第137話 仮面の悪魔

 に一番最初に気付いたのはリリアンだった。

 大広間の天井から下る複数のシャンデリア。そのうちの一つ、ちょうど広間のど真ん中に位置する物が、まるでもやがかかったように揺らいで見えたのだ。


「あれ、光が…ねえ見てルカ、あそこ、なんか変!」

「え、なんです?」


 そう思ったのも束の間、今度はそのシャンデリアの灯りが暗く濁り、そこから黒い塊のようなものが滲み出してくる。

 そこから出る異様な気配に、二人の他の者も気付き始めていく。


「――なんだ? 異様な…」

「陛下、お下がりください!」


 アレッサンドラの元にいち早く駆けつけるポーリ。

 そこに、護衛騎士として帯剣していたジェリンピオもやってきて、サーベルをポーリにも渡す。


「大将、あれはあんまり良く無さそうだぞ。」

「ああ、陛下の退出経路を…」


 だが、その時間は無かった。

 塊は突如大きくなると、自らの重さに耐えかねたように広間へとぼとりと落ちる。


「きゃあ!」

「な、なんだ!?」


 会場の者達皆が気付き、その黒い塊に注視する。


「危険だ、騎士以外は下がれ!」


 ルイジールが護衛の騎士から剣を受け取りながら叫ぶ。

 騎士達が前に出て、貴族達が壁際へと退避する。

 そして貴族を逃がす為に、衛兵が広間の扉を開けようとする、が。


「開かない!?」

「こっちの扉もだ!――なんだこれは!」


 扉にはいつの間にか黒い枝、もしくは根のようなものが巻き付いていて、押しても引いてもピクリとも動かなかった。

 そんな人々の慌てようを嘲るように、塊はゆっくりと人型へと変化し、そしてその影のような表面が剥がれ落ちると、中から黒い衣を纏い、異形の悪魔…ガーゴイルの仮面を被った男が現れた。


「なんじゃ、あの仮面。」

「親父! 下がれ!」


 興味深そうに見ているバーロの腕を掴んで、引っ張っていくカナとファービィ。

 その三人を庇うように立つフラッツに、カナが慌てる。


「侯爵もお下がりください!」

「なあに、こう見えてそこら辺の兵士よりは役に立つつもりだ。」


 ファイティングポーズを取りながら、フラッツは開場前に弟から頼まれていた話を思い返す。

 それは、王宮そして大広間の警備体制を最大級にし、第一、第三騎士団を総動員するため、その間の王都の守護をフラッツやカールの連れてきた都市合同軍に任せたいというものだった。

 魔人の狙いが女王であること、そしてロトリロに蔓延っていた全ての魔人が片付いた確証が得られていない以上、多くの重要人物が集まる晩餐会に騎士を集中して抑止力にしたいという話だった。

 そしてそれは計画通りに実行されたのだが、まさかその戦力を一番揃えた晩餐会そのものに、敵が現れるとは思っていなかった。


「てめえ、魔人だな! 何しにきやがった!」


 ポーリが剣を抜くとともに、仮面の男を取り囲む騎士達も既に抜いていた剣を向ける。

 だが、その中心にいる魔人は全く動じていなかった。


「シシシ、素晴らしい、素晴らしかったよ。今回の動乱、実に愉しかった。結果は司祭達の敗北に終わってしまったけど、本当に愉快な茶番だったね。」


 魔人の声はそこまで大きく無かったが、何故かその場にいる全員の耳に届いた。

 フェイは、その時点で異常な魔力を感知する。


「ルカっち、リリあん、フェイの後ろにいるです! アレは、ヤバいです!」

  

 いつもと違って切羽詰まった様子のフェイに、黙って従うルカとリリアン。

 必ずビトーが来てくれる。それまでは、なんとしても耐えるつもりだった。

 

「いくら貴様が強かろうと、これだけの人数を相手に勝てるつもりか?」


 ルイジールの問いに、悪魔の面の魔人は身体ごと首を傾げる。


「数? シシシ、人数など私の前には無意味だよ。試してみるかい?」

「そうしよう。…かかれ!」


 騎士団長の号令で、取り囲んだ騎士達が斬りかかる。

 が、魔人を中心に直径2m程の処で、まるで透明な壁にぶつかったように弾かれる。


「ぐわ!?」

「な、なに!」


 それは、超強力かつ広範囲な魔装だった。通常魔装は自分の体に鎧のように纏うものだが、その魔人の絶大な魔力は、魔装の硬さを維持したまま、範囲を広げる事が出来た。


「じゃあ今度はこっちからいくよ。……百舌鳥の早贄ヤルラ・カルラ。」


 魔人が魔法を発動すると、その背後から黒い光が枝のように幾重にも伸び、周りの騎士達を貫いた。


「……!!」


 黒い枝によって空中で浮いたようになる騎士の体。一撃で十人の騎士が即死だった。


「ば、馬鹿な!? 敵に此処まで強力な魔人はいなかったはず!」

「下僕の司祭達と一緒にされちゃ困るよ。私はね、『教団』四大司教の一人、サリオル。『教団』の頂点であり、最も魔人王に近い存在なんだよ?」


 両手を広げそこに立つ魔人・サリオルは、小柄ながら途轍もない威圧感を放っていた。


「教団、大司教…!」

「そうさ。キミ達が何人いたって、相手になりゃしないんだ。…そういえば、『破軍』や『竜斬り』はどうしたの? いれば、もう少し愉しめたのに。」


 サリオルがぐるりとその首を回し、会場を見渡す。どうやら本当に、いないようだ。

 だが、動いていた視線がフェイの後ろで怯えているリリアンを見て止まる。


「……ん? あのコは面白そうだ。本命を確保したら、ついでに連れて行こうかな。……まぁ、まずは本命優先だね。よいしょっと。」


 サリオルの体が自らの影に沈むと、影が床を這うように高速移動して、壇上に登る。


「させるか!」


 その影が王座に辿り着く寸前にポーリがサーベルを突き立てるが、手応えはなかった。


「!」


 影はサーベルを無視して進み、アレッサンドラの背後で人形に顕現する。

 その魔人サリエルを一瞥し、アレッサンドラは吐き捨てるように言う。


「――やはり、狙いは余か。」

「おお、落ち着いてるね、人間にしておくには惜しい魂だ。魔人になるのは無理でも、せめて『竜の喚巫女』となって、役に立っておくれ。」


 サリオルが女王の首へと手を伸ばす。だが触れる寸前にそれを阻止するように稲光が奔った。

 バチッと音を立てる障壁に、サリオルは思わず手を引っ込める。


「む?」

雷法・パルマース!」


 壇の上、左の幕から現れたのはモリナだ。魔人が女王を狙うのを警戒して、予め幕の中に控え、雷法の結界を張っていたのだ。


「着替える時間もありませんでしたからね!」


 着の身着のままで、レオーネに「晩餐会に行って女王を守れ」と言われたモリナは、もう参加は諦めて護衛に徹していた。

 その間にアレッサンドラが下がり、側付きの護衛達が間に入るが、サリオルはそちらは気にせず、モリナだけを見ている。


「キミ、人間の法術士としてはかなりやるね。人縲兵器になる気はないかい?」

「じ、じんるいへーき??」


 その聞き慣れない言葉に疑問符を浮かべつつも、続けて法術を編むモリナ。


『即時ではなく、危害を受けそうな時に発動する雷の結界か。器用な事をするね。』


 その障壁法術は、待機中も魔力を消費し続けることが難点ではあるが、モリナの魔力量がそれを可能にしていた。


「助かる、モリナ殿!」


 守備をモリナに任せ、ポーリとジェリンピオが左右から斬り掛かる。

 が、またしてもその刃は、透明なドームのような魔装に阻まれた。

 だが、それはブラフ。一呼吸遅れて、壇の下からルイジールが氷の槍を繰り出す。


水法ロマ・フロジーナ・スーペ!」


 手に掴んだまま魔力を供給し続けるその氷の槍は、水の法術で最も貫通力の高いものと言っていい。激しい勢いと威力をもって、サリオルの魔装へと激突する。


   バシィィィィィッ!!


 だが、その槍でさえ傷をつけるどころか、魔装に触れた端から溶けて霧散していく。


「な、なんだと!?」

「はぁ、その程度で効く筈ないじゃないか。いい加減にして欲しいね。」


 呆れて溜め息を吐くサリオル。

 そのあまりの力の差に、ルイジールは戦慄した。


『魔人の頂点とは、ここまで桁違いなのか…!?』

「だが、負けるわけにはいかねぇ!」


 ポーリが位置を換え、女王を背にすると火法で火球を放つ。当然のようにその場から動かずに魔装で受けるサリオル。しかし、爆炎によって一瞬、視界が遮られる。

 それを待っていたように、天井の梁から飛び降りてきたのはマルティンだ。


『くたばれッ!』


 魔装に対抗しうる、法術と武術の混成攻撃、スピンナイフ。


   ギュィィィィィィィィィィッ!!


 風の法術の塊が、魔装とぶつかって激しい回転音を響かせる。

 が、破れない。

 

「なんて硬さだ!」

「これは、新しいねっ。」


 仮面のせいで表情は分からないが、その声は喜々としているサリオル。

 笑いながらもその右手を上に掲げると、危険を察知したマルティンはスピンナイフを解いて宙返りでその場から退がる。


「……いい動きだ、オルジャソルを倒したうちの一人だね。他のメンバーは……」

「竜斬剣・竜頭割り!」


 フェイがジャンプして上段から刀を叩き込むが、それでも割れはしない。

 だが、構わず続けて剣を繰り出す。


『ビトーささえ来てくれれば! こんなヤツ!』

「反撃の隙を封じているつもりかい?」


 やれやれと肩を竦めるサリオル。フェイの行動が全くの無駄としか思えない。

 ところが、そのくだらない攻撃に続けとばかりに、他の者たちも斬りかかってくる。


「おらぁぁ!」

「必ず、砕いてやる!」


 その背後で、女王が護衛やモリナに連れられ離れていくのが見える。

 大広間から出られないのは分かっているが、このまま鬼ごっこを続けるのも面倒だ。


「……仕方ないなぁ。とっておきだよ? キミ達程度に披露するなんて、光栄に思うんだね。」


 サリオルが魔装のドームの中で両手を組み、なにやら念を込める。

 すると、その足下にサリオルを中心にして黒い光の三角形が描かれ、それが徐々に四角、五角、六角とカドを増やしながら大きくなっていく。


「な、なんだ!?」

「皆の者、離れろ! その魔力は危険だ!」


 アレッサンドラの叫びが響き渡るが、サリオルは構わずどんどんと多角形を大きくしていく。


「離れたって無駄だよ、もう広間全体が影響下だ。」


 既に角数を数えられないほど大きくなった多角形から、今度は天井に向かって、黒光の柱が伸びる。


「こ、これ…だめなやつ…」

「リリアン、しっかり!」


 黒く濃厚な魔力を感じて、恐れ震えるリリアンを抱きしめるルカ。

 何が始まるのか、解っているのはサリオル本人だけだ。


「シシシ……味わうがいい。偉大なる魔人王の遺物。府陣・『乱天饗孵らんてんきょうふ』!!」

 

 その時、ルカの腕の中でリリアンは、世界の色彩いろが変わるのを見た。



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