第2話:先輩が糠床(ぬかどこ)を混ぜる

「これ、ぬか床かしら?」


 風呂場から戻ると、冷蔵庫のそばに置かれたプラスチックの桶を見て僕に聞いてきた。


「ですね。毎日の手入れは大変みたいですけど、やっぱり自分で漬けるのが一番って言ってました」

「ちょっと見てもいい?」

「はい、どうぞ」


 先輩は蓋を開けると、右手をひじのあたりまで洗って、ぬか床の中に突っ込んだ。


「ちょっと、先輩?」

「ぬかは毎日かき回さないと駄目なの。特に夏場はね。今日、おばさんが何時に帰ってくるのかわかんないでしょ?」

「確かにそうですけど……」


 先輩のきれいな手が、臭いぬか床をかき回すのを見ると、なんだか申し訳ないような気がした。しかし彼女は慣れた手付きで底まで大きくかき回すと、中からキュウリを取り出した。


「このキュウリ、朝に入れたやつでしょ?今の季節は半日もすれば十分漬かるから、もう出しておかないと」

「へえ、そういうもんなんですね」


 ぬか漬けは毎日食べているのだが、どうやって作るのか、どのくらいでできるのか、まるで知らない自分が恥ずかしくなった。


 彼女はぬか床から取り出したキュウリを洗ってまな板の上に並べると、刻んで小鉢に盛り、ラップを掛けて冷蔵庫にしまった。


「先輩、なんでもできますね」

「おばあちゃんから色々教わってるからね。やっぱり女は料理ができないとって。今は男の人もできなきゃ駄目だと思うけど」


 最後の言葉が料理を知らない自分に刺さった。家庭科の調理実習も、同じ班の女子にほとんど任せてしまっていたっけ。


「せっかくだから、キュウリの漬け方教えてあげるわ」


 そう言うと、野菜室を開いてキュウリを取り出した。


「こうやって塩をまぶして、よく擦り込むとね、トゲもとれて水分も出てくるのよ」

「あ、すごい。水が出てくるんですね」


 先輩が塩をまぶした手でキュウリをしごくと、表面から染み出した水分が塩と混ざり、白い泡のようになった。


「難しい言葉だけど、浸透圧っていうのよ」


 浸透圧。この前読んだ学習まんがの「体の秘密」だったかで見た覚えがある。確か、細胞の塩分濃度がどうのこうのという話だ。読んだ時はよくわからなかったけど、こんな身近なところに例があったんだな。


「こうやってよーく絞って。漬ける前によく水分を抜くのがコツね」


 先輩がキュウリを握ると、ぽたぽたと水分が染み出してくる。


「あとはこのままぬか床に入れるだけ」

「あれ、塩は洗わなくていいんですか?」

「ぬかには塩分が必要なの。特に夏場は腐りにくいように濃い目にしておいたほうがいいわね」


 そう言いながらキュウリを中まで入れ、最後にぬか床の表面を平らに均して蓋を閉じた。

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