第3話 尻の発展と今後の展望
古びた靴箱が備え付けられた玄関には僕の靴1足だけが左右揃えられて置かれている。
上がり
鏡には背の低い黒髪天然パーマの眠たげな少年が写っている。
(なんでこんなガキンチョなんだよ……それも、死んだ魚みたいな目をした)
これが今の僕だ。
ロリ神が用意した体なのだろう。
この世界へ強制送致され、目が覚めた時にはこの姿で病院のベッドに横たわっていた。
道端に倒れていた身元不明の男子高校生だそうだ。
何故かポケットに入っていたパスポートにより
いつ亡くなってもおかしくない状態からの、突然の回復に医者も驚いていた。
今は市の所有する空き家に住まわせてもらっている。
僕は古びた革の臭いがする昭和感溢れる玄関を後にした。
新鮮な空気と日の光が僕を取り囲む。全く鬱陶しい限りだ。
まとわり付く春の花の匂いにうんざりしながら、門を開ける。
僕は公立の共学高校に編入することになったらしい。
らしい、というのは、全て僕の頭越しに勝手に決まったことだからだ。
世界的にその数が減少傾向にある『男子』だからか、それなりに高い偏差値の学校に試験なしで編入できた。いわゆる裏口入学というやつだ。
罪悪感はない。
あっちの世界ではもっとヤバいことを数えきれないほどしてきたのだ。
裏口入学くらいなんだと言うのだ。
公道に出ると、一人の少女が電信柱の横で所在なさげに誰かを待っていた。
ミルクティー色の優しい色合いの髪の毛は見ているだけでふんわりクリーミーな香りがしてきそうな上品さを兼ね備えたミディアムボブ。
首から下げた学校指定のリボンを整えたり、前髪をいじったりと落ち着きがない。
僕の『命の恩人』だ。確か名前は
彼女はこちらを見るなり「ぁ」と小さくこぼしてから、駆け寄って来る。
「おはようございます。偶然ですね。体はもう大丈夫なんですか?」
(いや絶対偶然じゃないだろ……)
「あ、ああ。おかげさまでな」
彼女は倒れていた僕を見つけ119番通報をしてくれた『命の恩人』……ということになっているらしい。
実際には救急搬送されなくてもロリ神の力で勝手に目覚めていたのだが、周りにはそんな事情は知る由もない。
「でも、同じ学校に転入してくるなんて知らなかったです! なんか嬉しいなァ」
嘘つきだ。
彼女は嘘つきである。
昨日僕に入学手続き諸々を教えてくれた市の職員さんから、
『いやァ、議員の娘さんですからねェ。色々と面倒だから承諾したんですよォ』とは職員さんの弁である。おい、市の職員がそれで良いのか。
自然な流れで、一緒に登校することになっていた。
肩の当たりそうな間隔で並んで歩く。
「それでですね、その時私が言ってやったんですよぅ――」
他愛も無い雑談に屈託のない笑顔。
人懐っこく愛嬌のある彼女に、僕も少し気を許しつつあった。
道路標識が消えかかった道路と、ブロック舗装の歩道との間には、一定間隔で桜の木が植えられている。
咲き誇る桜から目を背けるように、舗装された道と栗栖さんの笑顔だけを視界に収めて歩く。
すると、唐突に栗栖さんが転んだ。何もないところで。
僕も元の世界ではごく稀に使う手法だから、見ればすぐに分かった。演技だ。
転ぶフリをする栗栖さんは、咄嗟に近くのものにつかまった
押し付けられる控えめな胸は、それでもやはり女子である。愛の塊と言っても過言ではない柔らかさがそこにはあった。
「ゃーんっ、滑って転んでテヘリンコぉっ❤︎」
もはや大根役者というレベルではない。
全く演技する気ないだろお前。
よくこれでイケると思ったな?
栗栖さんは僕を引き倒すと、顔を僕の鎖骨あたりにコシコシと擦り付ける。
スーハースーハーと栗栖さんの荒く熱い吐息が首筋に当たってゾクッと身慄いした。
密着することで女の子の匂いをより強く感じる。柔らかいフローラルのような優しい香り。
今後、この子を駒として良いように使うのなら今のうちに魅了しておくのも悪くない。
僕はされるがまま、暴走している栗栖さんを放置した。
数分が経ち、そろそろいい加減、この変態な後輩を蹴飛ばそう、そう思い立った矢先。
「何してるの?」
背後からの突然の問いかけに僕と栗栖さんは同時に振り向いた。
そこには一人の上級生。
僕らと同じ制服を着て腕を組んで、ジャレ合う僕と栗栖さんをじっと睨むように見つめる。
彼女の淡い桜色の髪が風になびいてサラサラと流れると、男を惑わす
彼女は僕らの不埒なじゃれ合い――というか僕はただ襲われているだけなのだが――を不快そうに口を歪めて見下ろしている。
「何してるって…………前戯?」栗栖さんが首を傾げてバカなことを宣う。
「なんで通学路の往来でそんな不埒なことをしているのか、と聞いてるのよ栗栖さん」先輩が鼻先で冷笑した。どうやら先輩は栗栖さんのことを知っているらしい。
身を切り裂くような先輩の鋭い眼光に、すぐさま栗栖さんは僕から離れ、
「ちょっとォ、真先輩のエッチぃ。私はダメだって言ったのにィ……」いけしゃあしゃあとほざく。
「お前が勝手に抱きついて来たんだろうが」
ペロッと可愛らしく舌を出してウインクする栗栖さん。
その姿は大変可愛らしいはずだが、今は無性にイラつく。
先輩は僕に向き直った。
「栗栖さんがどうしようもない人だというのは知っているけれど――」
「ちょっと?! それはひどくないですか?!」栗栖さんは抗議するが相手にされない。
「――鷺原くんも鷺原くんだよ。何されるがままになっているの。男の子なんだから、もっと自分を大切にしなさい」
非難の視線に、僕は目を反らした。
というか、なぜ僕の名前まで知っているのか。
「まったく。こんなくだらないことを注意しに来たんじゃないんだけどな」
先輩はブレザーの右ポケットから銀色のカギを一つ取り出すと僕に差し出した。
受け取って、眼前で確認する。
それはなんの変哲もない普通のカギだった。
ディスクシリンダー錠のカギ。
ピッキングしやすいタイプだ。
仕事上、裏稼業の人との繋がりはそれなりにあったから、僕でもそれくらいは知っている。
「コレなんですか。同棲の申し込みですか」やれやれ困ったなァとわざとらしく肩をすくめて、先輩をからかう。
「ぇズルい!私が先ですよ会長!」何故か栗栖さんが真っ先に反応した。
「ち、違います! あなたが今日から暮らす寮の部屋の鍵です!」
先輩の頬が若干朱色に染まる。
「え、僕あの家にいられないの?」
引っ越すだなんてきいていない。ずっとあそこで暮らしていくのかと思っていた。
「あんな大きい一軒家に一人暮らしなんて、どう考えても不適切でしょう? あなたは監視の目がある集団寮で暮らしてもらいます」
なんだ。せっかく悠々自適の一人暮らしを満喫しようと思ったのに。
結局野郎だらけの男子寮かよ。
盛大にため息をついて黙っていると、視界の端で栗栖さんが「ほほぅ」と何故か満足げにうなずいているのが見えた。
先輩が今度はブレザーの左ポケットからスマホを取り出す。
「放課後、私に電話して。私が鷺原くんを寮に案内することになっているの」
互いにスマホを差し出し、連絡先を交換する。
新たに登録した連絡先には『
「あ、ズルいですゥ! 真先輩、私にも教えてください」勝手に僕のスマホを取ろうとする栗栖さんの額を押さえて下に沈める。
「じゃぁね」と細い指をそろえてひらひらと手を振り去って行く桃花先輩の後ろ姿を眺めて、僕は顎に手をやり集中して思考にふける。
(良い尻してんなァ)
もしこれが競馬なら迷わず全額投入する程の尻だ。
僕の周りを「ねぇ先輩先輩! 聞いてますゥ? 連絡先教えてくださいって。ねぇってば! せーんーぱーいっ」とうるさく飛び回る栗栖さんを無視して、僕はしばらくの間、『尻の発展と今後の展望』についての考察に励んだ。
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