二十二 「八月九日・宿命の日」

 八月八日の夜になっても、巨勢博士は戻ってこない。この日の深夜には、約束の八月九日が始まるのだから、食堂にはアタピン女史が一日目玉を光らせてガンバッている。

 みんな食堂に集っているが、空室ばかりの廊下にも八丁鼻とヨミスギが両側にガンバッている物々しい警戒ぶりなのである。

 夕食にはカングリ警部も出席していた。

「八月八日、午後八時か。みんな八ですな。戦争中はスエヒロガリとかなんとかエンギをかついでいましたが、我々警察にとっては、スエヒロガリは何より困ったことですよ。この事件はまさしくスエヒロガリで、まったく、どうも、面目ない次第です」

 そのとき、本署から電話がきた。それをきいて戻ってきたカングリ警部が、

「イヤハヤ、どうも、海老塚さんが、本署の保護室で、目下大演説をしているそうですがね。今夜、この家で大殺陣が展開される、これは神様の思召によるのだそうで、海老塚さんの魂も、今夜はこの家へくるそうで、もう今じぶん、どこか、このへんのすみに詰めているかも知れませんよ。それから、諸井琴路さんは県立病院へ入院しましたが、なかなかの重態で、あるいは絶望かも知れないということです。当局と致しましても、死なれては困る意味もありまして、八方手をつくして治療に当っているのですが、あの御婦人は、天下に稀な、驚くべき意志力をそなえた人だそうですよ。意識不明のさなかにも意志力が働いているそうで、ウワ言らしいものも殆どもらさぬそうですな」

 この事件は、やっぱり、まだ、終らぬのだろうか。私は一馬の顔を見たが、彼もどうやら、再び不安になりだしているらしい。

 今日は多門老、加代子さんのふたなぬであったが、明日は例の如く問題のお梶様の一周忌であるから、例年ならば盛大な法要がある筈であったが、この連続の殺人事件であり、問題の当日でもあるから、来会者の方も気持が悪いにきまっているし、間違いも起き易い。そこで、法要は来年まわしということになった。坊さんの読経があるだけである。

 神山がカングリ警部に向って、

「そうですなア。まったく、あの看護婦は、大犯罪者的でしたなア。第一、目が、ちょッと、こう、三白眼で、ジッと見つめられると、凄味がありましたよ。ところで、事件は、実際、八月九日に起るのですか」

「それがハッキリ分ってくれれば、こっちはシメタものですが、何がさて、我々は、海老塚先生のような神通力や心眼がありませんので、残念です。神山さんは、甚だメンミツに捜査に当っておられるそうですが、あなたの心眼では、いかがです。ひとつ、遠慮なく、御意見をきかせていただけませんか」

「私がひとつ、警部におききしたいのは、解剖の結果の、兇行の推定時間ですな。あれは絶対のものですか」

「そうですね。まず、ほぼ確実とは思われますが、絶対とは申されません。幸い、今度の場合は七件ながら、早々に屍体が発見されておりまして、最もおそいのが、宇津木さんの死後二十時間。そのために、推定時間はほぼ確実とは思われますが、我々とても、それを絶対としているわけではありません」

「千草さんの目隠しというのは、どんな風になっていたのですか」

「あれはですな。これは千草さんの持物の濃紺のフロシキですが、これを二つに折りまして、つまり三角巾型に折りまして、額から後へまわして結んであります。つまり顔の前面に三角巾がダラリと胸の方まで垂れておるわけです。ですから、胸にたれたフロシキごと、その上から縄でクビをしめて殺したものです」

「すると、なんですか。犯人とは非常に仲のよい間柄で、カクレンボでもしようというわけで、メカクシをした、そこをクビをしめた、そんな風な想像も、してよろしい余地があるわけですな」

「御説の通りです。ともかく合意の上で、自ら目隠しをしたと見るべきかも知れませんな」

 ピカ一が横から蛮声をはりあげて、

「それじゃア、なんだぜ。カクレンボしているところを、ほかのホンモノの鬼がきて、しめ殺しやがったのさ」

 神山はふきだしたが、

「まさか、あなた、年頃のお嬢さんが、わざわざ三輪山へでかけて、カクレンボをしますかね」

「イヤイヤ、ヤリかねない。左にあらず」

 ピカ一は真顔になって、

「千草というしこのバカ娘とセムシ詩人じゃ、どうせ、まともなことは、やれないぜ。あたりまえに抱きあって接吻するなんて、そんな月並な芸当が、できるもんか。それに比べりゃ、カクレンボの方が、よっぽど、やりかねないことなんだ。そこで内海先生が、どこかへ、もぐりこんで隠れる。そこへホンモノの鬼がきて、しめ殺す。どうだい。これは、一つの空想としても、芸術的なリアリテがあらア。万事こういうグアイに、でっちあげりゃア、殺人だって、芸術的鑑賞に堪えらアね」

 カングリ警部も笑いだして、

「イヤ、まったくです。芸術家の直観や空想は、時として、神通力をあらわすことがありますからな。あるいは、そんなところが、真相かも知れませんよ。それでは、皆さんの芸術的神通力を拝借いたす意味で、ひとつ打ちあけて申上げますが、第一回目の事件、望月王仁さんの事件に、屍体の寝台の下に、あやか夫人の部屋靴の鈴が一つ、ころがっていたのですよ。これは、皆さんの神通力で、どういうことになりますか」

「いや、それだ。まさしく、君、警部、それですよ。そうこなければならぬ。すべては、明白じゃないか」

 ピカ一は、目をかがやかせて、叫んだ。

 あやかさんは、恐怖に沈んで、大きく目をあけて、警部を見つめた。

「私は、当家へとついで以来、望月さんのいらした部屋へは、まだ一度も、はいったことがございません」

「ウム。さすがに、このキツネも、見上げた奴さ」

 ピカ一は思わずうなった。

「弁解の文句も、ここまで、くりゃア、人を驚かしやがるよ。当家へとついで以来、足をふみ入れたことがありません、とは、ほざきやがるよ。トルコやインドのハーレムじゃあるまいし、十人も泊りゃ一ぱいの、たった二棟のウチじゃアないか。成上り者は広大な天下を知らないから、とんでもないことを言いやがる。こんなチッポケなウチはハーレムじゃ料理人のヒルネ部屋だい。気のきいた蚊は、一晩のうちに、一々の部屋で血を吸って歩かアね。人をバカにするな」

 あやかさんは美しい目に怒りをこめてピカ一を睨みつけていた。

 カングリ警部は、とりなすように、うなずいて、

「いや、奥様の仰言る通りでしょう。その鈴は、たしかに、奥様があの部屋へ落してこられたものではありません。なぜなら、寝台の下は、望月さんの洋服の上衣でキレイにふいてあるのですよ。そして、その上に、鈴だけが一つ、落されていたのです」

 今度は神山東洋がうなった。

「そいつは、奇妙な謎ですな。すると、犯人は、故意に、あやか夫人の鈴を置きのこして行ったわけですか」

「そうですなア。鈴も鈴ですが、なんのために寝台の下をふいたものやら、いかがですか、皆さんの神通力は」

 誰も答えるものがない。カングリ警部は根気よく待ったが、返事がないので、

「それでは、もう一つ、これは神通力ではありません。皆様の助言が欲しいのですが、ちょッと失礼な問題ですが、場合が場合ですから、これを最もマジメな意味で、御協力を願いたいのです。実は、皆さん御承知の通り、この事件には再々アイビキが現れて、まるで、それが特徴のようですが、宇津木秋子さんが三輪山へ行かれたのも、アイビキのためではないかと推察される根拠があります。もしアイビキのためとすれば、相手の方はどなたですか。この席でなくとも、よろしいのです。どなたか、我々に助言をよせていただければ幸いです」

「そりゃア、まア、そんなものだろう。あの人が、ムダに山や森を歩きやしないさ。然しそれは何も失礼なことじゃない。警部君は、人間性というものの崇高なる実相を認識されておらんのだね。宇津木さんは、淑徳も高く、又、愛慾もいと深き、まことに愛すべく尊敬すべき御婦人でしたよ。あのような多情多恨なる麗人を殺すとは、まことに憎むべき犯人だ。ああいう御婦人は、然し、アイビキの当人には殺される筈がありませんよ。なぜなら、時間がちょッとたつうちに、必ず、次の男にお移り遊ばす性質で、こいつ執念深い、うるさくつきまとう奴だ、悪女の深情け、そういうところもチョットあるけれど、うわべだけです。実際は、邪魔な女じゃないからな」

「アッハッハ」神山が、たまりかねて、ふきだした。

「土居画伯は、さすがなもんですなア。御自分の心境ばかりを、もっぱら、述べていらっしゃる。然し、あなた、男が女を殺すのは、悪女の深情け、執念深い奴、そういう意味とばかりは限りませんや。こっちが惚れているけれども、女の方が逃げて行く。それ、土居画伯も仰言った、時間がちょッと流れるうちには隣りの男に移って行く、つまり、それは又、殺される大条件じゃありませんか。そっちのせいで殺される方が、よっぽど世間には有りふれてまさアね。土居先生は、まったく、ひどい人ですな。もっぱら、御自分の心境だけしか、分らないとは」

「いえ。なにさ、オレの言うのは、アイビキの当人が、だから、殺しやしないと言うのさ」

「すると、土居先生が、アイビキの当人かも知れないぜ、これは」

 と、神山東洋はゲタゲタ笑いだした。

「然し、なんだって、又、アイビキに、山だの森へでかけるのかね、男の部屋へ御出張あればよろしいものを」

「それが、それ、ちかごろ警戒厳重で、刑事の方が張りこんでたんじゃ、ハア、ちょッと、あの方の部屋へ、そうも言えませんからな。まったく、罪なことですよ。然し、ほんとうに、アイビキにでかけられたのですか。いったい、その根拠は確実ですか」

 と、神山にきかれて、カングリ警部は、柄になくテレていたが、

「実はですな、宇津木さんのハンドバッグから、アイビキのためにのみ使用せられる性質の品物が、数種あらわれてきたのですな。それとも、宇津木さんのような御方は、年中、そのようなものをケイタイしておられるものですか」

「それこそ、淑女のタシナミさ。昔から言ってらアね。シキイをまたげば、七人の敵あり。天下に、これほど、大切なタシナミはないのさ。警部はまったく人間性を劣情でしか理解できないのだなア」

「イヤ、どうも、恐縮です」

 と、カングリ警部は怒りもせずに、ニヤニヤと、ピカ一にひとつ、頭を下げた。

 食事を終って、一同が広間へ立った。

 広間の中央柱に、紙が一枚、はりつけられている。

「おや、何だろう」

 それを見つけて、まっさきにのぞいて見たのは、丹後であった。

「やれやれ。又、現れたね。八月九日、宿命の日、か。ちかごろハヤリのポスターだね」

 丹後はてんで気にかけずシャレのめしたが、我々は驚いた。

 一馬は紙を睨んで、立ちすくみ、ひきつるように、顔色が変ってしまった。無理からぬことである。海老塚が逮捕されているうちは、と、彼は内々心に安んじていた筈だ。まさか海老塚の魂が、火の玉式にころがりこんで、紙をはりつけて、どこかの隅に息を殺しているわけもない。

 ふと、私が気がつくと、カングリ警部が火をはくような鋭い目玉で人々の顔を一つずつ、喰込むように睨みつけているのを認めた。

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