第13話 1ー紅時11 男性
伊勢の旦那さんは、舐めるように太夫を見た。
彼女は視線を落とし、紅時を見た。まるで救いを求めるような瞳だった。
紅時は見詰め返した。只、信頼する姉さんを見詰める眼差しだった。
「旦那はん。えろう早い御着きで……」
太夫が向き直る。
「私の若紫が堂々と帰る姿がまるで浮世のようでね。美しい。やっと手に入ると思うと感慨深くてね……。何をやっても靡かない太夫が、此方を見るのだよ。私を見る」
太夫が眉を曲げている。やはり嫌な顔をしているのだ。
「旦那はん。禿にだけは枕を共にしいひんでくれやし。わっちは禿を娘のように可愛がっとりますゆえ……。」
太夫が頭を下げた。
気位の高い若紫がいけ好かない伊勢の旦那さんを相手にしての行動だ。
夕顔が目を見開いている。驚きを隠せないのだ。
「太夫。表を上げてくれなんし……。振袖新造の空蝉も御願いしたす」
空蝉の行動に夕顔は呆然とし、慌てて夕顔も頭を下げた。
空蝉の行動に女の三人が嫌な気持ちになりながら見ていた。太夫の言葉を上書きしたからだ。此の時代に、太夫の顔を潰すのは余り良く思われない。
「空蝉ちゃんか……。此れは美人だね」
旦那さんの舐め回す視線が動いた。空蝉は平然と笑っている。
太夫が嫌な顔をした。
「旦那はん。分かったどすか……」
太夫の顔色が戻った。
「若紫、禿には手を出さないよ。分かったよ」
紅時は禿にはの言葉に棘を感じた。
吉原には馴染みの女郎以外に手を出すと、どつき回される折檻がある。女郎に病気が蔓延するのを止めるのと、浮気は無粋だからだ。長く続いた風習である。
太夫は客の性格を良く知っている。だから、此のような態度なのだ。上客でも、枕を交わしたら許せんないのは、女の当たり前の感情だろう。
紅時は俯いて息を潜めた。
「禿と言えば、花魁道中の時に君を追っている人物を見かけたよ」
旦那さんは紅時を見た。
直ぐ様、紅時が顔を上げる。
「面白いから見ていたのだか、流石に気になって、話し掛けたら、君の顔を確認したかったそうだよ。若紫ではなく、禿に興味を持つなど……。どんな顔か……」
紅時は押し潰されそうな顔をしていた。『紅』と呼んだのだ。先生の関係者に違いない。彼に繋がる情報かもしれない。
「見てみたら、中年位だったかな……。『こう』を探していると言っていたよ」
紅時は息を飲み込む。前世の僕を知っている人物だ。間違えないと紅時は息をゆっくり吐き出した。
「名前は……。其の男性の名前は……。」
紅時が声を絞り出す。
「
眼の前が拓けた気がした紅時。
「有難うございます。」
紅時は確信した。『先生』だ。九州の伊藤家で私を知っているのだから……。
「其の話はよろしいどす。わっちの祝をしとぉくれやす」
「若紫がねだるとは嬉しいね。やきもちかい……。若紫が一番美しいよ。君の美しさの前に、花さえ枯れてしまう。其して……」
旦那さんは延々と話し始めた。
空蝉が立ち上がると、旦那さんの横に座って、酒の御酌をする。
太夫が食べ物に箸を付けた後、旦那さんも食べ始めた。
ゆっくりと上品に食べる。夕顔と紅時も箸を進める。
「伊勢の旦那はん。床の準備ができたどす。」
おかあさんは襖の外から声を出す。
旦那さんは待ってましたと、太夫に近付き手を掴んだ。御膳の前を横切って、太夫の二間目の部屋を開けた。三間半四立の四つの襖だ。
別室には赤い大きな蒲団がひいてある。
旦那さんが太夫を部屋へ押し込めるとピシャリと襖が閉まった。
夕顔が紅時に目配せをした。紅時達は飯の上におかずを溢れないギリギリまで乗せて、茶碗と箸を持ち席を立った。
紅時達は二階に上がる階段の脇に座った。紅時を下段に座らせて、夕顔が二段上。空蝉が夕顔の上の段に座る。紅時達は食べ物を急いで食べ始めた。
直に廓の下女が、御膳を片付けに来る。
下女は誰も話さなかった。階段に並んでいる紅時達を羨ましそうに見た。
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