第16話 1ー紅時14 嫌悪感
紅時が昼見世が終わった後、ぼーとしていた。
何時もなら忙しなく働いている時間である。
大部屋の廓の格子のある窓から外を眺めている。
女郎達が慌てて、夜見世の準備をしていた。
「紅時。どうした……」
末摘花が隣に座った。
「少し考え事を……」
「珍しいね。悩みかい……」
紅時は息を飲んでから言葉を発した。
「空蝉が先生を忘れろと……」
末摘花が嫌な顔をした。
「其処は同感だね。空蝉も女郎だから、想い人がいる紅時を心配したんだろうね。振袖新造になる前に……、客を取る前に捨てろと云ってるのさ。先生はこの世に居ないと……ね」
「年季が明けたら、探します。先生は必ずいらっしゃいます」
「先生に会えるかは別問題だろ。年季が明けても瘡毒にかからない可能性は低いさね。体を壊す奴しかいないからね……。紅時は幼い……好きでもない男に体を開けるのは、女には辛いのよ。」
紅時は、黙った。
今世では伊藤明継はいないかも知れない。もしかしたら、会えないかもしれないと絶望感があった。
だって、前世での律之も晴もいない。
はらはらと涙が、紅時から流れる。
「紅時は先生に弱いね。一番良いのが、先生が身請けしてくれる事さね。伊勢の旦那さんは紅時の事を聞く男性にあっただろ……」
「たしか、伊藤継一さんで先生の御父さんの名前です」
「でも期待はしない方が良いよ。先生の親族だって身請けには銭がかかる。女郎が希望を持ってはいけないよ」
「ええ、分かっています。でも……、先生だけは諦められない」
「辛いよ。紅時、辛いよ。女郎として生きて行くには……」
「まだ、解りません。まだ……」
末摘花が溜息を吐いた。
「若紫を見な。気に食わない客を空蝉に寝取られたって、太夫としてケジメを付けてる。おかあさんと楼主が若紫と話し合ってる最中さ。旦那はんは、咎めがあるのかね~。あと少しで、空蝉の身の振り方が決まるよ。」
通路がザワザワと音をたてている。
二人は振り返り、部屋から出た。一階に降り、おかあさんの部屋の前に人溜まりが出来ていた。
中から太夫としての声が響く。
若紫には似つかわしくない金切り声だった。
「わっちは納得できひん。旦那はんはお咎めし……。其の上、わっちの馴染みは継続。あほをおええで。立たへんなら空蝉かて魔差さへんかったはずやわ。空蝉は若いだけや。上客の誘いを無下に出来へんかっただけ。なのに、
「伊勢の旦那はんは、若紫しか見とらん……」
太夫が机を思いっ切り叩く音がする。
「納得でけへん。借金を肩代わりするくらいなら、空蝉を妾にすれば宜しかろ……。何故、生命まで奪うのや」
「伊勢の旦那はんは噂になりすぎた……。正妻が黙っておりまへんのどす。紫も一歩間違えば銭で解決されるかもしれへんのや。だが、看板背負ってる輪上屋が黙ってまへん。わてらにもメンツがありおす。空蝉は諦めとくれ……。此処は黙って……」
「納得でけへん」
障子が開いた。
太夫が眉を釣り上げて、出て来た。
背の高い末摘花の隣の紅時と目が合うと瞳が潤んだ。
「今日は夜見世は終いどす。癇の虫がさわるよって……」
太夫が紅時に伝えると、二階に帰って行った。
末摘花が「行っておやり……。今日は太夫の部屋で寝ておやりよ……」と耳打ちした。
「でも……」と紅時が困惑する。
「若紫の禿だろ。若紫だってまだ、若いよ……。聞いてやるだけで良い……」
「分かりました」と紅時が頷いた。
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