第132話 アレッサ
朝日に照らされながら、優雅に其処に立つ女王アレッサンドラ。
彼女の纏う衣は、宝飾もさる事ながら生地自体が光沢を帯びていて、まるで触れた陽光が弾けて光の粒を生んでいるのではないかと思ってしまうほど、煌めきに包まれて見えた。それは衣装だけではなく、アレッサンドラの深く青い髪や、朝日に透けそうな肌も、同じか、それ以上の輝きを放っている。
並の者なら話しかけるどころか、近寄るのも躊躇してしまいそうな神聖な佇まいだが、ビトーは気にしない。
「アレッサ! おはよう。出発前にこんな処に来てて大丈夫なのか?」
女王としての正装をしていても普通に歩み寄ってくるビトーに、アレッサンドラは少しだけ嬉しそうに見えた。
「大丈夫、ではないかな。騒ぎになる前に戻らなくてはいけない。」
「そうなんか。女王様になると、朝日を見に来るだけでも大変なんだな。」
腕組みして悩ましげな顔をするビトーだったが、アレッサンドラは首を振って否定する。
「そうではない。お主に会いに来たのだ、ビトー。」
「ん? 俺?」
見ると、後ろでルカがサムズアップしている。成る程、ルカの耳ならビトーが砦の何処に居ても、探し当てる事は問題ない。
出発の準備中、アレッサンドラは密かに抜け出して、ルカに案内を頼んだのだ。
「王宮に戻ってしまえば、こうして二人で喋るような事は出来なくなるからな。」
「そっかぁ。それは残念だな。じゃあ、今の内に喋っとくか!」
『そういうところですよ!』と声を大にして言いたいのを我慢しながらルカが少し離れ、瞑想し続けるフェイの側に行く。
その反対側へ向かうように砦壁上をアレッサンドラが歩き出したので、ビトーもそれに付いて隣を歩いた。
「……ビトー、此度は本当に世話になった。改めて礼を言おう。」
「いや、こっちこそルカを治してくれてありがとう。アレッサ、法術も凄いんだな。あんなに完璧に治るなんて、正直吃驚したよ。」
歩きながら、率直に驚きの表情をしてみせるビトー。
アレッサンドラは口元に手をやり、少し笑った。
「フフフ、余も案外やるものだろう?」
「あ、今の感じ!」
「ん?」
「精霊像の天辺で星を見た時と同じ感じがした! なんかいいな。」
それはアレッサンドラが垣間見せる、年相応の少女の部分だった。
だが、それをいいと言われたアレッサンドラは、僅かに淋しそうな顔をして、立ち止まった。
「……ビトーは、女王の余は嫌いか?」
「え? そんな訳無いだろ。アレッサは、どのアレッサも全部アレッサなんだから。」
同じく立ち止まり、何を言い出すのかと不思議そうにアレッサンドラの顔を見つめるビトー。
「……では、嫌いではないのなら……ビトー、ロトリロの騎士になる気は無いか?」
ビトーを真っ直ぐに見上げるその瞳は、適当や冗談では無いことを物語っていた。
「騎士に?」
「そうだ。お主の働きは、それに見合うだけのものだった。他国の者だろうと、法術が使えなかろうと関係ない。騎士として――」
騎士として、自分の傍にいて欲しい。そこまでは言えなかったが、アレッサンドラの瞳は揺れていた。
「んーー、ごめん。俺、騎士にはなれないや。」
「使命の事は分かっている。それが終わってからでも構わない。無論、
「いや、そうじゃないんだアレッサ。」
前のめりに続けるアレッサンドラの肩を優しく掴み、ビトーはゆっくりと諭すように言う。
「……騎士って、やっぱり戦うのが仕事だろ? 俺、戦うのあんまり好きじゃないんだよ。」
「!」
衝撃だった。ビトーの強さを知るアレッサンドラは、彼が自ら率先して戦争に出向きたがっている戦闘狂の類だとは流石に思わなかったが、少なくとも剣や戦いに誇りや、やりがいを見出すタイプだと思っていた。
しかし、そうではなかった。ビトーは本当は、戦わなくていいなら一切戦いたくない人間だった。
リコを護るため、その掛けられた魔法を解くため、誰にも負けないくらい強くなりたいと願った。そして、戦う力を得た。
降りかかる火の粉は払う。リコを傷つける者は許さない。仲間を狙う連中には容赦はしない。……だが、好んで戦闘に興じている訳では無かったのだ。
「そう……だったか。済まない、余は見誤っていたようだ。お主は、騎士としての立場を喜んで受けてくれるのではないかと……勝手に思い込んでいた。」
「いや、いいんだ。あんだけ斬りまくってたら、そう思っても仕方ないさ。」
ビトーが自嘲気味に笑う。その笑顔が、またアレッサンドラの心を締め付ける。
ああ、余は――この国は、戦いが好きではないこの青年に、砦であれだけの惨劇を起こさせ、王宮で衛兵達を斬らせ、戦場では先頭を駆けさせたのだ。
そう想い至ってしまったら、アレッサンドラはもう、瞳から溢れる涙を抑える事が出来なかった。
「アレッサ?……泣かなくていいんだ、何も悪くないぞ。」
ビトーはアレッサンドラの両肩を静かに抱き、あやすように背を擦る。
『子供扱いしおって』…そう文句が出そうになった分、少しだけ落ち着いてきた。
「……済まなかったな、ビトー。お主を騎士にして、手助けして欲しいなどと、余の我が儘であった。」
「え?なんでだ? そんなの我が儘じゃないぞ。騎士になんかならなくても、困ったらいつでも助けに来る。」
その言葉に、顔を上げるアレッサンドラ。
何か言おうとして、だが言えず、口をぱくぱくさせている少女に、青年は優しく微笑んだ。
「俺達は、もう仲間だろ? 仲間を助けるのは当たり前のことだ。」
「…騎士じゃなくてもか?」
「ああ。」
「……戦いが嫌いなのに、か?」
「ああ。仲間が傷つくのは、もっと嫌いだからな。」
「………私は、お前の、仲間なのか……?」
「ああ。アレッサは俺達の、大切な仲間だよ。」
父を亡くし、女王に即位して以来、彼女の周りにいてくれたのは『臣下』だけだった。一国の君主である以上、それは仕方のない事ではある。
だがビトーは、彼女が女王であろうとなかろうと関係無く、ただ、『仲間』だと言う。
「……うぅぅ………うわぁぁぁぁんっ…」
再び下を向いたアレッサは、ビトーの胸にその顔を埋め、声を上げて泣いた。
この国を背負った彼女が、ずっとずっとずっとずっと堪えていた、感情の爆発だった。
泣きじゃくるアレッサの髪を、ビトーは優しく撫で続けた。
「そういうところ、なんですよねぇ……」
離れた所であさっての方向を眺めながら、ルカが先程我慢した台詞を呟く。耳が良すぎるのも、こういう時は考えものだなあと、自戒する。
「アレ、何かあったです?」
漸く瞑想を終えたフェイが眩しそうに眼をぱちくりさせると、ルカは眉を八の字にして笑った。
「おはようございます、フェイさん。改めて、助けてくれてありがとうございました。」
― ◆ ―
多少の遅れはあったものの、ペロザ砦を出発し王都に向かった女王一行。
隊列を組む騎士団に守られ、その長い列の中心で、女王を乗せた馬車は進む。
本来ならば、その馬車の窓はカーテンに覆われていて中は見えないものだが、女王の意向で今は開けられ、そこから覗ける山の風景を楽しんでいた。
「……陛下、何か良い事でも御座いましたか?」
騎乗して馬車に並走しながら護衛するルイジールやポーリに代わって、同じ馬車に乗るバーロが、窓の外へ向く女王に声を掛ける。
「いや、偶には王都を出るのも悪くない、と思ってな。」
振り向いたアレッサンドラは、確かに機嫌が良さそうだった。涙による眼の腫れは、自らの水法で冷やして癒やし、もうその跡も無い。
その答えに、バーロは顎を撫でながら二度、頷いた。
「……なんだ?」
「いえ、アレッサンドラ様のそのようなお顔、久々に拝見致しました。此の度の国難は誠に残念ではありましたが――悪い事ばかりでは無かったようで。」
意味ありげに口元を緩ませるバーロに、アレッサンドラはフン、と鼻を鳴らして窓へ向き直る。と、途端にその顔が驚きに染まる。
「ビトー!?」
窓の外には並走する騎馬隊。その隊列の先に、馬を乗りこなすフェイと、その後ろに乗って大きく手を振るビトーがいた。
「俺達が周りを見張って守ってるからな! 安心しててくれ!」
馬車のアレッサンドラと目が合ったと分かったらそれだけ叫び、ビトー達の乗る馬は一行の先頭へ向かって速度を上げて駆けていった。
その後姿を目で追いかけ、やがて見えなくなると、アレッサンドラは窓から離れ座席に深く座り直した。
「……全く、相変わらず仕様がない奴だ。」
馬車の女王に直接叫びかけるなど、本来なら言語道断の不敬ではある。
それを咎めるように呟いたアレッサンドラだったが、言葉とは裏腹の表情だった。
バーロは、そんなアレッサンドラの変化を微笑ましく見守っている。
「――いつの時代も、誰のものでも、良いものですな。初恋というのは。」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、年寄りの世迷い言ですので、お気になさらず。」
訝しげに睨む女王に、元ナンシーニェ侯は笑って誤魔化した。
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