第122話 仇敵
両軍の法術のぶつかり合いを見ながら、フラン達は砦壁の下に用意していた馬に乗って移動していた。
第三騎士団の放った法術による大きな波が土の壁で割られ、枢機卿軍に殆ど打撃を与えられていない様を見て、フランは唇を噛む。
『敵軍には多種多様な法術士がいる。数に劣る以上、力押しでは駄目だ。……だが、敵の動きも遅い…好機のはずだろうに、何故だ?』
黙って戦況について考え込むフラン。それに気付いたマルティンが馬を寄せ、並走して釘を刺す。
「おい、俺達の役割を忘れるなよ。
「わ、忘れてない! 私達の使命は、魔人を倒す事だ!」
そう言いながらも、ロトリロの一騎士として、合戦全体の事を気にしてしまっていた。口には出さず、反省する。
「頼むぜ、集中せずに倒せる相手じゃないからな。フェイ、ビトーはどうだ?」
「もう戦ってるです! 敵陣のど真ん中です!」
「なに!?」
フェイの指す、枢機卿軍の方を見やるフランとマルティン。
「……ど真ん中? 魔人が枢機卿の近くに居たのか。それで、敵の進軍が遅れてる?」
「悩んでる暇は無いぜ、もう一人の魔人がビトーに向かったら面倒だ!」
「行くです!」
フェイを先頭に、矢の飛び交う戦場で、敵陣へと馬を駆る。
だが、敵陣に到達する前にマルティンの心配は杞憂に終わる。
「! 散開するです!」
フェイの叫びに反応した二人が、馬を左右に分けて走らせる。
瞬間、叫んだ当の本人であるフェイの馬が転倒していた。転ぶ前に跳んだフェイは、宙返りして見事に着地する。
「敵か!」
転倒した馬の前足を、地面から伸びた紫色の手が掴んでいた。
その手が地面を割りながら、三十m以上はありそうなその全容を表す。
そして長さが戻っていく腕の付け根までを目で辿れば、持ち主が立っていた。
「どうやら、本命が向こうから来てくれたようだぜ。」
「マリオンを殺った魔人!」
立っていたのは、眼をギラつかせたオルジャソルだ。左腕に続いて、右手も手首から下が魔法で作られた紫光の手になっている。
「随分とお洒落になってるじゃあないか。」
煽るマルティンだったが、オルジャソルは不敵に嗤う。
「お陰様でな。礼に、お前達も手足諸共千切ってやるぞ!」
両腕の五本の指先が鋭く伸び、オルジャソルは飛び出した。その動きは、昨夜のダメージを感じさせないものだ。
大振りの爪を躱しつつ、風法で後ろ飛びの自分を加速し、距離を空けるマルティン。
『結構深く、くれてやったんだがな…!』
スピンナイフは、確かに敵の背を抉った。その手応えもあった。治癒の魔法でも使ったとしか思えない。
「ちょこまかと!」
実際には、オルジャソルの負傷は治ってはいない。ここまでの負傷を治す魔人は、彼等の一味には加わっていなかった。応急処置のみで、生前のメッフメトーから貰っていた燐粉を塗り込み、痛みを麻痺させているに過ぎない。
即、死に至る重傷では無かったが、このまま動き続けていたら確実に命は削られる。
それでも、オルジャソルは戦場に出てきた。『教団』の為、そして大司教サリオルの為、何としても女王を取り返すという目的は当然あるが、それ以上に昨夜の屈辱を晴らしたいという本人の感情が、負傷を押して出撃する原動力となっていた。
「
マルティンを追うオルジャソルの横から、フランが法術で一筋の水流を放つ。一目でその高い貫通力を見破ったオルジャソルは、受け止めずに身を伏して躱す。
そこに駆け込んだフェイが斜めに刀を振り下ろす。
「竜腕断ち!」
「シャ!」
体を反転しながら右手の爪を振り上げ、刀とぶつかり合う。零れた魔力の欠片が、紫の星を散らした。
「わ!?」
押し負けたのはフェイの方だった。その場から数m離れ着地したものの、体勢を崩す。それを狙い、ブリッジの状態から起き上がったオルジャソルが右手を向ける。
『
紫の腕が伸び、鋭い爪がフェイに襲いかかる。が、魔力を集中した脚で横っ跳びに躱す。
しかし避けるのを想定して、その跳んだ方向に左手を向けているオルジャソル。
「させない!」
先に接近していたフランが、サーベルの突きを連続で繰り出す。
オルジャソルは左手をそちらに向け直し、爪の間にサーベルを絡めて動きを止めた。
「な!?」
「ふんッ!」
紫の手に力が込められると、サーベルが二つに折られてしまう。
その好機にオルジャソルは畳み掛ける。伸びた右腕の長さを瞬時に戻し、フランを引き裂くべく爪を振り上げる。
だがその爪に、マルティンの投擲したダガーがぶつかり、その僅かな隙でフランは難を逃れた。
「……なかなか良いチームワークじゃないか。」
拾ったダガーも折りながら、オルジャソルは嗤っていた。久々に歯応えのある敵に出会えた喜び、それを隠しきれないといった表情だ。
「強いですぅ。」
フェイの頬に冷や汗が流れる。『真技』では無いとはいえ、竜斬剣が単純に力で押し負けた事に驚いていた。
同じく、マルティンも想定以上の手強さに焦りを覚える。
『ビトーの言うように、3対1じゃなきゃ勝負にもならなかったかもな。』
それでも、三人なら勝つ方法はある。そう考えながら、腰の裏に指した短剣の柄に手を伸ばした。
そしてフランは、二人とは別の事を思考していた。
『あの爪の鋭さ、速さ…マリオンを斬った時にも、そうではないかと思ったが…間違いない!』
まるで刃のような切れ味で高速に振り回されるその爪。
それによる傷跡は、凄腕の剣の使い手と、遜色ないだろう。
「……叔父上を……蓮湖の騎士ブルーノ・コンティスを殺害したのは、貴様だな!?」
それを聞いて、オルジャソルは嬉しそうに相好を崩した。
「そうだ、俺が『蓮湖の騎士』を殺った。強かったぞ、アイツは。俺の片腕を切り落とすくらいにはな。」
「ならば、私は首を斬る!」
自分の馬から予備のサーベルを取り、抜き放って構える。
「我こそは『凛雨の騎士』フラン・ロッティナ! 叔父上の仇、覚悟しろ!」
「やってみるか? お前らにやれるかな。『蓮湖』は、一人でも強かったぞ?」
嘲笑うオルジャソルだが、今のフランはもう、惑わされない。
『私は叔父上とは違う…同じに出来なくてもいい。私は、皆と力を合わせて奴を倒す!』
女王を、そしてロトリロを護るため。
名より実を取ることを選ぶ。選ぶことが出来る。それは、フランの成長の証であった。
― ◆ ―
戦車の上で、ビトーとトゥーランは激しく切り結んでいた。
トゥーランの魔力刃に対して、ビトーは真技・龍斬剣は使っていない。にも関わらず、ビトーの方が優勢だった。
『つ、強い! 魔力刃でも無いのに、一撃一撃が必殺の重さ…!』
トゥーラン自身に剣の心得は無いが、コディーロの体が剣を憶えている。その熟練した剣技をもってしても、受け止めるのがやっとだった。
しかし、優勢であるビトーも決して楽な戦いではない。
ビトーが龍斬剣を温存しているのは、余裕があるからではない。昨夜、魔力の大半を使い切った為、眠ったとはいってもまだ本調子にまでは回復していないからだ。
それに、多用する事で大鋼に掛かる負担も懸念していた。だからこそ、魔力の消費を抑えながら連撃を繰り返す。
『感覚を拡げろ! 意識の牙を剥け!』
相手の動きを読み切り、手数を更に増やす。それによって相手に防戦を強いて、魔法を使う暇すら与えない。
単純に自分を攻撃してくる魔法を使わせないという意図もあるが、最大の理由は黒マスクのゾンビを使わせない為だ。最悪、ここでビトーがトゥーランを倒し切れなかったとしても、終戦まで黒マスクさえ出させず抑えておくことが出来れば良い。そこまで考えていた。
「――斬れるなら、それに越したことはないけどなぁ!」
「ちッ!」
ビトーの大剣が唸りを上げて、トゥーランの左方から迫る。それをロングソードで受け止めた瞬間、逆側の右脇腹に衝撃が奔った。
「ぐっ!?」
魔力を篭めた、ビトーの強烈な蹴りが直撃していた。「斬る」という言葉で剣に意識を向けさせてからの、蹴り。トゥーランは吹き飛び、戦車から落ちる。
「コディーロ団長!」
騎士達が寄って来ようとするが、トゥーランが剣を振り牽制しながら立ち上がる。
「邪魔だ!」
「し、しかし…」
「ガルァァァ!!」
既に背後に回っていたビトーが突きを繰り出す。
「チィィィ!」
剣では咄嗟に間に合わないと判断し、空いていた左腕で止める。その熊の手のような魔装は、騎士達にも禍々しく見えた。
「だ、団長、それは…」
「こっちの事はいい! 砦を攻めろ、一刻も早く女王をお救いするのだ!!」
勢いで誤魔化しつつ叫ぶトゥーラン。
違和感を覚えつつも、指揮官の命に従い騎士達は進軍を再開する。
その敵軍の動きに目もくれず、ビトーは眼前のトゥーランを睨む。
「……魔人が、なんで女王に拘ってるんだ?」
「貴様らは知らんのか、あの女の魔力の特殊性を!」
トゥーランが熊手で大鋼を掴み、ロングソードで斬りかかる。
だがビトーはその動きを先読みし、ロングソードを持つ手首を蹴り上げ、刃を躱した。更に体を捻りながらしゃがみ、大鋼を離させる。
そして直ぐ様、立ち上がりながら斬り上げた。
「竜斬剣・竜顎砕き!」
「うっぐ!!」
魔装を全身に広げ受けるが、それが満ちる前に剣先が胸を裂く。
僅かな瞬間に掠めた程度だったが、大量の血が吹き出した。
「お、おのれ…!」
「どんな理由があっても、アレッサは奪わせはしない!」
二人は再び剣を交え、鍔迫り合いの格好となる。
コディーロの体を斬られたところで、トゥーラン自身の痛みは無い。だが、損傷が進めば戦闘力も低下してしまう。
現時点でもビトーの力が上回っている以上、このままではジリ貧だった。
『この体を捨てるか…。』
しかし本来の姿を晒せば、軍を指揮する事は適わなくなる。ビトーひとりを退けたところで、枢機卿軍を使えなければ、第三騎士団を相手に女王を確保するのは難しいだろう。
長い期間を費やして計画してきた。それが、成就の寸前で阻まれている状況に、苛立ちが募る。
「くそ、あと一歩のところで…最高の巫女を得られるというのに…」
「……巫女?」
つい口に出た恨み節を、ビトーの鋭敏な聴覚は捉えていた。
「――アレッサを、竜の喚巫女にする気か?」
「ち、だから何だというのだ。知られたところで、我々の大願のためには……うぅ!?」
反発しようとしたトゥーランがその言葉を止める。
ビトーから滲み出る灰色の感情に睨まれ、身体が震え出した。
『な、なんだ…コレは? う、動けない。そんな馬鹿な、廃縲傀儡で操っているのに!?』
完全に気圧されていた。それは、蛇に睨まれた蛙、である。
恐怖で体が動かなくなるという事はあるが、魔法で操ることすら出来なくなっていた。トゥーランは、己の魔力の伝達が阻害される程の恐怖を、味わわされているのだ。
「お前は、死ね!!」
刹那、トゥーランの入ったコディーロの躯は、ビトーの一撃で真っ二つに両断されていた。
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