第133話 乙女たちの時間

 王都リューベに到着した女王一行を待っていたのは、市民達の熱烈なお出迎えだった。


「ロトリロ万歳! 女王陛下万歳!」


 王都正面入口から王宮へと向かう、大通りの沿道は両側共大変な人集りとなり、そこを進む一行はまるでパレードの様相だ。

 列の後方の馬車に乗るリリアンは、車窓から見るその風景に圧倒されていた。


「人、すごっ!…女王様って、やっぱり大人気なんだねぇ。」

「そうですね、正直、法都でもこの熱狂には勝てるかどうか……おっと。」


 思わず正直な感想で、祖国を貶めていると思われかねない発言をしてしまい、慌てて口を噤むラネルカ。


「アレッサンドラ女王陛下は、国民に大変慕われていらっしゃいますよ。」


 二人の案内役として一緒に馬車に乗っているルカが胸を張った。

 幼い頃から君主として、また恵みの水を齎す大神官として、健気に頑張る女王陛下。しかも成長するにつれどんどん見目麗しくなり、民の前に立った時の姿も発言も王として相応しいものになっていく。

 その治世が前王よりの平和が続いている事もあり、国民からの支持が高いのも当然といえる。

 その女王に危機が迫り、遂には王都を脱出するにまで至った今回の反乱では、王都民にとっては顔面蒼白の事態であったが、無事、短期間で王宮を取り戻し、そして女王の勝利の凱旋である。盛り上がらない訳がない。


「あ、あの子!」


 リリアンは、沿道の人垣の中に、母親らしき人に抱かれて手を振る男の子を見つけた。あの日、王都の街中で衛兵に石を投げつけた男の子だ。


「無事だったんだ、良かった…。」


 満面の笑顔で大きく手を振る男の子に、手を振り返すリリアン。向こうからは見えていないだろうが、何か通じたような気がして、心が暖かくなった。


「しかし、我々まで王宮にお招き頂いてよろしかったのでしょうか?」


 小心者のラネルカが心配そうにルカに聞いた。同盟国の者とはいえ、あくまで一留学生とその引率に過ぎず、本来なら王宮に立ち入れるような身分ではない。


「それはもう、お二人はペロザ砦での功労者ですから、陛下から是非に、と。」

「いえいえいえ、功労者って言うほどの者ではっ。」


 焦って謙遜するラネルカ。どうも、招待される喜びより緊張の方が勝ってしまっている。

 対して、リリアンは割りと堂々としていた。


「せんせー、折角だから楽しもうよ! 王宮の晩餐会なんて、多分一生に一度だよ?」


 リリアンは夢見る少女のように、両手を組んで宮中晩餐会を想像するポースをしてみせた。

 それは、クーデターにより急遽中止になっていた、『至宝蒼衣の儀』の前に行われる晩餐会の事だ。

 王都奪還の祝勝会も兼ね、また王都民だけでなく国民に広く、「世はなべて事もなし」であるという事を知らしめる為に、王宮帰還後早々に執り行われることとなったのである。

 リリアンとラネルカは、その晩餐会に特別に招待されているのだ。


「でも、晩餐会は明日の夜でしょ? それまではどうするの?」

「お二人には王宮の客室をご用意してますから、そこで寛いでお待ち下さい。」


 ルカはにこやかに伝えるが、ラネルカは果たして寛げるのだろうかと、また心配になる。


「あ、その前に。リリアンさん。」

「はい?」


 急に畏まって真面目な顔で「さん」付けするルカに、リリアンも釣られて姿勢を正す。


「貴女には、本日の御予定がありました。女王陛下が個人的にお会いしたいと。」

「はへ?」


 気の抜けたような声を出してしまったリリアンに、ルカはまた笑顔に戻るのだった。



  ― ◆ ―


『な、なんだろう、個人的なお話って。』


 侍女に先導されながら、リリアンは長い廊下を歩く。

 壁の石は顔が映るほど磨かれ、床石も塵一つ落ちていない。王宮内は先日激しい戦闘が行われたと聞いていたが、その痕跡はリリアンにはまるで見当たらなかった。一昼夜かけて、女王の帰還の前に清掃完了した、王宮のメイド達を中心とするプロの仕事である。


「こちらで御座います。」


 その声で気付いた時には、既に侍女は部屋の主の許可を得て、ドアを開いて待っていた。


「あ、はい、ごめんなさい!」

 

 恭しく頭を下げる侍女に礼を返しつつ、部屋に入るリリアン。

 その部屋は、リリアンが泊まっていた宿の部屋の十倍はありそうな広さだった。

 まるで足音がしない柔らかな絨毯。天井から下げられた大きなシャンデリア。美しい意匠が施された家具や壁紙。どれをとっても、リリアンが想像した夢見る王宮を超えていた。


「よく来たな、リリアン・サナリー。待っていたぞ。」


 アレッサンドラは、部屋の真ん中にあるソファーに腰掛けていた。その目の前のテーブルを挟んで、反対側のソファに座っていた騎士が立ち上がり、リリアンを迎える。


「あ、ルカの…」

「フラン・ロッティナだ。ルカを助けてくれて、ありがとう。本当に、感謝しているよ。」


 戦後処理で何かと忙しかったフランは、ペロザ砦では真面にお礼が言えていなかった。改めて、リリアンの両手を取るとがっちりと握手し、潤んだ瞳で礼を言う。


「いいええ、わたしは、なんにも…」

「謙遜する事はない。お主がいなければ、余の法術は完成しなかった。誇っていいぞリリアン。」


 ソファからのアレッサンドラの言葉に、リリアンは照れつつも、嬉しい気持ちでいっぱいになった。


「……まあ、感動の対面はそのくらいにして、二人とも座れ。緊急事態だ。」


 女王に緊急事態と言われ、二人は急いで対面のソファに並んで座る。


「陛下、緊急事態とは、一体…もしや、逆賊の残党が!?」


 いきり立つフランだったが、アレッサンドラは首を横に振る。


「なんでしょ……あ、晩餐会のお料理が足りないとか?」

「そうなったら確かに一大事だが、それをお主らに相談しないだろう。」


 アレッサンドラが苦笑しながら腕を組み、二人の顔を順番に見る。

 その真剣な眼に、フランはゴクリと喉を鳴らし、リリアンの頬に汗が伝う。


「お主ら……明日の晩餐会は何を着て出席するつもりだ?」

「「え?」」


 思わず同時に聞き返した二人は、顔を見合わせる。


「え、えーと、質問の意図がよく…」

「いいから答えよ。」


 腕組みしたまま問答無用といった雰囲気を醸し出すアレッサンドラ。

 その迫力に気圧されて、真面目に答えようとする二人。


「はい、私は儀礼用の騎士服で…」

「却下。」

「わたし、きちんとしたのは学院の制服しか…」

「それも悪くないが、今回は却下。」

 

 有無を言わさない女王は、右手を高く上げ指を鳴らした。

 すると部屋のドアが開き、移動式のクローゼットを押しながら侍女達が入ってくる。

 6人の侍女が運んできたクローゼットは3つ。その両開きの扉の取っ手を片側づつ掴み、滑らかな動作で6人全員が同じタイミング、同じ速度で開いていく。

 

「わぁぁ…!」

「こ、これは?」


 リリアンが感嘆の声を漏らし、フランが驚きに固まる。

 クローゼットの中には、色とりどりのドレスが詰められていた。


「サイズは二人に合わせて用意した。可愛らしいものから大人の魅力を引き出すものまで、様々なパターンで、各々三十着ある。」

「さ、さんじゅ…」

「日があればもっと用意出来たのだろうがな。明日だから、この程度で我慢しろ。」

「が、がま…」


 さっきから驚きの連続で言葉が出なくなってしまった二人に、侍女たちが纏わりついて、服を脱がせようとする。


「ちょ、ちょっと待って!」


 脱がされそうになった上着を押さえ、フランが抵抗する。


「不服か?」

「い、いえ……その、私は騎士となって以来、社交界には縁がなく…出る時はいつも騎士服でしたので。」

「で?」

「そ、その、今更ドレスは恥ずかしいと申しますか……」

「残念ながら、今回ばかりは耐えて貰うぞ。余に付き合え。」


 いつになく押しの強いアレッサンドラに、言い返せなくなるフラン。


「ほれ、リリアンを見てみろ。大人しく従っているではないか。」


 見ると、リリアンは侍女の手によって下着姿にされ、オレンジ色のドレスを体に充てがわれていた。侍女達が楽しげにあれやこれやと相談しているのに対して、リリアンは完全に無抵抗で呆然としている。


「……あれは、放心しているだけでは……」

「そなたも観念して試着しろ。試着しないと、露出の一番多いドレスに勝手に決めるぞ。」

「わ、わ〜、いっぱい試着できて嬉しいですー!」


 何故だかフェイのような喋り方になりつつ、慌てて上着を脱ぎだすフラン。

 それを眺めながら、アレッサンドラはご満悦だ。


「よし、一通り着せるのだ。余を愉しませよ。」

「はい陛下!」


 侍女達の意気のあった返事を聞き、もうされるがままになるフラン。

 棒立ちのところに侍女が取り付いて、勝手に着飾っていく。鏡に映るそんな自分の姿を他人事のように眺めながら、フランは思う。


『陛下がこのような事をなさるのは、珍しいな。少し、はしゃいでいらっしゃる…?』


 ふと見れば、アレッサンドラは子供のような笑顔で、ピンク色のドレスを着させられたリリアンに向け、手を叩いて喜んでいる。

 フランは、少なくともこうした感情を出せる相手に自分が選ばれているのは、嬉しかった。

 その視線に気付いたのか、アレッサンドラがフランの方へ向き直る。


「おお、良いではないかフラン。ぐっと艶が増しているぞ。」


 言われて鏡を見ると、いつの間にか淡い紫のドレスを身に纏っている。ボリュームのあるスカートに対して、上半身は体のラインがしっかり出ていて、上品ではあるが艶めかしい。


「わー、綺麗。フランさん大人っぽー。」

「こ、これは!? 肩や胸元が開きすぎです!」

「デコルテは見せてこそ、魅せるものだぞ。それにするか?」

「い、いえ! せめてもう少し布の範囲が広いものを…!」


 慌てて他のドレスを見るが、フランの年齢相応の物となると、うなじや肩周りを見せる物が多く、閉口してしまう。


「これ、可愛い!」

「うむ、似合っているぞリリアン。」


 リリアンが着ていたのは、水色の花柄をあしらった、少女らしい可愛らしいドレスだ。首元までしっかり詰まっていて、襟のリボンが目立っていた。

 手首から先と、首から上しか露出していないようなその姿を、羨ましそうに見つめるフラン。

 それに気付いたアレッサンドラが釘を刺す。


「フランは駄目だぞ。もっと大人の淑女用でなくてはな。」

「うう、ご無体な…」


 困り果てるフランの様子に、アレッサンドラは立ち上がって歩み寄り、耳元で囁く。


「……普段とは違う姿を見せたいとは、思わんのか?」

「!」


 思わず目を見開いてそちらに向くと、アレッサンドラは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「誰にとは言っていないが、見せたい相手がいるようだな。」

「そ、そのような事は御座いませんッ!」


 赤らめた頬を隠すようにクローゼットの方へ向き、否定するフラン。

 だがそこからは、先程までとは打って変わって、真剣な眼差しでドレスを選んでいく。

 その後ろ姿を見て、アレッサンドラとリリアンは顔を見合わせ、愉快に笑った。



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