第135話 柔らかな緑、麗しの蒼
「……よし!」
王宮で充てがわれた一室で、リリアンは気合いを入れた。既に準備万端、整っている。
昨日、長考の末にリリアンが選んだのは、薄い緑色のドレスだった。若草の模様が刺繍され、彼女の若さと、緑色の瞳によく合っている。アレッサンドラからの太鼓判も得た。
いつも二つに結んでいる赤茶色のふわふわの髪は、今日は一つに纏めポニーテールにしていた。
髪のセットとともに、侍女の手でメイクもしてもらっている。薄化粧のためそばかすが隠れる程ではないが、そのそばかすさえも彼女の明るい可愛らしさを引き立てるのに一役買っていた。
そろそろ晩餐会が始まる時間である。立ち上がったリリアンは、再び意気を高める。
「よし、行こう!」
彼女にとっては人生初のドレスとパーティーである。何か特別な理由がある訳ではないが、兎に角気合いが入っていた。
立ち上がった勢いでそのまま歩きドアを開くと、大広間へと続く長い廊下に出る。
鼻息を荒くして、闊歩してやろうと思ったが、そこは慣れない靴とドレスである。スカートと足が縺れて、前のめりに転びかける。
「わ、わわ、わぁ!」
だが、リリアンが転ぶことは無かった。瞬時に駆けつけた少年が、彼女を抱き止めたからだ。
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさ……あ、ルカ!」
リリアンを助けたのは、ルカだった。
きちんと晩餐会用に正装して、白いシャツの襟にはクラバットを巻き、青いコート、そしていつもの三角帽子ではなくシルクハットを被っている。
「なんか、おしゃれー!」
「奥様に…フラン様のお母様に、選んで頂いたんです。」
リリアンを真っ直ぐ立たせると、ルカは少し恥ずかしそうに笑う。
「わ、わたしはどうかな?」
「とてもよく、似合っていますよ。貴族のご令嬢にだって、負けません。」
「ホント? 嬉しい!」
ルカが真剣に褒めると、リリアンはまるでパッと花が咲いたような笑顔になった。
その笑顔を前に、先程とは違う意味で照れるルカ。
しかし、彼には大事な役目がある。気を取り直して、姿勢を正す。
「…?」
「普段は騎士見習いですが、今夜は紳士見習いです。僕に、エスコートさせて頂けますか、
そして、帽子を取って丁寧にお辞儀する。
それを見てリリアンも笑い出したりせず、真面目な顔で言う。
「ええ、喜んで。」
ルカは顔を上げて手を差し出し、リリアンがその手を取る。
その瞬間、お互い顔を見合わせて、軽く吹き出した。
「あはは、なんかむず痒いね。」
「気楽に行きましょうか、僕達らしく。」
二人は腕を組むのではなく手を繋いだまま、長い廊下を歩き出す。
ルカは、ポニーテールを揺らしながら歩くリリアンの横顔を、チラリと見る。
「ん? どうかした?」
視線に気付いたリリアンに問われ、少々見惚れていたルカは慌てて誤魔化す。
「あ、いえ、その……脚を治して貰った恩は、必ず返します、と誓ってました。」
「またそのこと? もう一生分お礼言われたから、いいよ〜。」
少々呆れ気味に、でも嬉しさもありつつで、リリアンが言う。
「いえ、治らなければ、こうしてエスコートする事も出来なかったのですから。本当にありがとうございます。……それにしても、短い間に魔力を随分コントロール出来るようになったんですね。」
「あ、でもね、それまではあんまり上手に出来なかったの。あの時、何としても頑張んなきゃ、って思ったら、なんかちょっと掴めたみたい。だから、こっちこそありがとう、だよ。」
そう言って何よりも純粋な笑顔を向けてくるリリアンを、ルカは直視出来ない。赤面しながら、視線を逸らして前を向く。
「これで、法術も巧く使えるようになったら、立派な法術士になれるかな?」
「なれますよ、リリアンなら絶対に。」
「ふふ、そっかぁ。おにいを助けられるようになるかなぁ。」
リリアンが育った孤児院で、先に剣士としての才能を見出された『おにい』。
その憧れの『おにい』に少しでも近付きたくて、彼女は法術士を目指したのだ。
『おにい』を想って見せるリリアンの笑みは、さっきの眩しい笑顔とはまた違って、優しさと慈愛に満ちていた。それは、ルカが初めて見る顔だった。
その微笑みが自分に向けられる事は、きっと無いのだろう。ルカは何故だか、胸の奥の方がチクリと痛んだ。
― ◆ ―
ルカとリリアンが大広間につくと、晩餐会は既に始まっていた。
今回の晩餐会は女王の意向で、立食パーティーとなっていた。いつもの格式を少し和らげ、戦勝の功労者達が気兼ねなく参加出来るようにしているのだ。
「あ、ルカっちー! リリあんもー!」
その気兼ねなさを全身で享受するように、骨付き肉片手に反対の手を振るのはフェイである。
「フェイちゃん、素敵な服ー!」
ペロザ砦でフェイがラネルカに治療を受けている間に、すっかり仲良くなった女子二人。
フェイが着ているのは周りの貴族達のようなドレスではなく、体にフィットする民族衣装にような服だった。
褒められたフェイは自慢げに胸を張る。
「ウチの種族の正装です。」
「へぇ、よく持ってきていましたね。」
「常に持ってないと、親父殿に怒られるですぅ。でも、この国のドレスと違って、くるくる丸めてしまえば荷物になんないです。」
白い布に銀色の月の刺繍が入っており、スリットから覗く長い足のせいか、普段より大人っぽく見える。
そして、腰布にはしっかり刀が差してある。
「あ、剣も持ってきてるんだ。……大丈夫なの?」
「刀も含めて、
「ま、まあ、護衛騎士の皆さんも帯剣して会場に入っていらっしゃいますから。」
ルカがフォローするが、護衛騎士はあくまで広間の警護係であり、パーティーの参加者ではない。
それはそれとして、反乱鎮圧での魔人討伐で活躍したフェイを、咎めるものは特にいなかった。
「……あれ、ビトー君は?」
「ああ、ビトーさなら…」
フェイが答えようとしたその時だった。
「女王陛下、御入場!」
高らかな宣言とともに、広間の一角に配置されていた楽隊が荘厳な調べを奏でる。
そして広間の最奥の壁にあった幕が左右に開くと、幕の袖から壇上へ、女王アレッサンドラが泰然と歩き
会場の全てが礼を以て女王を迎え、そして女王が玉座の前に立つと、礼を解いて皆、頭を上げる。
「おお……」
思わず、声が漏れる貴族達。
女王が、いつもの王としての正装「王衣」ではなく、美しいドレスを身に纏っていたからだ。
ロトリロを象徴するに相応しい、深い蒼色のドレス。首から肩にかけてはレースになっていて、上品な可愛らしさと成人を迎える大人の女性としての魅力を双方兼ね備えている。
また、シンプルなシルエットを好むアレッサンドラにしては珍しく、腰の後ろにボリュームを持たせるドレスで、そこに大きなリボンもあしらわれていた。
髪は美しく結い上げている。いつも髪を上げる時は君主らしく額を出しているのだが、今夜は前髪を作っていた。
全体的に、女王然とした普段の装いより、より女性としての魅力を存分に発揮した姿となっていた。
「――万歳! 女王陛下万歳!」
「女王陛下万歳! ロトリロ万歳!」
何故か大広間に万歳が巻き起こる。
戦いに勝利した女王の登壇なので、万歳が起こるのも不思議では無い。不思議では無いが、今は明らかに違う意味で万歳が行われている。
「万歳!女王陛下万歳!」
自称メロメロ親衛隊長のバーロは涙を流しながら叫んでいる。
その後ろで、メイド長のカナと元宮廷法術士ファービィが、顔を見合わせて溜め息を吐いた。数分前までの修羅場のような空気など、バーロの女王愛の前には霧散してしまうのだ。
「……だからといって、無罪放免になるわけじゃないからな。」
更に後方から息子のフラッツが腕組みして背を睨んでいるのを、バーロはまだ知らない。
― ◆ ―
女王登壇の少し前。
大広間の横の待機室で、アレッサンドラはくるりと一回転してみせた。
「どうだ? 余も捨てたものではなかろう?」
それを椅子に座って眺めていたのは、ビトーである。
こちらも普段は着慣れない襟の大きな白いシャツを着させられているが、それ以上の正装は「ごちゃごちゃして動きにくいから嫌だ」と身に付けなかった。フェイと同様、腰の大鋼は忘れていない。
「うん、可愛いな。凄くいいと思う。」
ビトーは素直に賞賛するが、アレッサンドラは動きを止めて、不服そうにビトーを睨む。
「何かこう、余を子供扱いしているだろう。」
「子供扱いっていうか、実際まだ十三歳じゃん。」
ビトーは、アレッサンドラを女王として、人の上に立つ者として、その在り方を尊敬もしているし大人より余程立派だとも思う。
だがその上でビトーにとってアレッサンドラはやっぱり十三歳の少女であり、庇護対象である。
大人として、一人の女性として評価しろと言われても違和感があった。
「……余を子供だと言うのは、お主くらいだぞ、ビトー。」
「なんでさ。賢くったって、偉くったって、子供は子供だぞ。周りの大人がちゃんと守ってやらなきゃ駄目だろ。」
子供・大人以前に女王としての責任を求められるアレッサンドラとしては、年相応に思って護ろうとしてくれるのは確かに嬉しくもある。嬉しくもあるのだが、ビトーには大人としても見てもらいたい。そのジレンマで、複雑な表情となるアレッサンドラ。
「どうした、変な顔して。」
「ふん、余計なお世話だ。……もうよい、そろそろ時間だ。お主も広間で食事を楽しめ、ビトー。」
やれやれと、腰に手をあてて肩を竦めるアレッサンドラ。
「食事かあ。なんか食べたいものあったら、席に取ってきてやろうか?」
「よい。余の食事は後で用意されている。」
「え、パーティーなのに皆と一緒に食べないのか。」
フッと息を吐き、苦笑するアレッサンドラ。
「王は、王座にて出席者の挨拶を順番に受けるのだ。会の間は、食事などしている暇は無い。」
「そっかぁ。じゃあ、俺もご飯はいいや。終わってから食べる。」
ビトーの発言に、首を傾げるアレッサンドラ。
「――気にせずともよい。腹も空かしているのだろう?」
「んー、でもさ、一人で食べるより誰かと一緒に食べた方が美味いし、な。」
会場にはフェイ達もいるだろうに…と一瞬思ったアレッサンドラだったが、ビトーが言っているのは
「全く、お主というヤツは…。」
「へへ。」
女王は呆れたように言いながらも、口元が緩むのを扇子で隠す。
そして、少しの間思案する。
『……余ばかり一人占めするのでは、公平ではないな。』
アレッサンドラは立ったままで書台の羽ペンを取り、備え付けの紙にさらさらと書き込んでいく。
「なに書いてるんだ?」
「地図だ。……晩餐会に出ないのなら、此処に行け。」
そう言いながら、女王は書き終わった紙をビトーに押し付ける。
「ん? ここって…」
「いいから其処で待ってろ。女王の命令だぞ。」
腕を組んで仁王立ちで言い放つアレッサンドラに、ビトーは笑って、大人しく従うことにした。
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