第11話 「特異点」

神穹姫 アスベル・バウムガルトナーの物語


 公立魔導アカデミーの練兵場、その第三スポットに四回生(高等部一年生)A組の生徒たちが集結している。

 生徒たちを引率するのは、二人の教官たちである。

一人は男性で、生徒たちに戦技・馬技・体術を指導するエルンスト・スクライカー。  炯々とした眼光を放つ三十代前半の教官である。

 もう一人は女性で、生徒たちに魔法と座学を指導するイーリス・ストリンドベルヒ。

 こちらは全身から優しさと包容力に溢れたオーラを発散する二十代後半の教官である。

 エルンスト・スクライカーが、生徒たちを前に厳かな声で言った。

「私が、君たちA組の担任であるエルンスト・スクライカーだ。そして、こちらが…」

 スクライカーの言葉を受けて、イーリス・ストリンドベルヒが生徒たちに笑いかけた。

「イーリス・ストリンドベルヒです。私とこのエルンスト・スクライカー先生が、あなたがた新入生A組の担当教官です。スクライカー先生は、皆さんに剣術や槍術などの戦技、騎乗術、ケイパーリット式旋舞拳闘など、素手の格闘技を指導してくださいます」

 スクライカーが続けた。

「魔法と座学は、ストリンドベルヒ先生が指導される。この練兵場第三スポットは、主に魔術士マージの訓練に使用される空間だ。練兵場のメインスタジアムと違って、魔素マナの働きを減衰させるオベリスクは機能していないので、各自、魔法の発動には、充分に気をつける事」

「あなた方にとっては、アカデミー高等部における最初の授業と言う事になりますね。本日はこの第三スポットで、皆さんの魔法を披露してもらいます。魔法を発動させる触媒は、各自、好みのアイテムを使って下さい」

 スクライカーが、練兵場の対面を指差した。生徒たちの視線がそれを追う。

そこには、円形をした六個の標的が魔力によって、空中に浮かんでいた。

 円形の標的は、全て色が異なっている。茶・青・赤・白・金・黒である。

「六個の標的は、それぞれ、『地』『水』『火』『風』『光』『闇』、つまり、魔法の六つの属性を表している。標的には強度が設定されていて、レベル1からレベル10まで選択することができる。レベル1が最も強度が低く、レベル10が最も高いようになっている」

 イーリスが、言葉を続ける。

「魔法に属性が存在するように、私たち人間にもそれぞれ、自然神の加護があって、私たち人間は生まれた時に属性が決まっています。例えば、この私、イーリス・ストリンドベルヒの属性は『風』です。ですから、私自身が最も得意とする魔法は風魔法です。こちらのスクライカー先生の属性は、『火』です。スクライカー先生は戦技の教官ですが、魔法の腕前もまた相当なものでいらっしゃいます」

 スクライカーが、説明を引き継ぐ。

「一人の人間は、一つの属性しか持たない事が普通であるが、複数の属性を持つ者も珍しくない。また、複数の属性を持つからと言って、必ずしも優れた魔術師マージである訳ではない。複数の属性の魔法を使いこなせると言っても、それぞれが中途半端な威力しか持ちえない事が多々、あるし、天から授かった属性魔法を一心に修練して絶大な威力を持つ攻撃魔法に仕立て上げる者もいる」

「そういう事だから、今日は自分の一番、得意な魔法を使って標的を攻撃してみて下さい。あ、事前に標的の強度を指定して下さいね。そうね、では誰から始めましょうか…」

 イーリス・ストリンドベルヒが生徒たちの顔を見回した。

「はい! 私からやります!」

 元気一杯の声が上がった。声の主は、マリベル・バウムガルトナーだ。

マリベルは、鮮やかな亜麻色の髪を束ねた瑠璃色のリボンを靡かせながら、教官たちの返事を待たずに前に進み出た。

「新入生らしく、元気があっていいわね。標的の強度はどうする?」

 イーリス・ストリンドベルヒがマリベルに問うた。

「レベル10でお願いします」

 イーリスが目を丸くし、生徒たちの間からもどよめきが上がった。

レベル10は、最も高い強度を持った的だ。

 アカデミーでも特別に優秀な生徒のみが卒業間際に腕試しで挑戦するのが慣わしになっているほどである。

 イーリス・ストリンドベルヒが再度、問うた。

「レベル10でいいのね、本当に?」

「もちろん!」

 マリベルは健康そうな歯を見せて笑った。

「分かったわ」

 イーリス・ストリンドベルヒがワンドを持った手を掲げた。

練兵場第3スポットの反対側に並んでいる色違いの標的が放つ光が強くなり、生徒たちの耳にも蜜蜂の羽音のような駆動音が届いてきた。

 マリベルは、白いラインの前に立って、拳を握った左手を前に突き出し、右手で弓の弦を引くポーズを取った。

 まるで、目に見えない弓を引くかのような立ち姿だ。

イーリス・ストリンドベルヒがはっと息を呑む。

 イーリスは、手元のクラス名簿に視線を落とした。

「マリベル… マリベル・バウムガルトナー、あなたが神穹姫…」

 イーリスがそう言った瞬間、マリベルは目に見えない弓を使って、目に見えない矢を放った。

 それも六回、連続でだ。放たれた魔法の矢は、不可視ではなかった。

強大な魔力を乗せた矢が、続け様に六個の標的に向かって飛び、その全てが命中して、一瞬にして標的を粉々にした。

 生徒たちは呆然となった。

エルンスト・スクライカー、イーリス・ストリンドベルヒ、二人の教官たちも驚きの表情を隠せない様子である。

「驚いたな… それぞれ、属性の異なる六個の標的を… それもレベル10の的を同時に破壊してのけるとは…」

 イーリス・ストリンドベルヒは、マリベルが披露した技に強い感銘を受けたようだった。

「マリベル・バウムガルトナー、あなたは属性の異なる標的にそれぞれ、別の種類の属性魔法を使ったみたいね…」

 マリベルは、屈託のない笑顔で頷いた。

「はい、ストリンドベルヒ先生」

「あなたは、『地』『水』『火』『風』『光』『闇』、六つの属性魔法を全て、使えるのね。アカデミーに奉職して今年で十年目だけど… あなたのような生徒は初めて見たわ…」

 A組の生徒たとから、どよめきが上がった。

「マリベル・バウムガルトナー、あなたは魔術師マージになっても、超一流と呼ばれるようになるでしょうね。バウムガルトナー家の未来は、明るいみたいね」

 エルンスト・スクライカーがマリベルに言った。

「マリベル・バウムガルトナー、下がって宜しい。では、次の生徒… 君、前へ」

 スクライカーが指名したのは、アスベルだった。

アスベルは息を呑んだ。

 よりによって、マリベルのすぐ後とは… アスベルは、おぞおずと前に進み出る。ストリンドベルヒ教官が、アスベルの顔に視線を送る。

「あら、双子ちゃんね。では、あなたもバウムガルトナー家の神穹姫なのね」

「マ、マリベル・バウムガルトナーの双子の姉、アスベル・バウムガルトナーです…」

「では、アスベル・バウムガルトナー。標的の強度を選んでちょうだい」

 アスベルは、蚊の鳴くような声で言った。

「レベル1で…」

 イーリス・ストリンドベルヒは、怪訝な表情になった。

「えっ、レベル1…?  今、レベル1とおっしゃったかしら?」

 アスベルは赤面しながら、小さく頷いた。

「わ、分かりました…」

 ストリンドベルヒ教官が、ワンドを掲げた。

アスベルは、マリベルと逆に拳を握った右手を前に突き出し、左手で目に見えない弓弦を引き絞る仕草をした。

 アスベルは左利きなのだ。

そして、大きく息を吸ってから、目に見えない弓でやはり目に見えない矢を放った。

 マリベルと同じく、六個の標的をほぼ同時に狙う六連の速射である。

二人の教官とA組の生徒たちが、六個の標的に視線を飛ばす。

 だが… 何も起こらなかった。

六個の標的は微動だにしていない。

「的を外したのかしら。アスベル・バウムガルトナー?」

 アスベルは、かぶりを振った。

「いえ、六つの標的に無属性の魔法の矢を全て命中させました…」

 イーリス・ストリンドベルヒは、少し考え込んでからスクライカーに言った。

「スクライカー先生。ここを頼みます」

 ストリンドベルヒ教官は、標的を確認するため、この場を離れた。

くすくすと失笑が漏れた。

 レベル1の強度の標的は、普通、初めて魔法を学ぶ小児が用いるるものだ。

アカデミー高等部の生徒がレベル1の標的を用いるのは、マリベルと別の意味で前代未聞であった。

 しかも、標的の破壊に失敗するなんて事は、アスベルの年齢では、通常、考えられない事だった。

 忍び笑いと共に、何者かが「出涸らし姫、ダセェ」「カッコ悪〜」「あはは、最悪」という声が後方から聞こえて来た。

 中等部の頃から、際限なく聞かされた嘲りの言葉。


ーー出涸らし姫。


 優秀な双子の妹に良い部分を全て吸い尽くされた残り滓、それが自分だ。

散々、聞かされて来た侮辱の文言であるのに、いつまで経っても慣れる事はなかった。

 ストリンドベルヒ教官が、六個の的を調べている。

調べ終えてから、彼女は大きくため息をついて、懐から紙を取り出し、何かを認め始めた。

 ストリンドベルヒ教官は、アスベルの元へ戻り、忸怩とした表情で俯いているアスベルに、その紙を渡して言った。

「アスベル・バウムガルトナー。これから、ヴァラカ・シャヒーン理事長の執務室へ行きなさい。そして、理事長にこのメモを渡して読んでもらいなさい」

「えっ」

「さあ、行きなさい」

 否応もなく、アスベルは教官の指示に従う他はなかった。

「姉さん」

 マリベルが心配そうにアスベルを見守っている。

マリベルに弱々しく笑いかけてから、アスベルは踵を返して、練兵場第三スポットを後にした。

 自分に向けられる級友たちの侮辱、嘲笑、蔑みの視線と含み笑いは、それに慣れきっているはずの十四歳の少女の胸に容赦なく突き刺さった。


 公立魔導アカデミーの責任者であるヴァラカ・シャヒーン理事長の執務室は、南側にステンドグラスの大窓が設けられていて、室内に明るい陽の光が燦々と射し込んでいた。

 デスクで書類に目を通していたヴァラカ・シャヒーンは、何者かがドアの扉をノックする音を聞いた。

「入りなさい」

 その声に促されて、一人の金髪の少女が悄然とした表情で室内に入ってきた。

少女の見事な金髪は、真紅のリボンで纏められている。

 アスベル・バウムガルトナーであった。

「アスベル・バウムガルトナーです。あ、あの… 理事長先生。担任のイーリス・ストリンドベルヒ先生が、理事長先生の部屋へ行けとおっしゃって…」

「用件は何だね、アスベル・バウムガルトナー」

 アスベルは、無言でヴァラカ・シャヒーンに女性教官が書き記した紙を差し出した。

 ヴァラカ・シャヒーンは紙を受け取って、紙面に目を落としてから、アスベルの顔を見上げた。

「バウムガルトナーと言ったね。では君が、バウムガルトナー伯爵家の神穹姫か…」

「元・伯爵家です。あ、あの、私、どうしたら…」

 ヴァラカ。シャヒーンはメモを置いた。

「ちょうど良い。私も君に話があったんだ。アスベル・バウムガルトナー、君の中等部における成績の事なんだが…」

 アスベルの心臓が凍り付くのを感じた。

「中等部における君の成績は、正直、褒められたものではない。この成績でよく卒業できたなと訝しくなるほどだ」

「……」

「戦技も魔法も座学も、君の成績はどれをとっても水準以下だ。ところが、期末試験になると、君は突然、その全てに優れた得点を獲得して、何とか留年を免れている。この事なんだが、我々はある事を疑っている」

「……」

「君が妹のマリベル・バウムガルトナーと双子であることを利用して、リボンを交換して、妹のマリベル・バウムガルトナーに替え玉受験させているのではないかとね。事実、君がいきなり好成績を上げた日の試験で、妹のマリベル君は普段の彼女の実力からは考えられないほどのひどい成績をとっている。マリベル君は普段から優秀な成績を上げているから、期末試験で赤点を取っても、進級には響かない訳だが…」

 アスベルは、唇を噛んだ。

全て、理事長先生の言う通りだ。

「アスベル・バウムガルトナー、君が双子の妹に頼んで、この不正行為を行なっているとしたら、これは大きな問題になると言わざるを得ない」

 ヴァラカ・シャヒーン理事長の言う事は正しい。

一つだけ違うとすれば、それは替え玉受験を言い出したのがアスベルではなく、マリベルであるという事だ。

「姉さんと一緒に高等部へ行きたいんだもん」

 そう言い張る妹をアスベルは制止することが出来なかった。

「アスベル・バウムガルトナー、残念ながら、君たちが不正行為をした事を証明することは出来ない。だから、この事で君を処分するつもりもない。ただ、君と君の妹は同じ四回生A組に編入された。つまり、これから君たちは同日同時に試験を受ける事になる。もう、同じ手は使えないぞ」

「……」

「アスベル・バウムガルトナー、不正に単位を取得して、アカデミーを卒業したとしても、それは決して君のためにはならない。何より、それは貴族が抱くべき高潔な精神を…」

「理事長先生には、私の気持ちなんて分かるはずがありません」

 アスベルが思いもかけず、強い口調でそう言ったので、ヴァラカ・シャヒーンはたじろいだ。

 アスベルは続けた。

「私は、中等部の頃から、出涸らし姫と呼ばれてきました。お母様のお腹にいた時、妹のマリベルに良い所をすべて吸い取られた残り滓だと。私が生まれた時、バウムガルトナー家は歓喜したそうです。バウムガルトナー家に与えられた二つの『魔神器』、金の魔導弓クリューソスと銀の魔導弓アルギュロス、双子はそれぞれ、女神様からひとつずつ、魔神器を授けられるのではないかと… そして私は生まれてから十四年間、バウムガルトナー一族を裏切り続けて来ました。私は一族を失望させるために生まれて来たようなものです。理事長先生には、私の気持ちなんて分かるはずがないのです」

「アスベル…」

「ごめんなさい、理事長先生」

 アスベルが他人にこれほど、内心の苦痛を吐き出したのは初めてだった。

ヴァラカ・シャヒーン理事長もまた、目の前にいる14歳の少女の苦悩を察したようだった。

「君が努力を怠っているとしたら、成績不振は全て君自身の責任だぞ」

「魔法でも座学でも、私が手抜きをした事は一度もありません。でも、私、ダメなんです。頭が悪いし、魔力は少ないし、体力もないし、戦闘のセンスにも決定的に欠けてます… 私、本当に出涸らし姫なんです…」

「……」

「それでも、私がアカデミーの卒業証書を必要としているのは、できるだけ自分を高く売りたいから… バウムガルトナー家が伯爵号を回復するために、お金が必要なら、私は平民のお金持ち老人の後妻にでも何でもなるつもりです。出涸らし姫の私に出来ることなんてそれくらいだから…」

 同じ女性として、まだ年端もいかない少女の悲しみと覚悟はヴァラカ・シャヒーンの胸を焼いた。

ヴァラカ・シャヒーンは、衷心からアスベルに語りかけた。

「アスベル・バウムガルトナー。君はまだ十四歳だ。君の苦悩を身代わりに背負ってやる事はできないが、そんな年齢で人生を諦めることなどは決してしないでくれ」

「……はい、理事長先生」

 ヴァラカ・シャヒーンは、イーリス・ストリンドベルヒが書き認めたメモを改めて手に取った。

「…君は練兵場で、レベル1の標的を破壊出来なかったそうだね」

「はい、理事長先生」

「だが、イーリスによれば、君が放った魔法の矢は、標的に全て命中していたそうだ。それも、正円の的のド真ん中にね」

「六個とも、標的の中心に矢を命中させました。でも、私は魔力が極端に弱くて、レベル1の標的さえ破壊する事ができないんです。だから、無意味なんです、私のした事は…」

「どんな名手の弓兵アーチャーでも、標的の中心に矢をまとめることなど出来はしない。ましてや、六連の速射なら難度は跳ね上がってしまう。アスベル・バウムガルトナー、なぜ、君はこんな事が出来るのだ」

「それは… 私が無能で、無属性の魔法しか使えないからだと思います」

「どういうことだ」

「属性魔法は少なからず、環境の影響を受けます。例えば、火系魔法は、気温の高い場所では威力を増し、寒冷地や湿度の高い土地では威力が減衰します。水系魔法は、乾燥地では威力が小さくなります。風系魔法は、強い横風を受けると軌道が狂ってしまいます。地系魔法は、湖や海上では使えません」

「そうだな。それに土地にはそれぞれ、自然神が祀られている事が多い。火の女神が祀られた土地では、その対極にある水の魔法は効果が抑制されてしまう。強力な土着神を崇める土地では、天神はその力を失ってしまう…」

「その点、無属性の魔法なら、環境の影響を全く受けません。だから、無属性の魔法の矢は、どこまでも真っ直ぐに飛ばす事が出来るのです」

「…ここで、やって見せてくれるか、アスベル・バウムガルトナー」

「は、はい」

 ヴァラカ・シャヒーンは、ステンドグラスの窓を開放した。

まだ、少し冷たさを残す初春の風が執務室に吹き込んできた。

 カーテンレースがそよ風に優しく翻る。

アスベルは窓辺に立って、練兵場でそうしたように、両脚を前後に開き、拳を握った右手を前に突き出し、左手で見えない弓弦を引き絞るポーズをとった。

「向こうの建物の尖塔にいる白い鳩に注目して下さい…」

「えっ、しかし、あの鳩は…」

 その白い鳩は、通常の魔導弓の射程距離を遙かに超えた距離にあった。。

「あれは遠すぎる… 普通の弓手アーチャーの射程距離の何倍も遠いぞ」

 ヴァラカ・シャヒーンが言い終わる前に、アスベルは矢を発射した。

ヴァラカ・シャヒーンの目には放たれた矢の軌道など、全く見えなかった。

 だが、尖塔の屋根に止まっていた白い鳩は、何かに驚いたかのように突然、翼を広げて飛び去って言った。

 明らかにアスベルの矢が鳩に届いたのだ。

「何と…」

 ヴァラカ・シャヒーンの双眸が大きく見開かれた。

「私の矢はあの鳩に命中しました… でも、それだけです…」

「それだけって… こんな遠距離狙撃ができるのは、亜大陸全土を探しても、アスベル、君以外には存在しないと思うがな」

「でも、私の矢は鳩を驚かせただけです。私、魔力が弱すぎて、あんな小さな鳩一羽さえ、殺す事が出来ないんです。だから、何の意味もありません」

「……」

魔術師マージたちが用いる魔法は、弓手アーチャーよりずっと射程距離が短いけど、彼らは中距離で戦う兵種だから、問題にならないんですよ」

 ヴァラカ・シャヒーンは大きな嘆息を吐いた。

「アスベル・バウムガルトナー、君が決して怠けていた訳ではないのは、理解した。だが、高等部では、自分の力で成績を伸ばすように務めなさい。君自身のためにね」

「はい、理事長先生」」

「では、授業に戻りなさい」

 アスベルは、無言で頭を下げて理事長室を退去した。

ヴァラカ・シャヒーンは、窓辺に立って、白い鳩が飛び去った空を見上げた。

「出涸らし姫か…」

 だが、その出涸らし姫は、彼女の目の前で信じられないようなパフォーマンスを披露して見せた。


――特異点。


 そんな言葉が彼女の心に浮かんできた。

自分に自信が持てず、我が身をお金と引き換えに、素封家の老人に売り渡しても構わないと言い切る、憐れな十四歳の少女は、もしかすると何か、とてつもない存在に成長するかもしれない。

 ヴァラカ・シャヒーンは、そう思った。

後の「三年戦争」を、ヴァルデス公国が誇る「神穹姫」として戦い、カルスダーゲン亜大陸全土にその恐怖の二つ名を轟かせるアスベル・バウムガルトナーの潜在性に、おそらくはヴァラカ・シャヒーンは最初に気付いた人間であったろう。



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