76 朴訥


          *


 会議の後、おすくにもまた表情をけわしくしながら自身の部屋へと戻った。

 悟堂ごどうの退出の後、食国が滔瀧とうたつに向けた叱責しっせきは激しかった。滔瀧とうたつ自身もその意味が分からぬ程愚かではない。叱責と言うよりは罵倒ばとうに近いそれと七日の蟄居ちっきょを甘んじて受けた。つまり臨赤りんしゃくとの接見の場から彼を外すという意味である。

 混血児の麾下きかの内、伊庭いば射干やかんは母宇迦之うかのに従い帝壼宮ていこんきゅう入りしている。えん想淑そうしゅくはそもそも対臨赤のかなめとして動かす予定だったため、本来であれば帝壼宮入りする時には悟堂、野犴やかん、そして滔瀧とうたつを共とし、留守はろうおう親子にゆだねる予定だった。


 らい妣國ははのくにとどまっていれば、万一帝壼宮で食国の身に危険が迫った場合も、『環』を通じて即座に彼の下へ引き戻させる事ができるからだ。


 しかし、その供とするはずだった二人がこんな形でいさかいを起こした以上、この予定に即する訳には行かなくなった。

 まだ見ぬ鸞成皃らんせいぼうを前にする時に、火種を抱えたままでいたくない。してやこの程度の事すら制御できないのかとあなどられたくない。自身に対する評価はすなわ白浪はくろう其の物に対する評価となる。ここまで生き延びついてきてくれた四万の民がさげすまれる事になり兼ねない要因を、見す見す看過かんかする事は出来なかった。



 悟堂が目覚めたのは師走しわすの頭だった。

 ただしくは、霜月しもつきの末より覚醒かくせい予兆よちょうはあった。それまでの七年、呼吸すらあるのかないのか怪しい悟堂の状態に食国は気をんだ。況してや年単位の絶飲食である。このままはかなくなってしまうのではと恐れた食国の疑問に答えたのは野犴だった。

 の民は飲食失くしてもその生命を失わない。流石さすがにそれが純粋な五邑ごゆうであれば長期の昏睡こんすいでの絶飲食は生命が危ぶまれるが、己等はそうではない。夜見が死に絶える時は雲散霧消うんさんむしょうする。だから案じなくともよいのだ――と。果たして覚醒間際には睡眠時程度の呼吸を取り戻し、あの日をむかえた。

 その目覚めを確認し、悟堂本人の意思を把握はあくした上で直後に会合を持った。その場で食国は、これより白浪はくろうせんざんの位置を明らかにし、このしらせを持って帝壼宮と対峙たいじする。そしてえいしゅうの智を唯一その脳に記憶させている天照之八咫あまてらすのやあたを奪取すると指示した。これはつまり白玉の奪取と同義でもあった。

 結果、仙山大本営の在処ありかは早々に明らかにされた。師走の末の事になる。それが氷珀ひょうはくにあると野犴から報せがもたらされた時には、流石さすがの食国も戦慄せんりつした。その砦は母の手によるものであり、りょうが駐屯した跡地であった。その事実に、あらがいがたい因縁のようなものを覚えさえする。


 本当であれば、自分もそこにいたはずの場所だった。


 たらればで今の境遇を否定したいとは思わなかったが、それでも、もう一つの起こり得た今に思いをせずにはいられなかった。八咫やあたと共に研鑽けんさんを積んで、頭角をあらわして、二人で朝廷を追い詰めて、白玉を奪還し、姮娥こうが五邑ごゆうもない、全ての民が不当にいためつけられる事のない、真っ当な国をおこしたかった。その結果としての玉座に着きたい――えいしゅうを出た瞬間の食国は、そんな生温い夢を見ていた。

 だが、それも思い描いた程に生易しい道ではなかったろう。今の食国になら分かるが、仙山程度の規模の集で朝廷に牙をくなど不可能だ。仙山自身、それがよく分かっていたからこそ、水源汚染作戦などという背水の陣とも言うべき奇策に打って出たのだろう。そして、敗れたのだ。残った結果は民を蹂躙じゅうりんするものとなり下がり、そのとがなすり付けられた白浪はくろうひょうは地に落ちた。

 この仙山の策略で白浪が大いに辛酸を舐めさせられた事もまた事実。今の自分は、そこにいきどおりを覚える程には、この白浪という集に愛着がある。


 もう、仙山という道は、食国の進むべき物ではなくなっていた。


 この報せをたずさえ、母は国境を超えた。時は如月きさらぎに至っていた。

 出立の間際、母と少しだけ話をした。

 母とは元々あまり言葉を交わす方ではなかった。えいしゅうで長く、母子だけの時を過ごした。千鶴ちづるの件が起きるまでは野犴やかんもいたが、それでも自分達母子と彼との間には、立場の違いらしきものがあった。何も聞かされずとも、それぐらいは理解できた。

 久方ぶりの母子二人の対話である。こうして椅子いすして向き合う事すら何年ぶりの事なのか。己から話があるとたずねた食国だったが、何から聞き出せばいいのか分からずに逡巡しゅんじゅんしていた。しかし宇迦之は――それについて何も言わなかった。

 ただ静かに、食国から言葉が出てくるのを待った。


「――ごめん、母さん。何から話せばいいのか見当も付かない」


 そうとしか口火を切れなくて、素直に告げると宇迦之は微かに笑った。


「構わないのよ。時間はあるから」


 二人だけの時、母の話し方は、こうやって朴訥ぼくとつとしたものになる。無関心という訳でもなく、つまらなさそうという訳でもないのだが、何かにつけ本心と考えている事のつかみにくい人だった。


「あなたに母さんと呼ばれるのは久しぶりね。ずっとかあさま呼びだったのに」

 ぽそりという母の言葉に食国は片眉を上げた。

「人前だからだよ。母さんこそ、二人じゃない時はもっとしゃちほこったしゃべり方してるじゃない。あれ、どっちがほんとなの?」

「こちらに決まっているでしょ。辺境の生まれ育ちなんだから。一応宮廷に属した以上、それなりの事を心がけているだけ。なんならしょう軍にいた時はもっとひどい喋り方していたけど、聞きたい?」

「――いや。良いかな。口の悪いのは僕だけで十分だよ」


 半笑いでそう断ってから、ややあって、食国は肩を下げるとぽつりと零した。

「ごめんなさい。無茶な役を押し付けて」

 結局、結論がそれであった以上、その謝罪から進めるしかなく、食国がわずかに頭を垂れると、宇迦之は小首を傾げた。

「それこそ構わないわ。わたくしが適任だと判断したからでしょう?」

 母の言葉に、食国は首肯すると、ややあってから真っ直ぐな視線を母に向けた。

「母さんは、いつも反対しないでいてくれる」

「そうだったかしら」

「そうだよ。僕が仙山せんざんに行くって行った時も、反対しないで送り出してくれたじゃないか」

「そうね。そうだったわね」

「ねぇ、あれ、ずっと不思議だったんだ。だって野犴がかつての仲間を見つけて迎えに来たって事だったじゃない。それに付いて行かないっていうのを受け入れられたって、客観的に見たら、ちょっと考えられなくて。……理由を聞いてもいい?」

 宇迦之は少しばかり自身のあごに指を添えた後、微かに小首を傾げて真顔で問うた。



「――だって、自分の男を自分で選べるような年の者にあれこれ言うのはおかしくない?」



 母のその直截ちょくさいすぎる言葉の選びように、食国は額を抑えた。

 そう。無関心そうで朴訥としているのに、切り口がやたらと鋭くてまれにひやりとさせるのだ、この人は。







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