第124話 蛇鱗族
「はぁッ!!」
フランのサーベルが撓り、幾重にも残像を残して打ち込まれる。
それに対しオルジャソルは紫の爪ではなく、全身の魔装を強化して受けた。
『く、貫けない!』
切先は全て魔装で喰い止められ、体には傷一つ付かない。
だがその間に背後から突進したフェイが、強烈な突きを繰り出す。
「竜斬剣・竜胴貫き!!」
「おぅ!?」
その威力にオルジャソルはもんどり打って跳ね飛ばされるが、やはり魔装は貫けず、あくまでも強く押し出されただけのような格好だ。
跳ね飛ばされたものの倒れずに上手く着地したオルジャソルは、余裕を持って体勢を立て直し構える。
「どうしたどうした? そんな攻撃じゃあ何時まで経っても殺せやしないぞ?」
「くっ!」
フランは、ノルクベストで魔人と戦った時の事を思い返していた。
あの時も、サーベルで魔装を斬り裂く事は出来ず、貫通できたのは法術のみだったが、それも決定打には至らなかった。
『そもそも、竜斬剣ですら貫けないのなら、サーベルでは絶対に不可能だ。』
だが、オルジャソルの腕を斬り落としたブルーノも、サーベルの使い手だった。ならば、何か方法があったのだろうか。
少し離れて、ダガーを構えるマルティンと目が合う。
『通常の武器攻撃では駄目だが、法術を加えたスピンナイフなら、通せる。』
昨夜、フェイとマルティンが橋の上でオルジャソルを強襲した時。
最初のフェイの攻撃は、奇襲のため魔装を纏っていなかったから手首を落とせた。
しかし、続いてのマルティンのスピンナイフの時には、既に魔装は使っていた筈だ。つまり、法術と物理を組み合わせた攻撃なら、魔装を貫く事が出来る。
だが、それは当然本人のオルジャソルにも分かっている。だからこそ、フランやフェイと対峙しながらも、後方のマルティンには最大の警戒を向け続けていた。
『アレを喰らうのは、ちょっと拙いからな。』
背中の痛みは麻痺させているが、じわりと汗のように血が流れているのを感じる。
闘いは愉しみたいが、同じ攻撃を喰らえば敗北に繋がるだろう。相手に切り札を使わせる前に倒さなければならない。
「仕方ない、早めに決めてやるか。」
オルジャソルは右腕を後方へ振り被ると、グンッと勢い良く前に突き出した。
紫の手が高速で伸び、マルティンへと迫る。
「!」
躱すことも出来ない速度。咄嗟にマルティンは、右手で蓄えていた魔力を繰り出す。
「スピンナイフ!」
紫の手と風の法術の掌底がぶつかり合い、まるでドリルのような音を響かせながら、光と魔力の干渉波を周囲に撒き散らす。
その光の奔流が晴れるより早く、オルジャソルが間合いを詰めた。マルティンが再び法術を使うには、溜める間が足りない。
「死ね!」
だがオルジャソルの爪は、眩い光の中に必死に飛び込んできたフェイの刀に止められる。
「やらせないですううぅぅ!」
『狙うのを予測していた!?」
間髪入れず、フランの法術が入る。
「
研ぎ澄まされた細く鋭い水流。
身を捩って躱し、直撃はしなかったが、掠ったオルジャソルの右肩の魔装が裂ける。
そこに、眼前にいたマルティンがダガーで斬り込んだ。
「ぐっ!」
オルジャソルは全力で後方に飛び、ダガーが深く刺さるのを阻止した。
だが、決して浅くもない。斬られた傷口から、血が溢れている。
それでも、オルジャソルは歪んだ笑みを見せた。
「いかんいかん、お前らは連携が得意だったな。」
切り札であるスピンナイフを囮にした、前もって用意されていたカウンターだった。
オルジャソルは素直に感服し、肩を抑えると、魔装を塗り込むようにして無理矢理出血を止めた。
「惜しかったな。もう少し深く斬れていれば…」
「いや、お前は終わりだ。これを知ってるか?」
マルティンが手にしていたのは、先程までのダガーではなく、細かな彫金が施された短剣だった。
「それは……まさか、魔人殺しか? 珍しい物を持ってるな。」
「知っていたか。なら、これには魔人だけに効く毒が仕込まれている事も知っているな?」
マルティンの言葉に、一瞬きょとんとした表情を見せるオルジャソル。そして、急に声を上げて笑い出した。
「…?」
「ハッハッハ、その骨董品が奥の手だったのか。残念だったな、その毒が効いたのは大昔の話だ。今の世代の魔人は、既に抗体を持っているぞ。」
聖戦の時代、対魔人の特効武器として猛威を振るった『魔人殺し』。その毒は致死性だったが、喰らった全ての魔人が死に絶えた訳では無い。喰らっても生き残った者や、奪った『魔人殺し』で敢えて僅かな傷を付けて耐性をつけようとした者もいた。
そうして耐性を持った者達の抗体が、世代が進むにつれて殆どの魔人に拡がり、現代では『魔人殺し』の毒は多少熱が出ることはあっても、死に至るようなものでは無くなっていたのだ。
「いつまでも弱点を残しておくような脆弱な種族ではないぞ、我々は。尤も、蛇鱗族が滅びずに新しい毒を作り続けていたら、分らなかったがな。」
「そんなことまで知っているのか…」
「当たり前だろう? 数少ない、魔人の脅威となり得る優秀な部族だからな、警戒するさ。まあ、人間が愚かにも滅ぼしてくれたお陰で、杞憂となったがな。」
敵である魔人が、蛇鱗族の事を最も評価しているというのは、皮肉な話だった。
マルティンは一瞬複雑な感情に囚われたが、直ぐに頭を振って思い直す。
「なら俺が、改めて蛇鱗族の有能さを示してやる。」
「なに?…そうか、お前は生き残りか。面白い。」
先程の炸裂した光の中で正確に攻撃してくる、眩しさを苦としない眼や、法術を直接掌底で纏めて打ち込んでくる特殊な技。蛇鱗族ならば合点がゆく。
そして、その生き残りの男が意気を見せ、奥の手が通じずに消沈していた他の二人もその瞳に輝きを取り戻す。
「いいチームだ。……蛇鱗族が毒作りだけでは無いと言うのなら、見せてみろ!」
「望むところだァ!」
― ◆ ―
矢と法術による激しい攻防は、枢機卿軍の優位が続いていた。
ペロザ砦の見張り台からは、攻撃しながら徐々に近付いてくる敵軍が見えている。が、突然、その軍を置き去りにするように飛び出してくる、一つの影が確認された。
「一騎、…いえ、一人!? 駆け抜けて来ます!」
「あれは…」
見張りの兵士の指す方向を見て、ポーリはその人間離れした速さに憶えがあった。
「黒マスク! おい、アイツを砦に近付けるな!!」
「は!」
命令の応じて、砦壁からの上から矢や法術で狙い撃ちする。だが、矢は盾で弾き、法術は素早く身を躱して、砦へ接近してくる。
「拙い、アレに侵入されるのは危険だ。親衛隊は、正門前に出ろ! 俺の馬も用意だ!」
ポーリは伝令管に向かって叫ぶと、続いて幹部達に指示を出す。。
「皆、指揮を頼む! 俺はアイツを止めてくる!」
「団長、無茶です!」
並の騎士では何人いたところで、あの黒マスクを阻止出来ない事は分かっている。それでも、団長であるポーリを前線に晒すような真似は出来ない。
そう思って皆が止める中、父親のバーロだけが、笑って発破を掛ける。
「おいポーリ。どうせなら、止めるだけでなくぶっ倒してしまえ。そうすれば水法が使えなくても、ワンチャン称号騎士に成れるかもしれんぞい?」
「親父。…そうか、そりゃあいいな。消えかけた夢だったが、命を賭ける価値はありそうだ。」
ポーリは口の端に笑みを浮かべて返すと、そのまま急いで見張り台から下りていった。
「バーロ様、何故お止めにならなかったのです!?」
「騎士の本分とは何か。それは、女王を守り、国を守る事だ。団長を守る事ではない。今、アレを止める戦力が息子しかおらんのなら、選択の余地はあるまい。」
そう言ったバーロの顔からは、既に笑みは消えていた。
『……だが…死ぬなよ、ポーリ。』
息子が騎士を志した時から、常に覚悟はしている。それでも、生きて帰ってきて欲しいと願う。貴族としてではなく、一人の父親としての悲痛な思いであった。
― ◆ ―
ペロザ砦より南方、山の麓付近。
一人の少年が、大木に登り砦の方を遠眼鏡で凝視していた。
まだ若くあどけなさも残るが、その顔には左頬と額に、大きな古傷の痕がある。少し長めに伸びた髪は黒いが、生え際だけブラウンだった。
「うーーん、やっぱりもう闘ってるな。」
少年は遠眼鏡を肩から下げた鞄に仕舞い込むと、するすると器用に大木を下りていく。
すると木の下には、法術士らしい衣装の若い女が待っていた。
「ねーさん、戦争始まってるぜ。兄貴に急ぐように伝えないと。……ん、どうしたのさ膨れっ面して。」
「どうもこうもないわよ、マッカが木に登ってる間に、もう通り過ぎて行っちゃったわよ!」
不機嫌に叫びながら伝える女に、マッカと呼ばれた少年が驚く。
「え、うっそだろ。グランリドに餌やってたんじゃないのか?」
「食べたら寝ちゃったから、置いてきたって…もう、いっつも勝手なんだから!!」
「いや、オイラに怒っても。」
少年は頭を掻きつつ、その顔は満面の笑みに溢れていた。
それが、彼女は気に入らない。
「何がそんなに面白いのよ。」
「いっやー、さっすが兄貴だなーと思って。自由そのもの! 憧れるぜ!」
そうだった、マッカも『変人』に毒された男共の一人だった。
それを思い出し、女法術士は大きな溜め息を吐いた。
「ねーさん、早く追いかけようぜ!」
「分かってるわよ、アンタが下りてくるのを待ってたんでしょうが! ホントにウチの国の男共は……」
木に立てかけていた槍を担いで、嬉しげに走り出すマッカ。
その後姿を、愚痴を零しながら追いかけるのであった。
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