第9話 集結 〜入学式〜

「神の盾 ヴァヌヌの物語」


 「公立魔導アカデミー」は、ヴァルデス公国の騎士と貴族階級の子弟を育英する教育機関である。今から三百年前、北方の大国、エフゲニア帝国の選帝侯家であったヴァルデス家が帝国から独立を果たした際、公国を守る戦士を育成するために創立された。

 ヴァルデス大公家が君臨する王城アイヴォリー・キャッスルに隣接して設立されており、王城と変わらぬ程の広大な敷地面積を有している。

 アカデミーは、中等部と高等部に分かれ、騎士階級と貴族貴族階級、公国のエリート層の子弟は中等部へ入学し、そのまま、高等部へ進学するのが普通である。

 中等部は三学年(12才から14歳)で構成され、剣と魔法を使って戦う魔導戦士の戦術の基本が叩き込まれる。

 高等部は四学年(15歳から18歳)で構成され、「魔導騎士パラディン」、「魔術師マージ」、そして、「魔装工兵メイガス」の三つの学部に分かれている。

 「魔導騎士パラディン」は、魔法と魔法武器を使って戦う騎士であり、大地を縦横無尽に駆け回る「戦場の華」と呼ばれる存在である。騎士たちが使う魔法武器も、騎乗する騎馬も、その騎馬を守るための装具もとても高価なものであるため、豊かな封土を持つ貴族か、裕福な騎士爵家でなければ、「魔導騎士パラディン」になることは難しい。

 「魔術師マージ」は、武器を用いず、魔法だけを使用して戦う兵種である。

「攻撃魔法」と「防御魔法」の両方を駆使し、基本的には後方支援に徹して、騎馬を用いることは稀である。もちろん、中等部で生徒たちは徹底的に乗馬術を仕込まれるため、馬に乗れない「魔術師マージ」や「魔装工兵メイガス」はいない。

 「魔装工兵メイガス」は、個人の事情によって魔法が使えない、あるいは戦場で使い物になる程の威力を発揮する事ができない生徒が進む学部である。

 魔力を帯びた武器や防具や装具、様々なアイテム、アクセサリー、タリスマンなどを制作する事を学習の本題にしている。

 アカデミーでは、表向き、三つの学部は対等であるとされているが、現実には、この順番で明確なヒエラルキーが存在する。「魔導騎士パラディン」は最も強力な兵種であり、貴族と富裕な騎士の家の出身者でなければ、騎馬や武器、装具を用意出来ないため、事実上、公国のエリート階層しか目指すことができない。

 「魔術師マージ」は、強力な魔力の持ち主ならば就ける兵種であり、魔法で立身出世を夢見る平民出身の生徒たちもかなり、在籍している。

 「魔装工兵メイガス」は、騎士としても魔法使いとしても使い物にならないと判断されたが、魔導戦士として無能ではあっても、「公立魔導アカデミー」を卒業したという肩書きが欲しい貴族や騎士が行くところだと軽侮されることがある。


 ヴァヌヌは、公立魔導アカデミーの大会堂を睥睨した。

公国の王城、アイヴォリー・キャッスルに併設されたアカデミーは本来、公国の騎士階級、貴族階級の子女たちが通う幼年学校だ。平民であり、大陸の外から入り込んできた流民の子供である自分などには、本来、無縁の場所なのだ。

 主人であるチェーザレ・ヴァンゼッテイの従者として、ヴァヌヌは、主家からアカデミーの高額な授業料を支給してもらっている。

 そのため、ヴァヌヌのチェーザレに対する立場は、哀れなほど弱いものだった。

ヴァヌヌは自らがまとうアカデミーの制服を改めて見やった。

 純白のモスリン生地に、黒いベルベットと真紅の錦糸で装飾が施されている。袖口の赤い刺繍のラインは、制服を着る生徒の階級を表している。

 ヴァヌヌの制服の袖口のラインは、一本線である。これは、ヴァヌヌが平民の身分である事を意味していた。ヴァヌヌの隣にいるチェーザレの制服の袖口のラインは、三本線だ。

 三本線は、その制服を着る生徒が、貴族階級であることを表している。これが二本線であるなら、それはその生徒が騎士階級に属している事を表す。

 そして、もし、制服の袖口のラインが四本線ならば、それはその生徒が大公家の係累であること、つまり、公国を統治するヴァルデス家の血筋であることを意味していた。

 大会堂のステージに、一人の女性が登壇した。

公立魔導アカデミーの理事長、ヴァラカ・シャヒーンである。

「この良き日に、新たに若き俊才たちをアカデミーに迎えられた事を神に感謝したい。これから君たちは、公立魔導アカデミー高等部で四年間、学ぶことになる。君たちの中には、有力な大貴族の子女であり、アカデミーで貴族としてのマナーと作法を学び、将来のための人脈を作っておきたいと考える生徒もいるだろう。また、騎士爵の家門を継いで、騎士として恥ずかしくない生き方をしたいと願う生徒もいるだろう。あるいは、平民の身分でありながら、アカデミーで戦闘技術を学び、自分の将来を切り拓いていきたいと青雲の志を抱いている生徒もいるだろう」

 ヴァヌヌは、拳を握り締めた。

「いずれにしろ、君たちに与えられた時間は四年間だ。自分の未来のため、四年という時間をどう使うか。それは、君たちの自覚にかかっている。四年という年月は、君たちの人生の中では一瞬の光芒に過ぎない。しかし、それはかけがえのない青春の煌めきの瞬間でもある。新入生たちに、素晴らしい学園生活があらん事を」

 アカデミーの理事長、ヴァラカ・シャヒーンの訓示は終わった。

「続いて、新入生代表挨拶。ジークヴェルト・フォン・アインホルン、壇上へ」

 ヴァラカ・シャヒーンがそう言った。

アカデミーの大会堂に参集した人々の間から、小さなざわめきが巻き起こった。

 アインホルン家は、ヴァルデス公国の宰相と財務卿を兼任する大貴族であり、まさに国家の重鎮である。現アインホルン侯爵であるユルゲンは、公国の元老と言って良かった。

 君主と血縁関係にある事を意味する公爵家は、現在、ヴァルデス公国には存在しないのだから、アインホルン侯爵家はまさしくこの国の貴族階級の筆頭であった。

 そして、新入生総代を任せられるという事は、ジークヴェルト・フォン・サインホルンが入学ないし進学の試験を首席で突破したという事を意味していた。

 ジークヴェルトは、演壇に立ち、徐に口を開いた。

「ヴァラカ・シャヒーン理事長、ありがとうございます。僕たちのためにこんな素晴らしい式典を用意していただいたこと、理事長初め、諸先生方に新入生を代表してお礼を申し上げます。入学にあたり、温かくも厳しい励ましの言葉を賜り、新入生一同、身の引き締まる思いで…」

 その時、新入生の間から叫び声が上がった。

「スラムで拾われた餓鬼が、新入生代表でいいのかよ」

 一瞬で、大会堂が凍りついた。

ヴァラカ・シャヒーンが血相を変えて立ち上がった。

「今、言ったのは誰だ」

 怒気を孕んだヴァラカの声に、会場が沈黙した。

「言いたいことがあるなら、堂々と姓名を名乗ってから発言しろ。君たちは誇り高い公立魔導アカデミーの生徒だ。こそこそと誰かの後ろに隠れて、他人を中傷するような卑怯な真似はしてはならない」

 ジークヴェルトは穏やかな微笑を浮かべた。

「構いません、理事長。このジークヴェルトが今は亡き、ブリュンヒルト・フォン・アインホルン侯爵夫人によって、スラム街の路地裏で拾っていただいた孤児であるのは、広く知られていることです。このジークヴェルトは、アインホルンを名乗っていても、侯爵家とはなんら、血縁関係はありません。僕、ジークヴェルトをこの世に送り出してくれた生みの母、エーデルガルトはスラム街でも最下級の娼婦でした。僕はそれを隠そうとは思っていませんし、娼婦の息子に生まれた事を恥ずかしいとも思ってはおりません」

 大会堂は、水を打ったように静まり返った。

ヴァヌヌは息を呑んだ。理事長のヴァラカも、ひな壇に並ぶ教師たちも、貴賓席の賓客たちも、もちろん、新入生、在校生たちも、そればかりか、雑言を浴びせた当人でさえ、ジークヴェルトの反応に言葉を失ったようだった。

 ジークヴェルトは、しんと静まり返った大会堂で、涼しい顔をして挨拶文を読み続けた。

ヴァヌヌは、こんなすごい男が同級生に存在するのか、と圧倒されながら、ジークヴェルトウェルトの言葉を聞き続けた。

 

 ヴァヌヌが、主人であるチェーザレと共に入ったのは、高等部一年生(四回生)のA組であった。ヴァンゼッテイ男爵家が、子息であるチェーザレをA組に入れるため、アカデミー側に幾許いくばくかの金銭を包んだのは確実だと、ヴァヌヌは思った。

 実際、「自分はスラムの娼婦の子」と公言して、大会堂を沈黙させたジークヴェルト・フォン・アインホルンも、ヴァヌヌやチェーザレを同じA組である。

 ヴァヌヌは、アカデミーのA組が公国にあって特別に階級の高い大貴族の子女たちが、このA組に集められている事を知っていた。

 貴族ばかりか、自分達の学年には、ヴァルデス公国大公位の第三位の継承権を持つラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス殿下が進学されているはずだった。

 本物の「四本線」である。

穏やかな陽光が差し込む窓際に、ジークヴェルト・フォン・アインホルンがポツンと一人、立ち尽くしている。日の光がジークヴェルトの明るい金髪をキラキラと輝かせている。

 その立ち姿は、格調高い古の絵画から抜け出してきたかのように、凛然としていた。

皮肉な事に「娼婦の子」と自称したジークヴェルトこそが、この教室にいる、まだおっぱい臭い子犬のような生徒たちの中で、最も気高いオーラを発していた。

 A組の生徒たちは、ジークヴェルトから少し離れて集まり、ジークヴェルトにちらちらと視線を送っている。みんな、ジークヴェルトとの距離感を測りかねているのだ。

 ジークヴェルトを見詰める生徒たちの視線には、当惑と不審、軽蔑と嫉妬が複雑に入れ混じっていた。


 ーーどうして、スラムの餓鬼が… それも娼婦の息子がアインホルン侯爵家に?


 ーーこいつに俺たちと同じく、公立魔導アカデミーで学ぶ資格があるのか?


 ーーしかし、このスラム出身の娼婦の息子が、アインホルン侯爵家を襲うのか?


 ーーならば、将来のためにもこの男と縁故を繋いで置いた方がいいのか?


 ーーしかし、貴族の家の子である自分が、スラムの娼婦の餓鬼に頭を下げるのか?


 ーー侯爵夫人に拾って貰っただけの野良犬同然の餓鬼に?


 ジークヴェルト自身は、そんな周囲の思惑などどこ吹く風とばかりに、超然と陽光を浴びて屹立している。その姿は、名工の手になる彫像のようだった。


ーーどうしても、あの方にお話ししなくてはならない事がある。


 しかし、それを実行しようとすると足が竦んだ。ジークヴェルト・フォン・アインホルンはヴァルデス公国の事実上、最高位の大貴族であり、ヴァヌヌは地方貴族ヴァンゼッテイ男爵家の人間に使える従者であり、平民の身分であった。

 その事実が、ヴァヌヌを逡巡させた。

そのヴァヌヌの後ろから彼を追い越して、ジークヴェルトに近寄っていく少年がいた。

「あ、あの…… ジークヴェルトさん……」

 それは長身であるジークヴェルトの肩ほどの背丈しかない、小柄な少年だった。

ぽやぽやとした頼りない赤い巻毛。身体を構成するパーツのひとつひとつが控えめで、

奇妙に印象の薄い少年であった。

 しかし、少年の制服の袖を飾る錦糸のラインは、「三本線」である。

 つまり、貴族様だ。

「ぼ、僕… 君は… 君はとても強い人間だと思います。そ、それを伝えたくて…」

 ジークヴェルトは、優しく微笑んだ。

「君は?」

「ザザ・グアルネッリです。グアルネッリ伯爵家の次男です」

 ジークヴェルトの目が丸くなった、

「では、君がグアルネッリのゴーレムマスターなのか」

 ザザは、弱々しく微笑した。

「はい。僕が、ゴーレムマスターのグアルネッリです。あ、あの… さっきも言った通り、ぼ、僕は… 君がとても強い人で、尊敬できる人だと思います… 僕なんか、とても気の弱い人間で… 君みたいに強くなれたらいいなって、いつも思ってて…」

 ジークヴェルトは微笑した。

「君は弱い人間なんかじゃないさ、ザザ。こうやって微妙な空気の中で、君は僕に自分の気持ちを伝えに来てくれただろう。それだけでも、君は十分に強い人間だよ」

 ザザは息を呑んだ。

「ジークヴェルトさん…」

「ジークと呼んでくれ。友人は俺の事をジークと呼ぶんだ」

「と、友だち…⁉︎」

 14歳までに三百人以上の人間を「潰して」きた自分に同い年の友達だって?

「俺も君の事を、ザザと呼ばせてもらおう。よろしく、ザザ」

「こ、こちらこそ、ジーク…」

 ジークヴェルトが差し出した手にザザが答えた。最初は弱々しく、しかし、最後は力強く、ザザは新しい友人の手を握った。

 そのザザ・グアルネッリの小柄な身体が、乱暴に突き飛ばされた。

闊達な目をした二人の少女たちの顔が、ジークヴエルトの前に出現した。

 瑠璃色のリボンで鮮やかな金髪をハーフアップにまとめた少女が叫んだ。

「あなた、とっても立派だったわよ。私、感動しちゃったわ」

 続いて、一人目の少女と全く同じ顔をしたもう一人の少女が言った。

この二人の少女は、双子なのだった。違いがあるとすれば、二人目の少女の髪を纏めるのは、真紅のリボンである。真紅のリボンの少女もまた、興奮した様子で言った。

「あれこれとくだらない事を言って来る奴がいたら、私たちに言って。そんな奴ら、ぶっ飛ばしてやるから。ああ、私には無理だから、妹のマリベルがねっ」

「アスベル姉さんたら、力仕事は全部、私に押しつけるんだから… マティアス・ティボーの時だってさ」

 双子の妹の方であるらしいマリベルという少女は、そう言ってけらけらと笑った。

「ねえ、ジーク… ジークって呼んでも良いよね? 私たち、もう友達だしさ」

「マリベルったら、ジークの都合だって考えなきゃ」

 ジークヴェルトは。苦笑した。

「ジークと呼んでくれ。アスベル、マリベル、俺たちはもう友達だ」

 双子の少女たちは、快活に笑った。

「ごめんなさい。まだ、名乗ってもいなかったわね。私は、アスベル… アスベル・バウムガルトナーよ。こっちは妹の…」

「マリベル・バウムガルトナーよ。これからよろしくね、ジーク」

 ジークヴェルトの目が、また丸くなった。

「では、君たちがバウムガルトナー伯爵家の神穹姫なのか」

「今は、当家は騎士爵家だけどね。でも、見てて。私たちがバウムガルトナー家を名誉を回復して、爵位を取り戻して見せるから」

 瑠璃色のリボンの少女、マリベルがそう言って胸を張った。双子の制服の袖口に縫い込まれた錦糸のラインは、「二本線」、つまり、騎士の家柄という事だ。

「ところで。このA組にはゴーレムマスターの司、グアルネッリ伯爵家の男の子や、『魔神器』、月影ムーンシェイドを預かるレオンハルト伯爵家の子女が在籍しているらしいけど、どの子がそれなのかしら」

 今度は、真紅のリボンの少女、アスベルがそう言った。

「レオンハルト家のご令嬢には、まだお目にかかっていないが、グアルネッリ家の少年とは、先程、友人になったばかりだぞ」

「えっ、どこにいるの」

 マリベルの問いかけに、ジークヴェルトは、苦笑した。

「さっき、君が突き飛ばした子が、ザザ・グアルネッリだよ」

 マリベルのペールブルーの双眸が見開かれた。マリベルが突き飛ばしたザザ・グアルネッリは、一人の少女によって教室の床から助け起こされていた。

「きゃあ、ごめんなさい。私ったら、なんて事を」

「ごめんね、ザザ君。マリベルったら、馬鹿力なものだから」

 ザザ・グアルネッリは、はにかんだ笑顔を見せた。

「だ、大丈夫です…」

 マリベルがザザの手を両手で強く握り締めた。

「ジークとお友達になったんですって? ジークとはもう、私たちとお友達だから、あなたもお友達ね。これからよろしくね、ザザ」

 マリベルはそう言って、ザザの手を握ったまま、上下に揺さぶった。

「マリベルったら、すんでの所で、グアルネッリ家と戦争になるところだったわよ」

 アスベルは、そう言ってけらけらと笑った。

「私は、アスベル・バウムガルトナー。こっちは妹のマリベル・バウムガルトナーよ。これから、四年間、同じクラスだから仲良くしてね」

「う、うん… こ、こちらこそ、よろしく」 

 ザザ・グアルネッリの頬が薔薇色に染まった。

ザザを助け起こした少女が、ジークヴェルトに会釈した。

「あ、あの… アインホルン様…」

 優しげな栗色のロングヘアがよく似合う、可憐な少女であった。

「わ、私がお話にあったレオンハルト家の娘で… アデリッサ・ド・レオンハルトです」

 レオンハルト伯爵家は、軍務卿に任じられている大貴族で、現在の当主は、軍務卿であるガリオン・ド・レオンハルト伯爵である。「魔神器」、月影ムーンシェイドの所有者であり、「土鬼」の二つ名で知られる「大地」系魔法の使い手である。

 レオンハルト家の長子は、エグベアート・ド・レオンハルト。エグベアートは現在、アカデミー最上級生である七回生であり、「炎帝」の二つ名で知られる「火」系魔法の使い手。

 アカデミーがこの10年で生み出した最高のエリートと呼ばれており、もうすぐ、父ガリオンから、月影ムーンシェイドを譲られる予定であると噂されている。

 レオンハルト家の長女は、クロエ・ド・レオンハルトと言って、彼女もまた、「風使い」の二つ名で呼ばれる「風」系魔法の達者である。クロエは、ジークヴェルトたちより一つ年上で、すでに公国最高のレンジャー職であると言われていた。

「わ、私からも一言、言わせて下さい。ジークヴェルト様、あなたの価値を決めるのは、あなた自身であって、あなたの出自ではありません。貴族たちの中には、青い血に生まれた事を必要以上に鼻にかける向きがありますが、人間としての内容に不足しておられる方が大勢、おられるのも事実です。わ、私は、そんな方たちより、ジークヴェルト様の方がずっと立派な人物であると思います。だから、周りのことなど、お気になさらないで」

 ジークヴェルトは莞爾と笑った。

「ありがとうございます。アデリッサ嬢。あなたが良ければ、このジークヴェルトと、そして今日、友人になったばかりの級友クラスメートたちと友人になっていただけませんか」

 アデリッサの顔がパッと輝いた。

「もちろんですわ、ジークヴェルト様」

「ジークと呼んで下さい。友人たちはそう呼びます」

「で、では、私のことも、アデリッサとお呼び下さい」

 瑠璃色のリボンの少女、マリベル・バウムガルトナーがアデリッサの手を握って、上下にぶんぶんと振り回した。

「あなたが、レオンハルト家のアデリッサ様ね。私、マリベル・バウムガルトナーよ。こっちが双子の姉のアスベル・バウムガルトナー。これからよろしくね」

「えっ、あなた方がバウムガルトナー家の神穹姫?」

 アデリッサが息を呑んだ。

「ジークヴェルト様… い、いえ、ジークの人脈って凄いんですね…」

 ジークヴェルトは苦笑した。

「みんな、この5分ほどの間に知り合ったばかりですけどね…」

 その時、ジークヴェルトたちの背後から快活な声が響いた。

「本当に大したやつだよ、君は」

 ジークヴェルト、ザザ、アスベル、マリベル、アデリッサは声のした方向に顔を向けた。

制服の袖に「四本線」の錦糸のラインを帯びた若者が、そこにいた。

 「四本線」は、公国を統治するヴァルデス太公家の一因である象徴だ。

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下」

 ジークヴェルトが、胸に手を当てて公国式の立礼をとった。

「えっ、殿下って、まさか…」

 少年たちが息を呑んだ。ジークヴェルトが、「四本線」の少年を友人たちに紹介した。

「こちらが、ペンドラゴン・ヴァルデス太公殿下の第三公子、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス殿下だ」

 北方の白色人種、エフゲニア人と南方の有色人種、沙馮シャフー、異民族同士の血がバランス良く混じり合った少年だ。ラスカリス・アリアトラシュの髪の毛は。ダークブロンド。瞳の色は、ヘイゼル。少年の肌は、わずかに褐色の色味を帯びた乳白色であった。

 マリベルが、息を呑んでラスカリスを見詰めた。

「素敵…」

 ラスカリスは、ククッと笑った。

「随分と派手なデビューを飾ったね。 さすが、ジークヴェルト・フォン・アインホルン」

「揶揄わないでください、殿下」

 ラスカリスの表情が真顔になった。

「ジーク、君はこれでアカデミーの生徒の半分を敵に回したことになる… 貴族という特権階級に生まれた者たちにとって、君は完全な異物だ…」

 ジークヴェルトは、不敵な笑みを浮かべた。

「敵のいない人間には、味方もいないもの、それがこの世の真実です、殿下。現にこうやって、僕の味方をしてくれる友人たちが僕の周りに集まってくれました」

「君たちのやりとりは聞いていたよ… グアルネッリ伯爵家のゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリ。バウムガルトナー元伯爵家のアスベル・マリベル、二人の神穹姫。レオンハルト伯爵家のアデリッサ・ド・レオンハルト嬢… 実に、四つの『魔神器』を預かる大貴族の子弟たちが、ジークの元へ集結した訳だ。それも、アカデミー入学の初日にだ。これは、もう運命の為せる業としか、言い様がない…」

「殿下」

「僕も君たちの友情の輪に加えてもらえるとありがたいのだがね」

 ジークヴェルトは微笑した。ジークヴェルトの行動がアカデミーに波紋を引き起こし、彼に反感を抱く者たちを大勢、生み出した。ラスカリス・アリアトラシュもまた、ジークヴェルトの身の上を心配して、彼の味方をするべく、声をかけて来たのだ。

「もちろんです、殿下」

「その殿下は、勘弁してくれ。君たちは友人として、ファーストネームで呼び合っているのだろう? だったら、私の事も『ラスカリス』と呼び捨てにしてくれると嬉しい」

「さ、流石にそれは…」

 ジークヴェルトが言い淀んだ時、また、マリベルがラスカリスの手を握って、上下に振り回した。

「本人がそうしてくれって言ってるんだから、良いじゃない。私、マリベル・バウムガルトナーよ。よろしくね、ラスカリス」

「ちょ、ちょっと、マリベル。この方は…」

 アスベルが慌ててマリベルを制ししようとする。

「ははは、こちらこそよろしく、マリベル。他の者もマリベルに倣ってくれ。私は、本気で君たちの友人の列に加わりたいんだ。同年代の子たちと気軽に名前を呼び合って、学園生活を送れるのは今だけなんだからさ」

 「殿下」と呼ばれる少年は、対等の関係に飢えているのだと、その場にいる者たちは、理解した。微笑みの輪が広がった。

「これからよろしく、ラスカリス」

 ジークヴェルトとその友人たちは、将来、自分たちの主君となるかもしれない少年の手を握って、そう叫んだ。


ーーなんて、素晴らしい光景なのだろう。


 ヴァヌヌは、深い感動を覚えていた。


ーーできれば、自分もあの輪の中に加わりたい。


 しかし、それは夢のまた夢でしかない事は分かりきっていた。ジークヴェルトのアインホルン家は、ヴァルデス公国の宰相兼財務卿に任じられる最高位の大貴族、公爵家である。

 ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリの家は公国の内務卿を預かる伯爵家だ。

アスベル・マリベル、双子の神穹姫を擁するバウムガルトナー家は、現在は騎士爵家に降格されているとは言え、元は公国の外務卿の要職を任されていた伯爵家。アデリッサ・ド・レオンハルトの家は、これも公国の軍務卿を務める伯爵家の家門を誇る。

 ラスカリス・アリアトラシュに至っては、公国を支配するヴァルデス大公家の血族だ。

それに比べて、自分はどうだ。

 地方貴族に過ぎないヴァンゼッティ男爵家の住卒にして、平民。しかも、ヴァヌヌは亜大陸の外から流れ込んで来た流人の子供だ。

 あの眩しい光の輪の中にいる少年たちが、この国の最上層の階級に所属する人間たちならば、自分は最下層の人間だ。

 住む世界が、あまりにも違い過ぎた。


ーーそれでも、あの方にどうしても伝えなければならない事がある。


 ヴァヌヌは、昼休みまで待つ事にした。ジークヴェルトが一人になる瞬間を待ち続けるのだ。そして、それは意外に早くやって来た。

「失礼」

 ジークヴェルトはそう断って、教室から一人で離れた。

ヴァヌヌは、ジークヴェルトの後を追う。ジークヴェルトが大街道へ続く回廊で一人になり、まわりに他の人間がいない事を確認してから、ヴァヌヌはジークヴェルトの背中に呼びかけた。

「あ、あの… ジークヴェルト様」

 ジークヴェルトが、ゆっくりと背後を振り返る。ヴァヌヌは、ジークヴェルトの前に片膝をついて跪いた。ジークヴヴェルトが眉根を顰める。

「いきなり、何の真似だ」

「ぼ、僕はヴァヌヌと申します。平民ですので、苗字はありません」

 ジークヴェルトは、ヴァヌヌの制服の袖に視線を飛ばす。

「一本線」だ。確かにこのヴァヌヌと名乗った少年は、平民の身分であり、平民でありながら。アカデミーの制服を着用していると言うことは。恐らくは、どこかの貴族の従者か何かなのだろう。

「とりあえず、立ってくれないか。外聞が悪いのでね」

 しかし、ヴァヌヌは跪いたまま答えた。

「入学式で起こった事、心からご同情申し上げます。この上なく、ご不快な思いをされたことと推察いたします。その上であえて申し上げます。ジークヴェルト様ご自身の名誉のため、犯人探しをやるような真似はどうぞ、なさらないで下さい。それは、誇り高い貴族様のなされることではないと思います」

「……」

 ジークヴェルトは、ヴァヌヌの行動の真意を推し量った。

「ヴァヌヌと言ったね。君はどこかの貴族の従者なのか」

「左様です」

 ジークヴェルトは、大きなため息をついた。

「なるほど… どうやら、あの声の主は君のご主人様ということらしいな」

 ヴァヌヌの心臓が凍った。

とても頭の良い少年だ。自分のした事は、完全にとんだ藪蛇であったかもしれない。

 そうだ。

あの時、大会堂で「スラムの餓鬼が…」と叫んだのは、ヴァヌヌの隣にいたチェーザレ・ヴァンゼッテイであったのだ。

 アインホルン公爵家が、激怒してヴァンゼッテイ男爵家に報復を考えたら、地方貴族の男爵家などひとたまりもない。


ーーそれを、止めたかったのだが…


 だが、ジークヴェルトは穏やかに微笑した。

「立ってくれ、ヴァヌヌ。こんな光景を他の人間に見られたくない」

 そこまで言われれば、是非もない。ヴァヌヌは、おずおずと起立した。

「君はいい奴みたいだな。君に免じて約束しよう。あの声の持ち主を詮索する事などしないとね…」

「お、恐れ入ります」

  ジークヴェルトは、穏やかな笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。

「どうだろう、ヴァヌヌ。君も僕の友人になってくれないか」

 ヴァヌヌは絶句した。

「ぼ、僕はただの平民です。アインホルン侯爵家の貴族様と友人になど、恐れ多くて、とても…」

「聞いただろう。僕はスラム街の娼婦の息子だ。君が嫌なら仕方がないが、僕は君と友人になりたいから、君に『友達になってくれないか』と頼んでいるんだ」

「ジークヴェルト様…」

「ジークと呼んでくれ。ザザやバウムガルトナーの双子、レオンハルト家のアデリッサたちとのやり取りは聞いて来ただろう。僕も君の事を、ヴァヌヌと呼ぶから、お互い様だ」

「わ、分かりました。ジーク様、いえ、ジーク」

「それで良い。昼食でも一緒にどうだ、ヴァヌヌ」

「は、はいっ」


 ヴァヌヌは、入学式初日に貴族の友人が出来た。ジークヴェルトを通じて、ザザ・グアルネッリ、アスベル・バウムガルトナー、マリベル・バウムガルトナー、アデリッサ・ド・レオンハルト、そして公国の大公家の公子であるラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスの知遇までも得る事になる。

 

カルスダーゲン亜大陸を真っ二つに引き裂く「三年戦争」の主役たちが、この日、一堂に勢揃いした事になる。

 まさに、「運命の日」と言って良かった。

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