第15話 痴漢にご注意!

 スマホのアラームがいつも通りに爆音で鳴り、いつものような朝を迎えた。身支度を素早く済ませ、朝食を作るためにキッチンに立つ。


 ……陽翔は、朝食べるかな?


 卵を冷蔵庫から2つ出したが、フライパンに火をかける前に固まった。朝食を作るかどうかで悩み、時計に目をやる。

 そろそろ起こした方がいいのでは? と思い、客間へと向かう。ノックをしても返事がなく、まだ、寝ているだろうと部屋に入った。


「ひ、……ヒナ? 朝だよ? そろそろ起きてくれないかな?」


 カーテンが少し空いているので、朝日を浴びて、陽翔の髪がツヤツヤと光る。柔らかそうな髪に手を伸ばしかけ、ハッとした。


 ……何してるんだよ。起こすんだろ?


 髪を触ろうとした手を一度引っ込め、再び肩を揺するために手を伸ばす。無防備な寝姿に寝言をいう陽翔。

 

「……ん、あと五分……」


 見惚れていた。

 陽翔が一瞬目を開けたので、驚いてあわあわしていれば、そのまま目を閉じ夢の中へ落ちていってしまう。慌てて、もう一度、声をかけた。


「朝ごはんいる? 食べるんだったら、そろそろ起きないと遅刻するぞ? 転校2日目で、それはまずいまろ?」


 捲し立てるように言えば、やけにゆったり「……まずい」と返ってくるが、朝はどうやら、弱いようだ。


「朝ごはん作っておくから、早く支度してこいよ? 好きなものは?」

「……卵焼き」


 目玉焼きを作ろうとしていたので、急遽、卵焼きに変えることにした。だし巻きをと考えていれば、寝ぼけながらもリクエストが飛んでくる。


「甘い卵焼きがいい……」

「……わかったから、早くこいよ? 来ないと、全部食べるからな?」


 部屋の扉をパタンと閉めたあと、ようやく起きたようで、のそのそと部屋を動き回っている気配がした。そのまま、洗面室へ向かうらしく、トボトボ歩いている姿が何とも言い難い。


 リクエスト通りの卵焼きとトーストを置いておく。先に食べ始めると、さっきとは違い若干、シャキッとした陽翔が「おはよう!」と挨拶をして席に座る。


「おはよう。よく眠れた?」

「おかげさまで……制服もピッタリだし、朝ごはんもうまそうだけど、朝、早くない?」

「あぁ、電車通学だから、仕方ないだろ?」

「電車なんだ? 送迎なのかと……」

「まぁ、wing guysくらい売れてれば、そう、なんだろうけどな。キャリアだけが長くて、売れてないから」

「そういうもんなのか。あっ、この卵焼き、絶品! 甘さも硬さもちょうどいい」


 トーストを齧りながら、卵焼きを頬張る。昨日も思ったが、陽翔はうまそうに食べる。あと、食べた後の皿が驚くほど綺麗だった。


「ごちそうさま」

「洗い物はそっちに置いといて。帰ってからする」

「すぐ終わるからしとくよ。湊は何かやることあるのか?」

「いや、もうすぐ出るくらい」


 時計を確認して、慌ただしく洗い物を済ませ、カバンを持って、マンションを出た。少し歩いたところに最寄駅があり、電車を待つ。朝が早いからか、人もまばらで、朝の少し冷たい空気が気持ちよかった。


「そういやさ、」

「何?」

「昨日、全然、湊からはアイドルにならないかって誘ってこなかったな?」


 申し訳なさそうにこちらを見上げてくるので、そんなことかと笑いかけた。


「僕、本気でアイドルしてるんだ。いくら僕が気に入って一緒にステージに立ちたいからって、やる気のないヤツと立っても、きっと、後悔する。僕もヒナも。せっかく、気の合う友達になれたんだから、とりあえず、それでいいかなって……」


「そっか……」の一言は、ホッとしたような残念なような響きに聞こえてくる。


「もし、ヒナが、本気でアイドルになって、僕の隣で歌ってもいいって思える日が来るなら……」


 東京の狭い空を見上げる僕をただ、ジッと見つめているのを感じる。


「僕の隣はいつでも空いてる。ヒナのためにあけるわけじゃないけど、僕は僕が納得した人と、いつか、東京のドームに立ちたい」

「アイツらみたいに?」

「アイツら以上に! 見たことないだろ? ヒナは。すごいんだぞ! 何万人もの観客の中、スポットライトを一身にうけてパフォーマンスするのって。お客の熱気が、背中を後押しする、いつも以上の熱に浮かされるみたいな!」


 まるで、ドームのステージにでも立っているかのように、まだ自身のコンサートで見たこともない景色を思い浮かべる。


「へぇー! そりゃすごいな」

「だろ? 今度、バックステージに来いよ! 通行証用意しておくからさ!」


「遠慮するよ」と言われると思った。イキイキと話をしたあとは、大抵引かれるのが常だったから。

 なのに、陽翔が口角を上げるように笑い他の友人からの言葉とは違った。ちょうど、電車が入ってきて、その言葉をかき消そうとしたが、僕には届いた。


「そんな場所、ワクワクするしかないな」


 驚きのあまり、目を見開いて、ジッと見てしまった。電車の扉が開いたので、乗り込んでいく陽翔。


「乗らないのか? 閉まるぞ?」

「乗るよ」


 閉まる扉に慌てて飛び乗った。驚きは欠かせなかったが、陽翔の言葉がじんわり胸に広がり嬉しく感じた。


「……ありがとう」

「何が? それより、すごい人だな? 朝早いっていうのに!」

「こんなもんだろ? 通学って。それより、制服、似合ってるな!」

「そうか? 着なれないから、変な感じだ」


 ネクタイを少し緩めている陽翔の耳元で囁いた。

 新しい獲物が来たと思っている輩がいそうな変な雰囲気がしてくる。


「痴漢にご注意!」


「俺、男っ!」とこっちを見てきたが、痴漢は……関係なくあるのだ。ぐわっと視線でこちらに訴えてくるので、ケラケラと笑っておく。そうすれば、今日は、何も起こらないだろう。

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