第16話 二人のゴーレムマスター
ゴーレムマスター ザザ・グアルネッリの物語
深更。
ヴェルデス公国の王城、アイヴォリー・キャッスルの回廊を、一人の少年が足音を立てる事なく歩いて行く。
回廊の壁に誂えられた灯火は、魔導ランプ。
これは魔力によって光を発する仕掛けだ。
しかし、魔導ランプが発する温かなオレンジ色の光は、少年に射しかかっても、その場に少年の人影を形成する事はなかった。
それは、この少年がグアルネッリ家のゴーレムマスターであり、グアルネッリ一族家伝の「隠形」の技術を用いているからであった。
少年は、回廊でカートを押すメイドの少女とすれ違った。
しかし、少女は少年の隣を過ぎ行く際、その存在に気が付くことは全く無かった。
「……」
少年は、一つの扉の前で足を停めた。
「ザザ・グアルネッリです」
すぐに中から、応答が返って来た。
「入り給え」
自動的に扉が開く。
ザザは、無言のまま、入室する。
その姿は、まるで揺らめく影のようだった。
マホガニー製の巨大なデスクに座ったまま、四十絡みの男性がザザに視線をやった。
鋼を削り出して造形した彫刻のような、強靭な風貌を備えた男だった。
「お呼びにより、ザザ・グアルネッリ、参上しました」
男はザザに、慈父のような温かい笑顔を見せた。
ヴァルデス公国宰相兼財務卿にして、公国最上位の爵位を誇るユルゲン・フォン・アインホルン侯爵であった。
「掛け給え、ザザ・グアルネッリ」
「ユルゲン閣下、その前にお伺いいたしますが、御用件は僕だけでなく、兄にも関係のある事なのですか」
ユルゲンは、微笑した。
ヴァルデス公国の重鎮であるユルゲンは、唇に笑みを貼り付かせたまま、部屋の隅にあるキャビネットの辺りに声を掛けた。
「私の勝ちだな、ギデオン。君の弟は、ちゃんと君の隠形術を見破ったぞ」
ユルゲンの言葉を受けて、キャビネットの前でゆらりと黒い影が動揺した。
黒い影は、にこやかな笑顔を浮かべた一人の青年の
ザザ・グアルネッリの腹違いの兄にして、現グアルネッリ伯爵、ギデオン・グアルネッリであった。
ギデオンは、ザザに慈しむように笑いかけた。
「腕を上げたね、ザサ君。僕の隠形術を見破れるのは君と、君の他は…」
「アリーチェ
ユルゲンが、改めてザザに着席を促す。
「掛けてくれ、ザザ・グアルネッリ。ギデオン、君もだ」
ザザ・グアルネッリとザザの兄、ギデオン・グアルネッリは、ユルゲンの執務机の前に置かれた椅子に腰を下ろした。
「今、ギデオンにも説明していた処だ。単刀直入に言うが、ラスカリス・アリアトラシュ殿下が、暗殺者の攻撃に晒されたのだ」
「えっ」
ザザにとっても、驚くべき情報だった。
ユルゲンが言葉を続ける。
「幸い、暗殺は未遂に終わった。暗殺者はそのまま自害した。場所は、ラスカリス・アリアトラシュ殿下の自室、偶然、私の息子であるジークベルトが殿下と同室していた」
「ジークが…」
ギデオンが説明を引き継ぐ。
「暗殺者は、混合毒を用いて殿下を毒殺しようと図った。しかし、ジークベルト君とラスカリス・アリアトラシュ殿下ご自身の機転によって、暗殺は未然に防がれた。暗殺者は、ラスカリス殿下を殺すためであった毒物を自ら、嚥下して自分自身を始末してのけた」
「混合毒とは、エフゲニア帝国が好んで用いる毒物ですね」
ザザの問いかけに、ユルゲンは無言でうなすいた。
「暗殺者は、まだ十代の少女で、混合毒の成分Aは、エフゲニアから殿下に贈られたワインの中に、成分Bは、少女の口紅に仕込まれていた」
ギデオンが説明を引き継ぐ。
「問題はここからなんだ、ザザ君。その少女は、エフゲニア風の名前を名乗り、髪の毛を金髪に染めていたが、実は
「混合毒の成分Aは、エフゲニア産のワインに… 成分Bは、
エフゲニア帝国と
ザザは、首を傾げた。
まるで氷と炎のように、あらゆる面で異なっており、事あるごとに角を突き合わせて来た南北の大国が、こっそりと裏で連携することなどあるだろうか…
ユルゲンが説明を続ける。
「事が事だけに、当局も対応に苦慮している。ヴァルデス公国の次期大公位を襲う、継承権第三位のラスカリス・アリアトラシュ殿下が、そのお命を狙われたのだ。その件に、エフゲニアと
ギデオンが、言葉を継ぐ。
「ひとつ間違えれば、公国の存立そのものを危くする可能性がある。エフゲニアも
ザザは、言った。
「僕をお呼びになったのは、ラスカリス殿下の護衛任務ですか」
「察しか良くて助かるよ、ザザ・グアルネッリ」
ユルゲンの言葉をギデオンが引き継いだ。
「ザザ君、幸にして、君はラスカリス・アリアトラシュ殿下と同じクラスだ。殿下の周辺で突発的にアクシデントが起こらないか、十分に気を配って欲しいのだ」
ザザは、クスッと笑った。
「何か、おかしいことでもあるのかね、ザザ・グアルネッリ」
ユルゲンが、ザザの微苦笑の意味を問いかけた。
「僕がラスカリス・アリアトラシュ殿下と同級になったのは、偶然では無いでしょう。もちろん、閣下のご長男であるジークや、バウムガルトナー家の双子や、レオンハルト家のご令嬢とも同じクラスになったのも。全て、ユルゲン閣下のご差配であるかと」
次に苦笑するのは、ユルゲンの番だった。
「君は、実に聡いね、ザザ・グアルネッリ。それだけに気の毒に思う。私たちは、君から少年時代を奪ってしまった…」
ギデオンが言葉を続ける。
「その気持ちは、僕も同じです。ザザ君。君が今、背負っている重荷は、本来、僕が背負うべきものだった。グアルネッリ家の長子は、僕だ。本当ならば、僕が公都に巣食う
グアルネッリ伯爵家の相続は、代々、直系男子のみで行われる。
グアルネッリ家の家督を継ぐ者は、家が決めた女性を娶らなければならない義務を負う。
しかし、ギデオンはグアルネッリ家の掟を破って、アカデミーで知り合った少女と恋に落ち、一族の反対を押し切って、彼女と結婚した。
その少女が、ザザの義姉アリーチェ・グアルネッリである。
一族の掟を破った以上、その時点でギデオンの家督相続の権利は、消失するはずだった。
つまり、グアルネッリ伯爵家の当主の地位は、次男であるザザに移譲されるはずであった。
「グアルネッリ家の家督ばかりでなく、本当なら、この指輪だって…」
ギデオンが、右手の薬指に輝く銀色の指輪を光にかざした。
これこそが、「エメスの指輪」である。
「強いのは、クリューソス。怖いのは、
「この『エメスの指輪』だって、君のものだった。それを君は…」
そのルーツを古代のエフゲニア帝国に持つ、由緒あるグアルネッリ家の一千年に及ぶ鉄の掟を無視したギデオンには、 廃嫡の話さえ持ち上がった。
それをザザが止めたのだ。
まだ、本の少年だったザザは、並いる大人たちに、宣言した。
「ギデオン兄様が果たすべき使命は、この僕が全て引き受けます。だから、ギデオン兄様を次のグアルネッリ伯爵にしてあげて下さい」と。
ザザの言葉で、ギデオンがグアルネッリ伯爵家の家督を相続する事になり、「エメスの指輪」もまた、ギデオンの手に残ったのだった。
そして、ザザ自身の言葉通り、ほんの少年の時分から、ザザは公国内の非合法な暴力組織をゴーレムマスターの力で、文字通り、「叩き潰して」来たのだった。
ザザは、笑った。
「ギデオン兄様。これまでその話は、何度もしました。僕の返事も同じです。僕の望みは、グアルネッリ家を再び、昔のような名誉ある大貴族の地位に回復させる事。ギデオン兄様には、新生されたグアルネッリ家の当主として、未来を切り開いて頂きたいだけです」
「しかし、ザザ君…」
ギデオンが顔を曇らせた。
ユルゲンがザザの顔を真っ直ぐに見つめた。
「いつか、私たちが君の犠牲と献身に報いることができたらと、心から願っているよ」
ザザは、弱々しい笑顔を見せた。
「ありがとうございます、ユルゲン閣下、ギデオン兄様… あの… ひとつ、聞かせていただいても宜しいですか」
「何だね、ザザ・グアルネッリ」
ヴァルデス公国にあって、要人中の要人であるユルゲン・フォン・アインホルン侯爵は、十四歳の少年にすぎないザザを呼ぶ時、必ず、フルネームでそうする。
それは、ユルゲンがゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリを対等の同志と認めている、何よりの証拠であった。
「十年ほど前から、グアルネッリ家のゴーレムマスターには、公国の非合法組織を壊滅させて、その資金を接収するというお役目が多くなっています。その理由は問いませんが、そうやって集めた莫大な資金は、どこへ行っているのですか」
ユルゲンとギデオンは、顔を見合わせた。
二人の年長者の困惑を確認して、ザザは慌てて質問を撤回しようとした。
「も、申し訳ありません。そんなの、国家機密に決まってますよね。ごめんなさい」
「いや、君は立派な当事者だよ、ザザ・グアルネッリ。もちろん、詳しいことを話す訳には行かないが、最低限のことを知っておく権利は、君にもある」
「閣下」
ギデオンが、ユルゲンの顔を見上げた。
「構わないよ、ギデオン。他言は無用だぞ、ザザ・グアルネッリ」
「は、はい」
「グアルネッリ家のゴーレムマスターたちが集めてくれた資金は、クリスタロスにある」
「クリスタロス…」
「資金は全てクリスタロス銀行に預けられ、仮名口座と無記名債券で運用されている。クリスタロスの事業資金として融資に回され、現在では莫大な金額に膨れ上がっているよ」
「難しくて、よく分からないのですが。つまり、誰にも知られずにクリスタロスの事業資金としてとして使われ、多大な収益を上げていると言う事ですね」
ユルゲンは頷いた。
ザザのような少年ですら、自由貿易港を謳う要塞都市クリスタロスの裏稼業が、「海賊」である事は知っていた。
クリスタロスは、海賊船団に「私掠許可証」を発行して、海賊どもがタダで分捕ってきた商品を買って、それを加工し、高値で転売する事で、途方もない利益を得ている事は、亜大陸の常識だった。
ユルゲンやギデオンが言い澱むはずであった。
「もうひとつ、質問をいいですか。どうして、ヴァルデス公国は、そんなにたくさんのお金を必要としているのでしょうか」
「…すまない、ザザ・グアルネッリ。流石にこれ以上、明かす事は出来ない」
「…分かりました」
「ひとつだけ… あまり、考えたくない事だが、今回のラスカリス・アリアトラシュ殿下の暗殺未遂事件と関係ない話ではなかろうと言う事だ…」
「申し訳ありません。僭越でした」
ギデオン・グアルネッリが春風のような笑顔を見せた。
「さて、難しい話は程々にしておくとして… アカデミーは楽しいかね、ザザ」
「はい、良い友人も出来て、楽しく学園生活を送らせていただいてます。ギデオン兄様や、アリーチェ
「何よりだ。ザザ君、君はグアルネッリ家のゴーレムマスターだが、まだ十四歳の少年にすぎない。僕たち夫婦が望むのは、君が思春期の少年に相応しい学園生活をエンジョイしてくれることだけだ。青春は、一生に一度しかないのだからね」
「はい、ギデオン兄様」
その時、ユルゲンが立ちあがった。
ザザの元へ行き、少年の細い肩にそっと手を置く。
「さっきも言ったが、私たちが… いや、ヴァルデス公国が君の犠牲と献身に報いることが出来る日が、一日も早く、到来することを願っている」
「ありがとうございます、閣下」
ザザが立ち上がり、ギデオンも後に続いた。
ヴァルデス公国宰相兼財務卿であるユルゲン・フォン・アインホルン侯爵との会見が終了したのだ。ギデオンがザザに笑いかけた。
「僕はもう少し、閣下とお話がある。気をつけて、屋敷まで戻るんだよ、ザザ君」
ギデオンの言う「気をつけて」とは、帰路を誰にも見られるなと言う意味だ。
ザザは無言で頷き、「隠形」の術を使った。
少年の姿が透明になったり、カメレオンのように背景に溶け込んだりした訳ではない。
しかし、ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリの気配はその場から完全に消失した。
「見事だ」
ギデオンが、ため息を吐きながら、そう言った。
「失礼します」
ユルゲンとギデオンの耳に、その言葉が聞こえた時、ザザ・グアルネッリの姿はすでに侯爵の執務室から消えていた。
「いい子だな、君の弟は」
「はい、閣下」
「それにとても賢い… それだけに彼に課せられた重責を思うと辛くなる…」
しかし、年少者を思いやるのもそこまでだった。
大人である彼らには、大人として果たさなければならない義務があった。
ラスカリス・アリアトラシュ暗殺未遂事件の真相を探る事だ。
それが、ヴァルデス公国の存亡を賭けた戦いになる事を、ユルゲン・フォン・アインホルン侯爵とギデオン・グアルネッリ伯爵は、十分に認識していた。
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