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 今、森ノ宮静華は何を口にしたのだろう。特に何か言われると身構えていた訳ではないが、大悟の抱いていた森ノ宮静華像からはあまりに遠い単語だったので、何度も自分の耳を疑った。


「陰陽師です」


 海螺貝が口にするならハンバーガーやオムライスといった、誰が聞いても違和感のないワードだが、これが彼以外の他人、しかもあの森ノ宮静華からとなると話は変わってくる。


「あの、陰陽師ですか」

「あの、というのがどの陰陽師か分かりかねますが」

「ああいうオカルト的なものです」

「オカルト――」


 そこで彼女は声を低くして、言葉を区切った。


「えっと、何かまずいことでも言ったかな」

「はい」


 彼女のはっきりとした「はい」を聞き、大悟は今すぐ頭を抱えたくなる。けれども彼女に左腕を掴まれた状態ではそれも叶わない。


「オカルトという用語はあまり好きではありません。この世には理解できない不可解な現象や事件が沢山あります。科学では解明できないものも。そういったものに対してどこか揶揄するような向きでオカルトと呼ぶのは間違っています。自分が理解できないもの、理解しようとしないものだからと馬鹿にしてはいけない。そうは思いませんか?」


 その饒舌な、流れるような言葉の羅列は、今までに大悟が抱いていた彼女の印象とはまるでそぐわないものだったにもかかわらず、何故か彼は嬉しくなってしまった。内容もちゃんとは理解していないし、彼女が何故そこまで憤っているのかも分からなかったけれど、それでも大悟は彼女の主張に対して大きく頷く。


「ああ、うん。それはよく分かる」

「でしょう? 確かに小説や漫画、映画になった陰陽師というのは何やらすごい能力を持っていたり、式神と呼ばれる家来を操ったりして、それは格好良く描かれていますが、歴史を紐解けば陰陽師というのは朝廷に仕える職業の一つだった訳です。それは現在でいえば文科省や厚労省、国交省や気象庁のようなもので、決してファンタジーの世界の架空のものではなかったのです」


 同じような話は姉、もっといえばあの無口な父親からも聞かされたことがある。古い慣習を引きずっている家庭ではその家の家柄の基礎となる由緒や歴史、家系図といったものは滅法に大切なものだそうだ。ただ子どもの頃にそういった話を聞かされ過ぎた所為で、大悟は反面教師的にそういったものに対して世間で言うオカルト的な評価をしてしまいがちだった。


「彼らが正しく存在した時代、まだ平安と呼ばれていたような時代のことですが、そこには鬼と呼ばれる存在がいました」


 だから鬼とか幽霊、お化けに妖怪といったものについても眉唾ものだと、姉という具体例がいるにもかかわらず思っている節がある。


「ビジュアルにすれば角が生えた、大きかったり、体の色が著しく人間のそれと異なっていたり、あるいは目が一つだったり逆に増えて三つ以上だったりします。けれどそれは鬼の本質ではなく、自分たちとは異なるもの、あるいは怪異と呼ばれたよく分からない現象のことを、全て鬼と呼び、この言葉へと封じ込めてしまったのです」

「それじゃあ本当は鬼と一口に言っても、色々なもの、種類というか種族と呼ぶべきかは分からないが、そういうものたちがいた、と?」

「ええ、そうです。時代が進む毎に言葉というものは変異してしまいます。例えばかつては好きとか愛しているとか、そんな言葉はこの国には存在しませんでした。大悟さんは何か好きなもの、あるいは人が、いらっしゃるでしょう?」


 鬼の話をしていたのに急にそんな話題を振られ、大悟は軽く噎せた。「あ、えっと」


「そういう対象に対して今なら好きだ愛していると言えるでしょう。でもその言葉がなかった時代。ずっと古く、まだこの野山に沢山の異形が存在していた頃です。人々はその気持ち、思いを歌に託して詠みました。現代まで遺る多くの歌に恋や大切な人を思ってのものが多いのは、言葉以上に歌というものが人の気持ちを代弁する手段だったからでしょうね」

「そうだな」

「この世に言葉というものが生まれてからずっと、人間はその言葉によって何かを伝え、言葉によって何かを知り、言葉によって互いを分かり合おうとしました。けれど言葉というのは小さな箱です。その箱に入り切らないものの方がこの世界にはずっと多い。けれどそれを無理やりに詰め込んでしまえば、かつてそこに存在していたものは消えてしまうんです。それが――」

「鬼?」


 はい――と森ノ宮静華は力強く頷いた。

 まるでいつも姉の話に付き合っている時のようだ。最近でこそ、こういった話を滔々と語る、なんてことはなくなったが、小さい頃はまるで子守唄のようにして大悟の耳元で囁き続けた。睡眠学習でもさせていたのだろうか。けれどそういった知識は残念ながら大悟の脳みそには定着せず、何度聞いても忘れてしまう。関心のない物事というのは右から左に抜けてしまうのが、人間の悲しい性だろう。

 けれどそれが森ノ宮静華によって語られるとすんなりと大悟の頭に入ってくる。当然いつもより話者に対しての関心度が高いというモチベーション的な問題もあるだろうが、彼女の話し方も上手かった。


「この鬼というものの中には、誰もが想像する角のある異形ばかりでなく、渡来人も含まれていました。かつての日本は海外から多くの技術者が入ってきていたのです。技術だけではありません。食べ物や文化も、彼らによって持ち込まれました。その技術者もそれこそ個人ではなく、種族、あるいは民族という集団で移住してきたのです。陰陽師の起源はそういった技術者集団の中から生まれました」

「じゃあ、陰陽師も鬼だった、と?」

「そうとも言えます。けれど実際は鬼という言葉を用いて、彼らを鬼にしたのが陰陽師だったのです」


 その言葉を森ノ宮静華が声にした時、窓が閉め切られているはずのこの図書室の中に、一陣の風が抜けていった。

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