第15話 1ー紅時13 布団部屋

 空蝉は布団部屋に居た。

 其処は両脇に蒲団が積み重なって、人が腕を広げた位の空間に、手足を後で縛られ身動出来なくなっている彼女が居た。

 さっきまで、猿ぐつわを付けた状態であった空蝉。


「あさげです。姉さん」


 紅時が冷めたあさげを持ってきた。数日間食わずの彼女に遅い飯を届けた。


「はっ、可笑しいなら笑いな紅時。若紫の一番の御気に入り。」


「笑う必要はありません。何故、若紫姉さんの馴染みを寝取ったのですか……」


 空蝉が笑う。


「だから、御前は気に食わない。若紫が着物代まで肩代わりする始末。店一番の太夫が気に掛ける次期太夫候補。もう誰も御前にいけずはしないだろうさ。」


 紅時は黙っている。


「上客を寝取って何が悪い。馴染み以外に手を出した旦那はんは罪を咎められるたろうが、私は振分新造。まだ、たんまりと借金が残ってる。店も捨てられないわ。」


 空蝉が又、笑った。


「こんな場所で客を取らないといけない状態でも姉さんは笑えるのですか……」


 紅時が問うと、空蝉は笑わなくなった。


「いつか此の部屋から出られる。それまでの辛抱さ。おかあはんが連れて来た客なら問題はなかろう」


 紅時は黙っていた。

 花魁道中の一件で空蝉も顔が知れ渡ってしまった。其の上、太夫を支援した旦那さんを寝取ったのも噂になり、女の扱いが危ないと囁かれる男が優先的に空蝉に回された。


 新造の空蝉は客を選ばせて貰える立場ではないのだ。寝なければ花代は、出ない。男の回転数が多い程、借金は減る。


 空蝉の客は一夜、女をねぶる奴もいる。だから、花代が高くない彼女では、借金はがかさむ可能性が高い。今持ってきたあさげだって食べなくとも、借金になる。


 紅時は知ってるのだ。


「おかあさんから、あさげの許可が出ました。食べて下さい」


 紅時が粟の炊いた飯に水が掛かっている御椀を空蝉の口に持っていく。

 一口飲むと空蝉が旨そうに噛んでいる。

 飲み終わると菜物を口に運んだ紅時。咀嚼し終わると水を飲ませた。

 黙っていたのは食べている間だけだった。


「御前はどうせ若紫の上客が流れる。禿が一人とはそう云う意味さ。引く手数多の振分新造になる。面白いだろ。初めから女郎でも格が違うのさ。私の初めに使えた姉さんは、心の優しい姉さんだった。若紫の影に隠れて、上客は一人いればいい。瘡毒にかかって鉄砲女郎になって川辺の茶屋に流れた女郎もたんと見た。御前は其の美しい顔で太夫として生きてくのさ……。公家の御姫様よ」


「逃げる事は出来ないのですか……」


 紅時の言葉に空蝉が目を丸くした。


「逃げる何て御前だって無理だと分かるだろ。足抜けは女郎の御法度。廓界隈を馬で引かれて死ぬしかない。男しか居ない世界なんだ。御前は想い人がいるだろ……。年頃になったら忘れな……。御前も振分新造になったら嫌でも客は取らされる。毎日が苦痛でしかないよ。」


「先生以外の男性に……」


 紅時は想像しただけで寒気がした。


「忘れな。其の先生を……。誰も救われないよ」


「でも、僕は諦められない。先生だけは諦めたくない……。折角、女に生まれて来たのに……」


 空蝉が溜息を吐いた。


「こんな時代に女に生まれてたのが運のつきさ……。数ヶ月分の飯の値段で売られる子もいる。売られた親を恨むしかないね。飯が食べれるだけましか……。成り上がろうとして失敗する私みたいになるか……」


 紅時は音もなく泣き出した。


「御前が泣いてどうする……。泣きたいのは私も同じさ……。此れからどうなる事さね……」


 空蝉も音もなく涙が頬をつたった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る