーノ組は、先般、なぜか突然、消滅してしまったとか… いったい何があったのか、私どもには想像もつきませんが、今ならそのあたりに気を使う必要のない、自由な商売ができるのではありませんか」

 漆黒のモスリンの男は、瞠目した。

「な、なぜ、それを…」

 当然だ。

そのブルーノ組を文字通り、「叩き潰した」のが、ほかならぬザザ・グアルネッリであったのだから。

 ヴァヌヌは、黙したまま、テーブルの上に革袋を置いた。

紐をほどいて、革袋の中身をテーブルにぶちまける。 

 古来より、人々を魅了してやまぬ黄金色の輝きが出現した。

漆黒のモスリンの男が、卓上に積み上げられた金貨の山を一瞥する。

「…分かりました。こちらが思っている以上に、あなた方のご主人さまは

 こちらの世界の事情に通じておられるようだ。ご案内しましょう」

 漆黒のモスリンの男は、ヴァヌヌとザザについてくるように促した。

ヴァヌヌとザザは、男に追従し、さらに凶暴さを内に秘めた男たちが二人の跡に續いた。

 回廊は、エントランスよりもずっと明るい照明に満たされていた。

明かりの元は、とても高価な魔導ランプである。

 ザザはともかく、ヴァヌヌはチェーザレの従者として公都ヴァイスベルゲンを訪うまで、魔導ランプなど見たことがなかった。

 平民であるヴァヌヌが慣れ親しんでいるのは、さほどの光量もなく、嫌なにおいを発しながら、じりじりと音を立てて燃える獣脂蠟燭であったから。

 ヴァヌヌとザザを先導する男が着ている石炭色のスーツは、明るい光の中では、宝石の粉をまぶしたかのように、きらきらと小さな光を放っている。

 一流の職人による起毛仕立てである。

「それで、お二人のご主人さまは、どのような女奴隷をお探しで?」

 ようやく、ヴァヌヌが口を開いた。

「ぼ、僕たちと同じ年恰好の少女をお望みです…」

 チェーザレは、その少女奴隷に男装をさせ、アカデミーの男子生徒用の寄宿舎に住まわせる心づもりだ。

 なればこそ、チェーザレは「俺たちと同じ年頃の娘を買って来い」とヴァヌヌに命じたのだった。

 漆黒のモスリンの男が、唇の端を歪めて苦笑した。

「なるほど、あなた方のご主人さまは、幼女がお好きという訳ですか… それとは別に、稚児趣味もお持ちのようですな…」

 その丁寧な物言いの中に、秘められた侮蔑が含まれていることを、ヴァヌヌは敏感に察知した。

 それより、驚くべきことがあった。

黒いモスリンを着た男は、ザザ・グアルネッリが女装した少年であることを正確に見抜いていたのだ。

 ヴァヌヌがザザの横顔に視線をやると、ザザもまた、小さな衝撃を受けていることが分かった。


所詮、女衒ではあっても、極めつけとはこれほど凄いのか…


 ゴーレムマスター、グアルネッリ伯爵家の者が、伯爵家以外の人間に変装や隠形を見破られるのは、もしかしたら、これが初めてなのかもしれなかった。

 漆黒のモスリンの男が、ある部屋の前で足を止めた。

「掛け値なしという事で、商談にはいらせていただきます。30万ギルダーの金貨にふさわしい奴隷を提供させていただきましょう」

 男は、部屋の扉をノックした。

そして、返事を待たず、ドアノブを捻って扉を開放した。

 ヴァヌヌやザザと同じ年恰好の黒髪の少女が、怯えた表情でモスリンの男と、その跡に續く二人の少年の方を振り返った。

 黒曜石の髪、象牙色の肌、砂漠の夕暮れを思わせる琥珀色の瞳… 

一見して、沙馮シャフーの血が流れていることを示す容貌。

 その姿は、異教の女神の様に美しかった。

「ご挨拶をなさい」

 漆黒のモスリンの男が、少女にそう言った。

少女は慌てて、スカートの両裾を手でたくし上げて、ヴァヌヌとザザに優美なお辞儀をして見せた。

 貴族たちの子女が使う膝折礼カーテシーである。

少女の朱色の唇から、怯えた声が漏れ出てきた。

「は、初めまして… 私の名前は… ラーダと申します…」








 

 


 

 



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