第6話 テッサロニキ散策
翌朝、わたしはテッサロニキ駅へ行ってみた。
ストライキはまだつづいていて、鉄道は動いていなかった。
わたしはがっかりした。今日もイスタンブールには行けないのか……。
散歩しよう。
昨日海を見たから、反対側にでも行くか。
適当に歩いていると、ところどころが崩壊した城壁を発見した。
石造の城壁は崩れたり、途絶えたりしながらも、断続的に東西へ長く延びている。
中世の都市は城壁で囲まれていた。そのなごりだろう。
わたしはその壊れ具合を素敵だと思った。
日本なら撤去されてしまいそうな古い壁がいまもなお残されている。
テッサロニキは紀元前315年ごろにマケドニア王カッサンドロスによって創建された。
王国が紀元前168年に滅びると、共和政ローマの自由都市になった。
476年に西ローマ帝国が倒れても、東ローマ帝国で2番目に大きな重要都市としてテッサロニキは存在しつづけた。
1423年にはヴェネツィア共和国の支配下に入り、1430年にはオスマン帝国に占領された。
現在もテッサロニキはギリシアで2番目に大きな都市として栄えている。広域自治体中央マケドニアの首府。
わたしが見ている城壁は東ローマ帝国時代に建造されたものらしい。
城壁の周りにはちらほらと羊たちがいて、草を食んでいた。
地元のおじさんから「ヤーサス」と声をかけられた。ギリシア語のこんにちは。
「ヤーサス」と答えた。
おじさんがわたしの隣に座り込み、ギリシア語でなにか言った。
わたしはわからないと伝えようとして、首を振った。
おじさんはカタコトの英語で「旅の者か」と言った。
「イエス」
「グッド。私は仕事をしている。クリーニングだ」
街の掃除をしているらしい。
お疲れさまですと言いたかったが、それは日本語特有の言葉で、英語では表現しにくい。
「グッド・デイ」とわたしは言った。
おじさんはうなずいて、立ち去った。
お腹が空いてきたので、また中央市場へ行った。
昨日とは別のタベルナに入り、赤ワインとドルマーデスという料理を注文した。
米に挽き肉とみじん切りの野菜を加え、ブドウの葉に包んで煮たものだ。
レモン汁をかけて葉っぱごと食べる。旨い。
ギリシア風のおにぎりなのだろうか。ここではけっこうお米を食べるんだな……。
ドルマーデスを食べ、グビッとワインを飲む。
昼酒。背徳的だ。
わたしはふいに自分が食いしん坊だということを自覚した。
美味しい物を食べていたらしあわせだ。
散歩して腹を空かせ、美味しい物を食べ、また散歩して旨い物を食べる。
そのような永久機関になって生きていたい。
「そんな怠惰なことではいかんぞ」とカッサンドロスが言った。
「いいじゃん、お酒とごはんだけが人生よ」とわたしは答えた。彼の妻テッサロニカに変身していた。
「戦争とセックスが人生の重大事だ」
「戦争は男の仕事で、セックスは若者の仕事よ」
そのときわたしは40歳だった。
「おまえはいまも美しい。セックスしよう」
わたしはカッサンドロスに軽々と持ち上げられ、ベッドに放り投げられた。
白昼夢ではなく、わたしには時空を超越する能力があるのかもしれない。
生々しい体験だった。
カッサンドロスは逞しかった……。
わたしは現代に戻ってきた。
目の前には食べかけのドルマーデスが残っていた。
永久機関となるべく、午後も散歩をした。
テッサロニキ考古学博物館、ビザンティン文化博物館、マケドニア戦争博物館、ユダヤ人博物館の横を素通りした。どこにも入らなかった。重要なのは散歩だ。
アリストテレス通りでアリストテレスって哲学者だよな、なにを考えた人だっけと考えながら歩き、中央市場に戻って適当なタベルナに入った。
白ワインを飲み、魚貝の煮込みと豆のスープを食べた。
やはり人生の重大事は飲食だよ、カッサンドロスくん。
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