第22話 救い
【side
怒号は仲良し寮のある裏庭の入り口まで聞こえた。
5月に入っても日が暮れれば風はまだ冷たい。
冷え切った澄んだ空気が悪意に満ちた笑い声に汚染される。
(寮で何かあったんだ)
私は頬に凍てつく風が当たるのも構わず、出し得る最速のスピードで寮へと駆けた。
寮に着いた時、私を迎えたのは結束バンドで両手を封じられた等々力くんと、彼の腹を執拗に蹴とばす金髪女子だった。
金髪女子は、いけた花のように盛りに盛った金髪を揺らしながら、足を振りかぶって振り子のように等々力くんに打ち付ける。そしてまた振りかぶり、を繰り返す。
寮の出入り口のすぐ外で、等々力くんは横たわっていた。
等々力くんを取り囲むように金髪女子と、もう2人ド派手な髪型の女子が立っている。
等々力くんは、意識はあるようで、小刻みに震えてうずくまる。
理不尽な暴力に成すすべなく虐げられる等々力くんとは対称に、金髪女子たちはまるでゲームでもするかのように楽し気に笑う。
人を傷つけることを、毛先ほども悪いことだとは考えていない笑みだった。彼女らにとっては、きっとこれは日常なのだ。
金髪女子は私に気付くと「邪魔しないでくれれば何もしないっすよ。会長」とニンマリと笑う。
私は膝が折れ、しゃがみ込みそうになる。足が震えているのだとようやく気付いた。
横たわった等々力くんの腹部に蹴りが入る度、消えゆくロウソクの火のように徐々に彼の動きが弱まっていく。
死んでしまうのではないか、と焦燥にかられるが、足がすくんで、体は一向に動かない。
「もうそろそろ良いっす。やり過ぎるなって言われてるっす」
「なんだ。これから楽しくなるところだったのに」
「ボロ雑巾を連れていっても
「まぁそうだな。今回はお前の手柄だからな、従うよ」
金髪女子は剃り込み女子の言葉に一つ頷くと、等々力くんの後ろ襟を掴み、彼を引きずってそのまま中庭を横断しようとする。
行ってしまう、という危機感がかろうじて私を動かした。
「ま、待ちなさい!」
私の制止に3人が同時に振り向く。
私には、その6つの眼孔に殺意がはめ込まれているように見えた。
「あ゛ぁ?」
1人、剃りこみ女子が私に歩み寄ってくる。
血の気が引く。手が異様に冷たい。
彼女は私の前までやってきて、私の首元のリボンを掴み、捻り上げた。
「何か言ったか?」
彼女たちを説得しようと思っていたが、声を失ったかのように言葉が出てこない。
剃りこみ女子が右の拳を固く握り締め、肩まで引き絞る。
殴られる、そう思い固く目を閉じて顔を背ける。
「放っておくっす」
金髪女子がそう言うと、剃りこみ女子は振り上げた拳を下ろし、あっさりと私を放して去って行った。
私はぺたりとその場に座り込み、もう立ち上がることはできなかった。
仲間を連れ去っていく不良をただただ見送る。
頬をなぞるように一つ涙が落ちた。
それは、恐怖なのか安堵なのか、あるいは無力な自分への怒りからくるものなのか。自分でも分からない。
「また…………助けられなかった……」
無意識に呟いた自分の言葉が、感情のせきを取り払った。
スカートが無念の雫に濡れる。
これ以上涙を溢すまい、とまぶたを閉じると、両目からまた伝い落ちた。
何故、あの時動かなかったのか。
拳を固く握る。
もう同じ過ちは二度と繰り返さないと、そう決めたはずだったのに。
3年前と何も変わっていない。
結局は自分が可愛いのだ。
自分の安全のために、仲間を見捨てた。
私は最低だ。
外灯がテンテンと何度か点滅してから、明かりが点いた。
眩い光が辺りを照らす。
それと同時に、寮の出入り口から小さな息遣いを感じた。
そっと目を開ける。
歪んだ視界の中、目に入ったのはミルクティー色の髪の毛をふんわりセットした小さな後輩。
栗栖くるみがドア枠に寄りかかって立っていた。
その表情はいつもと全く変わらない。何かを企むような含みのある笑顔。
「桃香先輩」と私を呼ぶ。
「まだできることはありますよ」
栗栖が私に歩み寄った。
剃りこみ女子のそれとはまるで違う。
人が歩み寄るというのは、絶望にもなるし、救いにもなる。
栗栖は救いそのものだった。
「トドゴンの件は今起こっていることですから。椿さんの件とは根本的に違います」
彼女が手を差し伸べるが、私は応じられなかった。
椿の名前が栗栖から出るとは思わず、動揺が思考を邪魔して反応が遅れたのだ。
すると栗栖は勝手に私の手首を掴んで、引っ張り立たせた。
「…………知っていたの?」寮生に椿のことを話したことはない。
栗栖は全く悪びれることなく、「ふふん」と笑う。
「恋敵の情報は徹底的に調べ上げてますから」あごを上げたドヤ顔で、いつも通りバカな戯言を吐いた。
「誰が恋敵よ……」
ほとんど反射的にため息の混じった声が漏れた。
涙はとうに止まっている
どうやら、ここの寮生は私をゆっくり泣かせることもさせてくれないらしい。
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