第9話 アーモンドクッキーが好きな奴は大抵空気読めない

 

 3階の中央階段前は、友達同士で下校する生徒や、急いで部活動へ向かう生徒がまばらに流れていた。

 階段前の少し広がったスペースは、大抵の場合は軽音楽部がたむろしている。

 今日も女子の甲高いはしゃいだ声が一帯に響く。

 彼女らはギターケースを抱きかかえて、消火器と火災非常ボタンが一体となった赤いボックスの前にしゃがんでいた。パンツは見えそうで見えない。


「え〜鷺原くんって、ちょい悪女子が好みなのォ〜?」黒髪を部分的に赤く染めた女子が、髪型に似合わないデレデレの顔で言った。

「それってぇ、私たちみたいな?」もう1人の女子がすかさずアピールする。彼女は耳に大量にこさえたピアスを指でいじりながら少し頬を染める。

 ちょい悪というより、バンドマン、もとい、バンドウーマンという感じだが、彼女たちの自己評価は『ちょい悪女子』なのだろう。

 僕はテキトーに話を合わせた。


「そうそう。ちょっと悪いのがたまらないよねー。綺麗な花にはトゲがあるって言うじゃん? あ、トゲ発見」

 そう言いながらバンドウーマンたちの横パイをツンツンとつつくと、彼女らは「きゃーっ❤︎」と矯声をあげて、胸を抱えて半身に体をひねるが、表情はむしろ喜んでいるように見えた。




 唐突に、ミルクティー色のミディアムボブが視界の横からスッと割り込み、それとほぼ同時に腹に鈍痛が走った。


「ぶごぉっ!」と肺の中の空気が押し出された。何者かのボディブローだと一瞬遅れて理解する。


「真先輩。ちょっと」その何者かは僕の手首を掴み立たせると、そのまま階段下まで引っ張って降りた。

 軽音女子の残念そうな顔に見送られて僕らはその場を去った。





 一階の昇降口まで来ると彼女はようやく止まり、こちらに振り向く。


「まったく。何遊んでんですか、真先輩! 遊ぶなら私でどうぞ」栗栖は両腕を広げて僕の抱擁を待つ。


「おま……力強っ……!」


 未だ僕の腹に滞在している鈍痛くんに手を当てながら、栗栖を睨んだ。

 僕より身長が低く、華奢な体躯たいくの栗栖のどこにあんな力があるのか。

 あの一撃は世界を狙える威力を誇っている。

 こいつは怒らせない方が良さそうだ。いつか撲殺されるから。

 腹が回復してから、僕らはそれぞれ靴を履き替え、共に学校を出た。




「ところで、その白金しろがね先輩ってどんな人なんですか?」


 僕らは今、白金宅へ向かっている。『仲良し寮』での話し合いの結果、僕と栗栖が白金さんを、桃香先輩が等々力とどろきくんを説得にあたると決まったからだ。


「さぁな。顔さえ知らん」本音だった。女子の質問には本音以外の返答は不可能だ。

「先輩、同じ学年ですよね……。他人に興味なさすぎません?」

「興味はあるさ。可愛い女子なら。でも、白金は可愛いかどうかすら不明なんだから興味を向けようもないだろ」僕が転入して来たときには既に白金は不登校だったのだから、会ったことすらなくて当然だった。


「じゃあ私には興味深々ですかっ?」栗栖が目を輝かせて身を乗り出す。

「そりゃァな。お前飛びぬけて可愛いからな」呪いが働く。栗栖が可愛いことは疑いようのない事実だ。自分で自分を『可愛い』と評価していても何らおかしくはない。むしろ自覚していない方が嫌味だとまで言える。


「…………ぇへへ」栗栖は自分を抱きしめるように腕を抱えて、だらしなくにやけた。首から耳まで真っ赤である。

 一度告白を断られ、あろうことか『好きではないけどセックスはしたい』と侮辱された相手に——僕に侮辱するつもりはなかったのだが——よくもまぁ再び好意を向けられるものだ。






 白金宅に着くと、使用人らしき女性に迎えられた。


「鷺原様と栗栖様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」


 促されて中に入るとかねの暴力が僕らを待っていた。

 おそろしく広い玄関に、キラキラとまぶしいシャンデリア。

 床は鏡のように磨かれた大理石の上に高そうな絨毯じゅうたんが敷かれている。


「外観も大概だが、中もヤバいな」金持ちってなんで経済力を誇示したがるのか。裏稼業の者に目を付けられるだけなのに。

「え、何がですか?」同等の金持ちは疑問すら抱かなかったようだ。


 応接間に案内されると、これまた高級そうなソファを勧められ、紅茶と菓子でもてなされる。

 栗栖が遠慮なくパクパクと、沢山ある種類の菓子から特定の菓子だけを殲滅せんめつさせていく。アーモンドクッキーが好きなのは分かったが、そればっか食うなよ。僕のも残しておけ。

『失礼』の塊である栗栖は放置して、僕は立ち去ろうとする使用人を呼び止めた。


「白金かな子さんの状況は、どんな感じですか?」


 使用人はゆっくりと振り向く。その顔からは感情が読み取れない。

「かな子お嬢様は、ここ数か月部屋から出てくることすらありません」


 引きこもりか。面倒な限りだ。


「でも、トイレとか風呂とかで出てきてはいるんでしょう?」

「いえ。かな子お嬢様の部屋はトイレも浴室も備え付けられておりますので。食事は扉の前においておくとお召し上がりになります」


 となると、張り込み作戦もあまり期待できないな。


「それならご飯を取りに出てきたところを確保しましょうよ先輩」栗栖がサクサクと音を立てながら、提案する。食べるか喋るかどっちかになさい。


「だが、それで食事も取らなくなったらどうするよ。最悪命にも関わるから不用意に待ち伏せは良くないかもしれんぞ」


 聞いているのかいないのか、栗栖はコーラでも飲むかのように、腰に手を当て高級な紅茶を一気飲みした。ぷはぁっとカップをテーブルに置いてから栗栖が答える。


「その時はその時ですって」

「おいこら、お前、家の人の前だぞ。口を慎め」

「慎んでコレです」ついに栗栖が最後のアーモンドクッキーを摘み、「あーん」と口を開けて放り込もうとしていた。

「終わってんなお前」栗栖のアーモンドクッキーを奪い取って一口に食べる。サクっと小気味良い音がして、アーモンドとバターの香りが口いっぱいに広がった。



 栗栖が「あァァアア!」と叫び、涙目でポカポカ肩を叩いてくる。その一発一発が青あざができそうなほどの高火力な一撃であった。マジで痛い。やめて。


「もう一つ聞いてもいいですか?」栗栖を脇に除けてから使用人に声をかけた。

 情報収集。これが何よりも大事だ。

 全く何も知らない現状では説得も何もない。情報が勝敗を左右する。詐欺と一緒だ。

 いくら顔が良くて、喋りが巧みでも、事前情報が足りなければ女を落とすことも金を引っ張ることもできないのだ。




「そもそもなんでかな子さんは引きこもりがちになったんですか?」原因が分かれば解決も容易い。シンプルな理由でありますように、と願いながら聞く。

「お嬢様は何もお話しになりませんが、私共で調べたところによると——」


 使用人は眉を寄せて深刻そうな顔を作った。

 余程、複雑な事情があるのだろう。耳を澄ませて、心して言葉を待った。



















「——どうやらお嬢様は失恋したようなのです」








 ……………………はぃ?





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