第21話 頭のおかしい迷探偵
【side
一枚板の木製ダイニングテーブルに参考書とノートを広げて、数学の公式をじっと見つめた。
しっとりとした木の芳香は天然のアロマディフューザーだ。
リラックス効果はあるのだろうが、今の俺には焼石に水。とても落ち着いてなどいられる状況ではない。
シャープペンを持つ手はノートの上にとりあえず残置され、まだ今日は働いていなかった。
登校の代わりに課された課題は山のようにあったが、頭では別のことを考えている。
(はァ…………バスケしたい)
一体いつまでこんなコソコソとした生活が続くのか。
未だクレッシェンドに表立った動きはない。
体育館の一件から、俺はこの『仲良し寮』に匿われていた。
ここは思ったより悪くない。
生徒会長は怒りっぽいが常識は備わっているし、非常識の塊である栗栖もセクハラの対象は鷺原にのみ向かっているので俺に実害はない。
学校が期待しているようなピンクな事態に陥っている様子もない。いたって健全だった。
問題はバスケができないことだ。
せめてリビングにゴールネットを設置できればまだマシなのだが、生徒会長に『ダメに決まってるでしょ!』と一蹴されてしまった。この生徒会長は堅物が過ぎる。
「ただいまァー」重厚な木目調の扉が元気な声とともに勢いよく開く。
栗栖くるみ。
頭のおかしい後輩が帰ってきた。
「あっれ? トドゴンだけですか?」もはや俺に対しては『先輩』すら付けない。舐め腐った後輩である。
「ああ。生徒会長は生徒会の仕事だとさ」
「そんなことどうでもいいんですよ」お前が聞いたんだろ。本当に舐め腐った後輩である。「真先輩は?」
結局はそれが知りたかっただけっぽいな。
「白金のところに行った」
「またですかァ?! ちょっと真先輩、この頃あの引きこもりに構いすぎじゃないですか?!」
「一応お前の先輩だぞ白金も……」誰に対しても舐めた態度だなコイツ。
栗栖は地団駄を踏んで、ひとしきり憤慨すると「でも」とこちらにトコトコと歩み寄る。
そして机上の俺のノートを勝手に閉じると、栗栖はしゃがみ込んで、座っている俺に目線を合わせた。
「トドの
眉毛をふよふよ上下に動かして上目遣いで俺を見る。
「何がだよ。てか妙なあだ名を増やすな」
「ガネっちですよ。女ったらしの真先輩のことですから。放っておいたら、本当にガネっち、入寮しちゃいますよ?」
栗栖はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。コイツ俺が白金の告白を断ったと知ってて言っているのか?
「……
俺の言葉を聞いて栗栖はその意地の悪い笑みをより一層深めた。
「やっぱり! そうだと思ってたんですよぅ」栗栖が手のひらを合わせて、ぴょんの跳んで立ち上がる。
「カマかけたのか……?」
俺が睨みつけると、栗栖は全く臆することなく、チロリと舌を出して一つウインクした。ここまで舐め腐っていると、いっそ清々しい。
栗栖は俺に背を向け、後ろ手を組んだまま、ゆっくりと歩きながら語り出す。まるで出来の悪いサスペンスの探偵役だ。
「学校側が何の理由もなく第二の男子にトドゴンを選ぶわけないと思ってたんです。何か理由があると仮定すれば、それはガネっち絡みである可能性が高い」
「生徒会長絡みの可能性だってあるだろ」俺の指摘をフンと鼻で笑いとばす。
「まず有り得ませんね。学校側が忖度するのは大財閥の娘であるガネっちか、議員の娘である私くらいです」
本当に腐ってるな、この学校。
「私はトドゴンと何の因縁もありませんので、消去法でガネっちがトドゴンと浅からぬ関係、というわけです」
この栗栖という後輩は頭がイカれてはいるが、切れもする。
生徒会長もよくキレるが、それとは全く別物。あれはただ怒りっぽいだけだ。
雀の涙程の情報でよくここまで特定できるものだ。
「で、どうなんです? そんなに激烈にフッたんですか?」いつの間にかウロチョロムーブから戻ってきたのか、栗栖がテーブルに身を乗り出し、キラキラした瞳を俺に向ける。失恋話を聞く人間の目ではない。本当に良い性格をしている。
「別に普通だ」
「なァ〜んだ、つまんない」興味を無くしたのか、栗栖がテーブルから身を離した。
普通、で当たり前だ。俺は栗栖と違って最低限の常識くらい持ち合わせている。
「面白いわけがないだろ。俺はただ『死ね』っつっただけなんだから」
栗栖がガクッとずっこける。
「『死ね』と言ったんですか?!」
「ああ。あと『ゴキブリに告られたら誰だってこんな反応になる』とも言ったっけか」
言った直後に栗栖に腹を殴られた。
グボェ、とヨダレが垂れる。
力強ォ……! 女子って皆こんなにパワフルなのか?!
男子が勝てないわけである。
「あんたは鬼か! フラれるだけでもショックなのに、なんてむごいことを! そりゃ不登校にもなりますよ!」
「ま、待て。誤解だ。俺は白金だけじゃなくて、ちゃんとお前らのことも『ゴキブリ』だと思って——グボァ!」再び腹を殴られる。
「殴りますよ?」
「……殴ってから……言うな……!」
とんでもない暴力ゴキ娘である。ゴキジェットがあったら吹きかけているところだ。
栗栖はもう用はないとでもいうように、挨拶もなしに自室に帰って行った。
リビングで引き続き『オエオエ』とえずいていると、玄関扉がコンコンコンコンコンとノックされた。
畜生。なんだってんだ。こっちはそれどころじゃないってのに。
俺は扉を開いた。
この後、何が待っているかも、知らないで。
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