第5話 ホワイトタワー

 テッサロニキ滞在の予定はなかったが、今日中に鉄道が動く可能性はゼロだ、と駅員から聞いた。

 わたしはバックパックを背負って、駅から大通りを東へ向かって歩いた。そちらが中心市街地。

 駅のそばに建つホテルは高そうだった。10分ほど歩いて中級ホテルを見つけ、チェックインした。

 ホテルのフロントでテッサロニキの地図をもらい、中央市場へ行く。

 タベルナが並んでいる小道があった。タベルナとはギリシアのレストランのことだ。

 駄洒落を思いついた。

 タベルナは食べるなではなく食べる場所。

 昼食にムサカを食べた。

 ギリシア風ラザニアとでも言うべき料理で、パルメザンチーズとナス、ジャガイモが入ったミートソースが層になって重ね焼きしてある。

 美味しい。

 食べて元気が出た。

 テッサロニキはななかなかいいところじゃないか。

 ストライキでここに立ち寄ることになったのも、神のお導きかもしれない。

 テッサロニキはエーゲ海のテルマイコス湾に臨む港街である。

 お腹いっぱいになったわたしは、ぷらぷらと海に向かって散歩した。

 ほどなくして紺色の海がわたしを迎えてくれた。東京湾よりは綺麗だが、目を見張るほどの美しさではない。江の島の海の色と大差ない。

 砂浜はなく、低い堤防が海と陸を隔てている。陸側には高層マンションが建ち並んでいた。

 東に名所、ホワイトタワーが建っている。

 直径25メートルの円柱形の建築物で、高さは37メートル。

 わたしはホワイトタワーを見つめた。

 ブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂のような華麗さは欠片もないシンプルな塔だが、その単純な構造に心惹かれた。

 塔に歴史あり。

 12世紀に東ローマ帝国が初代の塔を建設した。

 15世紀にオスマン帝国皇帝ムラト2世がこの地を支配し、現在まで残る白い塔が建造された。

 当初は砦として使われ、後に牢獄となった。

 塔内で反乱兵を処刑したことがあり、血の塔と呼ばれたこともあったという。

 血の塔って……。

 ホワイトタワーを見つめていると、塔からオスマン帝国の歩兵が出てきた。

 兵は海沿いを歩き、わたしの隣に座った。鉄砲を持っている。わたしは怖くて、その顔を直視できなかった。

「見かけない顔だな。どこから来た?」

「ジャパン」

「知らんな。どこにある国だ?」

「ファーイースト」

「ふうん。要するに旅人だな。どこへ行く?」

 イスタンブールと言いかけて、やめた。オスマン帝国時代には、そうは呼ばれていない。

「コンスタンティノープル」

「皇帝がおわす都だ」

「うん」

「平穏に生きたいのなら、中枢には近寄らないことだ」と彼は言った。

 わたしはようやく歩兵の顔を見た。頭蓋骨が割れ、血まみれになっていた。

 白昼夢だった。

 オスマン帝国の歩兵の姿はかき消えた。

 海沿いの通りを見渡した。

 地元民と観光客が入り混じって歩いていた。

 東京都にもテッサロニキにも血塗られた歴史がある。

 そのことをわたしは深く理解した。

 午後は紺色のテルマイオス湾を眺めて過ごした。

 ときどきホワイトタワーの方を向いたが、もうトルコ歩兵が現れることはなかった。

 エーゲ海に沈む夕陽を見てから、中央市場に戻り、昼食を取ったタベルナにまた入った。

 パンとタコのグリルを食べた。たっぷりのタコの足をオリーブオイルで焼き、塩胡椒とビネガーで味つけした料理だ。

 野菜も食べたかったので、スタッフドベジタブルを追加注文した。

 トマトとピーマンの中に米が入っていた。うっ、米が入っているとは思わなかった。

 お腹がいっぱいになった。はちきれそう……。

 ホテルに帰ってシャワーを浴びた。

 ベッドにダイブし、明日、鉄道は動くだろうかと考えた。

 いつのまにか眠っていた。

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