10

「私、知っているんですよ。土筆屋さんもその陰陽師だってことを」


 森ノ宮静華の声はまるで脳内に直接語りかけてくるかのように響いた。


「俺が、陰陽師?」


 笑って誤魔化そうとしたが、彼女はすぐにそれを抑え込むように「はい」と返事をし、続ける。


「土筆屋という苗字、珍しいとは思いませんか」

「まあ、そうかもな。俺の知る限りでは親戚以外では聞いたことがない」

「私、気になっていたんです」


 心臓が跳ねる。


「ずっと、見てまいましたから」


 何だろう。彼女の吐息が、頬を掠めていく。


「だから私、調べました。知っていましたか? 実はここの蔵書の中には古い時代の陰陽師について書かれたものも収められているんです。その中には当時の家系図もありました。そこから辿れば土筆屋という姓がかなり来歴の古いものであることも分かります。どうして陰陽師であることを黙っていらっしゃるんですか」


 何故黙っているのか――と問われても、そもそもが現代において陰陽師というのは存在しないからだ。巷で末裔を名乗り活動している人間はいるものの、陰陽師は本来国の役職であり、今はそんなものは表向きには存在しないことになっている。だから大悟に能力があるなしにかかわらず、自分が陰陽師であることを名乗ることは許されていない。姉も、祖母も、そうだった。


「この令和の時代に陰陽師か。それこそオカルトと笑われるんじゃないか?」

「誤魔化そうとしても無駄です。私、ずっとあなたのこと、見ていたんです」


 甘い。彼女の匂いが強烈になる。


「最初に気づいたのは苗字でした。どこかで目にしたことがあると思って調べたのがきっかけで、すぐにあなたが陰陽師の家系なのだと分かりました。あなたが陰陽師だと分かってからは普段から知らず知らずのうちに目で追いかけるようになって、気づくと、いつも考えてしまっていました」


 その匂いを吸い込むと頭がくらくらとなり、目の前に広がっていた漆黒の闇がいつしか淡いピンク色へと変化する。


「目が合うと息が苦しくなる。そういう経験、全然したことがありませんでした。けれどあなたに出会って、私は知ったのです」


 鼓動は恐ろしく早くなり、喉が乾く。唾を呑み込もうとすると、彼女の声が耳に触れた。


「陰陽師であるあなたのことをもっと知りたい。もっと近づきたい。そんな思いは日に日に強くなっていきました」


 目の前がチカチカとする。暗闇なのにそれでも彼女が今どんな表情で、どんな目で、自分を見つめているか分かった。その頬は上気し、言葉を紡ぐ度に目元が潤む。


「こんな想い、どうすれば良いと言うんですか? 責任を取って下さい」

「そ、そんなこと急に言われても」

「ごめんなさい。分かっています。でも私も困っているのです。おかしいんです。きっとここに閉じ込められてしまって、普通じゃないんです。でもだからこそ、今日、今、あなたに伝えたい……私の本当の思いを」

「も、森ノ宮さん?」

「だから、聞いて下さい。言わせて下さい。私は……森ノ宮静華は、土筆屋大悟さん。あなたに、とても興味があります」


 夢だろうか。いや、きっと夢だろう。おそらく頭を打って、まだ床にぶっ倒れているのだ。そうでなければこんな展開は起こり得ない。それとも姉が、遊んでいるのだろうか。

 けれど大悟は今目の前で起こっているものを、どうにかしようとは思わなかった。

 体の力が抜け、ただただ彼女の言葉に、流れに、身を任せている。それが心地良い。お風呂の中で微睡む時や、本を開きながらいつの間にか落ちてしまっている、そんな心地に近い。


「私はあなたが、大悟さんのことが……大好きです」


 全身が焼けるように熱くなる。


「好きで好きで、一緒になってしまいたい」


 思考は正常に働かず、ただただ甘い香りに包まれて、幸福感だけが体を、意識を支配していた。


「だから、私に……あなたを、下さい」


 意味が、分からなかった。


「お願い。あなたが、欲しいのです」


 意味が、分からなかった。


「あなたを、ワタシに――」


 いつの間にか目の前に森ノ宮静華が迫り、その両手が大悟の肩に置かれていた。その美しい顔は白く、口は耳元まで大きく裂け、目は赤く濡れ、大悟に向け、彼女の唇が近づいてくる。

 そんな状況にもかかわらず、大悟はこのまま彼女を受け入れてしまいたいとすら考えていた。


「ワタシニ喰ワセロ!」


 刹那、空間が弾ける。


「喝!」


 それは姉、美薗の声だった。

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