第129話 ロトリロ第一騎士団長ルイジール

「ふぅ。」


 トゥルコワン法術学院の教師ラネルカは、ペロザ砦の通路に置かれた丸椅子に腰掛けて、休憩を兼ねつつ、ぼんやりと中庭を眺めていた。

 どうやら、戦いは勝利に終わったらしい。自分が今、関わっている側が勝ったのは喜ばしい事だが、元々他国の人間で内乱の当事者ではないラネルカは、中庭で喜びに沸く兵士達程の感慨は無い。


「よう、先生! さっきは仲間がありがとな!」


 通りがかった兵士が、ご機嫌で声を掛けてくる。治癒法術が使えるラネルカは、戦いの最中に負傷した騎士や兵士を、何人か治療していた。


「ああ、いえ、どう致しまして。」

「今から戻って来る奴等は大した怪我は無いだろうが、もしかしたらまた頼むよ。」

「ええ、それはもう。」


 愛想を振りまくラネルカを残して、兵士は手を振りながら通り過ぎていった。

 怪我人を治す事は当然の事。そういう思いがあるので、頼まれれば喜んでやろうと思う。

 だが、今ラネルカの頭の中を占めているのは、第三騎士団の勝利でも負傷兵のことでも無く、教え子リリアン・サナリーの事であった。


 女王の治癒はロトリロの秘匿法術である為、ラネルカは治療中の病室に入る事は出来なかった。

 ただ、別の部屋に居ても、女王の強大な魔力を感じる事は出来た。それは確かに今迄感じた事も無いような魔力であったが、日頃から巨大な魔道具である『水の精霊像の水瓶』を制御していると思われる女王である。ある程度、その魔力にも予想はついた。

 逆に、予想以上だったのは、リリアンの魔力である。

 リリアンの魔力量がとても多い事は、ラネルカも知っている。その潜在能力を見込まれて、特待生として法術学院に入ったのだから当然である。

 だが、先刻病室から感じたリリアンの魔力は、想定していたものよりも遥かに大きく、強かった。それこそ、大陸最高の法術国家であるトゥルコワン法国の法術士達でも、単純に魔力量だけで言えば、恐らくリリアン以上の者はいない。


『……国で、変に目をつけられなければいいが。』


 トゥルコワンの法術士の行き着く先は、研究者か軍属である。ラネルカは、そのどちらもリリアンに向いているとは思えなかった。

 また、研究対象の素材として扱われる事も考えられる。

 法術学院の教師達は、教師兼研究者である。中には、生徒を研究のための駒としてしか見ていない者もいる。そうした者達にとって、リリアンは喉から手が出るくらい欲しいサンプルであろう。

 ラネルカは、何度目かの溜め息を吐いた。願わくは、リリアン含め生徒達は、安心安全に学んで欲しいと思っている。彼は法術学院では珍しい、より良い教育に思いを馳せ、生徒達の身を案じている教師の一人であった。



  ― ◆ ―


 戦いを終えて三時間程が過ぎた頃、ペロザ砦に第一騎士団が到着した。

 既に第三騎士団と捕らえた捕虜でいっぱいの為、取り敢えず砦の外で陣を張る。

 そして、到着の報せを聞いたポーリが、自らその陣に出向いていた。


「済まない、遅くなった。」


 そう謝罪して握手を求めてくるのは、第一騎士団の団長ルイジールだ。

 その背はポーリより頭一つ高く、厚い胸板は頼もしさを感じさせる。黒髪のオールバックと、口から顎に掛けての整えられた髭。三十代後半という年齢以上に、落ち着きと老練さを感じさせる騎士団長だった。


「いえ、こちらに着くのは日が暮れてからだと思っていましたから。随分早かったですよ。」


 同等の立場である団長同士とはいえ、年長者で騎士の先輩でもあるルイジールには、敬語で話すポーリである。


「既に終わっておいて『早かった』とは、言うようになったなポーリ殿。」

「いえ、そういうつもりでは。……正直、レオーネ殿が加勢してくれなければ、危うい処でしたので。」


 皮肉や謙遜ではなく、事実としてポーリは言っている。それが分かったルイジールも、真面目な顔つきとなる。


「やはり、そんなに凄かったのか、『破軍』殿は。」

「ええ……あれは、敵が戦意を失うのも分かります。」


 そういうポーリ自身も、心からメノテウス公国が同盟国で良かったと思うし、万が一同盟が崩れたとしても、絶対に正面からは戦いたくないと思っていた。勿論、国を守る場面ならば戦うだろうが、その時は命を捨てる覚悟が必要だろう。

 そんなポーリの考えをその表情から読み取ったルイジールは、恐れるよりも『破軍』に対する興味が出てきた。


「レオーネ殿は砦の中にいるのか? 会ってみたいな。」

「いえ、今は麓の森にいます。に餌を与える、と。」

「飼い竜?……何から何まで規格外なんだな、『破軍』は。」


 聞き慣れない言葉に一瞬戸惑ったルイジールだったが、意味を理解すると豪快に笑った。


「それより、第一騎士団の人員が少々少ないように思いますが…」

「ああ、国内の混乱に乗じて不貞の輩が入って来ないように、二個中隊を残してきたんだ。」

「不貞の輩?」


 ポーリは不審に思う。

 ロトリロと国境を接しているのは、三国。北は同盟国のノルクベスト王国、東から南にかけて同じく同盟国のトゥルコワン法国、そして南から西にかけては同盟国ではないが中立国であり、他国への侵略は禁止しているデフェーン共和国である。

 幾らロトリロ国内が乱れても、大勢がはっきりする迄は攻め入るような事は無いだろう。


「いや、国では無いんだ。デフェーンとの国境付近で最近妙な連中が動いていてね。」


 そこでルイジールはポーリに一歩近付き、声を潜めて言う。


「……奴隷商だ。」

「奴隷商!?」


 大陸には奴隷制のある国もあるが、ロトリロ王国では禁止されている。そもそも元々小国であり労働力も自国民で賄えるし、他国へ攻め入って捕虜を奪うような必要もないので、禁止以前に奴隷の歴史自体が無い。

 デフェーンは嘗ての帝国時代には奴隷制があったが、共和国となってからは人身売買が禁止されている。


「つまり、闇の奴隷商というわけだ。」

「デフェーンに、それがある、と?」

「そうだ。共和国に貴族はいないが、支配者層が貴族から金のある連中に代わっただけだからな。大ぴらには出来ないが、需要はあるという事だろう。」


 デフェーンは広い。農場にしても工場にしても人手がいる。

 共和制資本主義であるという事は、金が力となる世界だ。なるべく安い経費で、高く売れる物を作りたいというのが、経営者の考えだ。

 実際に奴隷という言葉は使ってはいないが、それと同様なくらい安く使える労働者を求めているという事は、想像出来た。


「その労働力を、隣国から攫おうという訳だ。」


 ルイジールが憎々しげに言う。

 守るべき民を攫おうとする者がいると聞いて、ポーリもその顔に怒りが浮かぶ。


「デフェーンに、正式に抗議するべきでは?」

「そう女王陛下に願い出ようと思っていた矢先に、今回の反乱だ。…少々、出来過ぎているな。」


 そもそも、第一騎士団の本体は、通常時は国境に配備されてはいない。奴隷商の件があって国境警備に出向いていた為、王都に戻ってくるのに時間がかかったのだ。

 反乱軍と、奴隷商。その動きを、どちらがどちらを利用したのか。或いはその両方か。どちらにせよ、タイミングは見事なまでに合わされていた。


「……女王陛下は、まだお休みでいらっしゃるのか?」

「はい。王都に戻るのは、明日にしようかと。」

「分かった。では、第一騎士団は先に王都に上がらせ、陛下のお帰りを待つとしよう。私は、此処に残って陛下と共に凱旋しても良いかな?」

「ええ、勿論です。フラン殿も無事ですよ。お会いになられては?」


 フランの名を聞いて、ルイジールは目を細めた。

 彼にしてみれば、フランは前任の騎士団長であったブルーノから託された、年の離れた妹のような存在であった。


「あの跳ねっ返りも、少しは大人になったかな?」

「それは分かりませんが、騎士としては大活躍ではありましたよ?……見事、ブルーノ様の仇を討ちました。」

「なんと!……そうか。討ったか。」


 ブルーノの右腕として長い間仕えていたルイジール。

 そして、その関わりで幼い頃から知っていたフラン。

 あの小さかった少女が、ブルーノの仇を討ったと聞いて、ルイジールの胸に熱い物がこみ上げてくるのだった。



  ― ◆ ―


 砦の中で最も広い寝室である、主長室。

 そこで、ルカの治療の後暫く眠っていたアレッサンドラだったが、既に目を覚まして着替えを行っていた。

 手伝っているのは、フランである。砦には当然侍女が不在であり、騎士団には貴族の服の着こなしが分かる女性は、フランしかいなかったのだ。


「陛下、ルカのこと、本当にありがとうございました。」


 アレッサンドラの髪を梳かしながら、フランは御礼を言う。


「何度目だ? もう礼は良いというのに。」


 アレッサンドラは先程から数え切れない程頭を下げるフランに苦笑する。

 しかし、フランにとってはそれだけ嬉しい事であり、同時に畏れ多い事であったのだ。

 一介の騎士の従者。しかも、獣人。それを、君主が全魔力を注いで治療するなど、前代未聞であった。

 だが、当のアレッサンドラは涼しい顔をしている。


「余は、余の為に戦う者には報いたいし、その場で出来る最善を尽くしたいと常々思っている。戦場に立つことも適わない余にとって、あの時出来る最善が、そなたの従者の治療であったというだけだ。その結果、そなたに勝利を齎したのだから、間違ってはいなかったであろう?」


 確かにあの時、ルカが自分の愛剣エル・フルーレを持ってきてくれていなければ、魔人オルジャソルには勝てなかったかもしれない。

 ルカがこの砦に収容されたあの日、同じく運び込まれた戦利品の中にエル・フルーレを見つけていなければ、事態は大きく変わっていた。


「……主の為に、少しでも役に立とうとしっかり見ていたのだな。良い従者だ。」

「はい、私には勿体無いくらいです。」


 ずっと恐縮しきったような表情だったフランだったが、女王に従者ルカを褒められて、漸く笑顔となった。


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