第26話 拒絶

 虻川の咆哮と同時に激痛が走り、視界が暗くなった。

 覚悟を決めたはずの虻川の雄叫びは中断される。

 ナイフは未だ血に濡れていない。


「痛ったァ〜」


 白金のうめき声は、シンと静まりかえった廃工場によく響いた。

 いや、痛いのはどう見ても下敷きになっている僕の方である。

 うつ伏せで彼女の下敷きになっている僕の視界は冷たいコンクリート一色だ。

 上から現れるだろうとは思っていたが、僕の真上に降って来るとは想定外すぎる。というか、早く退け。



 綺麗なブロンドヘアを黄金の滝のように垂れ下げて俯く白金は、荒廃する世界に舞い降りた天使のようだった。

 僕と別れてから着替えたようで、オーバーサイズのパーカーにスラっとした足が映えるタイトなデニムといったラフな装いをしている。

 彼女は柔らかな弾力を持った小さなお尻で僕の腰に乗っかる。




「どこに降って来てんだよバカ! 普通、人が立ってる場所は避けない!?」一向に退かない彼女に顔だけ振り向いてツッコむ。

 トドゴンが一瞬『お前が言うな』という顔をしたが、トドゴンは何も言わなかった。


「いや守らなあかん思ぉたら、つい吸い寄せられてもぉて」

「キミはカブトムシか何かかな?」

「……ところで、今からでもラッキースケベって有効なんやろか?」

「有効なわけねェェエエだろ! こっから先は確信犯だからな!?」


 トドゴンがピクリと反応し顔を上げ、


「お前が言うな」


 今度こそツッコんだ。







「かな子......!お前」


 虻川が目を見張り、硬直する。

 それはクレッシェンド構成員の誰もがそうだった。

 彼女らが何度説得しても、絶対に外に出なかった白金が今、目の前にいるのだ。

 それは、かつて彼女らが望んだ光景。

 総長の復帰を皆が願っていた。

 だが、今、彼女たちの顔に喜びは見えない。



 白金が僕の上にあぐらに座り直し、口を開く。

 てか、そこで話すの? その前に退けよ。


「ウチがおらんのを良いことに好き放題やってたみたいやな、虻川」鋭い眼光を虻川に向ける。それは虻川の握るナイフなど目ではない程の鋭さを持った視線。


 ピリついた空気の中、当然僕は空気など読まない。


「『おらんのを良いことに』って自分で勝手に引きこもってただけじゃんな?」トドゴンに同意を求めたら、『俺を巻き込むな』とでも言うように目をそらされた。


「や、やかましいわ! 茶々いれんといて!」白金が赤面する。可愛い。






 虻川は目に見えて動揺している。

「違う、かな子! アタシらはアンタのために、アンタを侮辱した等々力を——

「——そんなんどうでもええ!」


 バッサリと切り捨てられた虻川は成すすべなく立ち尽くし、「ぁ、が、ぁ」と言葉にならない詰まった呻きを発する。


「アンタが誰をさらおうが、ケンカしようが、リンチしようが! ……ウチにはもう関係あらへん。やけど——」


 白金の漆黒の瞳が虻川を捉える。


「ウチの大切な人に手ぇ出すなら、許さへん」


 虻川は小さく震えていた。

 白金を一番近くで見てきたのは虻川だ。

 白金のおそろしさを誰よりもよく知っているのは彼女だろう。

 だが、彼女は『身の危険』に恐怖しているのではなく、白金からの『拒絶』、それに恐怖している。僕にはそう思えた。

 殺伐とした剣呑な雰囲気の中、僕は当然空気など読まない。


「言っておくけど『大切な人』ってお前のことじゃないからな」僕はトドゴンにくぎを刺す。

「………………ぇ」自分だと思っていたのか、トドゴンが意外そうな顔をした。

「ばーか、僕に決まってんだろ」

「お前らいつの間にそんな関係に……?」


「さっきから大事なタイミングでおちゃらけるの、やめてくれへん!?」


 白金の顔が僕のよく知る困り顔に戻っている。

 その顔の方が僕は好きだ。




 実際、白金が助けに来てくれたのは等々力ではなく、僕の方だろう。

 もともとそういう計画だった。

 白金が自室から出るようになった頃。

 その頃から僕は手ごたえを感じ始めていた。






 ——白金は僕に落ちつつある。






 それからは、時間の許す限り、頻繁に白金宅を訪れ、白金の僕への想いを膨張させることに尽力した。

 幸い、白金はポーカーフェイスが上手い方ではなかったので、白金の気持ちは手に取るように分かった。


 そして、等々力の誘拐に便乗して、僕自身を危険な状況に落とし込む。

 クレッシェンドの拠点に単身で乗り込むという無謀な特攻。想いを寄せる人の命の危機。そういう状況を作ることが僕の狙いだった。

 当然、僕一人ではどうにもならないだろう。

 最悪、殺されてもおかしくはない。それくらい危ない方が、都合が良い。


 あとは白金が自分で殻を破るのを待つだけだった。

 もし、白金が来なければ死ぬだけだ。

 白金を落とし切れなかった自分が未熟だった、と諦める他ない。





 だが、彼女は来た。





 不安、恐怖、恥辱、全てを取り払って、助けてに来てくれた。

 少し荒療治だったかもしれないが、そうでもしなければ、白金の引きこもりは延々と続いていたのは間違いないだろう。

 失恋の傷を癒すのは、いつだって新たな恋だ。

 僕はそこにちょっぴり『死』のアクセントを加えた。

 要するに自分を人質に白金を引っ張りだしたのだ。





 白金はさっきとは打って変わって、落ち着いた口調で静かに言う。


「等々力くんは関係あらへん。……ウチはもう、クレッシェンドには戻られへん」






 明確な拒絶。






 待ち望んだ人がやっと現れたと思えば、はっきりと決別を告げられる。

 虻川は肩を落とし、力なく腕を垂れる。

 カランとナイフを床に手放した。

 一点を凝視し、表情はない。しかし、その目にははっきりと絶望が映っていた。









 そして、それが憎悪に変わるのに、そう時間はかからなかった。

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