ダブルな彼女

@saido

ダブルな彼女

「私、いつか人を殺すのかもしれない」

「ふぁ?」


 中学から付き合いがある現在高校三年生の遥(はるか)の突然の言葉に、僕は素っ頓狂な声を出した。

 冬の昼休みの屋上は賑やかな喧騒に包まれて、談笑する生徒やカードゲームに勤しむ生徒の姿が見られる。

 その中にあって、平然と落とされた爆弾発言。


「いや、うん。自覚はあるから。突飛なこと言ってるって」


 遥は言いながら、ポニーテールの髪先を弄る。


「どうしてそう思ったの?」

「毎日、夢を見るの。私と同じ制服を着た同じ位の背丈で、肩口まで伸びた髪の女の子の首へ手を掛ける夢を」

「う、ううん、そうか。うーん」


 僕は言葉を濁す。

 意味が分からないからではない。

 分かってしまうから、尚更黙るしかなかったのだ。

 遥は不安そうに俯いている。

 僕は少し考えて答えた。


「分かった。どうしてそんな夢を見るのか、考えてみる。だから、今日の所は僕に任せてくれないか?」

「分かった。……ごめんね」


 遥は悄然として答える。

 いや、これはかなり参ってるね。

 そんなことを考えていると、


「おーい、遥ー。一緒にバスケしよー?」


 というクラスメイトの誘いが飛んで来る。

 すると遥はすぐに表情の影を隠し、利き腕の右手を振って答えた。


「うんっ、いいよ! じゃあ体育館行こう~!」


 こういう所は偉いんだけど、脆さもあるなあ、と僕は思ったのだった。








 その日の午後八時の公園にて。

 僕は遥と同じ制服を着て、同じ位の背丈で、肩口まで伸びた髪の女の子と話していた。

 正に、遥が夢で見た少女だ。

 僕は話し始める。


「遥が君を殺す夢を見てるみたいだよ、彼方(かなた)」


 少女、こと彼方は答える。


「そうだ、と、思ってた。私も、彼女を、ころ、す夢を見るから」

「ああ、やっぱりそうなんだね……」


 僕は頭痛を覚えた。

 街灯の下に浮かぶ顔は髪型と口調こそ変わっているが、紛れもなく遥のものだ。

 状況を整理しよう。

 まず遥と彼方の関係性を説明するなら、小説の『ジーキル博士とハイド氏』を例に挙げると分かりやすいだろう。

 よく知られている通り、その小説は二重人格を扱ったものだ。

 善性のジーキル博士と、悪性のハイド氏の物語。

 ハイド氏の殺人が原因でジーキル博士も破滅に追いやられてしまう、という筋書きだ。

 僕は、ふぅと心の中で息を吐く。

 さて、その上でこの状況だ。

 結論を言ってしまえば、この少女こと彼方は遥の悪性を司る人格であり、遥は善性を司る人格として存在している。

 彼方が現れたのは中学へ入学してすぐの出来事。

 ちょうど思春期が始まる時期だ。

 遥の心に彼方という悪性の人格がいることを、彼方自身が僕に説明してくれたのだ。

 あ、ちなみに彼方と名付けたのは僕。

 彼方は、遥とは逆の利き腕である左手の指を立てる。


「遥は、正し、い、優しさを持ってい、る、から。誰かを、ころ、す夢を見、ること自体が、強烈、な、ストレスになっている、と思う」

「だろうねえ。その杓子定規っぷりが極まって、『人間には悪い部分もなくちゃ嘘』みたいな結論が出ちゃった訳だし」

「私としては、生まれ、る、原因ができて嬉しい、けど」

「彼方は思春期特有の不安定さから生まれたのかもしれないね。だけど、変だと言うなら彼方もだよ。僕に接触してきた理由、覚えてる?」

「もち、ろん」


 彼方が、えへんと胸を張り、僕はその理由を思い出す。


『どんなに上手、く、隠しても、神様は見てる。でも、私は貴方に私の罪を見て欲しい。この背信が私の存在理由』


 歪んではいるけど、それが彼方にとっての正しい人間関係の在り方だ。

 とはいえ、実は彼方が何か罪を犯したという事実はない。

 では、彼女の何が悪なのかというと――。


「今日は、何かいいネタあった?」

「うん。『エクソシスト』って映画。悪魔、が、少女に宿、って、家族を絶望へ追い込、むのも、信仰の危機、を描く、神父との対決、も、素敵だった」

「そ、そう……。へ、へぇ……」


 要するに、彼方は極端に悪趣味なのだ。

 他にも、中世ヨーロッパに存在したという、目の玉くり抜きから全身皮剥ぎ、そして火刑の後の骨さえ河へ流すという凄惨な情景も目を輝かせて喜ぶ。

 彼方は社会や歴史に隠された人の憎しみなどを強く嗜好する、ということだ。

 グレーかブラックかと問われれば、間違いなくブラック。

 というかクレイジー。


「遥はそういう彼方の存在に気付きつつあるのかな?」

「多分。だからこそ、許せない存在として、自壊に近い殺人を望ん、で、る」

「彼方も遥の意思が受け入れられなくて、遥を殺す夢を?」

「少し、ちが、う。私は、主導権を取ろう、としてるんじゃ、な、いから。私のは、単なる自己保存、ほん、のう」

「なるほど」


 つまり遥は木の幹であり、彼方は枝、という訳だ。

 どうあっても生来の人格である、遥に勝てる理由はない。

 こんな風に彼方として会っている時間の記憶の操作だってそうだ。

 失われた記憶の連続性は問題にされず、別の行動を取っていたものとして遥には補完され、認知されている。

 その一方で、彼方の記憶はぶつ切りになっており、遥である時の記憶は一切ない。

 正しい優しさ、と表現したのも僕が彼方に遥の人物像を伝えたから、そう言えたのだ。

 どちらが優位にあるかなど、問うまでもない。


「でも、もう、私のことは、しんぱ、い、しなくていい」

「え?」


 彼方は粉雪の降り始めた空を見上げる。


「雪は、降る。そして、消える。それだけ。摂理には適って、る、から、私には何の、不安も不満も、ない」

「彼方、それは――」

「後は、遥が、どう納得する、か。それだけが、心配」


 どう解決させるかは僕にとっても大問題であることを知っていながら、彼方はそんなことを言う。

 つまり彼方は、自分が消えれば全部丸く収まると主張しているのだった。








 翌日の昼休み。

 屋上の給水塔の上に、遥が座った。


「……今日ね、起きたら、机に手紙があった。……彼方、からだった」

「……うん」


 静かに雪が降るかのように、淡々と遥は続ける。


「彼方がいつ生まれたのか、なぜ生まれたのか。それが書いてあった。そして最後に、『どちらを残すのかの判断は任せます』って」

「そっか」

「私ね、うっすらだけど気付いてた。貴方と彼方のこと。……貴方が彼方に対して、私に対してのものと、変わらない優しさを向けていたこと」


 僕は、うんとだけ答える。


「私はそれが妬ましかった。でもやっぱり優しくされるのは幸せだったから結局、何もしなかった。……それが良くなかったのね。日増しに大きくなっていく彼方の存在が怖くなって、その不安が彼女と貴方を苦しめてた」


 ばかみたい、と遥は少し目に涙を浮かべた。


「そっか、気付いてたんだ」


 僕の言葉に涙を流しながら遥は頷く。


「うん。彼方と貴方は同時に生まれた、二人目と三人目なのね?」


 あぁ、全てお見通しか。

 そう、僕は三人目。

 今までの言動は全て遥が行っていた一人芝居で、一人語りだ。

 所謂、三位一体。

 二人だと争いが起こるから、それをなだめる調停者が僕という訳だ。

 彼方に関する記憶のブランクが補完されるように、遥の脳は僕というアドバイザーを視覚情報として捉え、交流の記憶も都合よく改変していたのだ。

 だからクラスメイトが僕を認知していなくても問題にならないし、僕に関する矛盾は全て解消された上で生活することが出来た。


「でね、考えた。私と彼方の間で、一番望ましい姿は何なのか」


 遥は眼前に右手と左手を掲げる。

 それぞれの利き腕だった。


「ずるいって分かってる。でも貴方の選択なら、私と彼方のどっちが残っても、納得して消えられる。だから、どちらかの腕を選んで」


 遥の手は震えていた。

 両方の目からは涙が零れている。

 行為の自責か、半身を失う孤独かは分からない。

 遥は自分の中に三人の人格を持つことが限界に達していることを理解している。

 遥の意識が彼方の意識を侵食し、逆もまた同じであることがいい証拠だ。

 その気持ちを知って、僕は答えを告げた。


「じゃあ、消えるのに妥当なのは僕かな。今なら未練もないし」

「え? ええっ!?」


 戸惑いも隠さずに、遥は狼狽する。


「今更、だよ。彼方に遥と変わらない気持ちを向けたのは、僕にとって二人はやっぱり一人の人間だからだ」

「っそ、そういう博愛は、一番タチが悪い!」

「感情の振り幅が他の人より極端に大きいだけのことだよ。むしろ、一つの特別が二つに増えて、ラッキーみたいな」

「……っ。それは打算よ」

「君程の不条理を見てると現実的になるんだ。それに凶器を抜いたのは遥が先だから」

「何それ」

「……好きな女の子に泣かれた。なら、一生を賭ける位のことはやらないといけない」

「自愛もここまで来ると極まった感じがあるわね……」

「僕は遥が持つ男性の部分の人格なんだからしょうがないよ。生存本能みたいなものだからね。自分は自分が大好き。それでいいじゃないか」


 そして僕は最後に遥と彼方へ語りかける。


「君達はね、姉妹みたいなものなんだよ。これからはケンカもして、仲直りもしながら生きていくんだ。それが普通ってことだから」


 僕は自分の存在が希薄になっていくのを感じていた。

 宿主が、宿泊客ではない第三者に気付いたのだ。

 なら、消えていくのが道理だ。

 彼方流に言えば、摂理に適っているということ。


「ダメ、ダメ、消えないで。私は、私達には貴方が必要なの!」


 遥は縋るように泣く。


「いや、もう大丈夫だから遥は僕を認識出来たんだよ。だから、さよならは必然なんだ」

「じゃあ、私に出来ることは?」

「そうだなあ。思春期の終わりにあった少し特別な出来事として、ずっと覚えていてくれたら嬉しいな」

「……うん、分かった。忘れない。大丈夫、私と彼方が力を合わせれば、楽勝」

「ははっ、違いない」


 そして僕は消えて行く。

 空を見上げれば、薄氷の様な雪が、冷えた太陽の光を反射して輝いている。

 僕達はそれぞれの道を歩み、誰かが消えてしまう運命にあったけれど、この冬の冷たく澄んだ青空は永遠に忘れられることなく、残された者の記憶に刻まれるのだろう。


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