第一章『退魔士』

第1話 復讐の炎

 上城燈矢かみしろ とうやは普通の家庭で産まれた普通の少年だ。人間界の中央地区で産まれ、父方のオレンジ色の髪を持ち、母方の赤い瞳を持ったごく普通の男の子だ。友達と過ごし、遊んで育つ、そんな普通の子供として育っていった……あの日までは。


 人間界全体を震え上がらせた、魔族達による襲撃。何者かが扇動したのか、破壊と殺戮を好む魔族達にしてはとても狡猾で計画的な襲撃だ。  

 中央地区の六割が壊滅し、荒れ地となった。約千人の退魔士が戦い、その九割、約九百人が戦死した。残った者達も心に傷を負った者、再起不能の怪我を負った者がほとんどだった。一般人も中央地区に住む約十二万人の半分以上が死亡する、悪夢のような出来事だった。


 上城燈矢はその災害の数少ない生き残りである。



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「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 無邪気で元気な子供はよく走り回る。特に理由がなくとも楽しそうに走り回る。燈矢はこの日、友達と遊ぶ約束をしており、早く遊びたい一心で道路を駆けていた。子供はひとつのことに夢中になると、他が見えなくなる。道の曲がり角に人影が見えるが幼い燈矢は気づかない。そのまま衝突して、転んでしまった。


「うわぁ! 痛ったた」

「……大丈夫かい? 立てる?」


 燈矢とぶつかった男は優しい声で気遣い、手を差し伸べてくれた。燈矢はその手を掴んで立ち上がった。

 見上げるとそこには純白の髪、鮮やかな紅い右目、澄みきった蒼の左目を持った男がいた。隣には青空を写したかのような髪と瞳を持つ幼い女の子が男と手を繋いで立っている。


「うん、ありがとうお兄さん」

「元気なのはいいことだけど、もっと周りを見るようにしてね。じゃないと危ないから」


 男は優しく諭すように喋るが、隣の女の子は燈矢を睨みつけてくる。まるで早く消えろと言われているかのようだ。


「う、うん。じゃあね、お兄さん」

燈矢は逃げ出すように再び走り出し先を急いだ。



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 走って友達と遊ぶ約束の場所へ急ぐ燈矢。

 だが友達と遊ぶことも、喋ることも二度と叶うことはなかった。


 人が長い年月を掛けて築き上げた者を魔族は一瞬でいとも簡単に壊せてしまう。たった一瞬の出来事だった。なんの前振りもない一撃で建物を崩れ、街は崩壊した。

 崩壊した街は悲鳴があふれ、血が吹き飛び、燈矢の頬にも誰の者かわからない血がついた。さっきまでそこにいた人が肉塊に変わり、手足が千切れ、臓物があふれ出ている。そして、そうした人であったものを美味しそうに頬張る怪物達。

 子供がそれを見てすぐに逃げるという考えにはたどり着きにくい。たとえ思いついたとしても圧倒的な恐怖の前では大人でさえ行動に移せないものだ。力による暴虐は人を簡単に恐怖させる。


「ん? なんだガキか……」

怪物が燈矢の存在に気づいた。誰かの手を食べながらこちらに近づいてくる。


「あ……ああ……」


燈矢はその場に倒れ込み、目の前の怪物に怯え、表情は絶望に染まる。


「安心しろ。すぐにお前も食べてやるからな……」


怯え、目を閉じてもはや死を待つだけの燈矢。だが手を振りかざす怪物の爪で切り裂かれることはなかった。

恐る恐る燈矢が目を開けるとそこには剣で怪物と戦う少年がいた。

 少年の刃が怪物を切りつける。距離取り、剣を持っていない左手の指から尖った氷を。作り出し、怪物目掛けてそれを飛ばす。


「逃げるんだ! 早く!」


 少年が燈矢に必死に叫び、呼びかける。次の瞬間には少年が怪物の鋭い爪で切りつけられ、血が飛び出した。燈矢はなんとか起き上がり、何度も転びそうになりながらも必死でその場から離れる。もと来た道をたどり自分の家を向かっている……はずだ。

 街が崩壊したせいで先程までとは見える景色がまるで違った。ゆえに燈矢はもと来た道を駆けているはずが知らない道を走っている感覚に襲われた。

 だがそんなことを気にしている余裕は今の燈矢にはない。ただひたすら一心不乱にこの先に自分の家があると信じて走り続けている。


 そしてたどり着いた家も変わり果ててしまっていた。二階部分が吹き飛び、屋根すら跡形もなく消し飛んでいた。燈矢は中に入るがそこにはまた怪物がいた。先程見た怪物が比にならならい程にその化け物は異質だった。形は人と変わらずとも、人の形をしているだけだ。顔、腕、足と全身の至る所に口のようなものがあり、そこからは牙がむき出しになっている。


「あ? ガキ……この家のやつか?」


「あっ、あぁ……」


「外から逃げて帰ってきたのか? 自分の家は大丈夫だとでも思ったのか? もうここら一帯に安全な場所なんてねぇんだよ。まぁガキにはわかるはずもないよな」


「おとうさんとおかあさんは……」


「うん?あぁ、そうか。そうだなぁ。ついてこいよ、いいもん見せてやるぜ」


 怪物は指を向けて燈矢をこちらに来るように誘う。そのまま奥の部屋へ向かおうとする。逃げるなら今だと思いつつも恐怖心と父親と母親がどうなったのか気になる燈矢はそのまま怪物についていってしまう。

 そしてその先には胸のあたりから大量に出血している父親と母親がいた。正確には、胸のあたりに大きな空洞が空いていて、そこからは血があふれている。


「うぇ……え、あ……おとうさん? おかあさん?」


「死んでるぜ。なんて言ったって心臓を抜き取られたんだからな。それでも生きていたならそいつは人間じゃなくなんかの化け物だぜ」


「いや、抜き取ったより食べたって言った方がよかったか……それとも……」


 怪物は一人でブツブツと喋る。


「お、お、おねぇちゃんは……」


「あぁ? 姉貴か? 知らねえな……どっかで死んでんじゃねえか? さっきも言ったがもうここらに安全な場所なんかねぇからな……むしろ、外にいたのに生きて帰ってこれたお前は運がいいもんだぜ?」


「な、なんで? なんでおとうさんとおかあさんを?!」


 大粒の涙を絶えず流しながら燈矢は怪物に問う。


「なんでって……そりゃ人間は美味いからだな。お前らだって美味いもんは好きだろ? それと同じだ」


 怪物は当たり前かのように平然と言ってのける。


「そもそもお前ら人間だって動物を狩って肉を食ってるだろ? それはお前らより知能の低い、種族として劣っているやつらだからだ。で、あれば人間より優れた俺達が人間を家畜のように扱うのになんの問題があるんだ?」


 怪物は燈矢に尋ねる。しかし燈矢には返答のすべもなく、


「まあ……理解してもらうつもりもしてほしいとも思わねぇ。魔族と人間じゃあ価値観ってもんがかけ離れすぎてんからな」


 怪物は首をポキポキ鳴らしながら言葉を続ける。燈矢など気にも止めていない。ひとりの人間の子供など気にするに値しないといった感じだ。


「さて、そろそろ殺して次の狩りにでも行くとするか。あまり時間は残されていないんでな」


 怪物の動きと発言から燈矢は殺されるとすぐに悟った。


「安心しろよ、心臓を直に抜き取るから痛みはない……とまではいかねぇかもだが一瞬の痛みだ」


 燈矢は逃げ出す。怪物はすぐにでも追いついて殺せるのに歩いて追いかける。


「ほらほら、頑張って逃げろ逃げろ。そうやって恐怖をつのらせていったほうが絶望というスパイスでより美味しくなる。特に心臓はみずみずしいフルーツのように新鮮で美味だ」


 燈矢は恐怖で上手く走ることができず転んでしまう。


「どうしたどうした? もうおしまいか? ただ叫んでなんにもできない女よりもよほどましだがな」


 怪物はため息を吐きながら


「もういいぜ、あばよ……」


 そう言って燈矢の心臓も抜き取ろうとするがその刹那……遠くで白い光が見えた。光には黄金の雷のようなオーラがまとわりつき雷鳴の轟くがごとく轟音を出して一瞬で消えていった……。


「ちぇっ、もう終わりかよ。『時間稼ぎ』にもなってねえな……まだ十数人しか食べてないってのに」


「……命拾いしたな、お前にかまってやれるほど時間の余裕もなくなった。俺は食事は一口一口、噛み締めて食べる主義なんだ。一瞬で食い終わったら勿体ないだろう?」


「お前が生き延びて強くなって、その果実しんぞうがより熟したらまた食いに来てやるさ……あばよ」


「……あぁ、最後にひとつ教えてやろう。俺の名前はファング……覚えていたらぜひ復讐しに来てくれ」


 そのまま怪物は燈矢の目では追えないスピードで消えていった。燈矢は途方もない恐怖から解放されたからか……力が抜けてそのまま気を失ってしまった。



「ちっ、逃げられちまったか……逃げ足の速いもんだ。ん?」


「おっと、大丈夫か? 坊主? おい、しっかしろ……」



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 燈矢が目を覚ますとそこは知らない天井だった。目を横に向けると暖炉がある。暖炉の火からはパチパチと心地よい音が鳴る。少しずつ気を失う前の出来事が思い返されていく。


「……!」


 燈矢は殺された両親を思い出し、涙を流し怪物を思い出しながら恐怖に震える。しかしどこからか少し匂うお香のような匂いと暖炉の火の音はなんとなく気分を落ち着かせる。


「あ! 目が覚めた? よかった……」


 声のする方に目を向けると白い頭巾を被った三つ編みの黒い髪の女の子がいた。

 

「だっ誰?!」


「私は陽真理。満島陽真理みつしま ひまり。倒れている君を私のお師様が見つけ出してここまで運んでくれたの。ここはお師様が住んでいる家で山の奥にあるんだ。滅多に魔族達に襲われることもないし来てもお師様が返り討ちにしてくれから安心していいよ」


「お師様……?」


「なんだ?嬢ちゃんなんかあったのか?」


 別の男の人の声がした。


「あ、お師様! この子目を覚ましました」


「おぉ、そりゃ良かったぜ。坊主、痛いところとかはないか?」


 お師様と呼ばれたその男は燃え盛るような赤い髪し、紺色の道着のようなものを着用して40代ぐらいの見た目をしている。腰には大剣を帯刀し、表情も堅くはないがどこか威厳を感じる。


「うん、大丈夫……おじさんがこの人の言ってたお師様?」


「あぁ、まあな。なんにしても、大きな怪我とかがないんなら良かったぜ。あと坊主、何が起きていたかは覚えているか?」


 それを聞いて燈矢は嫌でも再び思い出すことになる。いや、これから忘れることはできないであろう。なんといっても自分の両親がとても惨い姿となり、死んだ姿をみてしまったのだから。


「その様子を見るに……覚えているようだな。今見せるのは酷かもしれんがこればっかりは時間が解決してくれるものでもないからな。坊主、ついてこい」


 男に言われてついていく。家を出るとそこは本当に山の中のようで道はできているが周りは森林で囲まれていた。家から出て少し歩いた所に墓があった。いったい何人分の墓になるのか……しかしそれよりも男は土が出っ張った方に目を向ける。並んで二つあり、人が入りそうな大きさがあった。


「坊主の親だ。坊主と一緒になんとかあそこから運んできた。悪いな、もう少ししたらちゃんとした墓建ててやるから」


 幼い燈矢にとってそれは酷なことだ。突然親を喪ったのだから。幸せというものは壊されて初めて脆いものだとよくわかる。


「こんな聞くのはあれだが……坊主、親を殺した魔族とあったか?」


 燈矢はゆっくりと頷く。目元には涙が溜まっていた。


「そいつ……ファングって名前言ってなかったか?」


「っ!!」


 燈矢は驚いて男の方を向く。


「やっぱりな。心臓だけを抜き取った死体……昔っから変わらねぇそいつの手口だ。全く悪趣味なもんだ」


「坊主、お前さんの親の仇はきっと討ってやる。俺が、この手でな」


 それでいいのか。自分には何もすることができないのか。


「……おじさんは強いの?」


 少しずつ恐怖や悲しみとは違う燃え上がるような感情が込み上げてくる。


「そりゃあ、まあ。並みの退魔士よりかは強い自信があるが……」


「じゃあ俺に……俺に戦い方を教えてよ」


 たとえどんなに困難な道だとしても……やらなければならない。



「坊主……」


「その怪物は……俺がやっつける。絶対」

 

 男にはわかる。今、目の前にいる少年の瞳に宿るものがなんなのかを。それは……復讐。大切なものを奪われた者たちの復讐心だ。


 この日上城燈矢は退魔士としての道を歩み始めた。家族の仇に復讐するために。

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