第13話 人生を諦めないで

ゴーレムマスター ザザ・グアルネッリの物語


 ザザは、レオンハルト伯爵家の令嬢、アデリッサがヴァヌヌに熱い視線を送るのを目撃した。レオンハルト家は、魔神器「月影ムーンシェイド」を預かる高位貴族だ。

 「獅子吼」の旌旗を掲げ、戦場を縦横無尽に駆け回るレオンハルトけのいさおしは、吟遊詩人が詩にして歌い、歌劇となって劇場で公開され、公国の史書にも特筆して記されるほどだ。

 その名家中の名家であるレオンハルト家の令嬢が、男爵家の従者に過ぎない「一本線へいみん」の少年を特別な関心を込めた眼差しで見詰めるなど、あり得ないことであった。

 ヴァヌヌが生徒たちの列に戻った後も、アデリッサはしばらくヴァヌヌに視線を送り続けていた。ストリンドベルヒ教官が、その後も生徒の名前を呼び続けた。

 A組の生徒で、教官に指名されても「出来ません」という素振りを見せる女生徒が、二人ほどいた。囁き声が生徒の列を走る。

「あいつら、なんでやらないんだ?」

「そりゃ、生理だろ」

「や〜ね、男子って」

 男子生徒の含み笑いと女生徒のうんざりしたため息が混じる。

「では、次の生徒。ザザ・グアルネッリ」

 ストリンドベルヒ教官が、自分の名前を呼ぶのが聞こえた。ザザは、少し困惑した表情をあえて作って、ストリンドベルヒ教官にそれを向けた。ストリンドベルヒは、ザザの表情を見て、少し慌てた様子で手にした生徒の資料に目を落とす。

「あ、そうか。そうだったわね、ごめんなさい」

 ストリンドベルヒの顔に、わずかに怯えが走っているのをヴァヌヌは確認した。この女性教官ばかりでなく、剛気な男性であるエルンスト・スクライカーの目もまた、微かな困惑と恐怖を帯びていることをザザは、見てとった。


ーーいつもの事だ。


ーー誰だって怖いはずだ、グアルネッリ家のゴーレムマスターが意味するのは…


ーー圧倒的な恐怖とおぞましさなのだから。


「ザザ。あなた、どうして魔法の試技をやらないの?」

 ザザの眼前に、豊かな亜麻色の髪をなびかせた少女の顔が出現した。ハーフアップに纏まられた亜麻色の髪は、瑠璃色のリボンで結われている。

 バウムガルトナー家の双子の妹、マリベルである。少女のペールブルーの瞳は、純粋な好奇心でキラキラと輝いていた。ザザは、美しい少女の顔が間近にある事で、少しく胸をときめかせながら、おずおずと答えた。

「生理」

 ザザの答えを聞いて、マリベルは腹を抱えて笑った。

「あははははっ、ザザってこんな気の利いたジョークも言える子だったのね」

「あはは」

「面白いけど、次は真面目に答えてくださるかしら」

「僕は… グアルネッリ家の人間は『魔核』を最初から持ってないんだ。だから、魔法を使うことが出来ないんだよ」

「まあ!」

 マリベルは目を丸くした。天真爛漫なその表情からは、自分がどれほどの美貌に恵まれているか、全く気が付いていないかのようだった。

 ザザは、弱々しく微笑した。

「グアルネッリ家の人間は、剣や槍、弓矢など得物にも触れない。だから、僕はどんな武器も使うことが出来ないんだ」

「えっ、だって」

「ついでに言うと、ケイパーリット式旋舞拳闘も学んだことがない。だから、僕は素手の格技も一切、身につけていない」

「どうして?」

「僕が、グアルネッリのゴーレムマスター、ゴーレムマスターのグアルネッリだからだよ」

 ザザは、同じく「魔神器」を預かるバウムガルトナー家の人間が、グアルネッリの家の事を何も知らない事に微かな驚きを覚えていた。

 このお日様の匂いがする、快活な少女にとって、ゴーレムマスターの忌まわしい実態を知る必要も、その機会もなかったのだろう。

 ザザは、そう思った。

その時、ストリンドベルヒ教官が恐る恐ると言った感じで、ザザに言葉を投げかけて来た。

「ザザ・グアルネッリ。ゴーレムマスターがゴーレムを創造し、それを使役する事は、魔法とは全く異なる原理で作動しているそうですね。ゴーレムマスターでない私やスクライカー先生には、あなたを指導する事が出来ません。先代のグアルネッリ伯爵が身罷られ、今や、ゴーレムマスターは、ザザ・グアルネッリ、あなたと現グアルネッリ伯爵である、あなたのお兄様、ギデオン・グアルネッリ氏、この二人しか、地上に存在しないのですから」

「ストリンドベルヒ先生?」

「それでも、私たちはアカデミーの教官で、あなたは生徒です。教官として、あなたにアドバイスしたい事があるのだけど、聞いていただけるかしら?」

「は、はい」

ストリンドベルヒ教官は、厳かな口調でザザに告げた。

「影を出しなさい、ザザ・グアルネッリ」

A組の生徒たちの視線が、ザザの足元に集中した。最初は誰も気が付かなかった。だが、一人の女生徒が口を覆って、小さな悲鳴を上げた。

「か、影が… 影が無い…‼︎」

 すでに時刻は午後に差し掛かり、太陽は西に傾いている。斜め方向から生徒たちに降り注ぐ陽光は、練兵場の地面に生徒たちの影を映し出している。

 そして、生徒たちの立ち姿は、そのまま地面に投影されて人影を形成している。その人影の列の中に、ザザのそれは存在しなかった。

「……」

 ザザは小さくため息をついた。その途端、ザザの足元からするすると影が伸びて、普通のそれと変わらない人影を形作った。

 生徒たちは、それぞれ「索敵」のための魔法を使って、ザザをサーチした。

将来、魔術師マージを目指す子たちは、ザザに「魔力探知」の魔法を放った。

 同じく、レンジャーを目指す子たちは、ザザに微弱な魔力の波動を発射する。レーダーのように対象にあたって反射し、その位置や大きさを測る魔法だ。

 レンジャー志望の子たちの中には、「熱源探知」「音源探知」の魔法を用いる者もいた。


そして…

生徒たちは、大きな衝撃を受けて心臓を凍らせた。


無い。


無い。


何も無い。


 ザザ・グアルネッリの存在を探るための全ての魔法は、全く反応することはなかった。


ザザ・グアルネッリからは、魔力の反応が返って来なかった。

 ザザは、魔法を司る「魔核」を最初から持っていないのだから、当然だ。


ザザ・グアルネッリからは、魔力の波動の反射も返って来なかった。

 これも、ザザが「魔核」を持っていないためだ。


ザザ・グアルネッリからは、体温が感知されなかった。

 ゴーレムマスターはトカゲや蛇のように体温を周囲の気温に同調させることができるから、熱源として認識することが出来ないからだ。


ザザ・グアルネッリからは、「心音」も「呼吸音」も聴き取る事が出来なかった。

 ゴーレムマスターの「隠形」の術は完璧であり、心臓の鼓動音や呼吸によって、空気が気道を通過する際に発する摩擦音さえ、消せるのだった。


「な、何、こいつ…」

 傲慢で鼻っ柱の強いチェーザレ・ヴァンゼッティさえ、怯えた表情を見せた。

生徒たちは、ザザに対して背骨が凍るような恐怖とともに、強烈な嫌悪感を感じた。

 当然、あるべき物がこの少年には、完全に欠落している。

 

まるで、等身大の蛇のようだ。


 同年代の少年たちがザザに向ける視線は、道端で蛇と出会った時の嫌厭の感情そのものだ。そして、ザザは幼い頃から、そんな周囲の視線に晒され続けて来た。

 慣れているはずなのに、それでも生徒たちの目は、ザザの心を深く傷付けた。


僕は、鏡に映った自分の鏡像さえ消す事が出来る…


それを知ったら、こいつらはショック死するかもしれないな…


 ザザが、心の中で苦笑いをしながら、そんな事を考えていた時、エルンスト・スクライカー教官が言った。

「私からもいいか? ザザ・グアルネッリ、君はアカデミーの中等部に通っていない。高等部へ進学する事も当初は、乗り気ではなかったみたいだな。それでも、君の兄上、ギデオン・グアルネッリ伯爵が君に高等部への進学を薦めたのは、アカデミーには学科の他にも

君にとって学び得るものがあるはずだと、伯爵が思われたからに違いない」

 スクライカー教官の言葉をストリンドベルヒが引き継いだ。

「ザザ・グアルネッリ。私たちもゴーレムマスターにとって、最も重要なスキルが『隠形』である事は知っています。自分自身の影を消す事も、そのスキルの一つですよね。でもね、ザザ・グアルネッリ。陽の光を浴びて、人々の影が長く伸びている時、一人だけその影が存在しなかったら? 自分の存在を隠蔽するどころか、誰もがその異常さに驚いて、その異常さをもたらした人物を警戒するでしょう」

「ザザ・グアルネッリ。木の葉を隠すには森の中、と言う。普通の人間が集まる場所では、普通である事こそが最強の『隠形』術なのではないかな。ギデオン・グアルネッリ伯爵は、弟の君に、この普通である事を学んでほしくて、アカデミー高等部進学を勧めたのではないのか。私は、そう思う」

 二人の教官の言葉は、全く正鵠を得ていた。イーリス・ストリンドベルヒからも、エルンスト・スクライカーからも、アカデミーの指導者として、生徒に有益なアドバイスをしてやりたいという真摯な情熱がひしひしと感じられた。

 二人の真心は。14歳までに三百人以上を殺害し、ほとんど心を麻痺させていたザザの心にも届いた。ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリは素直に二人の教官に頭を下げた。

「はい、ストリンドベルヒ先生、スクライカー先生」

 スクライカー教官が手を叩いた。

「それでは、授業はここまで」

「次の時限は座学ですが、特別な施設を使うのでA組の教室ではなく、薬学研究室へ集まって下さい」

 スクライカーとストリンドベルヒの言葉を聞いて、生徒たちは三々五々、練兵場を離れて、連れ立って次の座学の教室へ足を向けた。マリベルがその場を去ろうとしないザザを見咎めて、足を止めた。

「どうしたの、ザザ。教室へ戻りましょうよ」

「う、うん…  アスベルが教室の変更の件を聞いてないから、ここでアスベルを待って、その事を教えてあげようと思っているんだ…」

「あ! じゃあ、あたしも」

「一人でいいよ。先に行ってて、マリベル」

「じゃあ、お願いね」

 マリベルは小さくバイバイをして、ザザに背中を向けた。途中、アデリッサの手を掴んで彼女に笑いかける。マリベルは、誰とでも直ぐに仲良くなれるタイプの人間だ。

 内気で人見知りなアデリッサでさえ、マリベルにはずっと以前から親友同士であったかのような親密な笑顔を見せている。


「ザザ?」

 マリベルの背中を見送っていたザザの耳朶を、別の少女の声がくすぐる。

マリベルと全く同じ、花のかんばせを持つ少女、アスベル。

 二人に違いがあるとすれば、豊かな金髪を束ねるリボンの色だけだ。

「私を待っていてくれたの?」

「ああ。次の授業は場所を薬学研究室に変更だってさ」

「そう… わざわざ、ありがとう」

 ザザは。アスベルの両目の縁に、涙が乾いた跡が残っているのに目敏く気が付いた。

「…アスベル。理事長先生に酷い事を言われたの?」

「えっ? ああ、これ… いいえ、あべこべよ。理事長先生から、真心のこもったお言葉をいただいたので。ちょっとしんみりしちゃってさ… へへ、あたしらしくないよね」

「真心のこもった言葉…?」

「うん… 人生を諦めないでって… 嬉しいんだけど、反面、とても残酷な言葉でさ…」

 ザザは弱々しく微笑した。

「僕も全く同じことを言われたことが有るよ。その時、僕もアスベルと同じように、とても嬉しくて… その一方で、これほど残酷な言葉が有るものかってさ、そう思った」

「どなたから、言われたの?」

「アリーチェ義姉ねえ様から」

「アリーチェ様… ザザのお兄様であるギデオン・グアルネッリ伯爵の令夫人ね。とても良い方みたいね、あなたの義理のお姉さまは…」

「ヴァラカ・シャヒーン理事長先生も良い方みたいだね」

「そして、同じくらい残酷… あたしみたいな出涸らし姫に、人生を諦める以外、どんな選択肢があるってのかしらね…」

 アスベルは、無言でザザの痩せこけた身体を抱きしめた。

「アスベル?」

「あなた、とてもいい子だね、ザザ・グアルネッリ。あたし、あなたとお友達になれて本当に良かった…」

 ザザもまた、おずおずとアスベルの身体を抱き締めた。

「アスベル… 君は僕のことが怖くないの? 僕の事を気味が悪いと思わないの? 僕はグアルネッリのゴーレムマスターで…」

「ザザ。あたしだって、あなたの家と同じく、魔神器を預かる家の人間だよ。グアルネッリ家のゴーレムマスターが、内務省の密命を受けて、公国の犯罪組織を叩き潰して回っている事、ちゃんと知ってるよ」

 そう、文字通り、叩きつぶすのだ。

ザザは、唇に皮肉な笑みを浮かべた。

「アスベル。僕はこの年までにもう何百人もの人間を…」

「公国の良民を犯罪から守るため、誰かがやらなくてはならない事、そして誰もやりたくない事を、グアルネッリ家のゴーレムマスターたちは、黙ってやり続けて来たんでしょう? 守ってもらう側の人間が、ゴーレムマスターを怖いとか、気持ち悪いとか思うのは、完全に筋違いだよ。だから、胸を張って、ザザ」

「アスベル… 僕も君と、君たちと友人になれて本当に良かったと思っているよ…」

「アカデミー高等部への進学を勧めて下さったお兄様に感謝しないとね」

 こう言って、アスベルはようやく14歳の少女らしい笑顔を見せた。

ザザ・グアルネッリと」アスベル・バウムガルトナーは、お互いにハグしあったまま、アリーチェ・グアルネッリとヴァラカ・シャヒーン理事長から贈られた言葉をお互いに向かって発した。


「人生を諦めないで」

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