第136話 大団円の夜に

 晩餐会の会場である大広間に向かって、フランは長い長い廊下を急いでいた。


「……歩き難いっ」


 ドレスを身に纏うなど、十代の頃以来だ。騎士となってからは騎士服のみならず、普段着もパンツルックなので、スカート自体が珍しい。

 流石にリリアンのように躓きはしなかったが、小走りはおろか、急ぎ歩きもままならない。

 それでも、できる限り急ぐ。既に、晩餐会は始まっている。


『女王陛下は、もう御入場なされている筈…!』


 参加者には明確な開始時間がある訳ではなく、遅すぎなければいつ入場しても良い。只、フランは一騎士として、女王の登壇に間に合わなかった事は失態だと考えていた。

 それもこれも、時間ぎりぎりまで着るドレスを迷っていたせいである。それでも、決まった時にはまだ開場前だった為、フラン自身は間に合うと思っていた。

 だが、侍女達が離してくれない。


「髪結いとお化粧がまだです!」

「!?」


 ドレスを着たなら、それ相応のメイクアップが必要である。久しく社交界から離れていたため、そんな基本的な事を失念していた。

 一緒に悩んでくれた侍女達を無下にも出来ず、それからされるがままになっている間に、時間が過ぎてしまったという訳だ。


 そうして長いスカートとヒールに悪戦苦闘しながらも、広間の入口が見えてくる。

 其処には護衛兼受付役の騎士が幾人かいた。訪れた貴族達が順番に名乗り、入場していく。

 フランも列の後ろに並び、大人しく順番を待つ。開場されて暫く経っていることもあり、列はすぐ進み、自分の番となる。

 見知った騎士もいるが、慣例に倣って名を名乗る。


「フラン・ロッティナだ。」

「はい、フラン様……え、フラン様!!?」


 受付したのは、第一騎士団の騎士だった。フランのドレス姿を見て、目を白黒させて固まってしまった。


「……お役目ご苦労。入っても良いか?」

「は、はいっ、どうぞ…!!」


 慌てて道を開ける騎士に礼を言い、広間へと進むフラン。

 その後姿を騎士達は、呆然と見送っている。


『……あんなに変な顔をするとは。やはり、似合わない格好をするものではないな。』


 騎士の反応に少々落ち込みつつ、此処まで来た以上、最早退路は絶たれていると意気込んで、胸を張って入場するフラン。同僚達が彼女に見惚れていたなどとは、夢にも思わない。

 会場入りすると、法術で灯されたシャンデリアの眩い光に目を瞬かせる。と、目が慣れる前に駆け寄って来た人物がいた。


「フラン!」

「は、母上? 父上も!」


 フランに抱きついてきたのは母親のアンチェだった。その後ろから、父親のカールも歩いて来る。


「フラン、無事で良かったわ〜!」

「父上は兎も角、母上までどうして王都に?」

「ポーリ殿の援軍を、と思って都市合同軍でこっちに向かったのだがな。アンチェもどうしてもついて来ると言ってきかなかったのだ。」


 カールが困ったような顔で言うと、娘に抱きついていたアンチェが顔を上げる。


「だって、心配で心配で仕方なかったのよ。でもお陰で、フランの晴れ姿を見る事ができたわ。」

 

 アンチェはフランから離れると、その全身をまじまじと眺める。


「は、母上?」

「……素敵よ、フラン。」


 フランが着ているのは、淡い紫色のドレスだ。胸元には薔薇のモチーフが飾られ、その薔薇からぐるりとデコルテラインに沿ってフリルレースが囲み、清楚な上品さと大人の魅力を合わせて醸し出していた。

 肩の下の短い袖から伸びるスラリとした手の先には、ドレスと同じ色のレースの手袋。

 腰は細く絞られ、そこからふわりと膨らんだスカートにも、段飾りに薔薇の装飾があり、そこから拡がるように花びらの模様が施されている。

 美しい金色の髪は結い上げ、薔薇のコサージュで纏めている。シャドウとリップもドレスに合わせた色で、いつもとは違った雰囲気だ。


「ありがとうございます。些か、肌を出しすぎなような気もしますが…」


 お礼を言いながら、恥じらうフラン。そのドレスの露出は首から肩の上辺りまでと、後は腕くらいで決して多いものではないが、彼女にとってみればかなりの冒険であった。


「何を言っているのよ、年頃なんだからもっと見せてもいいくらいよ?」

「こ、これ以上は無理です!」


 アンチェの提案を慌てて否定するフランだったが、侍女たちにはもっと胸元の開いたドレスも薦められてはいた。それは必死で固辞したが、固辞しつつも少々悩んだのは彼女だけの秘密である。


「それにしても、流石王宮のコーディネートね。私の出る幕は無かったわ。」

 

 実はアンチェも晩餐会に合わせて愛娘にドレスを着せるべく、虎視眈々と狙っていたのだが、フランがずっと王宮に籠もって準備していた為にその機会を逸していたのだ。


「代わりに、ルカのコーディネートをしたから、楽しかったけどね。」

「ルカの?」


 アンチェの指す方向を見ると、遠くのテーブルで食事を楽しむルカとリリアンがいた。

 その仲睦まじい様子に、フランも目を細める。


「……ルカも大変だったそうだな。」


 事情を聞いていたカールの言葉に、頷く。


「ええ。女王陛下のお力が無ければ、未だにベッドの上だったでしょう。」

「それにしても、ルカも隅に置けないわねぇ。あの、可愛いじゃない。フランも折角着飾ったんだから、ルカに負けてられないわね。」


 意味深に片眼を瞑るアンチェに、フランは反論する。


「これは、女王陛下のご提案で着たまででして、そのような浮ついた気持ちはありませんっ。」

「ふぅん?」

「くっ……お借りしたドレスのお目見えも未だでしたので、陛下にご挨拶して参ります!」


 フランはニヤつく両親から逃げるようにその場を離れ、アレッサンドラのいる王座へと向かった。



  ― ◆ ―


「全く、母上にも困ったものだ。私にはそんな下心なぞ少しも!……。」


 少しも無ければ、ドレスを選ぶのにあれほど悩まなかっただろう。それは、自分でも分かっている。


『……おかしくは、ないだろうか。』


 今更、自分のドレスが気になってくる。というのも、先程から刺さる幾つもの視線が明確に感じられるからだ。

 元々、視線を集めることには慣れている。だがそれはあくまで騎士として、であり、今夜のような姿で注目を浴びた事などない為、段々と不安になってくる。

 実際はその視線の意味は、普段とは違うフランの姿に心ときめくもの、単純に綺麗な女性を目で追うもの、その女性が誰に向かって行くのかという好奇心、等であり、要するに大変好意的なものであるのだが、フランはその自信の無さからネガティブに捉えてしまっていた。


「遅くなり申し訳ございません。フランチェスカ・ロッティナ、罷り越しました。」


 漸く王座の前に辿り着いたフランは、片膝付いて壇上の女王へ礼をする。


「……そうではないぞ、フラン。それは、騎士の礼だ。」


 アレッサンドラが優しく嗜めるように言うと、フランは赤面して立ち上がる。


「し、失礼致しました。」


 スカートの裾を両手で持ち上げ、カーテシーをする。久し振りとはいっても、貴族の娘である。その姿は周囲が感嘆するほど、正しく洗練されていた。

 だからこそ、誤って騎士礼を行ってしまった事に、女王は苦笑する。


「心ここにあらず、といった感じか?」

「い、いえ、決してそのようなことは…。」

「ふむ。近う寄れ。」


 そう言いながらアレッサンドラ自らも壇の端まで寄ってくる。なので、フランも急ぎ歩み寄った。

 壇の高さは膝程度なので、近付けば殆ど身長が変わらないくらいになる二人。


「もっと近くだ。耳を貸せ。」

「は、はい。」


 周りを気にしない女王の言動に多少戸惑いつつも、言われた通りに耳を向けるフラン。

 アレッサンドラは扇子を広げ、耳打ちする。


「中庭の、噴水に行け。そこで、待っている。」

「!」

「あと……そのドレス、似合っているぞ。心配せずとも、そなたはこの大広間の誰よりも美しい。自信を持て。」


 フランが驚いて顔を上げると、アレッサンドラは既に一歩離れ、扇子を閉じていた。

 その口の端には不敵な笑みが零れている。


「――塩を送るのは、今回だけだからな?」

「え? それはどういう……」


 混乱するフランに答えず、アレッサンドラは王座へと戻ると腰掛けて、眼で「行け」と促した。

 フランは再び令嬢として膝を曲げて一礼すると、踵を返して彼の人の待つ噴水へと急いだ。



  ― ◆ ―


 王宮の中庭。

 数日前の激闘が嘘のように、閑静な以前の様相を取り戻していた。

 建物毎に小さな照明が点いているが、その弱い灯りだけでも十分に明るいのは、水の精霊像の水瓶が薄青い光を放っているからだ。

 従ってフランも、慣れないドレスであっても困ることなく歩けるのだが、今は気持ちが急いていて、走れないのがもどかしい。


 建物の合間、幾つかある中庭の一つに、その噴水はあった。

 王宮の真下にある貯水池から水を組み上げているため、夜の間も止まることなく水柱を立てている。その高さは3m近くにまで及ぶ。

 その傍らに立つ、人影が一つ。

 フランが近寄っていくと、それは噴水を珍しそうに見上げているビトーだった。彼にとっては、噴水自体見るのが初めてだ。


「フラン、これ凄いな。どうなってるんだ?」


 魔力で誰が来たか分かるビトーが、見上げたままで先に声を掛けてくる。


「魔道具で吸い上げているんだ。定期的に魔力を足せば、ずっと動き続ける。」

「へぇ〜。」


 感心するビトーの隣に、並び立つフラン。


「ここで待ってろって言われたんだけど、フランもか?」


 振り向いたビトーが、フランの姿を見る。


「あ、ああ…それは……」


 なんとか答えながらも、思った以上の緊張でそれ以上言葉が続かない。

 鼓動は早鐘のように鳴り、自分でも煩く感じるほどだ。


 このような格好をしている私を、ビトーはどう思うだろうか。

 他の騎士や貴族のように、変に思うだろうか。

 万が一にも、母や陛下のように良いと言ってくれたなら、それだけでいいのに―。


 ビトーは、何も言わない。というより、フランが何か続きを喋るのだろうと思って待っている。こんな時、彼は急かしたりはしないのだ。

 だから、意を決してフランが言葉を紡ぐ。


「えっと…晩餐会で着慣れないものを着たから、少々気疲れしてな。そうしたら、陛下に此方にビトーが待っていると聞いて、散歩がてらにな。」

「そうか。確かにいつもと服、違うもんな。」


 自分の言う事を疑わず、ニカっと歯を見せるビトー。

 堪らず、フランは自分から聞いてみる。


「その、どうかな、こういった衣装を着ていれば、私だって少しは見れたものだろう?」


 そんな言い方しか出来ない自分を歯痒く思いながらも、返事を待つ。

 一言「そうだな」と言ってくれれば…もし「変だ」と言われてしまったら…

 いや、実際には待つという程の長い時間ではなかった。只、フランにはまるで永遠のようにも感じられた。

 

「え、なに言ってんだ。」


 ――そうか、そうだよな。似合わないドレスなど着ずに、いつもの騎士服でいれば良かった。そうすれば、何事もなく晩餐会に参加して、楽しく皆と食事して――


「フランは、いつも綺麗だろう?」

「エ…」


 俯いていた顔を上げ、驚きの表情でビトーを見る。

 ビトーは、いつもの笑顔で続ける。


「だから言うなら『少し』じゃなくて『とっても』綺麗だ、だな。」

「―――バカ。」


 レースの手袋の両手で熱くなる顔を押さえ、後ろに向いてしまうフラン。

 鼓動は治まるどころか、より早く鳴っている。


「ど、どした? なんか拙いこと、言ったか?」

「なんでもない!……なんでもないから、ちょっと時間をくれ。」


 機嫌を損ねたかと慌てるビトーから顔を隠したままで、フランは暫く動けなかった。



  ― ◆ ―


「済まない、落ち着いた。」


 噴水のほとりの石段に腰掛け、フランが漸く持ち直していた。

 その隣に座り、心配そうに見てくるビトー。


「本当か? 平気か?」

「ああ、取り乱して悪かった。こういう女らしい格好を、あまり他人に褒められ慣れてなくてな。」

「へえ、みんな見る目ないんだな。」

「!……だから、ホントにもう…!」


 再び崩れないように、何とか顔を背ける程度で耐える。


「ふぅ。……此処で、随分待たせて悪かったな。」

「いや、噴水見てても飽きなかったし、色々考えてたから時間は気にしてなかったな。」

「そうか。何を考えてたんだ?」

「そうだな、この国に来て見たり会ったりした事とか、レオが言ってた事、あとはやっぱり、一番はリコの事かな。」


 ビトーは星空を見上げながら、まるでそれが当然のことのように穏やかに言う。


「そうか。……済まない、我々の為に離れさせてしまって。心配だろう?」

「うーん、心配は無いかな。フキさん…あ、俺の兄弟子な。も、いるし。何より、あの山小屋にはリコを優しく包んでくれる、護ってくれる、そんな感じがあったんだ。だから心配はそんなにしてないし…リコの事を考えていたのは、ただ俺の方が逢いたいっていうだけだよ。」


 少しだけ照れくさそうに、そして淋しそうにビトーは言った。それは、ビトーの今の素直な気持ちであろう。

 それを聞いても、フランは不思議と落ち着いていた。

 ビトーがリコの事を想えば、それを口にすれば、自分の心はもっとざわめいたり、羨ましく思ったり、ややもすれば嫉妬したりするのではないかと危惧していた。

 だが、それが全くと言っていい程、無い。寧ろ、和やかで暖かな気持ちが心の内に拡がっていた。


『……そうか、私は……』


 フランは、気が付いた。

 ビトーにはリコという大切な人がいる。そして、リコはフランにとっても大事な仲間だ。

 なのに、何故自分はビトーに好意を向けることが出来たのか。

 それは、ビトーが絶対にリコを裏切らないと心の何処かで確信していたからだ。

 ビトーの一途な想いは、よく分かっている。そしてそれは素晴らしいと思うし、そんなビトーだからこそ、好意を持ったのだ。

 それはつまり、自分がどのように動いても、自分フランが仲間であるリコを裏切るような事は起きないだろう、という安心を得ていたということだ。

 

『……なんて臆病で、なんて勝手な恋であろうか。』


 それは、ビトーの一途さを免罪符にしていたに過ぎない。リコに対しても申し訳ない。

 ――もう終わりにしよう。自分は着飾った今の姿を『綺麗だ』と言って貰えただけで十分だ。心から、そう思った。


「……? 何か、あったか?」


 フランの吹っ切れたような顔を見て、ビトーが首を傾げる。


「ああ、私は十分に満足したぞ、ビトー。」

「ん、よく分からんけどフランがいいなら、いっか!」


 笑って立ち上がったフランに続いて、ビトーも立ち上がった。

 その瞬間だった。


  ――キィィィィィィィィィィィィィンッ――


 まるで、警告音かのように、ビトーの頭の中に嫌な感覚が響いた。

 途端に、全身からどっと冷や汗が滲み出

る。


「な、なんだ、この感じ!?」

「ビトー!」


 フランの方も察知していた。

 ビトー程の精度がないフランの感知能力でも、明確に分かる恐ろしい魔力。それが突如として王宮に現れたのだ。

 それも、大広間の方角に。


「――アレッサが、皆が危ない!!」





 

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