第148話 暗雲

 星の明かりも届かない、森の夜。

 その暗闇の中を、急ぎ駆け抜ける影が二つ。

 『赤い悪夢』の異名を持つ、バスティアン小隊の隊長バスティアンと、隊員のハビィだ。


「ハビィ、来てるか?来てるか追っ手!」

「来てるよ〜、めちゃめちゃ!」


 バスティアンが振り向くと、鬱蒼と茂った木々の隙間から、幾つもの松明の炎が見える。


「やっばい! 急ぐぞ!」

「っていうかさぁ、もう面倒だから殺っちゃわない?」

「ダメだ! タダで殺り合うなんて、俺は御免だ!」


 迎撃を強く否定するバスティアンに、ハビィは走りながらも肩を竦める。


「ヘンなとこに拘りがあるんだから。大体、傭兵の仕事しか受けない云々って、つい最近言ってなかったけ? これ、傭兵の仕事?」

「仕方ないだろう! あのジイさんには世話になり過ぎて断れないんだ!」


 自分だって、こんな仕事は嫌だ。その感情がはっきり乗った叫びに、ハビィはまた肩を竦めた。

 その二人の背中に、突然強烈な光が当たる。


「眩しっ!」

「魔道具か!?」


 バスティアンの想像通り、短時間だがサーチライトのように光を照らす魔道具だった。

 二人はすぐに光線から外れて姿を隠すが、当たった瞬間はしっかり見られていた。


「いたぞ!あっちだ!」

「絶対に逃すな!!」


 追っ手も、素人ではない。松明を持っているとはいえ、闇夜の中を猛然と疾走してくる。


「来る、来るぞ! なんとかしろハビィ!!」

「あーもう、はいはい。」


 ハビィは大木の真下まで来ると、まるで踵落としでもするかのように、片足を振り上げる。


魔脚ゴレアドル!」


 高く上げた足の爪先から更に魔力の脚が伸び、大木の最上部の枝に巻き付いた。


「掴まって。」

「おお、頼む!」


 バスティアンがハビィに抱き着くと、魔脚は枝に巻き付いたまま急激に短くなる。その縮む勢いと共に、二人は大木の枝へと一気に飛び上がった。

 そして、枝の上で息を潜めていると、追っ手の一団が足元を通過していった。


「………ふう、なんとかやり過ごせたな。」

隊長リーダーってホント、剣で戦うしか能がないのに、それも嫌がってたらなんで来たの?っていうレベルじゃん。」

「う、うるさい、俺は色々考える役なんだ。」


 バスティアンは誤魔化すように視線を逸らし、今来た道の先を見る。


「それにしても……こんな森の奥にあんなでっかいお屋敷があるとはな。ジイさんの言うように、怪しさ満点だな。」

「でも、お金持ちがヘンな所に別邸建てるなんて、有りがちじゃない?」


 ハビィの言う事も分かる。確かに、貴族や豪商など、財力のある者は一般市民では思いつかないような田舎に別荘を建てたりするものだ。


「……別邸、ねぇ。じゃあ『エンツォ』の本邸ってか、本部は何処にあるんだ?」

「……そう言えば、聞いた事ないね。」


 大陸でも北寄りのプレミラ王国、ノルクベスト王国、トゥルコワン法国。各々に大きな支部を持ち、また、その他の国のいくつかにも小さな支社はある。

 だが、それだけ大きく名を馳せる財閥『エンツォ』の、本部を知る者は殆どいない。よくよく考えれば、かなり異様な事だ。


「………昔から、ジイさんの勘は当たるんだ。それも悪い方の時にな。」


 今はまだ、それが何を示すのかはバスティアンには解らない。

 だが、大陸で暗躍を続けているのは、『教団』だけではないと、改めて感じていた。



  ― ◆ ―


 ノルクベスト南方の山脈。

 まだ雪は残っているが減りつつあり、季節的に吹雪くことは無くなってきていた。真昼の陽の光に照らされ、山肌に残る雪が白く輝いている。


「大分、歩きやすくなってきたな。」


 そんな雪山を行くのは、聖戦十二階段『聖裂』トニ・バラクスラ。そして、数名の聖戦剣士達である。


「しかし、ヴェアン殿は一体どうされたのでしょう?」


 剣士の一人が首をひねる。

 トニを中心とする彼らの役目は、ノルクベスト王国で魔人の調査中に消息を絶った、『聖天』ヴェアンとその仲間達の捜索であった。


「最後の目撃は、この山の麓の村だったというが…。」


 その目撃の日から、既に十日以上過ぎている。いくらなんでも、任務中にそこまで連絡が無いのは異常事態だ。


「ヴェアン殿のことですから、任務達成までは戻れないとでも思ってるのですかな?」

「はっは、違いない。」


 剣士達は緊張感が薄い。彼らは、聖戦十二階段が負けるとは欠片も思っていないのだ。

 だが、トニは最悪の事態も想定していた。ヴェアンは口悪く気位も高いが、任務中の連絡を怠るような性格ではない。

 そんな彼が連絡を絶つような理由として考えられるのは、仲間の誰かがやられ仇討ちに奔走しているか、敗北して囚えられているか、もしくは…全滅しているか。


「ミレク隊の方でも、まだ見つかっていないようですね。」


 従者の一人が、何も書かれていない法通紙を見て言う。

 彼は聖戦剣士ではなく、連絡係として同行している術士だ。聖戦剣士は聖閃気と引き換えに魔力を失っている為、法通紙が使えない。なので、捜索隊などのように直ぐに情報の伝達が必要な場合は、術士が帯同するのだ。

 トニ達と共にソーディンより派遣された、聖戦十二階段『聖舞』ミレク・ジュリアン。彼女達は、より南に下って捜索している。

 目撃証言から、ヴェアン達は南下する魔人を追っていったのではないか、という予測を立てそれを追跡するミレク隊と、南下する前に何かあったのではないかと付近を調査するトニ隊に分かれて捜索しているのだ。


「うん?……あ、あれ!?」


 法通紙を確認していた術士が、突然声を上げる。何事かとそちらを向く剣士達に、術士は法通紙広げて見せた。

 その中央に、焼け焦げたような斑点が幾つも浮かび上がってくる。


「な、なんだそれ? 一体どうしたんだ?」

「こ、これは恐らく、強力な火法を受け、その影響が伝播したのかと…。」


 そこで口籠る術士。火の法術の威力が法通紙に伝わったのなら、それを所持している者がその身に法術を受けたに違いない。

 そうなれば、その結果は想像に難くない。


「……ミレク達が危ない!」



  ― ◆ ―


 『商団』の団長ピノは、忙しい日々を過ごしていた。

 相変わらず、王都サンパドゥとレンシアーナを往復する毎日だが、今日は死火山の火口内にある『商団』の基地にやってきていた。

 

「シンクゥ、調子はどうだい?」


 火口の中心に座する巨大な赤い竜…『最も高貴な赤ルビーグラフ・シンクゥ』は、以前のような鼻息の荒さはなく、唸りもせず大人しくしている。

 その様子からピノは、ティエーネが取り敢えずは問題の無い状態である事を察した。


『ギーの報告だと、聖戦剣を狙っているようだが…』


 恐らくは、ティエーネに言う事を聞かせるのは無理だろう。仮に力付くで確保しようとしたなら、シンクゥの機嫌を大いに損ねてしまう可能性がある。

 シンクゥは、『竜使役の十五芒星』の効果で、ピノを主としている。ティエーネに入れ込んでいるのは危ない所を助けてくれた恩人に対する情であり、優先するのはピノの命令である筈だ。

 だが、最上位竜ノブレスは、本来ならば竜の喚巫女単体の力で召喚出来るような存在ではない。弱って力を失っていたため、運良く召喚出来たに過ぎない。

 それ故、力を取り戻した今のシンクゥなら、暴走すれば『竜使役の十五芒星』の縛りさえ無視して己の意思のみで暴れる事が出来るのでは、とピノは危惧していた。

 あくまで可能性の話ではあるが、少しでもそう思う余地があるならば、シンクゥの機嫌を損ねるのは避けたい。そうなると、ティエーネには現状好きにさせておくしかなかった。


『……まあ、聖戦剣を削っておいて、アタシらに損は無いしね。』


 汎ゆる事象を天秤に掛け、ピノはそれを良しとした。

 そして、シンクゥを撫でながら振り向く。今日、此処まで来たのはシンクゥの様子見の為ではない。そこで片膝ついている男に会う為だ。


「――調子はどうだい、ディーディエ。」

「は、お陰様で万全を取り戻しております。」


 男は、ディーディエだった。上半身は何も身につけていないが、代わりに以前には無かった大きな黒い傷が、左胸を中心に星型に広がっていた。


心器じんきもモノにしたようだねぇ。随分早かったじゃないか。褒めてやるよ。」

「ありがとうございます。」


 ディーディエは深く頭を垂れた。

 死火山にて心器の訓練を行っていたディーディエは、既に以前には無かった魔力を身につけていて、殊勝な態度の中にも圧力を感じさせた。

 それを、ピノが嗤う。


「よし、褒美にご執心の竜斬りについて教えてやるよ。」

「は!」


 先程までの落ち着きから打って変わって、食い気味に返事をして顔を上げる。

 それを特に指摘せず、ピノは続けた。


「竜斬りはロトリロで、『教団』の連中とやり合った。」

「!」

「結果、ロトリロに入り込んでいた『教団』の一味は皆殺られ、大司教も一人死んだようだ。ま、それは『破軍』の仕業だったらしいけどね。」

「竜斬りは!……竜斬りはどうなったのですか?」


 渇望する眼差しで、問うてくるディーディエ。

 どうやら、大司教も『破軍』も、彼にすれば二の次であるようだ。


「分かってはいたけど、お前も相当だねぇ。心配ないよ、竜斬りは無事だ。だが……ヤツのせいでこっちは、間接的にではあるがカデルを失ってる。『教団』をやってくれるメリットより、稼ぎ頭を消されたデメリットの方が大きいんだ。これ以上引っ掻き回される前に始末したいんだよ。」


 そこまで言って、ピノは表情を真剣なものに変え、ディーディエを見据えた。


「……出来るかい?」

「お任せください。我が命と誇りに賭けて、竜斬りは必ず仕留めてみせます。」


 暫時、二つの視線が交錯する。

 先に口を開いたのはピノだ。

 

「―――いいだろう。お前に、竜斬り討伐の任を与えるよ。倒せたら、再び幹部に戻してやってもいい。」

「は、有難き幸せ!」


 その時、周辺にいた基地付きの魔人達は、ディーディエが幹部に戻れる事を喜んで言っていると思った。

 しかしその喜びの本質は、其処ではない。『竜斬りと闘えること』そのものに、である。

 それを見抜いているピノは、少々残念なものを見るような眼をした。


『出世よりが餌になったら、昔の魔人そのものじゃないか。ああ、嫌だねぇ。』


 戦闘好き程度ならいいが、戦闘が何よりも一番になる極端な先祖返りは、ピノの毛嫌いする亡き父を見ているようで、どうにも好きになれない。

 だがそれはそれとして、巧く利用するくらいの腹芸は造作もない。


「なら、やってみな。あ、そうそう、もしプレミラの喚巫女を確保出来たら頼むよ。今は側にいないようだから、出来たら、でいい。」

「は、承知致しました。…では。」


 ディーディエは音も立てずにその場から消えた。

 そのあまりの速さに、ピノ以外の魔人達には本当に消えたかのように感じられたくらいだ。


「……さて、どっちに転ぶかねぇ。」


 敵方の異分子イレギュラーと、自軍に生まれた異分子イレギュラー

 どちらが勝っても上手く事が運ぶように、画策するピノであった。



  ― ◆ ―


 ケネットの山小屋の周りにもまだ雪は残っていたが、一面の雪景色というわけではなく、徐々に雪解けの地面や草花が表れ始めていた。


「んーーーーっ!」


 その小屋から出てきて外の空気を吸い、思いっきり背を伸ばすリコ。

 そこに、小屋の外で剣を振っていたフキが寄ってくる。


「随分と、根を詰めてやってたようだな。」

「ええ、やっとビトーの分も出来上がったんです。」


 嬉しさを隠さず、リコが笑む。

 ケネットと共に作っていた自分の服はとうに完成し、更にビトーの服まで作っていた。

 時間として焦っていた訳ではないのだが、自分一人で作り上げたかった事と、何かしていないと離れているビトーの心配ばかりしてしまう事もあって、あまり休憩を挟まずに完成まで作り続けていたのだ。


「じゃあ、ちょうど良かった。朗報があるぞ。」


 フキが懐から薄い布切れを出して、リコに渡す。

 それは、法通紙だ。先程、文字が刻まれたばかりである。


「《おわたからもどるです》…これって!」

「フェイからのメッセージだ。アイツ、もうちょっと字を練習した方がいいな。」


 子供のようなフェイの書き文字に苦笑するフキ。

 だがリコは、その下手な字の書かれた布を愛おしそうに抱きしめた。


『ビトーが帰ってくる! ビトーが無事に…!』


 それはリコの努力に報いる、何よりの贈り物だった。



  ― ◆ ―


「いや〜、もう春かと思ってたけど、山はさっぶいねぇ。」


 長い白髪に痩せぎすの男が、両手で肩を抱えながら震える。

 それを見て、後ろについていた男が呆れていた。


「そんな格好をしているからだろう。」

「ん? これは譲れないよ。白衣は研究者の正装だからね。」


 振り向いた白髪の男は、『教団』お抱えの研究者、ギネシュである。


「それに、ボクは何を着ていたって関係無いのさ。寒暖なんてものはとっくに超越してる道具を持ってるからね。」


 ギネシュは白衣のポケットから、亀の甲羅のような形をした石を取り出して見せた。


「……じゃあ、さっきの『寒い』っていうのは何だったんだ。」

「偶にしか外に出ないから、定番の台詞を言ってみたかっただけだよ、ルデマ君。」


 全く悪怯れずに適当な事を言う自らの主に、元プレミラ王国の商人ルデマ・アルマレスは溜め息を吐いた。

 毎日こんな遣り取りばかりで辟易としているのだが、『人使役の九芒星』で召喚された以上、ルデマに逆らう事は不可能だ。今はもう、諦めの境地に近い。


「それよりさ、ルデマ君。ホントにこっちで合ってるのかい?」

「………間違いない。知っている魔力の匂いがする。」


 ルデマは数回鼻を鳴らし、確信したように頷いた。

 彼が自分に嘘をつくことは無い。ギネシュは自分の研究成果に破顔した。


「いいねいいね! 全く、素晴らしいじゃないか! 兄の隠し結界をものともしない『輪』と、魔力を嗅ぎ分けるキミの鼻! この組み合わせは、ボク以外には創造出来ないね!」


 自画自賛するギネシュだったが、ルデマはその様子を見ても今度は呆れなかった。

 何故ならその研究成果のおかげで、自分の復讐への足掛かりへと挑めるからだ。


『……愛する者を奪われたら、どんな顔をするんだろうなぁ……楽しみだな、竜斬りィ!!』


 そのルデマの恨みと欲望に塗れた顔を見て、ギネシュは満足そうに笑うのだった。



  ― 第三章【争乱、水の都】― 終幕



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