第138話 乱天饗孵
「なんだ、これは…」
ポーリは、確かに王宮の大広間にいた。だが、先程までとは様子が明らかに違う。
まず、色が違う。暗いわけではない、シャンデリアも光っている。だが、全ての色が赤く黒く見えるのだ。壁も、床も、服も、自分の体さえも。
そして、周りに誰もいない。魔人も、共に戦っていた仲間も、守るべき女王陛下も、だ。
大広間にたった一人残されたポーリだが、まだ冷静だった。こんな異常、魔法による攻撃としか考えられない。
「どういう攻撃なんだ? 今のところ、痛みは無いが……」
不可思議に思いながらも警戒していると、突然、大広間の床全体が揺らぐ。
そして、床に血の池が広がり、そこから人の腕が生えてくる。
「な、に?」
いや、腕だけではない。まるで沼から上がってくるように、腕から頭、胴体、足と、人が這い出てくるのだ。
その全てが正気を失ったような、異様な佇まいで、ゆっくりとポーリに向かって歩いて来る。
「く、また遺体を操るゾンビの兵か!?……う!」
足下から出てきた腕に掴まれ、その場を動くことが出来ない。
「ちッ!」
ポーリは的確に剣を振ると、その腕を斬り落とした。
「ギャァァァァァ!」
「!?」
腕を斬り落とされた者の、苦悶の叫びが聞こえる。
「ゾンビ兵は、痛みを感じないはずじゃあ…」
ふと顔を上げれば、眼前にまで血の沼から出た人々が迫ってくる。
「く、う!」
サーベルを振って、次々と斬る。
「ぐぁぁぁ…」
「ぎゃあああ……」
斬られた者達は倒れ、血を流し、また血の沼に沈んでいく。
『なんだ? ゾンビ兵じゃない? 幻覚? いや、確かに掴まれたし、斬った手応えもある…!』
訳が分らなくなったポーリは、斬るのをやめて走って逃げる。だが勿論、広間の扉は閉まったままで、出ることは出来ない。
そして壁際に追い詰められ、逃げられなくなるポーリ。
「く、やるしかないのか!」
「また、殺すのか…」
「え?」
ゆっくりと歩き集まってくる者達が、問い掛ける。
「また、殺すのか…」
「俺達を殺しておいて…」
「俺達だって、反乱なんてしたくなかったのに…」
ポーリは気付いた。その者達の顔は、ペロザ砦周辺の戦いで、ポーリ達が破った枢機卿軍の騎士や兵士達だ。
「俺達は…仕方なくやったんだ…」
「殺さず、捕虜にでもしてくれれば良かったのに…」
「……それは、戦場の習いだ。手加減は出来ん。」
相手が殺した連中と分かり、ポーリは逆に冷静になった。それならば、やはり彼らはゾンビ兵に近い存在なのだろう。意思を持ったように操って、惑わすつもりなのだ。
そう結論付けたポーリは、容赦なく戦う為に剣を構える。
……だが。
「……ポーリ、助けて、ポーリ……」
「お、お袋!?」
血の沼から浮かび上がり、目の前に現れたのはポーリが幼い頃に亡くなった母親だった。
『まさか、お袋の墓を暴いたのか!? いや、二十年も前だぞ、暴いた処でこんな綺麗には…』
そう、綺麗なのだ。
眼前の母親は、生前のままの、若く、美しい姿だった。
「ポーリ、苦しいの…助けて、ポーリ…」
苦しそうに胸を押さえながら迫る母親は、偽物には思えなかった。
「お袋、ど、どうすれば…」
「ああ、ポーリ…早く、早く助けて…たす、けて……」
歩み寄りながら、母親の身体が、肩から徐々に崩れてくる。
「お、おふく…母さん!母さん!!」
「ポーリ…た、す、け…て……」
慌てて手を伸ばしたポーリの腕の中で、母親は崩れ落ちて灰となった。
「母さん! うぅううわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ポーリは絶叫し、血の沼の床を叩いた。
― ◆ ―
「ブルーノ団長!? まさか……」
ルイジールが見たのは死んだはずの元上司、ブルーノ・コンティスだった。
「ルイジール…俺を、斬れ…」
「意思が残っているのですか!?」
「そうだ……だが、すぐに消える……今のうちに、斬れ…」
悲しげな表情で近付く、尊敬する元団長。
「き、斬れません! 俺はまだ、貴方に教えてもらいたいことが山程あります! 何とかして、助かる方法は無いのですか!?」
「方法は……ある……」
それを聞いて、ルイジールの表情が明るくなる。が、すぐに絶望へと変わる。
ブルーノが手にした剣が、ルイジールの腹を貫いたからだ。
「ぐっ……団長、どうして……」
「お前が死ねば…俺は助かる……だから、死ね……」
剣は横に掻っ捌かれ、ルイジールは一、二歩よろけると、前のめりに血の沼に倒れた。
― ◆ ―
突然広間の
「ルカ…」
「ルカ、大きくなったね…」
幼い頃の朧げな記憶が、ルカの頭の中を駆け巡る。
そして、その二人が誰であるか、はっきりと思い出した。
「とうちゃん!かあちゃん!」
溢れる涙を拭うこともせず、ルカは父母に抱きついた。
「ルカ、寂しい思いをさせてごめんね…」
「ルカ、これからはずっと一緒だぞ。」
「ほんと!?」
まるで幼子に戻ったように、ルカは目を輝かせる。
「そうよ、ルカ…」
「家族三人で、仲良く暮らしていこう…」
「………家族、三人?」
ルカの心に、小さな波紋が起きる。
何か、忘れている?
そうだ、僕達は、三人家族じゃなかった。
「とうちゃん、かあちゃん、にいちゃんは? にいちゃんはどこ?」
「………。」
「にいちゃんも一緒じゃなきゃ嫌だよ、とうちゃん!かあちゃん!」
ルカの呼び掛けに父母は答えず、ゆっくりと沼に沈み始める。
「! 待ってよ、置いてかないでよ! とうちゃん! かあちゃん!」
だが二人に表情は無く、一言も発しないまま、沼の底へと消えていった。
― ◆ ―
「ゆ、許してくれ、殺したくなかったんだぁ!」
「うゎあああ!」
「と、父さん、ああああ!」
「虐めてごめん、悪かった! う、うわぁぁぁぁ!!」
大広間は、正に阿鼻叫喚の図となっていた。
壇上から広間を見るアレッサンドラには、何が起こっているのか理解できない。
彼女の目に映る色彩は、元のままだ。何も変わらず、ただ皆が皆、叫びながらその場で一人で倒れ、もがき苦しんでいるようにしか見えないのだ。
「これは、一体なんだ!? 貴様、何をした!?」
「シシシ、これが『
「幻影を見せる魔法…!」
「いや、違うよ。彼らにとっては現実さ。なんせ、触ることも触られることも出来る。斬ることも、斬られることも、ね。そこで感じる苦痛は、やがて彼らの精神を殺すのさ。」
アレッサンドラは青褪めた顔で再び苦しむ人々を見る。中には、ひきつけを起こしている者や、気絶している者もいる。こうなってしまえば、何人いようが関係ない。後はサリオルがトドメを刺すのも容易いだろう。
人々の罪悪感、後悔、恨み、悲しみ。それらを呼び起こし精神を蝕む、恐るべき魔の異能であった。
アレッサンドラが『府陣』の影響を受けていないのは、サリオルがターゲットから外しているからだ。
「シシシ、これで観念したかい? では大人しく待っていてくれ給え、すぐに人間共の始末を…」
「ルカ、ルカ、しっかりして!」
サリオルは驚いて、声のした方を見る。この状況で真面な精神を保った者がいるなど信じられなかった。
「とうちゃん!…かあちゃん!…」
「しっかりしてルカ、ここには誰もいないよ!」
その声の主は、リリアンだ。
亡くした父母の幻影を視るルカの意識を戻そうと、必死に揺さぶっている。
『何故だ? いくら魔力が高いとはいえ、『乱天饗孵』からは逃れられない。しかもあの娘、確かに術にかかっているはず……』
だが、リリアンの意識はしっかりしている。幻覚も何も、視ていない。
「……まさか、誰かを亡くしたり、他者を傷つけたことが、無いのか!?」
リリアンは、物心ついた時には孤児院にいたため、本当の両親が生きているのか死んでいるのかさえも知らない。
また、芯は強い性格だが、弱者を傷つけるようなことはしたことがないし、勿論誰かを死なせてもいない。
そういう真っさらな人間には、『乱天饗孵』は効果が無いのだ。
「……人間とは、つくづく可笑しなモノだな。そんなバカみたいなヤツが存在するとは。」
「馬鹿ではない。余は、リリアンを誇らしく思う。人間として。」
凛々しくもサリオルを睨みつけるアレッサンドラ。
「………ま、いいや。あのコも連れて行くつもりだったから。他から始末していこう。」
気を取り直して、黒い枝の魔法を発動させようとするサリオル。
その前に、両手を広げてアレッサンドラが立ち塞がる。
「なんのつもり?」
「やらせない…! 余の臣下も、友も! 誰一人、殺させない!」
女王の瑠璃色の瞳に意志の光が灯り、その全身に魔力が漲る。
魔人の罠に打ち勝ったリリアンの姿が、アレッサンドラに勇気を取り戻させたのだ。
「大した魔力だよ、すごいすごい! でもね、それを戦いに活かせないんじゃ、私を止めることは出来ないんだよ?」
「く!」
アレッサンドラは、戦闘用の法術を知らない。
リューベ王家の者は、それを習わない。ロトリロ王の魔力は、戦う
「もういいかい? 其処をどくんだ、じゃないと巫女候補だって、少しぐらい痛めつけるよ?」
「何度も言わせるな、絶対に退かない!」
「……あ、そう。仕方ないな。」
サリオルの背後から、枝が一本勢いをつけて伸びてくる。
その威力で、女王を撥ね除けるつもりだ。
『一度、たった一度だけでいい! この魔人を倒して、皆を救える力を! 戦う力を、余に!!』
「――それは、俺の役目だ!!」
ガキィィィィィン!!
寸前まで迫った枝は、大鋼によって弾かれる。
「なにッ?」
「ビトー!!」
それは、天から飛び降りてきたビトーだった。空中で黒い枝を止め、一回転して見事に降り立つ。
そしてすぐにアレッサンドラを片手で抱くと、その場から跳躍して離れる。
「あぶねぇ!」
ビトーに遅れるように、天井から無数の瓦礫が先程降り立った位置に降り注ぎ、其処にいたサリオルを巻き込んでいく。
「おお〜、間一髪。遅れて悪かった、アレッサ。」
「…ビトー、余は助けられてばかりだな。何も出来ない王など、情けないよ。」
ビトーは敵から距離を取って着地すると、アレッサンドラを下ろし、その瞳を見つめて言う。
「違うぞ、アレッサは戦いなんてしなくていいんだ。戦わなくたって、立派で優しい女王様だって、皆知ってる。それに、戦うのは
「こ、子供扱いするでない!」
たった一人で魔人に立ち向かい、気丈に振る舞っていたアレッサンドラ。まだ強がった事を言っているが、その眼からは自然と涙が零れた。
それは、絶対的な安心感。そして、一番
「お、やっぱあれくらいじゃ全然平気か。」
瓦礫を押し退けて砂煙の中から出てくるサリオルを睨み、ビトーが大鋼を構えた。
「さあいくぞ魔人! ここからは俺が相手だ!!」
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