第28話 新しい『夢』

「どうかしたか?」


 事務所について着替え終わってから、ずっと椅子に座っていることを訝しんだ小園に声をかけられた。

 ゆっくり見上げると少し困ったような顔をされ、心配してくれているのが伝わってくる。


「どうもしてないよ?」

「どうもしてないって顔じゃないけど?」


 話を聞こうとしてくれる小園に断って、「レッスンいってくる……」と、席を立った。ボイスレッスンなので、部屋に入るとそこにはアップライトピアノがあり、「お願いします」とピアノの前に座っている人に声をかける。ピアノの向こう側から顔を覗かせたのは社長であった。


「湊!」


 軽い調子で、「元気してたか?」なんて言ってくるのに対して、久方ぶりに会う社長にポカンとしてしまい慌てて挨拶をした。


「お、おはようございます!」

「そんなに畏まらなくても……おはよ」

「そういうわけには……。それより、なんでいるんですか?」


 忙しいはずの社長が売れないアイドルのレッスンに付き合うなんて、聞いたこともない。たまにダンスのレッスンには体を動かしたいと乱入することはあったけど……今日は社長一人がピアノの前にいるのだ。


「湊のレッスンへ来たに決まっているだろう?」

「僕のですか?」


 聞き返してしまうほどに戸惑っていた。突然のことに本当に驚きもあったがが断然戸惑っていて、今すぐ小園に来てもらいたいほどである。


「この前の音楽番組、すごく反響が良くてね? 今度、化粧品のCM撮影もあるんだよね?」

「えぇ、はい……」


 優しく微笑む社長。憧れていた人が目の前にいることに少しの緊張もあってうまく話せているのかわからなかった。


「今まで歌や雑誌以外、仕事を受けなかった湊がどうしてそういう心境になったのかな?」

「……それは」

「このままじゃクビだ! と言われたから?」


 意地悪な質問をされても、俯くことだけはしない。小園にくび宣告をされた日にに、僕の中から全部洗い流した。

 今は、クビや芸能界引退のことより他に大事な目標ができたから、前に進むこと新しいことに挑戦することを決めている。


「そういうわけではないです。ある人と出会って、もう少し幅を広げてもいいんだと思えたんです。僕、アイドルとしても自信がなかったようで」

「自信が? あんなに声援をもらっていても?」


 苦笑いして、「僕のファンには、もちろん本当に感謝しています」と社長の目を見て言った。事実なのだから、大事にしたいと思っている。


「それじゃあ……」少し考えるように、少し呻いた。


「もしかして、小園のことを言ってる?」

「……はい。僕にとっては、小園さんは憧れの先輩です。僕のことを買い被りすぎじゃないかなぁ? と思うこともあったし、辞めた理由を知ってしまって……。小園さんから託された想いも背負って、アイドルとして、トップに上り詰めたいって思ってきました」


 ふむっと、興味を惹かれたのか、社長は頷きはしたが、渋い顔をした。他人の想いで、トップなんて目指せるわけがない。自身が望んでこそ、そのいばらの道にも負けず、上を見続けることができる。


「……託された想いか。湊自身、本気で考えたことはないのか?」

「アイドルのトップですか?」

「違う」


 僕は社長の意味することがわからなくて答えられなかった。社長を見つめ返すと、ふっと社長は笑う。


「その分だと考えたこと、なさそうだな?」

「何をですか?」

「湊ならと、小園じゃないけど、思っていたんだ」


 焦らすように答えは言ってもらえず、だんだん鋭くなる眼光をみつめながら考えた。


「……日本のトップですか?」


 答えた僕が一番驚いた。夢のまた夢だと笑い話のように思っていたのだ。社長の目はさらに鋭くなっていく。


 日本のトップは、アイドルだけじゃない。三日月たちともランキングで戦う……そんな世界の話だ。


 笑顔なのに全く笑っていない社長から目を逸らしたい。


「いいところまできたね。でも、まだまだかな?」


 僕の答えは及第点ですらないらしい。かつて世界を魅了した伝説のユニットを組んでいた社長は、どこまでを考えているのだろう。


「俺が描いている湊の未来とは全然違う。正直、今の答えのままだと、クビにしても惜しいとは思わなかった」


 社長の言葉が胸に刺さる。言い返してやりたくても、結果の伴っていない僕では、大口叩くだけで、負け犬なのだから。

 俯きそうになるのを拳を握ることで耐え、社長を睨み返した。


「いい顔するじゃん! 俺に惜しくないって言われてそんな顔できるなら、もっと早くしてほしいもんだね。まあ、この前の湊はよかったと思うけどね?」

「この前……ですか?」

「そう。この前の歌番組。ダンスを一部いじっちゃってたけど、許容範囲。テレビの向こうか観客席にか、想いを伝えたい人がいたのかな?」

「……それは」

「いいんじゃない? それで、世界のトップに行く覚悟を持ってくれるなら、何にも言わないつもり」


 社長がサラッと出した『世界』に一瞬、目が眩んだ。


 聞き違い……だよな?


 戸惑っていると、心のうちを読まれたのか、笑いながら「間違ってない」と念押しされる。


「世界って……どういう」

「まぁ、目指す場所は、小さな日本の中だけではなく、飛び出していこうって話。ほら、湊よりもう少し年上のとき、世界をとったからさ。相方が辞めちゃったから、今は昔なんだけど……運命は巡るってね?」


 少し遠いところを見る社長。その言葉の意味はやっぱりわからない。


 ……運命は巡る? どういうことなんだろう?


「葉月陽翔くんだっけ?」

「えっ? あっ、はい」

「絶対、手放しちゃダメだよ? 何があっても。葉月くんの人生をめちゃくちゃにするのはダメだけど、湊ならちゃんと、葉月くんのことも尊重できるはずだから」


 さっきとは打って変わって、優しい笑顔に変わった。「さぁ、残り時間も少なくなってきたから」とレッスンを始める。

 丁寧に弾かれるピアノに身を委せるように、『白雪』を歌う。

 社長が被せるようにハモリを入れてくれる。まるで陽翔のような優しいハイトーンから甘くしびれるようなバリトンの歌声に切なくなる。


「二人で歌うとこんな感じかな。んー歌うのって気持ちいいな。他人の曲でも」


 歌って満足したのか、ニコニコとしている社長。レッスンの時間も終わったので、「ここまで」と部屋から出ようとして止まった。


「いい忘れてたけど」

「何でしょうか?」

「歌、うまくなったよ!」


 僕が微妙な顔をしたからか、苦笑いしながら、もう一度「うまくなった」と言ってくれる。


「前が悪いわけじゃなかったけど、及第点くらい。今は、満点までは行かなくても、歌が誰かにちゃんと伝わってる感じしない?」


 社長に言われてはっとなる。今まではどこか壁に向かって歌っているような閉塞感みたいなものを感じていた。


「ほら、その表情っ! 託された想いだけじゃなく、湊自身がアイドルとして覚醒した……そんな感じ?」


 ドアからわざわざ戻ってきて、肩に手を置かれる。ニッコリ笑いかけられると、ついこちらも返してしまった。


「世界を取ろう! 今の湊なら、目指せるはずだから」


「じゃあね?」と今度こそ部屋から出ていく社長を見送る。社長の言葉がじわじわと体の中を駆け巡り、熱くなる。


「目指す! 世界なんて、考えもしたことなかったけど、目指したい。それなら……ヒナと一緒に」


 ヒナを思い浮かべたとき、学校から帰る直前のことを思い出し、上がったテンションが下がりきってしまいそうだったが、レッスン部屋を出てスマホを取りに向かった。

 目的は一つ。陽翔に電話をかけるために。


 陽翔に1番に聞いてほしい新しい『夢』が出来た。

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