32 うちの事ちゃんと攫いにきてくれるんやろ?
「
「いやちがう。……違う、嘘だ。俺は」
ぐぅ、と長鳴の喉が苦痛の音を鳴らした。分かっている。口にした言葉が全て
「――俺はっ、時間があっても、きっと君に他の誰かを選ばせたりなんかしなかったっ」
吐き出される言葉には、本音であるからこその血が滲んだ。
そうだ。選ばせてやる気があるなら、石段を上がる前にどうにかした。他でもない自分が問答無用でここまで引っ張ってきた。選ばせるつもりなんか最初からなかったのだ。
長鳴の口の
「今の俺は、どれ程君から浅ましく
互いの息が鼻先に触れるほどの距離で、長鳴は告解を続ける。
ほとほとと、落涙する事を止められなかった。
「
「兄上の策が
爪が食い込むほどに強く握り締められて、震える右の拳。その手首を、長鳴は自身の左手で締め上げる。
厭だ。
厭で厭で
何よりも守りたいものを守れず、いつかそれが
自分は、兄の受け続けた被虐を
全て、兄一人だけに重荷を負わせた。
その上更に今、その兄が八重の肩代わりを申し出た事に、この上ない安堵を覚えている。
最悪だ。性根から腐り果てている。
床に額を打ち付けて、長鳴は歯を食いしばりながら
「八重、君が自分で選んで。器になるか、それとも方丈に送り込まれるか。器になる方がマシだというなら今からでもいい、下へ降りよう。今ならまだ間に合う。――否やなら、事実がばれてしまう危険を含んでもただ妻だと言い張るか、それとも今、俺に手折られる覚悟があるかどうか――頼む。答えを、出してくれ。考える時間は恐らく今夜いっぱいだけだ。だが本当に明日の朝まで奴等が到着しないという保証はない。奴らが是が非でも君を器に選ぼうというなら直ぐに追ってくるだろう。そしてここが見つかったら、もう君は自分で選択する事もできなくなる」
「長鳴」
震える青年の肩を、八重は静かに見下ろした。
こんな
長鳴は少年時代とまるで変わらないようでもあり、初めて知る青年のようにも感じられた。懐かしく、遠く、掴みどころがなく、世界が閉じられているような心地がした。ふっと、笑みが
「――あんたは、昔っからほんまに泣き虫やな」
小さな白い手が、そっと静かに長鳴の肩を抱いた。伏した身体を覆うように。そっと真綿で包み込むように。
「うちは、ずっとあんたの背中か泣き顔ばっかり見てきた気ぃするわ」
長鳴が顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになったその顔を、八重は袖で拭った。
「八重」
「うちはな、白玉のために器になるんは
ぱしり、と長鳴の頬を両手で挟む。
「あんた自身はどうやねん。うちのこと嫁さんにしたいんか?」
「――したいよ。できるなら」
「
「当たり前だろう⁉」
「ほな、全部終わるまで待ってて。約束したやん、うちらの代で全部終わらせるんやって。熊掌の事やから、只で犠牲になる気はないはずや。絶対なんか考えがある」
「だけど、もし本当の事が知られたら」
「そん時はそういう運命や。うちは、ずるっこの一抜けたなんかしたない」
「八重」
「うちはな、あんたの事だけは、信じてるんや」
八重は、ふわりと、触れるだけの口付けを長鳴にして、今にも泣きださんばかりの笑顔を浮かべた。
「万一……万が一、方丈に
長鳴は、歯噛みをしてから、力の限り八重の身体を抱き締めた。
「――ああ、約束する」
夜明けとともに下山した二人は、固く手を結んでいた。二人が出した結論を、
熊掌は二人に邑長邸で待つよう告げると、
「行きましょう。もう逃げ隠れは終わりだ」
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