第123話 奮い立つ

「……! が、かはっ!!」


 目を覚ましたトゥーランのが、大きく息を吐き出し、半身を起こす。

 荒い呼吸を整えながらも、全身からは冷や汗が吹き出していた。


「ハァ、ハァ……あと一歩、魔霊体を離すのが遅れていたら、コディーロ諸共斬られていた……くそ、竜斬りめ!!」


 敗北したよりも、恐怖で動けなくなってしまった事への屈辱が大きい。

 いやしくも大司教サリオル直下の『五蜀の祭司』の一人である自分が、たかが人間如きの気迫と怒りで、気圧されてしまったという事実。それが、許せなかった。


「まだだ、まだ勝負はついていない!」


 黒フードを被ったままで、トゥーランが立ち上がる。そこは、軍用の荷馬車の上だった。合戦場からは、少々離れてはいるが、戦いに依る土煙が十分視認出来る距離だ。

 通常なら武器や兵糧を運び、軍の最後尾をいく荷馬車だが、今は乗せている物が違う。そして、引いている者も馬ではなかった。

 トゥーランが馬車を降りると、そこには三人の男が立っていた。鋼の鎧を身に纏っているが、顔には黒いマスク。荷馬車を引いてきたのは、黒マスクである彼ら『人縲兵器』であった。そして、トゥーランがコディーロの身体に乗り移っている間に、本体を守る役目も受け持っていた。


『サリオル様より下賜された人縲兵器も、これで最後…しかし、出し惜しみしている場合ではない。現状、最も完成度の高いとされる40番台。コレで、女王を奪い返す!』


 鎧の他に、右手には突撃槍、左手には盾を持った黒マスク達は、一見立派な騎士のようにも見える。しかしその眼はやはり虚ろで、何処を見ているか分からない。


「……いいか、43、45、46号! お前達の役割はペロザ砦に突入し、女王アレッサンドラを奪還する事だ! 邪魔立てする奴は全員殺せ! だが、女王を傷つける事は許さん! 分かったな? 分かったら、行け!」


 黒マスク達はまるで会釈のように軽く頷くと、一斉に砦へ向かって走り出した。

 真っ直ぐに向かっているので、戦場を駆け抜ける事となる。そうなれば、竜斬りが黙っていないだろう。

 トゥーランは黒いゆったりとした衣装の懐から、水晶玉を取り出す。


廃縲傀儡メージ・リポゥ…立ち上がれ、人形たちよ!」


 水晶玉が紫に輝くと、三台あった荷馬車の幌が全て破れ、中から黒マスク達が飛び出してくる。その数、32体。先程の鎧の黒マスクと違い、顔色が悪く生気がない。亡骸を操った、所謂ゾンビ黒マスクだ。

 トゥーランは今度は口頭では命令せず、水晶玉を通してゾンビの動きに指令を与える。


『数が多いからな、ある程度は自動操縦でやるか。』


 仮にそれで、友軍が犠牲になったとしても気にしない。

 まず第一に、竜斬りの足止め。そして、第三騎士団の駆逐である。それさえ出来れば後は味方の事はどうでもいいと思っている。結局、トゥーランにとってみれば敵味方全員、下等な人間であるのだから。

 やがてゾンビ達が同じ方向へと走り出す。その向かう先である戦場を眺めるトゥーラン。


「……コディーロが死んだせいか、動きが悪いな。」


 先行していた軍の前線は、敵の弓や法術を掻い潜って砦まであと少しのところまで接近していたが、後方が続いていない。指揮官が真っ二つにされたのを目の当たりにしたのだ、無理もない。


「仕様がないな、軟弱な人間どもめ。新たな指揮官に立ってもらうか。」


 トゥーランは少しでも女王奪還の成功率を上げる為、人間達をけしかける事にした。



  ― ◆ ―


 側近からコディーロが死んだと聞かされ、フィリポは馬車の中で一人、頭を抱えて丸くなっていた。


『どうする、どうするどうする? どうすればいい? 降伏か? いや、今更降伏したところで殺される。撤退? 全軍で王都を出たのだ、逃げ戻ったところで門は開かん。カーサミラに帰るか?…いや、疲労した軍では、第三は振り切れても、後から来る第一騎士団に追いつかれる!』


 混乱していても、策を練ろうとする頭はあった。だが、どれも逃げ腰の策で、勝ってなんとかしようという気概は無かった。

 そして、良い解決策が浮かばず、完全に詰んだと思ったその時だった。

 馬車の扉が開き、一人の騎士が入ってくる。


「枢機卿、遅くナり申シ訳ござイまセん。」

「おお、マリオン! 生きておったのか!」


 その騎士は、死んだと聞かされていたマリオンだった。突然の生還に、喜びを隠さず立ち上がるフィリポ。


「よし、よしよし、そなたが生きていれば、まだなんとかなる…だろうか?」


 立ち上がったものの、途端に弱気になるフィリポを、マリオンが鼓舞する。


「閣下、マだ数はコちらが上デす。女王さえ取り戻セば、我々の勝チでス。」

「そ、そうか、そうであったな!」


 マリオンの言葉に、藁をも掴む思いだったフィリポが、徐々に気力を取り戻していく。

 窮地から脱却出来る。その喜びのあまり、マリオンの首から下の体格がいつもと違う事や、声質が妙に堅い事には、気がついていなかった。


「私ガ、お守りシまスので、閣下、申シ訳ござイまセんが、表で指揮車に乗って頂ケまスか?」

ワレ、がか? 自慢ではないが、ワレには兵法の心得は無いぞ?」

「構イまセん、閣下が一言、進メと仰っテ下さレば、それデ士気ガ上がルのデす。そレが、王たル者の力なのデす。」


 自分のたった一声で。そう言われると、悪い気はしない。

 不安に押し潰されそうだったところから一気に反転した事で、高揚もしていた。


「よし、では参ろう。…それにしてもマリオン、コディーロと似たような事を言うようになったな。」

「……いエ、私なド、まダまダでス。」


 先程までの狼狽が嘘の様に、意気揚々と馬車を出るフィリポ。その後ろを、マリオンがカタカタと歩いて続いた。



  ― ◆ ―


 一時膠着していた戦場だったが、姿を表したフィリポの号令で活気付いた枢機卿軍が、徐々に優勢となっていた。

 ペロザ砦からも必死に矢を射ち、水の法術で防御もするが、やはり兵力の差は大きい。

 そんな激しさを増す戦場において、ビトーは戦いに参加せずに走っていた。

 コディーロを倒した後、フラン達の助太刀をしようとしていた。だが、その前に戦場に突っ込んできた三つの魔力を感知し、標的をそちらに変えていた。


『魔人じゃあない、けど、かなり強い魔力…しかも、速い!』


 その三つの魔力の持ち主は、戦場に入っても速度を緩めず、敵にも味方にも目もくれず、真っ直ぐに砦を目指している。常軌を逸したその速さについていけるのは、ビトーだけだった。


「いた!」


 三人は、盾と槍を持って鎧も着込んでいたが、重装とは思えない程の速度を保っている。


「――黒マスクか!」


 相手の正体に気づき、ビトーは彼らを上回るスピードで加速し、前に回り込む。


「な、なんだ!?」

「敵!?」


 突然現れたビトーに驚く枢機卿軍の兵士達だったが、そちらは無視し、大鋼を構える。

 黒マスクの一人が、突出して前に出て、ビトーを狙う。


「邪魔スル者ハ、排除スル!」

「竜尾薙ぎ!」


 突撃槍による強烈な突きが迫るが、ビトーはそれをいなしつつ、剣で薙ぎ払う。

 だが、黒マスクは人間の限界を超えた動きで反転し、腹部への直撃を躱した。


『竜斬剣を避けるのか!』


 そしてその後ろから、二人目の黒マスクが刺突してくる。

 ビトーは瞬時に身を低くし、下から剣を振り上げて槍の軌道を逸らした。


「竜腕断ち!…ぐっ!」


 上げた剣を振り下ろして二人目を斬ろうとするビトーに、三人目が盾をぶつけるように突っ込んでくる。絶妙なタイミングでのシールドラッシュだ。

 竜斬剣を受けた盾は半壊するが、持ち主には届かない。

 一瞬のやり取りではあったが、初手で一人も倒せないのはビトーにとっても予想外であった。


『今迄の黒マスクとは、段違いだ!』


 それでも動きを止めずに追い撃ちを掛ける。すると二人目・三人目の黒マスクがお互いの槍をクロスしてビトーの行手を阻み、その間に一人目が砦へ向かって突き進んでいく。


「あ、くそ、行かせるか!」


 だが、去りゆく黒マスクとビトーとの間に、枢機卿軍が割り込んでくる。


「此奴はコディーロ様の仇だ、行かせるな!」

「なに、此奴が!?」

「必ず討ち取れ!」


 兵士達は、黒いマスクの者達を枢機卿の側近の兵として見知っていた為、相対するビトーを敵として認識する。

 ビトーの相手になるような者達では無かったが、黒マスク二人と戦いながらでは、突破するのは簡単ではない。

 

「ガルゥ!!」


 大鋼を振って黒マスクを離そうとするが、二人は自分が斬られる事も恐れない様子で、間を詰めてビトーの動きを封じてくる。

 そうしているうちに、一人目の黒マスクの姿は見えなくなってしまった。


「くそッ…あれの狙いはやっぱりアレッサか。」


 アレッサンドラを攫い、竜の喚巫女にする。それが魔人の目的だと知った以上、黒マスクを砦に行かせる訳にはいかなかった。

 だが其処に、更に追加で黒マスク達が続々とやって来る。こちらは鎧を着ておらず、武器も持っていない。魔力の違いから、ビトーはそれがゾンビだと瞬時に見破っていた。

 状況はかなり悪い。ここを突破して砦に戻るには、どれくらい時間が掛かるかも分からない。だとしても、ビトーに諦めるという選択肢は無かった。


「どいッつも、こいつもォ! 立ち塞がるなら、斬るだけだ!!」



  ― ◆ ―


 病室では、アレッサンドラがルカの治療を続けていた。


『凄い…こんなに長時間、魔力を使い続けるなんて…!』


 後ろで見守るリリアンは、アレッサンドラの細かな魔力操作を続ける集中力と、それを持続し続ける魔力量に驚嘆していた。

 只、やはり消耗は激しい。アレッサンドラは眉間に皺を寄せ、その額には玉の汗が浮かんでいる。ここまでの繊細な治療は、初めての経験だった。


『……だが、必ずやり遂げてみせる。は、あの時とは、違うのだから。』


 アレッサンドラの父ジルヴィオは、まだ三十代で病に倒れた。体調不良を押して働き続けた結果、気付いた時には病巣がどうしようもなく広がっていたという。

 医者でも法術士でも手の施しようがなく、病に苦しむ父を、幼いアレッサンドラには何も出来なかった。

 そんな時、読書家の彼女は、嘗ての王族が、千切れた腕を繋ぎ、悪い腫瘍を切り取る、そんな夢のような法術を使っていたという本を見つけた。

 それを覚える為、アレッサンドラは来る日も来る日も法術の訓練を続けた。まだ幼いにも関わらず、その上達速度は一流の宮廷法術士が目を見張るものだった。

 だが、父の病は待ってはくれなかった。アレッサンドラの上達を超える早さで、父の体を蝕んでいった。

 結局、アレッサンドラの法術習得は、間に合わなかった。それでも死の間際、ジルヴィオは娘の手をしっかりと握り、告げたのだ。


「お前のその優しさと強さがこの国を導き、そしてこの国が、お前を護ってくれる。」


 それを聞いてもアレッサンドラは、泣くことしか出来なかった。

 だが戴冠して女王となり、泣いてばかりはいられなかった。君主としての怒涛の毎日が、アレッサンドラに押し寄せる。

 その目が回るような日々の中でも、彼女は忘れなかった。いつか誰かを助ける時が来るその日まで、己の法術を磨き続けるということを。

 彼女は、ここまで繊細な治療をのは初めての経験だったが、その練習は何度となく繰り返してきたのだ。


「……ふぅっ、ここからが厄介だな。」


 傍らで待機する護衛が、アレッサンドラの額を拭う。その間もアレッサンドラは治療を止めない。だが、無尽蔵にも感じられた魔力も、枯渇してきていた。


「いよいよ力を借りる時が来たようだぞ、リリアン。」

「は、はい!!」


 急に呼ばれて、思わず必要以上に大きな声で返事してしまうリリアン。

 アレッサンドラはベッドの方へ向いたまま、呼ぶ。


「これへ。」

「はい…。」


 言われるがままにアレッサンドラの隣に来る。横顔を見ると、疲労の色がありありと見て取れた。


『わたしよりも年下なのに、誰かの為にここまで頑張れるなんて…』


 尊敬や憧憬とも違う、ある種の神格的な存在のようにさえ思えてくる。

 その時、アレッサンドラが治療開始から初めて、リリアンに向いた。


「お主が頼りだ。たのむぞ。」


 疲労の滲む顔で微笑んだアレッサンドラを眼にして、リリアンは気付くのだ。

 この人は奇跡を起こす聖人でもなければ、勿論、神でもない。只、一人の人間を救いたいという普通の感情を持った少女なのだと。


「はい、わたしにやれることは、何でも!」

「よし、では余の背に片手の掌を充て、その掌に魔力を集束してくれ。」


 指示に従って背後に回り、右手をおずおずとアレッサンドラの背に乗せる。

 そして、魔力を集中し始めた。


『思い出して、ビトー君に習った事。出来る、きっと出来る! 絶対やる!』


 元々苦手だった魔力のコントロールだが、ビトーに教わって以来、少しずつは出来るようになっていた。

 だが、少しでは駄目だ。リリアンは自分を叱咤し、全魔力をちゃんと操作するように、身体中に意識を張り巡らせる。


「……こう、ですか?」

「そうだ、その調子で……!?」


 今度は、アレッサンドラが驚く番だった。途轍もない純度の魔力が、大量に流れ込んでくる。あまりの量に、治療に使う分を抑えながら使わなくてはならない。


『こ、これ程とは…この者、史上に名を残す法術使いになるやもしれん…!』


 王宮では十人の神官から供給される魔力を変換して、精霊像の水瓶を発動させている女王だったが、その時に受ける十人分の魔力よりも強い力を今、感じていた。

 その大きな魔力を、必死に調整して治療を続けていく。魔力の供給は十分だったが、コントロールに掛かる集中力は、先程まで以上だ。

 だが、リリアンに送り込む魔力の繊細な調整を求めるのは無理だ。それは、自分が頑張るしかない。


『フ、これしきの事、熟せずにどうする。余は、このロトリロの女王、アレッサンドラ・デル・リューベであるぞ!』


 アレッサンドラは自分を奮い立たせるように笑みを浮かべ、神業とも言える治療を続けるのだった。


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