第7話 眼

「まさか、こんな…」


 ルデマは驚愕していた。

 竜斬りの噂が本当なら、ある程度善戦するかとは思っていたが、まさか一撃で片が付くとは完全に予想外だった。


「…そもそも法術も無しに地竜を単独で撃破できる者など、『破軍』か、『聖戦十二階段』くらいでは…」


 自分で言いながら気付く。それはつまり、大陸最強の人間と同義であることに。


「すっげぇ、なんなんだあいつ!」

「あんなの初めて見たぜ!」


 騒ぎ出す周りの配下達のおかげで、逆に冷静な思考を取り戻していく。

 今後の商売に、上手く持っていくための一手は。



 離れた林の中からも、ラドサルスが倒されるのを目撃した者がいる。やっと追いついたエッケインだ。


「あいつ、あんなに強いのか…」


 走竜を狩った剣のキレ、リコの家を知っていたエッケインより遥かに早く辿り着いていたスピード。それだけでも並では無いのだが、地竜を斬り倒すのは桁が違う。

 そこまで強い男が、竜の喚巫女に何の用があるのか。辿り着いたばかりのエッケインは状況が読めず、そのまま林の中で様子を伺う。

 彼の視界の中で、リコがビトーに走り寄っていく。

 少なくとも、知らない間柄では無さそうに見えた。



「ビトー、本当に、よく…」


 言葉が続かない。リコの中で、感情がごちゃまぜになってしまっている。

 それを知ってか知らずか、ビトーが答える。


「竜退治の名人の先生のところで、鍛えてもらったんだ。あれから。」

「あれからって…」

「リコと親父さんが、村から出ていってから、すぐだな。」

「!……ビトー、まだ十歳にもなってなかったのに…」


 そんな子供が、ここまで強くなるための修行に入る。それは、並大抵の苦難ではなかったであろうことは、リコにも想像できた。

 そしてそれは恐らく、いや間違いなく、自身のためであった。


「この春までみっちり鍛えたから、丸十年かな。まあその甲斐はあったな。」


 傍らの大きな竜を眺めながら、まるで他人事のように言うビトー。


「ビトー、私…」

「いやいやお見事でした!」


 喋りかけたリコの言葉を遮るようにして、拍手しながら近づいてくる商人風の男と、その後ろに従うゴロツキ達。

 ビトーはあまり歓迎しない顔をしながらも、そちらに向く。先程から存在には気付いてはいたが、来た時のリコとニッキーの状況を見るに、無論良い印象などない。


「誰だ?」

「私はしがない旅商人のルデマと申します。彼らは旅の護衛です。」

「へぇ。」


 ルデマは大袈裟に丁寧に礼をしたが、ビトーは興味無さそうに返事した。


「……アナタ、かの有名な竜斬り、でしょう?」

「さあ、有名なのか?」

「ご謙遜を。南部でのご活躍は噂になってますよ。」


 あくまで、慇懃に褒める姿勢を崩さないルデマ。だが、ビトーに取ってはそんな褒め言葉より、彼らを睨めつけるリコと、少し怯えたようなニッキーの様子の方が重要だった。


「どうでもいいけど、大した用が無いならどっか行ってくんないかな。子供が怖がる。」

「これは失礼しました。…ですが、大事な用事があるんですよ。アナタが此方へいらしたのも、その竜の喚巫女さんがいるから、でしょう?」


 リコの事を言われ、ビトーも厳しい表情になる。


「そうだ。」

「やはり! 竜狩りにとって、竜の喚巫女はカネのなる木ですからねぇ。特にアナタ程の腕があれば。どうでしょう、我々と供に…!?」


 ルデマは、それ以上続けることが出来なかった。

 目の前の竜斬りから、強烈な威圧を感じ取ったからだ。チリチリとした喉の痛みさえ覚える。


「リコが、カネのなる木? だと?」


 ビトーは怒りを隠さなかった。

 ずっとリコを苦しめてきた『竜の喚巫女』の力。それを利用しての金儲けなど、許せるものではなかった。


「ひいいっ」


 後ろの男達はある程度闘いの心得があるために、ルデマ以上の畏怖を覚えていた。

 勿論、戦闘の素人であるルデマであっても、更なる恐怖は感じてはいたが、商売人として、このチャンスを失いたくなかった。


「き、気に触ったのなら謝りますが…私供も仲間を一人失っておりまして、タダで引くわけにもいかない。」

「……なら、この地竜をやるよ。十分だろ。」


 横たわる竜の亡骸をポンポンと叩きながら、ビトーの威圧は変わらない。

 しかし、ビトーの背後にいるニッキーには全く感じなかった。リコもただならない雰囲気は伝わってきているものの、ルデマ達のようにプレッシャーを受けているわけではない。

 怒りながらもビトーは、自らが出す殺気の方向をコントロールしていたのだ。


 それでも、ルデマは食い下がる。


「竜は確かに高価だが、仲間の命と引き換えでは足りるものではありませんっ。」


 それは詭弁に過ぎない。旅の直前に雇った護衛に、そこまでの仲間意識などない。

だが、交渉材料としてはまだ使えると、ルデマは考えていた。

 確かに、先程までのリコとの交渉では有効だったのだ。

 しかしそれは、あくまで常識人の範疇として、リコが罪悪感を持っていたからだ。

 

 ビトーがゆっくりとルデマに近づいて、眼前で立ち止まった。


「――お前の馬鹿な仲間が、勝手に寄ってきて勝手に死んだだけだろう?なんでこれ以上してやる必要がある。」

「!」


 リコ達の位置からは見えなかったが、林の中のエッケインからは見えた。

 それは先程一緒に肉を食べた少年のような表情からは程遠い、ゾッとするような、敵を咬み殺す獣のような眼だった。


「あ、う…」


 ルデマは、知覚する間もなく失禁していた。そのまま、地面にへたり込む。

 ビトーはそれを無視して、ワドル達に向かって言う。


「地竜を持ってくなら勝手にしろ。でも先にコイツをどっかに連れていけ。」

「へ、へい!」


 子分よろしく返事をしたワドル達は、朦朧としているルデマを抱えて、慌てて引き上げて行った。


「……ありゃ、全員で行っちゃった。後で戻ってくるかな?」

「いや、あれはもう戻って来ないだろ。」


 林からエッケインが出てくる。


「おー、おっちゃん!さっきは教えてくれてありがとう。おかげで助かったよ。」

「おっちゃんはないだろ。まだギリギリ二十代だぞ俺は。」


 そんな軽口を返せるくらい、今のビトーは元の明るい顔に戻っていた。

 その瞬時の切り替わりを、エッケインは内心恐れつつもあった。


「貴方、昨日の…」


 リコが、エッケインに気付く。

と、同時にエッケインは頭を下げた。


「すまない、俺はアイツらがココに来ることを知っていた。だけど、我が身可愛さでアンタに伝えず、逃げ出したんだ。」


 エッケインは、自らの蟠りと悔恨を晴らすためには、リコに正直に謝罪した。

 その結果、リコに罵倒されたとしても。ビトーに獣の眼を向けられることになったとしても。覚悟の上だった。

 だが、二人の反応はまったく別なものだった。


「そんな、貴方が謝ることではないわ。」

「そうだよ。命賭ける義理があるわけでもないし。」


 リコは逆に申し訳無さそうにしているし、ビトーはこともなげに言う。

 リコは、自分がずっと周りから『厄介者』『危険物』扱いされてきただけに、謝って貰えるだけでも意外で、嬉しくも思っているようだ。

 ビトーは、リコに害する者には牙を向くが、積極的に助けなかったからといって怒るような短慮ではない。

 二人の様子で、エッケインにもそれだけのことが伝わってきた。単純に、ああ、こいつらは良い奴らなんだな、と解る。


「ねぇお腹すいたー。」


 しゃがんでいたニッキーがぼやいた。地竜召喚からずっと驚きと混乱の最中にいた彼女だが、やっと落ち着くと、真っ先に感じたのは空腹だった。


「お、それじゃ竜肉でも焼いてやろうか?」

「ホント!?」

「駄目よ、もう遅いからお家に帰らなきゃ。」


 ビトーの提案はリコに即却下された。西の空は橙色に染まっている。

 ニッキーも、完全に日が落ちるまでに帰らなくてはならないことは分かっているので、残念がりながらも文句は言わなかった。


「それもそうか。じゃあおっちゃん、送ってってやってよ。」

「エッケインだ!……俺が送って大丈夫か?」


 微妙な顔のニッキーと目が合い、なんとなく心配になる。


「俺は夜までにコレ解体しなきゃだしな。家の前に置きっぱなしには出来ないし。」

「……お願いできますか?」


 リコが頭を下げる。確かにリコが連れて行くと色々面倒が起きそうだ。

 そもそも選択肢が自分しか無いことに納得して、頷いた。


「分かった、任された。じゃあ、お嬢ちゃん行こうか。」

「はーい。」


 ちょっと不服そうながらも、聞き分けよく差し出された手を握るニッキー。

 リコは、それを少しだけ羨ましそうに見つめた。


「二人とも、明日朝良かったら来なよ。肉、分けるから。」

 

 敢えて明るい雰囲気で言うビトーに、頷いた二人。


「わーい!」

「楽しみにしてるぞっ。」


 そして手を振りながら、街へと続く道を帰っていた。


「……さて、いろいろ聞きたいことはあるけど。」


 リコがほんの少し子供っぽい笑顔を見せて、ビトーへと向き直る。


「ま、その前にひと仕事、だな。」


 ビトーも無邪気に笑って返し、腕を振って地竜の亡骸へと挑んでいく。

 リコにとって何年かぶりの、柔らかな夜を迎えようとしていた。

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