第24話 アリバイ

 浪板なみいたの簡易な壁に囲まれた薄暗い廃工場の中、手の汗を握り締めて下を見下ろす。

 息を殺して3メートル程、真下に目を向ければ、錆びた鉄柱に縛られた等々力とその周りを取り囲む女子が見えた。

 1人輪の内側に立つ者がいる。奴が虻川あぶかわ。クレッシェンドの現総長だ。

 ジャラジャラのアクセサリーでこれでもかと着飾り、金のラインが入った黒いジャージは前のファスナーが開かれ、インナーは大胆におへそを露出している。

 そのお腹のしなやかな肉感を見て、僕はムラッときて、思わず軋む鉄骨の上から飛び降りた。


「いっただっき——」


『まーす』を言うことは出来ず、着地と同時にうつ伏せに倒れた。

 グシャ、と形容するに相応しい落ち方をする。

 3メートルくらいなら大丈夫だと思ったら、クッソ痛い。

 クッションがなかったらヤバかったな。


「て、めぇ……!」


 僕の下に重なり合う柔らかく温かい肌。

 虻川が僕の下にいた。

 今からでもラッキースケベが間に合うか心配だったが、やらない後悔よりやる後悔。

 僕は彼女の胸を包み込むように手をかぶせた。


「——なァぁ?!」


 虻川は一瞬ビクンと跳ねてから、僕を蹴飛ばしてどかす。

 手にじんわりと温かい余韻を残したまま、僕は冷たいコンクリートの床を転がった。


虻川あぶかわさん!」


 周りに控えていた不良女子達が虻川に駆け寄る。

 その中には僕が利用した女子。キャバ山キャバ子も混ざっていた。

 蹴飛ばされた先で、顔を上げると鉄柱に縛られた等々力が目の前に見えた。等々力の目の前まで吹っ飛ばされたようだ。


「お前何やってんだよ……」顔面ボコボコに青あざを作った等々力は開いているのかどうか分からない目で僕を見る。


「助けに来たに決まってんだろ?」立ち上がり、等々力に背を向け、視線を虻川に定めながら答える。

「ばか……。お前じゃ無理だ。逃げろ。助けを呼んでこい」


 コイツ、僕にまるで期待してないな。失礼してしまう。

 僕は振り返り、等々力の社会の窓を開けてから、再び虻川に向き直った。

 後ろで等々力が何か騒いでいるが、「おい!」彼は今恐怖で錯乱しているのだ。「バカ!」待ってろ等々力。「早く閉めろ!」今助けてやるからな。

 周りから「濡れてきた……❤︎」「この後、ヤッてもいいのかな?」「私も何番目でもいいからやりたい!」とどよめきが聞こえる。


「アイツ……鬼かよ」取り巻きの一人が等々力に同情の視線を送って呟く。

「鬼はお前らだ! 等々力をこんな大勢の前で全身挫傷こんな姿にしやがって」

「いや、社会の窓開放そんな姿にしたのはお前だろ……」



 この後に及んで僕に罪をなすりつけようとは、とんだ大悪党である。







「そもそもだ。虻川」


 人差し指を立ててから、言う。

 僕が虻川に腕力で勝てるわけもない。

 だから、必然的に舌戦に持ち込まざるを得ないのだ。





「お前は一つ勘違いしている」


 

 虻川は腕組みをして僕の言葉を聞いていた。



「お前の妹は確か北大斜きただいしゃ駅付近で被害に遭ったらしいな」


 ことの始まりは虻川の妹が、何者かにリンチされたことだった。

 その犯人が等々力だと勘違いしたクレッシェンドが等々力を執拗に探し回り、今回の拉致に至った。

 ならば、等々力の無実を証明できれば無血で等々力を助け出せるはずだ。

 虻川が「ああ」と肯定する。


「事件の日、その時間、等々力は北大斜きただいしゃ駅にはいなかった。お前の妹を襲ったのは等々力じゃない」


 僕はスマホを虻川に向けてから、あらかじめ撮ってきていた動画を再生する。

 三つ編み女子と短髪女子が映り、話し始める。



『はい。私たちあの日、大好きなアーティストのライブ行こうと学校から大斜だいしゃ駅まで走って行ったんですよ」


 —— 北大斜きただいしゃ駅じゃなくて?


『大斜駅です。北大斜は線が違うんで。でも、結局予定してた電車に間に合わなくて次の電車が来るまで待ちぼうけくらってたんです』


 ——大斜駅は1時間に1本くらいだもんね。


『そうなんですよ。で、待ってたら等々力くんが駅の反対側のホームにやってきたんです』


 ——それは本当に等々力だったのかな?


『間違いないです。あんなイケメンなかなかいないですし』

『あっでも私は鷺原先輩の方が好みです』

「ぇズル! それ言ったら私もそうです! 好きです先輩!』


 ——うそ〜? 嬉しい〜。マジあげみィ〜。……で、等々力はその後どうしたの?


『普通に電車乗って行っちゃいました。西島駅行きの特急』

『なんでそんなん覚えてんの?』

『えぇ? 普通するでしょ、同じ電車に乗り込んで痴漢から助ける妄想。妄想にはリアリティが重要なんだよ?』

『うわー……引くわァ』


 ——特急ってことはしばらく駅には停まらないよね、確か。


『そうですね20分は停まらないですね』


 ——OK。もういいよ。どうもありがとう。




 僕は動画を停止して、諭すように虻川に言う。


「分かったろ? 等々力に犯行は不可能だ。大斜駅と北大斜駅は線も違うし、直線距離でも10キロ以上離れている。大斜駅で目撃されている等々力は犯行時間までに北大斜駅に行くのは不可能なんだよ」


 これで等々力の無実は証明できたはずだ。

 このスマホを見せるまでが勝負だと思っていたので、僕はホッと胸を撫で下ろす。

 スマホを見せる前にボコボコにされたら、どうしようもなかった。いかにボスである虻川と対峙する状況を作るか、これにかかっていたのだ。













 ところが、虻川は鎖のネックレスをジャラリと鳴らして傷みきった髪の毛をかきあげ、笑った。


「あはっ、あはははは、あはははははははっ!」


 ひぃひぃと腹を抱えて笑う虻川は、涙を指で拭いながら「あー面白い」と呟く。


「お前、鷺原とか言ったか? ぷっくく、ずいぶん熱心に調べ上げたみたいだな。ウチらの動く理由から、等々力のアリバイまで」


 虻川が一歩ずつ僕に歩み寄る。

 後退りたい気持ちを押さえて、虻川を見据える。

 彼女の三日月型に歪んだ目は嗜虐的な悪意に満ちていた。


「でもなァ」


 ついに僕の目の前まで辿り着いた虻川は、僕の首を片手で掴み軽々と持ち上げる。


(息が……!)


 自分の首の血管が浮いているのが分かる。

 目が飛び出るのではないかという程の圧を眼孔に感じる。

 虻川は嬉しそうに笑うと僕の顔を観察しながら、ゆっくりと言った。



















「そんなこと、知ってるんだよ。初めから」

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