第二章 雪の国の巫女
第41話 閣下の狙い
大陸の南東部、グアルディル王国は温暖な気候に恵まれていて、冬の季節でもそれほど寒くない。
大きな港を持つ王都サンパドゥは『太陽の都』と呼ばれ、眠らない街として有名だった。
そして今夜もまた、その名に恥じないように、煌々と照らされたシャンデリアがいくつも吊るされた大広間で、高価な衣服や貴金属を身に纏った人々がパーティーに興じていた。
イエロ・アルコが、こういった夜会に参加するのは珍しかった。
王宮での定例の舞踏会等には勿論参加していたが、貴族達が自らの主催で行うようなパーティーを訪れるのは、何年ぶりだったか自分でも憶えていないくらいだ。
ゆっくりと歩きながら、参加者達の様子をさして興味も無さそうに眺めている。
「閣下!」
慌ててイエロの下に駆け付けたのは、この夜会の主催者であるチェベリア子爵だ。小太りの為か、急いだ為か、額には玉の汗を浮かべている。
「やあ、チェベリア君。なかなか良いパーティーだね。」
「勿体ないお言葉です。お出迎え出来ず、申し訳ございません。まさか、閣下にお越しいただけるとは……」
汗を拭きながら恐縮する子爵だったが、イエロはあまり気にせず、周りを見る。
「例の商会代表殿が、今夜、出席すると聞いてきたんだが、いらっしゃるかな?」
「は、はい。ウィーグリー商会の代表でしたら、あちらに。」
チェベリアが手指しした方向を見ると、豪奢なドレスを着た赤い髪の女が、数名の男達と談笑していた。
「すぐに、お連れします。」
「いや、いいよ。私の方から、一声掛けてみよう。あ、そうだ。あのソファに彼女の好みのワインを用意しておいてよ。」
「は、かしこまりました。」
チェベリアに指示をすると、イエロは早速女の下へと歩いていった。
― ◆ ―
ピノは普段、ウィーグリー商会の本拠があるグアルディル第二の都市レンシアーナにいるが、重要な商談の際には王都サンパドゥを訪れる。
彼女が自ら出向くような大きな商談相手は、グアルディル王国軍だ。
ウィーグリー商会の扱う竜の素材は質が良く、武器防具に適していた。その為、最初は個人の武器屋に卸していたのだが、すぐに軍に注目され直接取り引きするようになった。
チェベリア子爵は軍部の兵器担当である。その子爵のパーティーに一商人のピノが招待されるまでに、ウィーグリー商会は重用されていた。
『……はぁ、面倒だねぇ。』
自分の周りに寄ってきた貴族の男達に愛想笑いをしながら、ピノは心底詰まらないと思っていた。
自分の商会に目をつけ懇意にしているチェベリア子爵はともかく、今、目の前にいる貴族達は有能さの欠片も感じられない。女だてらに商会の代表をしているピノが、物珍しくて寄ってきているに過ぎない。
商売の匂いどころか、女を口説くような流行り文句ばかりだ。それも、本気でもない。
しかし、大事な商売相手のチェベリアの知人達である。一応、無難に乗り切ろうとする。
「……それでですね、今度そのレストランに行きませんか?そこの貝のスープが絶品で…」
「失礼、盛り上がっているところ悪いね。私も混ぜて貰えないかな?」
若い伯爵家の跡継ぎの誘いを流しながら聞いていた時、その輪に男が一人、割って入ってきた。
ともすれば強引過ぎる様に感じるであろうその行動だったが、彼の顔を見て、誰も咎める者はいなかった。
「これは、元帥閣下!」
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません!」
その場にいた貴族達が、その男――イエロ・アルコ元帥に敬礼した。
「そんなに堅苦しくしなくていいよ、今日は非番だからね。」
「は!ありがとうございます!」
イエロにそう言われても、男達は姿勢を正したままだ。
チェゼリアの夜会に呼ばれた貴族達は、軍属だったり、何らかの理由で軍と関係のある者達ばかりだ。グアルディル王国軍のトップである元帥を前にして、緊張するなと言う方が無理だった。
「やれやれ。すまないね、ピノ殿。雰囲気を台無しにしてしまった。」
「いえ、お会い出来て光栄ですわ、閣下。」
謝るイエロに余所行きの言葉使いで返したピノだったが、頭の中では元帥を値踏みしていた。
『この男が、イエロ・アルコ……若くして元帥まで上り詰めた、天才。』
四十代半ばだが、見た目にはもっと若く見える。綺麗に整えられた黒髪と、余裕のある微笑みを湛えた顔は、軍人というよりは高級官僚といった雰囲気だ。
しかし彼の残した功績は、グアルディル王国の軍史上でも屈指のものだ。一将校の頃から活躍し、三十歳を前に現場の指揮官に就任すると、イルディリム皇国の侵攻を幾度となく跳ね返し、プレミラ王国との小競り合いでは砦の改修を行い、以後の被害を激減させた。そうしてベテランの将軍達も、彼に軍略上の相談を持ち掛けるようになる。
そして三年前に元帥になった際も、反対するものは一人も出なかった。まさに、逸材であった。
「この場では、女性は寛げないだろう。良かったら、二人きりでお話でもどうかな?」
「ええ、喜んで。」
イエロは柔らかに笑うと、腕を出し、ピノはそれに掴まってエスコートを受ける。
そのまま大広間の階段を登り、中二階のソファ席へと移動する。
そこには、先程チェベリアに用意させたワインが、グラスとともに置いてあった。
「ふむ。君の好きなワインを頼んだんだけど、合っているかな?」
ソファに座り、ワインを注ぎながら聞くイエロ。
「これも好きですが、今一番好きなのはアルシア産の赤ですわ。」
差し出されたグラスを手にして、妖艶に微笑むピノ。
「そうか、チェベリアめ、情報が古いな。軍人失格だ。」
「あら、お優しそうに見えて、元帥閣下もやっぱり、軍人さんでいらっしゃるのね。」
その物言いに、イエロが苦笑する。
「やっぱりも何も、私は叩き上げの軍人だよ。それ以外の事は分からないし、こういった社交界も本当は興味が無いんだ。」
「では、どうして今夜は?」
ピノが、答えの解っている質問をする。
それを承知した上で、イエロは答える。
「君が、いるからさ。言っただろう? 軍の事しか興味ないんだ。だから、君の『騎兵』にはとても興味がある。」
「まあ、残念。私自身に興味がある訳ではないのね。」
「いや、これは言い方が悪かった。君自身にも勿論、興味津々だよ。一体どうして、君はあんなものが用意出来るのか。」
そこで、イエロは意味深に言葉を止め、ピノの瞳を見詰めた。
ピノは流し目で視線を外しながら、ワインを口にする。
「そこは、子爵にお渡しした書類の通りです。それ以上は、企業秘密ですわ。」
「ふーむ、ますます興味深いね。もっと君と親密になれば、教えて貰えるのかな?」
片目を瞑ってみせたイエロに対し、ピノは目を細めて微笑む。
「親密になるより、素晴らしいお得意様になっていただける方が、近道ですのよ?」
「――なるほど、商売第一か。一番信用できるね。」
イエロは、まったく直接的な事をせず、終始紳士的な態度を崩さない。彼自身は叩き上げと言ったが、やはり軍人らしくないと、ピノは思った。
『どちらかといえば、政治屋だね、これは。』
イエロは恐らく、どの分野でも国の中枢に辿り着けるのであろう。単に、一番手っ取り早いのが功を分かりやすく示せる軍人だった。それだけだ。そう、ピノは確信した。
「――では、商売の話をしようか。君の『騎兵』、今訓練で三十騎借りているが、本格的に採用したら、どれだけ売ってくれる?」
「そうですね、既にお貸ししているものと合わせて、五十でいかがでしょう。」
そう提示したピノの瞳を、再びイエロが見る。一瞬だが、心底まで覗き込まれたような気がした。
そして、イエロの求める数はピノの予想を超えるものだった。
「……二百騎だ。どうだろう、用立てて貰えないかな。」
「二百、ですか? 直ぐには揃えられませんし、用意出来ても維持費もかかりますが…」
「維持費は大丈夫。予算は通すよ。時間もかかっていいし、一騎あたりの金額も、先の言い値の1.5倍は払おう。また、今後も追加注文を受けてくれると嬉しい。」
その言葉で、ピノは、イエロの本気を理解した。
ただ、国軍の兵力を上げるだけではない。この男は、覇権を目指している、と。
そして、自分も試されている。この賭けに、のるか、そるか。
「………分かったよ。アタシも覚悟を決めよう。アンタが勝ち馬になってくれると信じようじゃないか。」
急に言葉使いを変えたピノだったが、イエロは驚かない。
むしろ、嬉しそうな表情となった。
「そっちが素か。イイね、増々君自身に興味が湧いてきたよ。」
「フフ…じゃあ、折角本性も晒したし、次の商談の為のとっておきの話もしておくよ。お近付きのしるしに、ね。」
「ほう、それは楽しみだ。是非聞こう。」
妖艶さに悪女の雰囲気まで加えたピノの笑みに、イエロは、当初の想定以上の物が引き出せたと感じた。
この夜は、グアルディル王国の大きな転機となるのだった。
― ◆ ―
王都サンパドゥでも、指折りの高級ホテル。その一室に、ピノは宿を取っていた。
夜会から戻ると、貴金属を外し、ドレスを脱ぎ捨てる。
「まったく、あの元帥殿はとんだ曲者だったね。」
下着姿のまま一人掛けソファに腰掛けると、サイドテーブルのワインを煽る。
「しかし、商談としてはかなりの儲けになりましたが。」
脱ぎ捨てられたドレスをハンガーに通しながら、セインドが言う。上司の下着姿も気にしてはいない。
「それが、曲者なんだよ。商売人として、あそこまで言われて乘らない訳にはいかないだろう?一流になればなるほど、そうさ。」
ピノは、イエロの登場で、当初の計画が大きく変わったのを自覚していた。
「そもそも、武器商人が儲かるのは戦争が長引くことなんだよ。それで、最終的に自分達が武器を売ってる方がちょっと勝つ。それくらいがちょうどいいのさ。」
それは、セインドも理解している。戦争が早めに終わってしまえば、余分な武器が必要なくなる。武器の素材を売る側としては、泥沼の戦いを続けてくれる方が継続した収入を見込めるのだ。
「だけどね、一番儲かるのは、大規模な戦争がずっと続く事なんだ。」
「それは、『戦争が長引く』と同義では?」
セインドの問いに、ピノが首を横に振る。
「最初のは、一対一の戦争を長引かせるっていう意味だ。次のは、勝っても勝っても、また次の相手と戦い続けるってことさ。で、最終的に戦う相手がいなくなったら終わる。」
「それは、まさか…」
「…あの天才様は、二百何十年かぶりに、大戦でもやろってのかねぇ。」
ピノは嗤いながらワインを煽る。そして、嗤いながらも、自分が手を貸せばイエロはそれに限りなく近づける器であろうとも感じていた。
大陸の覇権を取る…その大国の御用商人を続けていれば、例え戦争が終わったとしても、それまでに莫大な財を築けるだろう。
「ま、簡単にはいかないだろうけどね。」
「……『教団』が、黙っているでしょうか?」
「アイツらは人間の国が減ろうが増えようがあんまり気にしないだろ。問題は、むしろ人間側だと思うけどねぇ。」
ピノが憂うのは、メノテウスとソーディンの動向である。手出しをしなければ他国の戦争に関与しないだろう二つの小国だが、賭けに乗る以上、最大限の警戒はしなくてはならない。
ピノが想いに耽って目を瞑った時、部屋のドアがけたたましくノックされた。
セインドがすぐ向かい、ピノは仕方なしに部屋着に袖を通した。
「何事だ。」
ドアを開けると入ってきたのは、部下の魔人の女で、ピノの秘書役をしているロマリーだった。
「申し上げます。プレミラ国にて、ディーディエ様が人間の剣士と交戦、重傷を負いました!現在、意識不明とのこと!」
「!?」
その夜は、ビトーとディーディエが戦い、痛み分けとなったまさにその同日であった。
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