第14話 「身辺調査書」

愛し子 ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスの物語


 大公家が君臨するアイヴォリー・キャッスルは、ヴァルデス公国の公都ヴァイスベルゲンの街並みを睥睨するようにその堂々たる白亜の威容を市民たちに見せつけている。

 象牙アイヴォリーの名称は、城壁に遍く塗り込められた純白の化粧漆喰に由来している。

昼間、日の光を浴びて眩しい程に白く輝く城壁は、夜となっては、あちらこちらに配置された篝火に照らされて、星闇の中、暖かいオレンジ色に浮かび上がっている。

 ヴァルデス公国の第三公子、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスは、この春、新たに友人となった同い年の少年を自室でもてなしていた。

「わざわざ、呼び出して申し訳なかったね、ジーク」

 ラスカリス・アリアトラシュの言葉に、ジークベルト・フォン・アインホルンは莞爾と微笑んだ。

「公子殿下のお誘いとあれば、是非もない事です」

 ラスカリスは苦笑した。

二人の少年はとっくに身分を超え、「ラスカリス」「ジーク」と気安く呼び合う仲なのだ。

ラスカリスは、テーブルに数枚の書類を広げた。

「これは?」

 ジークの問いかけに、ラスカリスは少しだけ表情を曇らせて言った。

「内務省… つまり、君のお父上が内務卿として最高責任者を務めておられる国家機関から、報告が届いた。ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス、つまりこの私の新しい友人となった同級生たちの身上調査書だ」

「はァ」

「すまないね… 公族とは色々と面倒なのだ。理解して欲しい」

「あなたの身分を考えれば、当然の事でしょう。ですが、わざわざ、夜中に僕を自室まで呼び出された事に何か、特別な意味があるのですか」

「アカデミー高等部で私の友人になってくれた仲間たち… みんな、それぞれに事情や問題を抱えているみたいなので、その情報をみんなで共有したいんだ。その人物の背景を知らないために、無神経な物言いで彼らの気持ちを傷付けたりしないように…」

 ジークは、少なからず感動を覚えた。

この国で最上の階級である大公家に所属する人間が、自分より下位の貴族や騎士や、ましてや平民である友人たちに対して、これほど細やかな思いを寄せている事に対してだ。

「あなたのお気持ちは、彼らに伝わるでしょう。僕もあなたと友情を結べて良かったと心から思います」

「ありがろう、ジーク。とりあえず、報告書を読みながら、聞いてくれるかな」

 ジークは、書類を手に取った。

「まず、ザザ… グアルネッリ家のゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリだが、彼は十四歳までにすでに三百人もの人間を殺害している」 

「ですが、それは我が父、公国宰相兼内務卿であるユルゲン・フォン・アインホルンの要請によるものです。グアルネッリ家には、協力を拒む権利もあります。グアルネッリ家のゴーレムマスターたちは、公国の治安維持のため、国家の敵である破落戸ごろつきどもを処分してきただけです。そして、彼ら、非社会的組織から没収した金銭は、公国を維持管理して行くための費用に充てられて来た。グアルネッリ家は、誰もやりたがらない、しかし、誰かがやらなくてはならない汚れ仕事を黙って、引き受けてくれていただけです」

「分かっている。公国の国家運営に携わる者なら、誰もがグアルネッリ家の献身と犠牲に感謝しているはずさ。しかし… ザザは、物心着く前からこの汚れ仕事をやらされてきた。年端も行かない少年にとって、自分が使役するゴーレムが人間たちを文字通り、叩き潰してしまうのをザザは、これまで嫌というほど、見てきたんだ。その度に心が少しずつ麻痺していくのを、ザザは感じていただろう。ザザは、アカデミー中等部には通ってないし、本当は高等部へ進学するつもりもなかったようだ。ザザは、自分が悪党どもを殲滅するための道具であるという運命を黙って受け入れているのだと思う」

「……」

「だから、せめてザザには、高等部での四年間を普通の少年として過ごしてほしいと思うんだ。旧友と語り合ったり、競い合ったり、時には喧嘩をしたり、綺麗な女の子に胸をときめかせたりと、ごく普通の少年の、ごく当たり前の青春を経験させてやりたい。私たちで、ザザがそう出来るように応援してあげたいんだよ」

「…あなたは本当に良い方です、ラスカリス・アリアトラシュ。あなたのような方が次期大公になって下さったたら、公国はずっと良い国になるでしょうに」

「はは、ありがとう。協力を願えるかな、ジーク?」

「無論です」

「次は、バウムガルトナー家の神穹姫だが…」

「どちらの?」

「双子の姉、アスベルの方だよ。ジーク、アスベルが中等部の頃から、何と呼ばれているか、知っているか?」

「出涸らし姫… だそうですね」

「双子の妹、マリベルに良いところを全て吸い尽くされた出涸らしみたいな令嬢という意味らしい。彼女、いつも明るく振る舞ってはいるが、内心は妹へのコンプレックスに苛まされているだろうね。マリベルの方は、剣術・魔法・座学・徒手格闘、いずれも抜群の成績で中等部を卒業している。これに対して、アスベルの方は高等部へ進学できたのが奇跡というレベルだ」

「アスベルとマリベル、二人はいつも一緒にいて、とても仲が良いように見えます」

「二人ともとても良い子なのさ。アスベルは妹に劣等感を感じてはいても、それでひがんだり、妹に八つ当たりをしたりするような子ではない。マリベルもまた、姉の事を馬鹿にしたり、見下したりなど決してやるような子ではない」

「そうですね」

「バウムガルトナー家は双子が生まれた時、歓喜したそうだ。もしかしたら。三百年ぶりにバウムガルトナー家が、金と銀、二張りの魔導弓を授かる事ができるかもしれないとね」

「金の魔導弓クリューソス、銀の魔導弓アルギュロス、それぞれ、雄渾の女神ネグベドと繊麗の女神アルシノエから贈られる、古い神々の武器… ですが…」

「そうだ。三百年前の独立戦争以来、銀の魔導弓アルギュロスは地上に顕現していない。三百年間、繊麗の女神アルシノエは、人間たちの前に姿を現していない。代を重ねる毎に、バウムガルトナー家の神穹姫は、雄渾の女神ネグベドから、金の魔導弓クリューソスを授かって来たというのにだ。だが、マリベルはともかく、アスベルの方は…」

「出涸らし姫には、魔神器を授かるのは無理だと…」

「アスベルは決して怠け者ではない、妹に負けないよう、一族の期待を裏切らないよう、必死に努力を重ねてきたようだ。しかし、個人的な資質があまりにも貧弱なのだろうね。弓弦を引くための膂力も、魔法の矢を放つための魔力もとても弱くて、まるで幼児同然だ。座学の成績も最低に近い。調査書を読んだか? 内務省は、アスベル・バウムガルトナーは、ラスカリス・アリアトラシュの友人としてふさわしくないと結論付けている…」

「ですが、ラスカリス。あなたはアカデミーの成績で付き合う友人を選別するような方ではないでしょう」

「もちろんだ。アスベルもマリベルもとても良い子だよ。二人ともとても可愛らしい少女だしね。あの二人を眺めているだけで、幸せな気分になれる」

「あなたが仰りたいのは、僕たちでアスベルをバックアップしていく事ですね」

「そうだ。魔法の指導をしてやったり、勉強を見てやったり、アスベルの自尊心を傷付けない形で、彼女が無事にアカデミーを卒業できるように、友人たちで支援してやりたいんだ」

「了解しました」

 ジークベルトは再び、温かいものが胸の中に広がって良いくのを感じた。

「次にレオンハルト家の御令嬢、アデリッサ・ド・レオンハルトと、ヴァンゼッティ子爵家の従者であるヴァヌヌの件だが…」

「なぜ、伯爵家の御令嬢と男爵家の従者をひとまとめにするのですか」

「アデリッサとヴァヌヌが、真逆の立場だからだよ」

「真逆?」

「とりあえず、アデリッサの方は置いておくが… 君も練兵場で直に見聞しただろう。ヴァヌヌは、人体に存在する魔法を生み出す二つの『魔核』… そのうち、攻撃魔法を司る『ボアズ』を棄損している。ヴァヌヌは、病気でも事故でもなく、人為的に『ボアズ』を破壊されたらしい。彼の主人であるチェーザレ・ヴァンゼッティの父親、オズヴァルド・ヴァンゼッティ伯爵の命令でね」

「ヴァヌヌが、ヴァンゼッティ家で伯爵の不興を買うような粗相をしたのですか?」

「報告書を読み進めて貰えば、詳細が記されているが… ヴァヌヌは元々、魔法が得意で、将来は魔術師マージとして身を立てたいという希望があったようだ。それで仕事の合間を見て、魔法の練習に励んでいたのだが… それが気に食わないチェーザレが、ヴァンゼッティが、『ヴァヌヌが魔法で自分を攻撃しようとした』と父親に嘘を吹き込んだらしい。伯爵は息子の言葉を鵜呑みにして、家中の魔術師マージたちに銘じて、ヴァヌヌの『魔核』に強力な魔力な注ぎ込んで、これを破壊してしまった… そういう事らしい」

 ジークベルトは拳を握り締めた。

スラムの娼婦の息子として生まれ、アインホルン侯爵家に引き取られて育ったジークベルトは、幼い頃から集権の貴族たちから悪意のこもった視線を向けられ続けてきたのだ。

「ヴァヌヌ、気の毒に… しかし、それでよく、ヴァヌヌはチェーザレに忠実に仕えていられますね」

「事件の後、伯爵家の執事やメイドたちが伯爵に進言したようだ。ヴァヌヌは完全に無実で、チェーザレの讒言に過ぎないとね。それだけでも、とても勇気のいる事だ。ヴァヌヌは、ヴァンゼッティ伯爵家の者たちからとても、好かれていたようだね」

 ジークベルトは、入学式の後、わざわざ、ヴァヌヌが主人に代わって謝罪にやってきたことを思い出した。

 ラスカリスは、ジークベルトが手にしている書類に目を落としながら言った。

「オズヴァルド・ヴァンゼッティ伯爵も流石に決まりが悪かったのか、息子チェーザレの従者としてこれからも忠実に務めるなら、ヴァヌヌが主人と共にアカデミーで学ぶための学費を出してやろうと彼に申し入れたらしい」

「そして、ヴァヌヌは伯爵の提案を受け入れた… 体のいい慰謝料と言う訳ですか」

「ヴァヌヌにとっても、アカデミーで魔法を学ぶのは、自分の人生を変えるための最後のチャンスなのだろうね。だから、ヴァヌヌは伯爵の申し出を受けて、色々な個人的感情を押し殺して、黙ってチェーザレに使えている。強い子だね、ヴァヌヌは…」

「ですが、魔術師マージを志す者にとって、攻撃魔法を奪われることは、騎士を目指す若者が剣を奮う利き腕を切り落とされるようなものです。四年間、アカデミー高等部で学んだとしても、魔術師マージとして身を立てることができるとは、とても…」

「同感だ。それでも、彼にはこれしかないのだろう… ヴァヌヌは、私たちに対して必ず、敬称と敬語を使う事をやめない、私たちが彼に、ファーストネームで呼び捨てにしてくれと何度言ってもだ」

「我々だけの時ならともかく、クラスの他の連中に聞き咎められたら、僕たちがいないところでそいつらに囲まれて、『身分を弁えろ』などと詰問される事を恐れているのでしょう。おそらく、ヴァヌヌはこれまでそんな事を際限なく経験させられているのだと思います。我々に対してフランクな態度で接する事を強要するのは、却ってヴァヌヌのためにならないと思います」

「ジークの言う通りだ。私たちに出来る事は、同世代の友人として彼に誠実に接してやる事だろうね」

「あなたのお立場なら、彼がアカデミーを卒業した後、しかるべき職業に就けるよう、口添えしてあげることも可能でしょうが…」

「ヴァヌヌはそれを望まないだろうね。友情を利用する事は、彼のような誇り高い少年には最も嫌う事であろうから」 

 ジークベルトは、ラスカリスの言葉に納得して頷いた。

「レオンハルト伯爵家のアデリッサ嬢が、ヴァヌヌと真逆の立場とは、どういう意味でしょうか?」

「文字通りの意味だよ。ヴァヌヌは、攻撃魔法を司る魔核『ボアズ』を損傷している。反対にアデリッサは、防御魔法を司る魔核『ヤキン』を失っているらしいのだ」

「ええっ、それでは…」

「そうだ。ヴァヌヌは防御魔法だけで、攻撃魔法を使えない。あべこべに、アデリッサは攻撃魔法だけで防御魔法が使えないという事だね」

「真逆とは、そういう意味ですか… しかし…」

 魔術師マージにとっての攻撃魔法と防御魔法は、騎士にとっての剣と盾の関係に等しい。

 戦闘に参加するという事は、常に敵の攻撃に晒されるという事であり、防御魔法を使えない魔術師マージが戦場に立つのは、騎士が身を守る盾も持たず、裸で敵に対峙するのと同じ事だ。

「魔神器『月影ムーンシェイド』を預かるレオンハルト伯爵家は、自然神の加護を大きく受け、アデリッサの御尊父、軍務卿であるガリオン・ド・レオンハルト伯爵は、『土鬼』の二つ名で呼ばれる地系魔法の使い手だ。兄であるエグべアート・ド・レオンハルトは、この二十年でアカデミーが生んだ最高の俊才であり、『炎帝』と呼ばる火系魔法の達人だ。姉のクロエ・ド・レオンハルトは、『風使い』と呼ばれ、学生ながら、既に公国で並ぶ者のないレンジャー職として勇名を馳せている。そんな名家で、自分だけ一人前の魔術師マージとして戦えない身体であるとすれば、アデリッサがどんな劣等感や焦燥感に苛まされているか、想像がつくというものだ」

「そうですね…」

「アデリッサは、思春期の女の子だ。彼女のデリケートな感情を傷付けない形で、できるだけみんなでサポートしてやりたい」

「分かりました」

 ここで、ラスカリス・アリアトラシュはクスッと笑った。

「調査書に記された最後の名前は… ジークベルト・フォン・アインホルン、つまり君なわけだが…」

 ここで、ジークベルトは声を出して笑った。

「ジークベルト・フォン・アインホルン… 交際には注意が必要、とありますね」

「言っておくが、君がスラム出身者だからではないぞ。よりによって、入学生、在校生、教官たち、アカデミーの全ての関係者が集まる入学式で、自分の素性を公言して、全員の度肝を抜くようなやつだからだ」

 ラスカリスの言葉を聞いて、ジークべルトはまた、小さく笑った。

「姉のメーアにも、あなたには露悪趣味でもあるの、と聞かれましたよ」

 ラスカリス・アリアトラシュは、ほっと嘆息をついた。

「ジークベルト・フォン・アインホルン、君は本当に強い人間だな… 私もかくありたいものだ… スラム街の路上でアインホルン侯爵夫妻に拾い上げられた君が、これまでどんな苦労を味わってきたか、どれほどの努力をして侯爵家に相応しい存在にまで自らを高めて行ったか、それを想うだけで自然と頭が下がる」

「ありがとうございます」

「本音を言えば、君と相対する時、私は常にコンプレックスに苛まされているよ」

「コンプレックス? あなたが? ヴァルデス公国に君臨する大公家の第三公子にして、学業優秀、スポーツ万能、眉目秀麗、何もかもお持ちのあなたが、どんなコンプレックスをお持ちだとおっしゃるのですか?」

「私のコンプレックスの根源は、自分がただの優等生であるという事だよ」

「ただの優等生?」

「私は大公家の人間として、幼い頃からこの国で最高の家庭教師たちから指導を受けて来た。ある意味、何でも良く出来て当然なのだ。しかし何でもできるという事は、言い換えれば、突出したものが何もないということだ。私の容姿を称賛してくれたが、大公家は代々、国内外の美貌の女性の血を一門に取り入れ続けて来たのだから、言ってみれば、これも当然のことなのだ」

「それこそ、ヴァヌヌなどからすれば、贅沢すぎる悩みと言わざるを得ませんが…」

「そうだな… 私はなんでも持っているが、その中に一つとして、自分の力で獲得したものがない… それがコンプレックスだと言われたら、ヴァヌヌなどは失笑するだろうね」

「……」

 

 〜in the wilderness〜


少年と少女たちは、青春という名の「曠野」にありて、


〜in the wilderness〜


心に憂いを抱えながら、それぞれの孤独な道筋を懸命に歩んでいた。


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