第25話 2つの暴力

 虻川が白い歯を見せ、嗜虐的に笑った。


「そんなこと、知ってるんだよ。初めから」


 虻川が手を離すと僕は崩れ落ち、コンクリートの床に手をついた。手の温度が冷え切ったコンクリートに奪われる。

 直前まで締められていた首は、唐突に酸素が吸入され「カハっ」とかすれた呼吸音が鳴る。

 床のコンクリートよりも冷たい目で虻川は僕を見下ろした。


「ウチの妹に舐めた真似しやがった野郎共はいずれ必ず落とし前はつけさせるよ。だがね、アタシらが等々力をさらったのは、奴が犯人だからじゃないんだよ」


 肌が粟立あわだつ。

 僕はとんだ思い違いをしていたのだ。

 全てを理解した時には既に遅い。

 虻川が僕の背後に縛り付けられた等々力を睨みつけた。

 その双眸は、殺意がはめ込まれていた。


「そいつのせいで」


 僕の横を通り過ぎようとする。

 僕は咄嗟に虻川の足を掴むが、反対の足で腹に蹴りをもらい、ゔォエ、と胃液が逆流する。

 虻川は等々力へと歩を進める。


「そいつのせいで……かな子は」


 虻川が拳を引き絞り、等々力を殴ろうとする。

 僕は腹の鈍痛と、収まらない吐き気を抱えたまま、虻川を追いかけ、彼女の足に掴み掛かり、バランスを崩させる。

 だが、虻川は倒れない。

 僕は再び踏みつけられた。

 空き缶をグシャリと踏み潰すかの如く。

 何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も。




 もはや蹴られた箇所が痛いのか熱いのかも分からなくなった頃。

 虻川は僕をサンドバッグにして少し落ち着いたのか、小さく息を乱しながら、腰を下ろした。

 横たわる僕を見下ろす。



「初めは誰がかな子をあんな腑抜けにさせたのか、分からなかった。かな子もだんまりだったからなァ。だが、最近タレコミがあったのさ。ご丁寧に信じるにたる証拠と一緒にね。それによれば等々力そこの男がアタシらから、かな子を奪った元凶だって言うじゃねぇか」



 元総長の白金かな子。

 彼女を腑抜けにした男への報復。それがクレッシェンドの動機だった。

 なんとも間抜けなことだ。

 等々力の心無い言葉の暴力により、クレッシェンドは呆気なく頭を潰され、面子も潰された。

 等々力にとってはなんて事のない日常的な一言。





 ——死ね





 言った方等々力は翌日には忘れたかもしれない。

 けれど、受け取る方白金はそういう訳にはいかなかった。

 その一言で、白金の恋心は文字通り、死に絶えた。


 

 因果応報とは彼のための言葉のようだ。

 今度は等々力の方が、死に絶えようとしているとは。

 なんとも出来の悪い寓話ぐうわである。




「人をったことはないがね、殺り初めがかな子のカタキなら文句はねぇよ。年少でも刑務所でもどこにでも入ってやるさ」


 虻川は立ち上がって尻の埃をパンパンと両手ではたいてから、ジャージのポケットをまさぐる。

 出てきたのは折り畳まれたナイフだった。

 それを軽く振って、折り畳まれた刃を立てる。


 等々力は言葉こそ発さないが、目を見開いて呼吸が乱れ始める。唇が死人の様に青白く、震えている。

 自分に向けられた本物の殺意。

 拘束され、身動きが取れない中、死がこちらに歩いてくるのだから、その恐怖は察するに余りある。









 僕は痛む身体に鞭打ち、うめき声を上げながら、虻川の前に立ちはだかった。

 虻川は僕の前で止まる。










「一度しか言わない。どけ」







 虻川はだらりと腕を下ろしたまま、僕を睥睨へいげいする。

 僕はその怒りに曇った目を見つめ返す。











「やめとけ虻川。後悔することになるぜ?」












 虻川の前に立つことに恐怖はない。

 ここで等々力が死ねば、もはや『恋』などというお遊びをするムードではない。

 そうなればどのみち僕はローラの呪いで死ぬ。

 立ちはだかっても退いても同じことだ。

 それに僕には勝算があった。

 これは決してハッタリなどではない。



 だが、虻川はそうは受け取らなかった。



「あっははははははは! アタシが後悔することになるって? 大きくでたね! 今の状況ちゃんと見えてんのか? 恐怖でおかしくなっちゃったのかねぇ!」


 虻川は笑う。

 目を三日月型に歪めて、あざ笑う。

 僕はじっと彼女を見つめていた。

 彼女の笑みは得体のしれない焦燥を必死に塗りつぶすかのように僕には見えた。


 頭上で錆びた鉄管がカンッと軋む音がする。

 虻川は未だ手にナイフを握り締めたまま、動かない。


「なら、そのナイフで試してみたらどうだ? お前に本当に人を殺せるのか、どうか」


 虻川。

 お前には無理だ。

 人の命を奪うのにも、才能がいる。

 一般人にはおよそ備わっていないものだ。

 心を麻痺させる才能が。

 お前はまだ、大丈夫だ。

 


「お、お前如きにアタシらを止められるものか!」


















 圧倒的に有利な状況にありながら、虻川が動揺を見せる。



























「止められるさ」

















僕は虻川に微笑みかけた。





















「僕を誰だと思ってるんだ?」



























 ——虻川がナイフを構える。






























「僕は結婚詐欺師アカサギだぜ?」























 虻川の咆哮と同時に激痛が走り、視界が暗くなった。



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