第6話 ビトーの力①
それは、国を二分するような、大きな河だ。
その大きな河に対して、まるで木の葉のような、手漕ぎの小さな舟が岸から離れていく。
まだ幼いリコは、その頼りなく感じる舟の上で揺られている。
心を覆い尽くす不安。これからの生活のこと。竜を喚んでしまうようになってしまったこと。だが、それ以上に。
「……ビトー。ごめんね、ビトー……」
また、涙が零れた。自分のせいで傷つけてしまった友達。
もう目覚めただろうか? 怪我の具合は? 最後に挨拶することも出来なかった。
――父は、命に別状は無いって言っていたけど、本当にそうだろうか?
もし、このまま目覚めることがなかったら――
「………コ!」
リコは不意に呼ばれた気がして、顔を上げた。
「…コ!……リコ!!」
気のせいでない。間違いなく、彼の声が聞こえた。
リコは、船から乗り出す勢いで岸の方へ振り返る。
そこには、頭に痛々しい包帯を巻いた男の子がいた。
「リコ!!」
「ビトーっ!」
ビトーは、離れゆく小舟に向けて、大声でリコを呼んでいた。
「リコ!ごめん、俺が、俺が弱いせいでッ!」
リコはもう、言葉にならない。必死で顔を横に振って、ビトーのせいじゃないと伝える。
「リコ!約束するよ! 俺、強くなって、いつか必ず―――」
河の中へ進むにつれ、どんどん流れが早くなり、最後は聞き取れなかった。
だが、ビトーが懸命に叫んでいるのが分かる。
いつか、必ず――。それがなんであろうと、彼はきっと約束を果たしに来るだろう。
その時まで、生きよう。そうリコは決心した。
記憶の岸辺でビトーは、まだ叫んでいる。もう、届かない程遠いのに。
『………リコ!』
届かない筈なのに、何故か聞こえた気がした。
― ◆ ―
「リコ!」
「…え?」
ニッキーを抱きしめて泣くことしか出来なったリコは、不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。
そこにいたのは、背の高い青年だった。
「リコ!やっぱりリコだ!」
顔を見てしゃがみ込んで、嬉しそうに笑う。
「まさか、ビトー!?」
「まさか、は、ひどいな。そんなに変わったかな。」
灰色の髪。首元の火傷のような痕。前髪に少し隠れた、額の爪痕。そして、二カッと笑う顔。
随分大人びたが、幼き日に別れたきりの、少し年下の男友達に違いなかった。
「あ、でもリコも変わったな。」
「え?」
「もっと、綺麗になった。」
ちょっと照れるように頭を掻く仕草は、子供の頃と変わらない。
しかし状況が状況なだけに、会えた嬉しさより混乱が先に立つ。
「おねえちゃんのお友達?」
黙って二人のやり取りを見ていたニッキーが、話しかけてくる。
「ああ、そうだよ。」
「じゃあ、あたしと同じだね。」
「ああ、そうだね。」
笑顔を交わし合う二人を見ても、リコは狼狽えるばかりだ。
そんな様子を見て、ビトーはスッと真面目な表情となる。
「リコ、この子を抱っこしてどのくらいだ? 何分?」
「え?えっと、10分…ううん、20分くらいかも…」
混乱と絶望を感じた時から、時間の感覚は正確には分からなかった。
「そんくらいなら問題ない。」
「え?」
竜の喚巫女のことは、ビトーも理解している。
その上で、問題ないと言ってのけたのだ。
そしてそのまま立ち上がると、リコとニッキ―にも立つように促した。
― ◆ ―
「なんなんだ、あいつは…」
遠巻きに見ていたワドル達は、突然、周りの林から飛び出してきた男を、訝しげに眺めた。
ただ一人、ルデマだけは違う思考を巡らせる。
彼の目に止まったのは、男が腰から下げている大剣だ。
「あの剣の形…まさか噂の……」
鞘に収まったままでも、その珍しい形状は見て取れた。
ルデマは首都で竜の喚巫女の情報を得た後、それを利用した金儲けを計画した。
そのためには腕利きの竜狩りが必要となる。すぐに国内の竜狩りの情報を集め出した。
その時に流れてきた噂の一つに、最近片刃の大剣を使い、竜を狩る者がいるという話だ。
市民にまで広まってはいないが、竜狩り達の中では『竜斬り』として、浸透してきていた。
噂の出始めが割と新しく信憑性に乏しいこと、また目撃情報が国の南部地域であり、首都から離れていることから、ルデマも積極的に確認はしていなかった。
この街は首都から更に北西に位置している。仮に目の前の男が噂の竜斬りなら、何故ここまで来たのか。偶然か、それとも――
「竜の喚巫女、か…」
理由はともかく、少なくとも彼の実力は今、示されるであろう。
― ◆ ―
リコとニッキーは立ち上がって、ビトーと向き合っている。ニッキーは、リコに後ろからハグされるような体勢となった。
「よし、じゃあ離したら俺がすぐ抱えて距離を取るからな。」
「ほ、本当に大丈夫?」
不安そうなリコに、片目を瞑ってみせる。
「任せてくれ。この子くらいの僅かな魔力で出てくる竜なら、なんとかなる。それくらいには、強くなったつもりだ。」
ビトーが強がりではなく、正直な思いで言っているのが、リコにも解った。
それでも、ビトーもニッキーも死んでしまうかもしれないという恐怖に、中々踏ん切りがつかない。
「リコ。」
リコの様子を察して、ビトーが落ち着いた声で言う。
しっかりとリコを見つめるその瞳は、柔らかな光を帯びて見えた。
「ビトー…」
「大丈夫だ。絶対助ける。」
幼き日、自分の手を離さなかったビトー。
その時と同じ言葉を聞いて、リコも覚悟を決めた。
「……分かった。お願い。」
「ああ!」
「?」
いまいち状況が掴めていないニッキーだったが、なんとなく口を挟まずにそのやり取りを見ていた。二人の様子から、ただならぬことが起きるのだということは感じ取っていたからだ。
そんな大人しくしているニッキーに、リコが優しく声を掛ける。
「ニッキー、今から離すけど、心配いらないからね。おにいちゃんがなんとかしてくれるから。」
「?…うん!」
明るい返事に安心して、再び正面を見る。ビトーが、頷いた。
意を決して、リコがニッキーから離れる。
瞬間、ビトーがニッキーを抱きかかえて後方に飛び、リコとの距離を空ける。
――シュオオオオオォォォ…
彼らの間の地面が輝き、ヘルリザードの時とは比べ物にならない大きさの十八芒星が浮かび上がる。
そしてそこから、徐々に竜が姿を表す。
「あ、ありゃあ地竜だ!」
竜が出てくるのを遠巻きに見ていたワドルが思わず叫ぶ。
体長4m以上はある四足の翼を持たない竜。ラドサルスと呼ばれる個体だ。
首が短くずんぐりとした体型だが、その巨体に見合った強靭な力を持つ。この国ではあまり見られない珍しい竜だ。
仮に人里近くに現れれば、竜狩りや騎士により討伐隊が組まれる程の強さを誇る。
「これは面白い。」
想像以上の巨竜が呼ばれたため、ルデマも目を見開く。
そもそもラドサルスとの闘いなど、間近で見られるものではない。
今後の商売計画とは別に、純粋な見世物として愉しむつもりだった。
竜の傍で、まったく違った意味で目を見開くリコ。
彼女も、ここまで強力な竜を見るのは久しぶりであった。
さすがにこれでは…と諦めそうな気持ちになるが、落ち込む暇さえ与えないとでも言うように、ラドサルスが吠える。
「グゥルアアアァァァァ!!」
大地を揺るがすような叫びとともに、ラドサルスが、ビトーの影に隠れるニッキーへと向かっていく。
が、その歩みは僅かに二、三歩で止まる。
「竜斬剣ッ・
立ちはだかったビトーが上段から大剣を振り下ろすと、ラドサルスの頭から下顎にかけて、真っ二つとなった。
ラドサルスは断末魔を上げる間もなく、息絶えた。
ビトーは何事も無かったように剣についた血を拭い鞘に収め、ニッキーの元へ戻る。
「よく泣かなかったな、偉いぞ。」
そう言って頭を撫でるが、当のニッキーとしては、泣いて怯える以前に、驚きの連続過ぎて放心している状態だった。
「あ…へ、ありがと……??」
まだ理解が追いつかないニッキーだったが、ビトーは満足げに振り返る。
と、そこには同じく放心状態のリコがいた。
「……ビトー…」
「結構強くなっただろ!」
強くなったどころの騒ぎでは…と思いつつ、子供の頃のように得意そうなビトーの顔を見ると、何故だかリコも可笑しくなってしまう。
竜の亡骸を避けつつ、急いでビトーの元へ駆け寄っていった。
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