第23話 8切り

【side桜井桃香さくらい ももか



 木の香りに包まれた温かいダイニング。

 テーブルについていると、栗栖がインスタントのホットコーヒーを淹れてくれた。

 一口含むと、濃すぎる苦みに眉が寄る。


(あの子、分量テキトーに入れたわね……)


 私たちは学校に報告し、110番通報をした後、「とりあえず落ち着きましょう」という栗栖の提案を受け、寮で待機することにした。

 苦すぎるコーヒーをテーブルに置き、「で」と口火を切る。


「あなた、どこまで調べたわけ?」




 栗栖が薄く笑った。




「全部」






 沈黙の中、換気扇の音だけが鳴り続ける。

 栗栖は私を観察するようにじっと見つめていた。

 そしておもむろに口を開く。















「……8切やぎり」








 同時に手刀で水平に空を切った。

 意味不明である。








「…………は?」






「だからっ。8切やぎり」またも栗栖は手刀で空を切る。というか、『8切やぎり』だけ渋い声で言うのやめてもらえないかな? なんかムカつく。




「はい、じゃあ重い話は流してェ——

「——おいこら。人が大事な話してんだから、勝手に場を流してんじゃないわよ」


 どうやらトランプの大富豪における『8切やぎり』らしい。場を流して仕切りなおすカード。


「だって、先輩の過去なんてどうでもよくなっちゃったんですもん」

「何ぶっちゃけてんのよ! はっ倒すわよ?!」


 栗栖は私の苦言すらも『8切やぎり」と流して、続ける。いったい何枚『8切やぎり』持ってんだ。







「とにかく。今、できることをしましょうよ」

「何よ、できることって。もう110番通報はしたし、悔しいけど、これ以上私たちにできることなんて……」

「まぁそうですね。私たちにはないですね」


 栗栖はあっさりと認めた。何が言いたいのかイマイチよく分からない。


「でも」と栗栖が誇らしげに笑う。「真先輩なら、何とかしちゃうと思うんですよ」


 そう言って栗栖は笑みを一層深める。



「だ、ダメに決まってるでしょ!」私は反射的に叫んでいた。「男の子にあんな危ない連中を相手にさせるわけにはいかないわ! ただでさえ鷺原くんは無茶する子なんだから」


 意図せずして少し声が強まる。

 鷺原くんにそんなことさせるなんて、とんでもない。


「はい。私も彼が危ないことをするのは望むところではありません。でも、場所を特定する能力は彼の右に出る者はいませんよ?」


 なるほど。…………うん?

 えー……っと?

 鷺原くん、そんな能力あったっけ?

 鷺原くんがその能力を発揮しているところを見た記憶がない。

 女ったらしにおいては確かに右にでるものはいない。

 だが、『探偵み』についてはからっきしと言わざるを得ない。


「今『鷺原くんに名探偵は無理。身長がコナン君に近いだけで脳みそは小五郎以下』って思いましたね? これがメンタリズム」

「いや、そこまでエグいディスりはしてないわよ」


 好き好き言っている割に栗栖の方が100倍ひどいことを言っている気がする。





「でも思い出してみてください。体育館での襲撃の時、異変が起こることをいち早く察知したのは誰ですか?」





 鷺原くんだった。

 どんな方法を用いたのかは分からない。分からないけれど、ドンピシャのタイミングで体育館に行き、クレッシェンドから逃げられるよう尽力したのは確かに彼だった。

 鷺原くんは私では考えもつかない方法で独自に動いているのは確かに明らかである。





「もちろん真先輩にはあくまでトドゴンが拉致された場所を特定してもらうだけです。後のことは私たちでなんとかしましょう」


 何か知らぬ間に鷺原くんを頼ることで決定した流れになっている。

 栗栖が「さあさあ」とテーブルに置いていた私のスマホを取って、渡してきた。


 ——というか、


「なんで、あんたが連絡しないのよ」


 普段なら私なんかに相談しないで悲劇のヒロイン気取りで自分が鷺原くんに助けを求めそうなものだ。

 少なくとも、その役を私にやらせたりは絶対しない。

 怪しすぎる。


 栗栖が唐突にシュンと俯いた。

 なんだなんだ。また鷺原くんにフラれたのかな?

 





「メッセージ連投しまくり過ぎて1か月着拒&ブロックの刑に処されました……」


 眉を歪めて悲しそうにうなだれた栗栖は容姿が整っていることもあって、はかないヒロインそのものなのだが、やっていることはただのストーカーである。



「何やってんのよ、アンタ……」









 私はスマホを操作して鷺原くんにメッセージを送った。

 栗栖はそれを見届け「これでよし」と胸の前で手をグっと握る。





 でも、やっぱり何か不自然だ。





 あの計算高い栗栖が『真先輩なら、なんとかするだろう』なんて考えで、想いを寄せる鷺原くんを危険にさらすだろうか。






 いや、ない。

 こと鷺原くんに関しては過保護すぎるくらいの過保護だ。保護が過ぎるから過保護なのにそれすらも過ぎている。それほどの過保護。

 その栗栖が何の考えもなしに、鷺原くんを巻き込んだりするはずもない。







 間違いない。栗栖は何か知っている。







「栗栖。できることがもう一つあったわ」さりげなく席を外そうとしている栗栖を呼び止める。彼女の笑顔が固まる。







「あなたが知っていることを今ここで洗いざらい吐きなさい?」







 私が栗栖の腕を掴もうとするとシュッと横から水平にチョップが飛んできた。

 栗栖の指先が私の鼻をかすめる。










 そして栗栖は叫んだ。












8切やぎり!」


 栗栖は自室に逃亡した。

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