第17話 奪われしもの 喪ったもの

「神の盾」 ヴァヌヌの物語


 公立魔導アカデミーの練兵場。

アカデミー四回生(高等部一回生)A組の生徒たちが集合している。

 生徒たちに指導を行うのは、担任であるエルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒの二人の教官たちである。

 三十絡みの精悍な容貌したスクライカーが生徒たちを前にして、本日の授業内容を説明した。

「…いよいよ、今日から魔法による戦闘訓練を行う。対戦相手に攻撃魔法を放ち、同時に相手の攻撃魔法を防御魔法で防ぐ。言うまでもなく、これが魔法による基本的な戦い方であり、君たちがこれから魔術師マージとしてやっていくのか、あるいは魔導騎士パラデインとなる道を選ぶのか、いずれにしても戦法は変わりはない」

 ストリンドベルヒが、スクライカーの言葉を継ぐ。

「この練兵場メインスタジアムには、六基のオベリスクが設置されています。知っての通り、オベリスクはこの場の魔素マナを中和する機能を持っており、あなた方が行使する魔法の威力を大きく減衰させてくれます。言わば、騎士が防具を纏うのと同じであって、皆さん方は、安全に魔法による戦闘訓練を実行できると言う訳です」

 スクライカーが続けた。

「魔法の威力が低下するとは言え、ある程度の苦痛は伴うし、完全に怪我が防げる訳ではない。訓練だからと言って気を抜けば、大きな事故に繋がる可能性がある。各自、これが実戦だと思って、気を引き締めてかかるように」

 生徒たちが一斉に「はい」と答えた。

ヴァヌヌは、ヴァルデス公国の第三公子、ラスカリス・アリアトラシュとアインホルン侯爵家の長子、ジークベルト・フォン・アインホルンの顔が見えない事を怪訝に思った。

 男爵家の従者であり、平民であり、アカデミーの一生徒に過ぎないヴァヌヌには、思いも寄らぬ事であったが、ラスカリスとジークベルトは、暗殺未遂事件の顛末を伝えるため、内務省に出頭していたのだった。

「魔法による戦闘訓練か…」

 ヴァヌヌは、唇を噛んだ。

ヴァヌヌは、彼の主人、チェーザレ・ヴァンゼッティの虚言によって、チェーザレの父、オズヴァルド・ヴァンゼッティ男爵の手で、攻撃魔法を司る魔核「ボアズ」を破壊されている。

 つまり、ヴァヌヌは攻撃魔法を使うことが出来ない体にされてしまったのだった。

魔法戦闘は、スクライカーが説明した通り、敵の攻撃魔法を自分の防御魔法で防ぎつつ、素早く、魔法を切り替えて敵に向かって攻撃魔法を放つのが、基本中の基本だ。

 攻撃魔法を放つ時は、自分自身の防御魔法を消さなければならない。

その際、一瞬だが術者は、完全に無防備な状態に陥ってしまう。

 攻撃魔法を発射したら、直ちに防御魔法を張り直し、敵の攻撃に備えなければならない。

 防御魔法から攻撃魔法へ、攻撃魔法から再び、防御魔法へ、速やかに切り替えることができる迅速なスイッチングの作業こそが、魔法戦闘の要諦と言ってよかった。

 しかし、ヴァヌヌは魔核「ボアズ」を奪われ、攻撃魔法を行使する事が出来ない。だとすれば、魔法戦闘の授業で履修証明である「単位」を取得することが出来ないと言う事だ。

 

 やはり、無理だったのだろうか。


「魔核」を奪われた自分が魔術師マージとして、身を立てることなど…


「ではまず、ザザ・グアルネッリ…」

 ザザが、スクライカーに視線を返す。

スクライカーは、少し慌てた表情で、手にした生徒の名簿に目を落とす。

「あ、すまない… ザザ・グアルネッリ、君はパスだ」

 ザザは小さく頷いた。ヴァヌヌの隣で、チェーザレが呟いた。

「あのザザって奴、いつもパスだな… 座学はともかく、なんで実技の授業は全部、スルーなんだ? それで単位が取れるのか?」

 スクライカーが名簿から次の生徒の名前を読み上げた。

「アデリッサ・ド・レオンハルト… あ、いや、君はいい」

 ヴァヌヌは、アデリッサの名前に敏感に反応した。

それは前の授業で、彼女がヴァヌヌの事を特別な視線で見詰めていたからだ。

 アデリッサ・ド・レオンハルトは、美しい少女だ。

ほっそりと嫋やかな肢体は、それこそ妖精のようだ。

 練兵場を吹きすぎて行く疾風が、アデリッサの栗色の髪を靡かせている様は、息を飲むほど美しかった。

 もちろん、平民であるヴァヌヌがアデリッサに懸想しても、全くの無駄だ。

ヴァヌヌは家名を持たない平民であり、ヴァンゼッティ男爵家に仕える従者でしかない。

 それに比べて、アデリッサは四つの「魔神器」の一つ、「デスサイズ 月影ムーンシェイド」を預かるレオンハルト伯爵家の令嬢だ。

 アデリッサの父君、ガリオン・ド・レオンハルトは、ヴァルデス公国の軍務卿の任を任された国家の重鎮であった。

 そのアデリッサ・ド・レオンハルトが、生徒たちの列から一歩、前に進み出た。

「スクライカー教官、私、出来ます。戦闘訓練をやらせて下さい」

 スクライカーは、ストリンドベルヒと顔を見合わせた。

「アデリッサ・ド・レオンハルト… しかし、君の場合…」

 アデリッサは、なおも畳み掛けた。

「相手の攻撃は、当たらなければどうと言うことはありません。私は、他の生徒たちと同じか、それ以上に戦う事が出来ます。お願いです、やらせて下さい」

 ストリンドベルヒが、気の毒そうな表情でアデリッサに言った。

「あなたの気持ちは理解できるけど… オベリスクの作用で威力が減衰されるとは言え、攻撃魔法が直撃したら、負傷は免れないでしょう。火炎系の爆裂魔法は、爆風によって粉塵を巻き起こします。もし、それが目に入りでもしたら… 指導教官として、あなたを戦闘訓練に参加させる事は出来ません。アデリッサさん、理解してちょうだい」

 ストリンドベルヒ教官にそこまで言われても、アデリッサは引き下がらなかった。アデリッサはポケットからゴーグルを取り出して、それをペールブルーの双眸の上に装着した。

「この通り、自分なりに対策は考えています。たとえ、事故が起こったとしても、それは私の責任です。お願い、先生。私からチャンスを奪わないで」

 ここまで言われては、二人の教官たちもアデリッサの願いを拒絶する事は出来なかった。

 スクライカーが、大きなため息を吐いた。

「そうまで言うなら、仕方がない。戦闘訓練への参加を許可しよう。しかし、ひとつだけ、条件がある」

「条件?」

 アデリッサが小首を傾げた。

「条件とは… アデリッサ、君が自分で訓練のパートナーを見つける事だ」

 アデリッサと二人の教官たちとのやりとりで、ヴァヌヌはこの栗色の髪の少女が、何か、複雑な事情を抱えているらしい事を知った。


ーー誰か、彼女の事情を知っている者はいないのか。


 ヴァヌヌは、生徒たちの輪の中に回答を求めた。

親友同士らしい二人の少女が、アデリッサの背中に視線を送りながら、小声で囁き合っている。

 制服の袖を飾るラインは、一人が「三本線」。

つまり、貴族の令嬢だ。

 もう一人は、「二本線」騎士の家の娘であった。

身分は違うが、二人の少女は忌憚なく会話を楽しんでいるようだった。

 意を決して、ヴァヌヌは二人の少女たちに歩み寄った。

「あ、あの、宜しいでしょうか」

 二人の少女は、ヴァヌヌの制服の袖の「一本線」、つまり平民の証に視線をやった。

 しかし、幸運な事に少女たちの態度は、変わらなかった。

「御用は何かしら」

 ヴァヌヌは、ほっと嘆息を吐いた。

「あのレオンハルト家のご令嬢は、なぜ、戦闘訓練への参加が難しいとされているのですか」

「…あなた、アカデミーは高等部から入学した口ね」

「はい、そうです。ヴァンゼッテイ男爵家の従者として、主人と共にアカデミーで学ぶことを男爵様にお許しいただきました」

「…だったら、知らなくて当然よね。レオンハルト家のアデリッサ様は、幼少のころのご病気で、二つの『魔核』のうち、防御魔法を司る『ヤキン』を損なってしまわれたのよ」

「えっ、それではあの方は…」

「そう、攻撃魔法は使えても、防御魔法を使う事がお出来にならないのよ、アデリッサ様は」

「魔導の名家であるレオンハルト家の御令嬢なのに、お気の毒な事…」

 ヴァヌヌは、二人の少女に丁寧に礼を言って、自分の列に戻った。

なぜ、あの時、アデリッサが自分の事を、熱の籠った視線で見詰めていたのか、ヴァヌヌはようやく、その理由を知った。

 アデリッサ・ド・レオンハルトは、ヴァヌヌと真逆だったのだ。

ヴァヌヌは、攻撃魔法を司る「魔核」である「ボアズ」を破壊され、防御魔法を使うことしか出来ない。

 あべこべに、アデリッサは、防御魔法を司る「魔核」、「ヤキン」を病によって損傷し、防御魔法を使うことが出来ない。

 それを知ったアデリッサは、ヴァヌヌという同級の少年に強い興味を抱いたのだった。

 アデリッサ・ド・レオンハルトが、生徒たちに向き直って、澄んだ声で言った。

「どなたか、私の模擬戦闘の相手になって下さらないかしら」

 生徒たちは、お互いに顔を見合わせた。

少年と少女たちの間に、困惑の表情が伝播していく。

 アデリッサの顔にわずかな焦りの色が浮かぶ、

「お願い。どなたか、私の相手をして下さい」

 生徒たちは、無言のまま、アデリッサから視線を逸らした。

誰も、防御魔法が使えない、身を守る術を持たない者と戦いたくないのだ。

 それは、弱者を嬲るに等しい卑劣な行為であったから、アデリッサの淡い蒼色の眼から、ツッと透明な涙がこぼれ落ちた。

「お願い… 誰か…」

 

ーー自分がこの方の相手をして差し上げたい。


 ヴァヌヌは、心の底からそう思った。

だが、魔核「ボアズ」を破壊され、攻撃魔法を使えいないヴァヌヌには、どうしようもないことであった…

 アデリッサは、そのまま俯いた。その細い両肩が小さく震えていた。


その時。


「俺が相手をしてやるよ」

 練兵場に、野太い声が上がった。

ヴァヌヌは、呆然となった。

 声の主は、彼の主人、チェーザレ・ヴァンゼッティだったからだ。

「チェーザレ様、何を…?」

「ふん。見ていろ、ヴァヌヌ。あの伯爵令嬢をモノにして見せるからな」

「で、ですが…」

「お祖父様は、市井の金貸しだった。没落した準男爵家に金を貸して、借金のカタに準男爵家の株を取り上げて、自らが貴族の端くれに名乗りをあげた。同じく、父上は落魄した男爵家に金を貸して、借金をチャラにする代償に、男爵の令嬢を嫁にしてヴァンゼッティ男爵家の家門を確立した。俺もまた、祖父や父に倣って、あの女を使ってヴァンゼッティ家を伯爵家に押し上げてやる」

「……」

 チェーザレは、生徒たちの中から進み出て、アデリッサの前へ行き、その場で片膝をついて、騎士の礼をとった。

「ヴァンゼッティ男爵家の長子、チェーザレ…ヴァンゼッティ、卒爾ながら、アデリッサ・ド・レオンハルト嬢の模擬戦闘のパートナーを務めさせていただきます」

 チェーザレの申し出に、アデリッサは、心から安堵したようだった。

「あ、ありがとう。チェーザレ・ヴァンゼッティ様。あなたのご厚意に感謝いたします」

 スクライカー教官は、同僚のストリンドベルヒと顔を見合わせた。

その表情が、予想外の事になったという困惑の感情を表している。

 「魔核」を損傷しているレオンハルト家の令嬢に対する同情心から、名乗りをあげる者は一人もいないであろうと踏んでいたのだ。

 だが、こうなれば是非もなかった。

「アデリッサ・ド・レオンハルト、チェーザレ・ヴァンゼッテイ、両名、前へ」

 アデリッサとチェーザレは、前に進み出て、円形のアリーナで対峙した。

アデリッサがゴーグルを顔に装着した。

 チェーザレは、袂から愛用のワンドを取り出して構えた。

スクライカーが両者の間に立って、戦闘開始を宣言する。

「両名、正々堂々と戦うように…  勝敗が決した後、追い打ちをかけてはならない。また、勝者は、敗者に対して驕らず、応分の敬意を払う事… では、始め‼︎」

 チェーザレは、薄笑いを浮かべて、唇をべろりと舐め回した。

それを見遣って、アデリッサが小さく肩を震わせる。

「ストーンエッジ」

 チェーザレが、ワンドを奮って、地系魔法の基本技を発射した。

軽やかなステップで、アデリッサがそれをかわす。

 ほっそりとした太腿からは信じられないような発条バネをアデリッサの下半身は隠しているようだった。

 アデリッサは、音もなくアリーナの床に着地して、掌をチェーザレに向けた。

「アイスエッジ」

 魔法を行使する際し、触媒を必要としないのは、優れた魔術師マージの証だ。触媒が手元にない時であっても、戦いは突発的に発生するのだから。

「プロテクション」

 チェーザレが、無属性の防御魔法を展開する。

しかし、チェーザレの元へ飛来した魔法の「氷柱」は、チェーザレの防御魔法を容易く貫いた。

「う、うわっ」

 チェーザレは、腰を抜かした。

それが幸いして、「氷柱」は、チェーザレの頭部を掠め、後方へ飛び去った。

 生徒たちの間から、どよめきが上がった。

 アデリッサの「アイスエッジ」は、威力といい、コントロールといい、この年代では申し分のない威力を有していた。

 日頃の修練の証だ。

「糞ったれ、女のくせに生意気な… ストーンエッジ」

 チェーザレが地面に尻餅を付いたまま、地系魔法を連発する。

「ストーンエッジ‼︎ ストーンエッジ‼︎ ストーンエッジ‼︎」

 立て続けに放たれた石製の刃が、アデリッサを襲う。

アデリッサは、巧みな足捌きと反射神経で残らず、チェーザレの攻撃魔法を躱してのけた。

 ヴァヌヌは、アデリッサの動きに心から感動した.


ーーこのアデリッサという少女は、僕と同じだ。


ーー「魔核」の一つを失い、それで絶望的な状況に陥りながらも…


ーー未来を諦めたりせず、残されたモノを大事に使って…


ーーこの少女は、これまで必死に戦って来たのだ。


 本来ならば、お給金をくれ、アカデミーで学ぶ学費を出してくれたヴァンゼッティ家の長子を応援するべきであろう。

 しかし、ヴァヌヌは心の中でアデリッサという、自分と同じ宿命を背負った少女に「負けるな」というエールを送っていた.

 チェーザレが、円形アリーナを縦横に駆け回るアデリッサに、憎々しい視線を送った.

「ちょこまかと鬱陶しい事だ。だが、それもここまでだ。ソイルバースト‼︎」

 チェーザレが、新しい地系魔法を使った。

それは、従者として常にチェーザレの側に侍って来たヴァヌヌでさえ、初めて見る魔法だった。

 チェーザレの魔法は、アデリッサの傍で爆散した。

アデリッサの身体の側面に魔法によって爆ぜ散った砂礫が襲いかかった。

「きゃあっ」

 アデリッサが悲鳴を上げた。

チェーザレの魔法は派手ではあるが、威力はさほどではない。

 防御魔法が使える術者ならば、容易に「プロテクション」で防げたはずだ。

 しかし、魔核「ヤキン」を損傷しているアデリッサは、防御魔法を展開する事が出来ない。

 砂礫は幾分か、アデリッサの左の肩を傷付けたらしかった。

 もし、練兵場にあって、魔素マナを減衰させる働きをする オベリスクが無かったら、彼女は大きな怪我を負っていたかもしれなかった。

 ヴァヌヌは、アデリッサが唇を噛み締めながら、残された力を振り絞って立ち上がるのを見た。アデリッサの表情は、ヴァヌヌにも馴染み深いモノだった。


ーーやはり、駄目なのか…


ーーこれほど、努力をしても、「魔核」を失った人間は、人生をも失ってしまうの  

  か…


 アデリッサの蒼色の目から、銀色の涙が伝うのをヴァヌヌは目撃した。

思わず、ヴァヌヌはアリーナの縁へ歩み寄っていた。

「アデリッサ・ド・レオンハルト。あんたに提案がある」

 チェーザレが、小声でアデリッサに囁きかけた。

チェーザレの声は、円形アリーナのすぐ外側にいたヴァヌヌの耳にもギリギリ届いた。

「えっ」

「俺の女になるなら、この勝負、わざと負けてやろう。これから、あんたが戦闘訓練のパートナーを必要とする時は、俺が相手をしてやる。必要ならば、負けてやるよ。そうすれば、あんたも実技の単位が取得できるだろうよ。どうだ、悪い取引ではあるまい?」

 アデリッサは、チェーザレに静かに見詰めた。

「…チェーザレ・ヴァンゼッティ。あなたは貴族の心構えをご存知かしら」

「心構え?」

「貴族の心構え、気構えとは、ノブレス・オブリージュ、つまり、高貴なる者に課せられる義務や責任をきちんと果たすだけの覚悟を持っている事… そして、弱者を労り、強者に阿らない、強い意志の力を持っている事… 最後に、心の中に高潔な倫理観を持ち、いついかなる時もそれから逸脱しない自制心を持っている事… チェーザレ・ヴァンゼッティ、残念だけど、あなたには、それが一つもないわ」

「何だと」

「好きなようになさい、チェーザレ・ヴァンゼッティ。貴族の誇りを失ってまで、単位が欲しいなどとは思わないわ」

「後悔するぞ、アデリッサ・ド・レオンハルト」

 だが、アデリッサはもう返事さえ返さなかった。

「魔核を失った半端者に、これ以上ないっていう破格の申し出をしてやったんだ。それを拒絶するというなら、痛い目に遭ってもらうぞ」

 チェーザレは、ワンドを振り翳した。

「ストーンエッジ‼︎」

 スクライカーが、制止に入った。

「待て。そこまでだ」

 しかし、チェーザレは魔法の詠唱をやめようとしない。

アデリッサは、痛めた左の肩を庇いながら、目を瞑った。

オベリスクの力で魔法の威力が減殺されると言え、至近距離から攻撃魔法の直撃を受ければ、負傷は免れなかった。

 ヴァヌヌは、瞑目したアデリッサの顔に、悲しみと絶望を見てとった。

それは、ヴァヌヌ自身が、際限もなく味わってきた苦い感情だった。

 ヴァヌヌは、両手で印契を結び、心の中で呪文の詠唱を開始した。

「リモートプロテクション」

 それは、攻撃魔法を司る魔核「ボアズ」を奪われたヴァヌヌが、自分の未来を輝かせるため、残された魔核「ヤキン」の能力を限界まで駆使して生み出したオリジナル魔法だ。

 自分ではなく、離れた位置にいる人間を守るための遠隔防御魔法であった。

 アデリッサの体をキラキラと輝く、淡い光芒が包み込む。

アデリッサが目を瞠った。

「こ、これは…」

 チェーザレの放った地系魔法「ストーンエッジ」が、アデリッサに殺到する。

だが、彼女の身体を包む暖かな光は、楽々とそれを弾いてのけた。

 すぐさま、ヴァヌヌが「リモートプロテクション」を解除する。

アデリッサを包む淡い光が消滅した。

 それは、彼女を守る防御魔法が消失したという事であり、同時に相手を攻撃魔法で攻撃することが可能になったという事ことを意味していた。

 アデリッサが、掌をチェーザレに向けた。

「アイスエッジ‼︎」

「ま、待ってくれ」

 チェーザレは、慌てて防御魔法を展開しようとする。

だが、それは間に合わなかった。

 攻撃魔法から、防御魔法へ高速スイッチングをチェーザレは苦手をしているようだった。

 普段の修練が、不足している証拠だ。

アデリッサの氷系魔法「アイスエッジ」は、這いつくばって逃げ出そうとするチェーザレの尻に命中した。

「ぐぎゃー」

 スクライカーとストリンドベルヒが模擬戦闘の終了を宣言した。

「それまで」

「勝者、アデリッサ・ド・レオンハルト」

 それから、二人の教官は、お尻から氷柱を生やしたチェーザレの様子を確認するため、アリーナに駆け上がった。

 アデリッサは勝利の余韻を噛み締めようとはせず、身を翻して、まっすぐにヴァヌヌに向かい合った。

 アデリッサのペールブルーの双眸から、強い視線がヴァヌヌに注がれる。

少女の沈黙が少年に語りかけていた。


今のはあなたの仕業ね、ヴァヌヌ。


 少年もまた、無言で少女の問いかけに答えた。


はい、そうです、アデリッサ様。


 少年と少女は、そのままいつまでも見詰め合っていた。

 

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