第12話 Boy meets girl 〜ヴァヌヌとアデリッサ〜

「神の盾」 ヴァヌヌの物語


 イーリス・ストリンドベルヒの書き付けを抱えて、練兵場を去るアスベルの悄然とした背中を見送って、ヴァヌヌは貴族たちにも、彼らなりの苦しみ、悩みが存在する事を知った。

 ストリンドベルヒ教官が、次の生徒を促した。

「では、次の者。ジークベルト・フォン・アインホルン、前へ」

 高等部一年生(四回生)A組の少年と少女たちの視線がジークベルトに集中する。

入学式の答辞で、「自分はスラムの娼婦の息子」と堂々と公言したのが、ジークベルトであるのだから、当然だ。

 ジークベルトは、「はい」と答えて前に進み出る。

ジークベルトは、定められたラインの前に立って構えた。

「レベルを選びなさい」

 ストリンドベルヒ教官の言葉に、ジークベルトは、

「レベル3でお願いします」

 と答えた。

レベル3は、高等部の生徒が用いる標的の硬度としては、少し低めだ。

ストリンドベルヒは、ワンドを掲げて、空中に浮揚する標的の硬度を調整した。

 ジークベルトは、右手の人差し指と中指を揃えて、標的へ向けた。

ジークベルトは、魔法を発動するために、ワンド指輪リングなどの触媒を使わないらしい。

「ウインドエッジ」

 ジークベルトの指先から、続け様に六発の風魔法が放たれた。

真空の刃は空気を切り裂いて飛び、全て標的に命中した。

 六個の的のうち、五個が砕け散り、一個だけが半壊の状態で空中に留まった。

残った一個の的は。「風」の属性のものだった。

 属性魔法は、同じ属性の魔法に抗堪性を持つのだ。

「全弾命中、お見事」

 ストリンドベルヒ教官がジークベルトを賞賛した。

「一個だけ、残しました」

 ジークベルとが肩をすくめた。

それに対して、今度はスクライカー教官が言った。

「君のウインドエッジは全て、標的の中心を射抜いている。 属性魔法が同属性の的を破壊できないのは、よくあることだ。君の出自を考えたら、魔力に不足があるのは、仕方がないだろうが、コントロールは秀逸だ。よく鍛えられているね。過度な謙遜は無用だ」

 飾り気のないスクライカーの言葉は、それ故に真実味を帯びていた。

ヴァヌヌは、この無愛想な中年男性の教官に好感を覚えた。


そういえば… このスクライカー先生は、平民出身だったな。


 ヴァヌヌは、自分もこの人みたいになれたらと思った。


「ジークベルト・フォン・アインホルン、下りたまえ。次、ラスカリス・アリアトラシュ、前へ」

 ストリンドベルヒ教官が、次の生徒を促す。

ジークベルトに続いて、ヴァルデス公国のビッグネームの登場だ。

 ラスカリス・アリアトラシュの制服の袖を飾るラインは、「四本線」だ。

それは、公国を支配するヴェルデス大公家の血族である事を意味していた。

 「アリアトラシュ」というミドルネームの後に、「ヴァルデス」という家名を重ねないのは、それに敬意を払っての事だろう。

「レベルを選んで下さい」

 ストリンドベルヒ教官の言葉に、ラスカリス・アリアトラシュは、

「レベル6でお願いします」

 と、答えた。

 ストリンドベルヒが、ワンドを掲げる。

ラスカリス・アリアトラシュはラインに立って、左手で右手を支えながら、右手の中指に嵌めた指輪を標的に向けた。

 指輪がラスカリス・アリアトラシュの魔法発動の触媒なのだ。

「ライトエッジ」

 ラスカリスの言葉と共に、指輪から光属性の魔法が発射された。

六連続で放たれた魔法は、全て標的に命中し、それを粉々に打ち砕き、焼き尽くした。

「全弾命中、お見事」

 ストリンドベルヒ教官が、言った。

「ラスカリス・アリアトラシュ、あなたの魔法はコントロールも正確。あなたの年齢にしては魔力も豊富だし、魔力の質もとても高いようです。そのまま、精進して下さい」

「はい、ストリンドベルヒ先生」

 ラスカリス・アリアトラシュは、一礼して生徒の列に戻った。

ヴァヌヌは、心の中でため息をついた。

 ラスカリスの魔法は、コントロールといい、威力といい、魔力の質といい、どれをとっても、申し分ないものだった。

 幼い頃から、将来は魔術師マージとして身を立てたいと願い、自分なりに魔法を学んで来た身にとっては、「四本線」の同い年の少年が行使してみせた魔法は、まさに芸術であった。


これが氏素性の違いというやつなのだろうな…


 ジークベルトといい、ラスカリス・アリアトラシュといい、彼らはヴァヌヌとはかけ離れた世界の住人だ。

 ジークベルトは「三本線」、つまり、公国の貴族。

ラスカリス・アリアトラシュは、「四本線」、大公家のメンバー。

 何よりも、ヴァヌヌ自身が憧れてやまない強力な魔法の使い手だ。

彼の主人、チェーザレ・ヴァンゼッティの陥穽によって攻撃魔法を司る「魔核」、「ボアズ」を破壊されてしまったヴァヌヌは一生、攻撃魔法を用いることが出来ない身体にされたのだった。

 自分の隣へ戻ってきたラスカリスに、ジークベルトが微笑みかけた。

「お見事です、殿下」

「ラスカリスと呼んでくれ。友人同士、ファーストネームで呼び合うと決めたばかりだろう。それに君ほどではないさ」

「おや、皮肉ですか、ラスカリス」

 ジークベルトが砕いたのは、レベル3の標的、五つ。

これに対して、ラスカリス・アリアトラシュが砕いたのは、レベル6の標的、六つの全てだ。

 試技の成果は大きく異なっている。

「皮肉なんかじゃないさ。僕は大公家の公子として、幼いことからこの国の最高の家庭教師たちから教育を受けて来た。魔法だけでなく、剣技も体術もだ。この程度の事、出来て当然なのだ。しかし、君は違う、君の出自を思えば、これまで君がどれほどの努力を重ねてきたか、容易に想像がつく。凄いよ、君は」

 ジークベルトは同い年の少年の言葉に微笑した。

ヴァヌヌにとって、それは雲上人の会話だった。

「次、アデリッサ・ド・レオンハルト、前へ」

 優しい卵形の顔立ちをした少女が、緊張の面持ちで進み出る。

緩やかなウェーブを描く栗色の髪は、彼女の肩に掛かって赤銅色に輝いていた。

 レオンハルト家は、魔神器「月影ムーンシェイド」を預かる伯爵家である。

アデリッサもまた、公国を代表する名家中の名家の出身者であった。

 A組の教室で、彼らと友人になろうと誓い合ったことが、ヴァヌヌには本当の奇跡のように思えた。

 アデリッサがラインに立った。

その時、つむじかぜが吹いて、アデリッサの栗色の髪を巻き上げた。

まるで一幅の絵画のように、その姿は美しかった。

「いいな、あの女…」

 チェーザレが下卑た独り言を発した。

ヴァヌヌは背中がヒヤリとするのを感じた。

 彼の主人である同い年の少年は、女性に関しては貪欲で、しかも成り上がりの貴族らしく、立場を利して、どんな女も言いなりでできると思い込んでいるようだった。

 アデリッサは、ラインに立って構えた。素手のままである。

彼女もまた、魔法の発動に特別な触媒を用いないタイプのようだった。

「アデリッサ・ド・レオンハルト、標的の強度を選びなさい」

「レ、レベル5… いえ、レベル4でお願いします」

 ストリンドベルヒ教官が、ワンドをかざす。

「アイスエッジ」

 アデリッサが、氷系魔法を行使した。

アデリッサの全面に六個の氷柱が発生し、ほぼ同時に標的に向かって放たれる。

 六個の氷柱は全て標的に命中し、一瞬にしてそれを凍結させてから、標的とともに霧氷となって空中に四散した。

「全弾命中、お見事。だが…」

 ストリンドベルヒの言葉をスクライカーが引き継いだ。

「アデリッサ・ド・レオンハルト、君の魔法の威力ならば、レベル4ではなく、レベル5でも十分に行けたはずだ。標的を破壊出来ないことを恐れたのか? アカデミーは学習と修行の場だ。恥をかくことを恐れず、現在の自分より、一段、高いレベルに挑戦するくらいの気概を持ちなさい」

「…はい、スクライカー先生」

「宜しい。下がりなさい」

「はい…」

 小さく項垂れながら、アデリッサは自分の列に戻った。

アデリッサは、とても内気で大人しい少女であるようだった。

「へへへ…」

 チェーザレが舌なめずりをした。

この少年には加虐趣味があって、貴族の立場を利用して、平民など、下位の者たちをいたぶるのを楽しむ傾向があった。


いざとなったら、この僕がアデリッサ嬢をお守りしなくては…


 ヴァヌヌがそう思った時、彼の隣にいたチェーザレの名前が呼ばれた。

「次、チェーザレ・ヴァンゼッティ、前へ」

 慌てて、チェーザレが前に進み出る。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、標的の強度を選んで下さい」

 ストリンドベルヒ教官に促され、チェーザレは、

「レ、レベル5で…」

 ヴァヌヌは目を丸くした。

公都ヴァイスベルゲンから馬車で三日の距離にあるヴァンゼッティ男爵領の屋敷で、チェーザレがレベル4以上の標的を魔法の練習に用いた事はこれまで一度もなかったからだ。

 アデリッサがレベル4の標的を使った事で、自分はそれを上回るレベル5を使える人間なのだと見栄を張りたいのだ。


しかし、身の程を過ぎた大風呂敷を広げても…

 

 チェーザレがラインに立って、ワンドを構えた。

そのワンドは、父親であるオズヴァルド・ヴァンゼッティ男爵が、わざわざ、公都一の工房で特別に誂えさせた逸品だった。

 チェーザレは、大袈裟な身振りでワンドを構えた。

「ストーンエッジ」

 地系魔法の基本技、「ストーンエッジ」が六回連続で発射された。

そのうち、二発が的に命中し、残りの四発は外れた。

 命中した二発の地系魔法は、属性で対極にある「風」の属性を備えた標的をかろうじて砕き、「火」系の属性を持つ標的を半壊させた。

 そして、残りの四発の「ストーンエッジ」は標的を大きく逸れ、魔力を吸収する作用のある、後方の壁にぶつかって消滅した。

 イーリス・ストリンドベルヒの表情が曇った。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ。あなたの魔法の威力は年齢相応みたいですが…」

 本当は、ストリンドベルヒは「最上級の触媒を使って、それですか…」と言いたかったのかもしれない。

「六発のうち、二発しか的に命中していないのは、あなたの普段の修練が足りていない証拠です。魔法のコントロールだけは、毎日の地道な練習で身につけるしかありません。もっと、精進しなさい」

「はい、ストリンドベルヒ先生…」

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、下がりなさい」

 チェーザレは不機嫌な表情で引き下がった。

チェーザレは、教官に認めてもらえなかった事、気になる女の子の前でいい格好が出来なかった事に苛立たしさを感じているようだった。


 その苛立たしさを不甲斐ない自分に向けることができたら、それを自身を向上さ   

せるエネルギーに変える事が出来たら、あなたはもっとマシになれるはずなんで   

すよ。


 ヴァヌヌは、いつも心の中でそう思うのだった。


「では、次。ヴァヌヌ」

 ストリンドベルヒ教官が、彼の名前を呼んだ。

はっと我に返って、ヴァヌヌは「はい」と返事をして生徒たちの列から進み出た。

 ヴァヌヌの存在は、ジークヴェルトやラスカリス。アデリッサなど、錚々たる公国の大貴族の子弟たちとは、全く別の意味で生徒たちの視線を集めた。

 名前だけで苗字がない。

つまり、家名を持たないのは、その人物が貴族でもなく、騎士でもなく、ただ有象無象の平民であることを意味していた。

 ヴァヌヌの制服の袖を飾る「一本線」は、それを如実に表していた。

ヴァヌヌに集中する生徒たちの視線が、軽侮と嘲りに変わった。

「ヴァヌヌ、標的の強度を選びなさい」 

 ストリンドベルヒ教官の物言いは、ジークヴェルトやラスカリス・アリアトラシュ、アデリッサ・ド・レオンハルトら、大貴族の子供たちと変わる事のない、至極、丁寧なものだった。

 たったそれだけで、ヴァヌヌは涙をこぼしそうになった。

「あ、あの、僕は…」

 ヴァヌヌは、俯いて言い淀んだ。

「どうしたの、ヴァヌヌ」

 ストリンドベルヒ教官が、ヴァヌヌの様子を心配してそう言った時、チェーザレが全員に聞こえるように、大声で叫んだ。

「そいつは、攻撃魔法が使えないんですよ。二つの『魔核』のうち、『ボアズ』が破損しているのでね」

 小さなどよめきが、生徒たちの間に巻き起こった。

ヴァルデス公国では、犯罪を犯した者の「魔核」を意図的に破壊する事が普通に行われている。

 無論、犯罪者が魔法によって、他人を傷付けたり出来ないようにするための処置だ。

 軽犯罪ならば、攻撃魔法を担当する魔核「ボアズ」が破壊される。

これにより、犯罪者は攻撃魔法を犯罪に用いることが出来なくなる。

 再犯を重ねる重犯罪者となれば、さらに防御魔法を担当する「ボアズ」まで破壊される。

 これによって、その者は身を守る術を失うのである。

魔核「ボアズ」を喪失しているという事は、公国にあっては「犯罪に手を染めた事がある」という事と同義であった。

 スクライカー教官が生徒たちを鎮めた。

「静かに! 稀ではあるが、病気や事故で『魔核』が損なわれることがある。そもそも、犯罪の前歴があれば、名誉ある公立魔導アカデミーに入学が許されるはずがない。この少年は、犯罪の前科など持っていない」

 スクライカー教官の言葉は、ヴァヌヌにとって涙が溢れるほど、有り難いものだった。

「ヴァヌヌ、下がりなさい」

 ストリンドベルヒ教官がそう言って、ヴァヌヌは彼女の言葉に黙って従った。

チェーザレは、不満そうな表情でそっぽを向いた。

 ヴァヌヌから攻撃魔法を永遠に奪った人間に忠実に仕え、その命令に従わなければならない我が身の境遇が、この時ばかりは本当に恨めしかった。

 それでも、ヴァヌヌは落涙する事に耐えた。

ここで涙をこぼしてしまったら、それは自分が過酷な運命に敗北してしまった事を意味しているように、ヴァヌヌには思われた。

 ヴァヌヌは、ふと自分に向けて、真っ直ぐな強い視線が向けられている事に気が付いた。

 それは、伯爵家の令嬢、アデリッサ・ド・レオンハルトからの眼差しであった。

アデリッサは、ペールブルーの宝石のような双眸で、一心にヴァヌヌを見詰めていた。

「へへへ… あの女、俺を見てやがる。俺に気があるのかな」

 ヴァヌヌの隣で、チェーザレがそう言って舌舐めずりをしたが、もちろん、それは勘違いだった。

 栗色の髪の美少女は、紛れもなく、その視線をヴァヌヌに送っていたのだ。


 Boy meets girl.


 後の「三年戦争」で、魔術師マージの戦い方に一大革命を巻き起こす少年と少女が、お互いを初めて意識し合う瞬間であった。

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