第10話 『死ね』ってそれ流行ってるわけ?

【side桜井桃香さくらい ももか


 正門の傍らで学校敷地内から出てくる生徒たちを注意深く観察する。

 1年女子の2人組が駆けてくる。

「もう無理だって! 間に合わないって! 大斜駅だいしゃえきまで何キロあると思ってんの?!」三つ編みの女子が泣きそうな顔で前を走る短髪女子を止めようとする。

「まだ間に合うよぉ! 3キロくらいでしょ? 5分で3キロ走るだけじゃん」

 留まることなく門を通り抜け、走り去っていった。

 電車の時間だろうか。5分で3キロは絶対無理だと思うが。

 心の中で密かに応援しながら再び敷地内に目を向ける。

 下校時間になって間もないからか、まだぽつりぽつりと時々人が通るくらいだ。

 例の彼はまだ来ていない。


(まったく。なんで私が等々力とどろきくんの方なのよ。男子同士でかたをつけてもらいたいものだわ)


 仲良し寮でのやり取りを思い出す。



 ♦︎



「じゃァ僕は白金しろがねさんの家に行ってみますよ」


 珍しく鷺原くんが自ら提案をした。

 だが、私としてはその提案には異を唱えざるを得ない。


「男の子が一人で女子の家に行くなんて、ダメに決まってるでしょ!」

「嫉妬ですか?」

「……殴るわよ?」


 鷺原くんはガタタッと椅子を少し後ろに引いて私と距離を置いた。


「確かに真先輩を一人で女子の家に行かせるのは私も反対です。そんなことさせたら真先輩、垂らすに決まってます」栗栖さんがうんうんと頷きながら私に賛同する。

「垂らすって何をだよ。鼻血? 精子?」

「女です。女ったらしです」


 鷺原くんは可愛い女の子とあれば、とりあえず思わせぶりな態度を取るため、女子からは『歩くハニートラップ』と呼ばれ、男子からは『ビチグソ』と呼ばれている。つまるところ、栗栖さんの言う通り、ただの女ったらしなだけなのだが。


「じゃあ、鷺原くんは等々力くんの方をお願いしようかしら」


 男の子同士なら話しやすいし、共感できる部分もあるだろう。

 ぴったりの采配である。

 ——だが、しかし、


「僕やだ」


 それだけ言うと鷺原くんはプイッと顔を反らせて、「ツーン」と口頭で効果音を言う。子供か! いや子供でも効果音を口で言ったりしないと思う。


結婚詐欺師アカサギの僕に、野郎を相手にしろっての?」鷺原くんはヤレヤレと肩をすくめてみせる。なんかムカつく。てか、アカサギって何だし。

「アカギレ大丈夫ですか? 私絆創膏持ってますよ?」栗栖さんがトンチンカンな心配をするが、無視されている。ちょっと可哀想だ。


「僕一人でダメなら桃香先輩が僕と一緒に来てくださいよ」鷺原くんがニコッと人好きのする笑みを私に向けた。




 ……………………。




 こういうところがズルいのだ、彼は。

 だがまぁ、そういうことなら、


「じゃ、じゃァ私も一緒に——

「——ツゥゥゥウウウウン!」栗栖さんが大声量で『ツーン』を叫ぶ。いやだから、『ツーン』は口で言うものじゃないんだって。


「……私やだ」


 だから、子供か! プイッと顔反らしてんじゃないわよ!

 何コレ?! やだって言えば回避できるシステムなの?!


「やだやだやだァ! 真先輩と一緒じゃなきゃヤダぁあ!」


 栗栖さんは駄々をこねながら、なぜか私のスカートをめくろうと襲いかかってきた。


「ちょォオああ?! なんでめくる?! ちょ、やめ! 力強ォ!」


 必死に抵抗するが栗栖さんの馬鹿力にスカートがかなり上までまくれる。


「ほほぅ。緑……いや薄緑。桃香先輩は淡い色が好き、と」鷺原くんが真剣な眼差しで考察を開始する。

「やめてェ! 見ないでェ! 分かった! 分かったからァ! 栗栖さん、分かったからァァ!」


 こうして、私は等々力くんの説得に一人駆り出されることになった。


 ♦︎



 生徒の往来が徐々に増えてきた頃、ようやく待っていいた人物の顔を見つけた。

 赤い短髪をワックスで固め、前髪を上げている彼は、まるで起こしたての種火のようだ。

 身体は細いが、身長は高い。高身長の男子というのも珍しい。

 大抵の男子は女子より背が低く、小太りだ。鷺原くんや等々力くんのような男子はまぁモテるだろうな。


「ちょっといいかしら」なるべく警戒されないように意識的に笑顔を作って声を駆けてみる。


 ——が、


「死ね」


 やっぱりね。

 完全にナンパと勘違いされている。

 男子はナンパされ慣れているため、声をかければまず「死ね」と返すのが常識だ。嫌な常識である。


「違うの。ナンパじゃないの」なんとか誤解を解かないと話もできない。

「ナンパビッチはみんなそう言うんだよ。死ね」取り付く島もない。語尾が『死ね』になっている。

「違うっての! 私は生徒会よ。生徒会長、桜井桃香」ちょっと役職を笠に着るみたいで嫌だけど、この際致し方ない。等々力くんは『死ね』こそ言わないが、明らかに訝しんでいた。


「……生徒会が俺になんのようだ。…………死ね」


 言ったよ。結局『死ね』言ったよ。


「私はあなたを『仲良し寮』へ入居させるために来たの。あなた選ばれたの知ってるんでしょ?」


 等々力くんは少し意外そうな顔をしてから、ハッと鼻先で笑い捨てる。


「知ってるさ。あそこが行く価値もないところだっていうこともな。学校公認のヤリ部屋だろ? 俺はそんな臭いところ行かねェから」


偏見甚だしい。だが、そう思われても仕方ないだけの環境であるのは確かだ。実際、学校もそれを期待して、こんな制度を作ったのだろうし。


「私も寮生なの。私がいる限り、そんないかがわしいことさせないから安心して」

「ふーん。あんたも……。そんなスケベな生徒会長だとは存じ上げませんでしたよ。死ね」


 だァめだ! 偏見の塊である。

 こんな生意気な男子、どうしたらいいっていうのよ。鷺原くんが可愛く見えるレベルだわ。

 等々力くんが立ち去ろうとした瞬間、背後からバスケットボールが飛んできて、彼の背中にぶつかった。

等々力くんは前方によろけて、膝をついた。


「ははは、等々力。お前まだ学校にいたの? 壁かと思ったぜ。悪りぃな」


 中肉中背の黒の長髪男がドカドカとやたらゆっくり歩いて来てボールを拾った。

 その背後には2人の小太り男子の取り巻きがゾロゾロと長髪男に続く。

 等々力くんは舌打ちをして長髪男を無言で睨んだ。


「何その目。俺謝ったよなぁ?」取り巻きに同意を求めて振り返る。

「うん。竜也は謝ってたよ。大体、そんな紛らわしいところに立ってる等々力が悪ぃんだよ」


 見たところ、男子バスケットボール部のようだ。部活動紹介のしおりで見たことがある。というか、ボール持っているし。

 とにかく、これは見過ごせない。


「あなた達ねェ! 謝ればそれで良いってわけじゃないでしょ!」


 彼らは睨みを効かせ、威嚇する。

 代表して長髪男がゆっくりと口を開いた。


「死ね」


 どいつもこいつもぉォオオ!

 こんなのばっかり相手にしてたら、鷺原くんが天使に見えてくるよ。鷺原くんは変態だけど、決して私の悪口は言ったりしない。変態だけど。

 長髪男たちは私の叱責は『死ね』の一言で片付け、再び等々力くんに注意を向ける。


「よかったな、等々力。正義マンに守ってもらえて。その勢いでバスケ部やめて正義マンに嫁いだらどうだ?」

「ははは、そりゃ良い。バスケ部も邪魔者が消えて、楽しくなるしな」

「それいいなァ! そしたら土日は体育館で麻雀しようぜ」

「それ体育館でする意味あんのかよ」


 一行は気が済んだのか、品なく笑いながら取り巻きを先頭に歩き出す。


「帰り、ゲーセン寄らね?」

「おぉいいね。北大斜駅前のとこにしようぜ。新台出たんだよ」


 取り巻きが校門を抜けると、最後に残った長髪男がゆっくりと歩みを進めた。

 そして等々力くんの横を通る際に一言吐き捨てる。


「バスケ部にお前の居場所はねぇよ」


 そのまま北大斜駅に向けて、去っていった。

 等々力くんは膝をついたまま、長髪男を睨みつけていた。

 私は等々力くんに駆け寄り、声をかける。


「……等々力くん——


「——失せろ」等々力くんが静かに言った。凍ったナイフのように鋭く冷たい声で。



 等々力くんは何事もなかったかのように立ち上がると、バスケ部とは反対方向の大斜駅に向けて歩いて行った。

 私はその背中をただ見送ることしかできなかった。






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