第5話 『助ける』
日も傾き始めた頃。街外れのリコの店舗兼住居。
『事件』の影響か、一日来客もなく、そろそろ閉店しようかとぼんやりと考えていたところだった。
コンコンと、少し小さめの音で窓を叩く音がする。
「はい……?」
小窓を開けても、誰もいない。顔を出してみると、窓のすぐ下に女の子がいた。
「こんにちは!」
元気よく挨拶したその女の子は、どこにでもいるような街の子供、という感じだ。
「……こんにちは。大人の人はいないの?」
「一人で来たよ!」
5,6歳、くらいだろうか。そのような幼女が一人で来たことはなく、リコはどうしたものかと少々悩んだ。
本来なら、彼女を導いて自宅まで送るべきであろうが、リコには、触れることが出来ない。
そんなリコの悩みなど露知らず、女の子は笑顔で見つめてくる。
「おねえちゃんがナニーちゃんを治してくれたんでしょ?」
「!…ああ、あの時の…」
一昨日治療に向かった子の名前だ。母親がそう呼んでいた。
そして目の前の子は、ナニーの家に行く前に出会った、ボールを持った女の子だった。
「ナニーちゃんのおばちゃんが、大分良くなったって!もうちょっと元気になったら、また遊べるって!」
「…そう、良かったね。」
女の子の表情に合わせて、リコも微笑む。
久しぶりに、心からの笑顔になれた気がする。
「だから、ありがとう!」
「わざわざそれを伝えに?」
「うん!」
屈託なく笑うその子に、リコは、昨夜からの陰鬱な気持ちを救われたように感じた。
「お名前は?」
「ニッキー!」
「良い名前ね。ニッキーちゃん、もうじき日が暮れるから、お家におかえり。」
するとニッキーは、肩から下げたポシェットから何やら取り出し、一生懸命手を伸ばしてカウンターの上に置いた。
それは小さな包み紙。両サイドを捻っている。
「これは…砂糖菓子かしら。」
「そうだよ、美味しいよ。食べて!」
「私が貰ってもいいの?」
「うん!」
そのままニッキーは、じっと見つめて待っている。これは、この場で食べた方が良さそうだ。
そう思って、包み紙を開ける。
中に入っていたのは、白い、花の形をした砂糖菓子だった。そのまま摘んで、口へと放り込む。
「どう?どう?」
「……うん、甘くてとっても美味しいわ。」
リコの答えに満足したのか、ニッキーは満面の笑みを見せた。
「じゃ、あたしお家帰るね!」
「気をつけて帰るのよ。……?」
ニッキーを見送ろうとしたその先に、数人の男達が向かってくるのが見えた。明らかに、堅気の風貌ではない。そのニヤついた男達に嫌なものを感じた。
普段のリコなら、家から出ずにやり過ごすところだが、男達の雰囲気に怯え立ち止まっているニッキーを放ってはおけなかった。
さっと上着を羽織ると、戸を開けて外に出る。
「おねえちゃん…」
すぐ寄ってくるニッキーを片手で制して、それ以上近寄らせない。
「!」
「ごめんね、私に触ったら危ないの。でも、ニッキーちゃんのことは守るからね。」
精一杯の笑顔を作って、ニッキーを後ろに庇うように、二、三歩前に出る。
男達はその3m先くらいまで近づくと、立ち止まった。
「……すみません、今日はもう店仕舞なんです。お帰りください。」
まずは薬屋としての対応をしてみる。男達は、厭なニヤつきのまま何も喋らない。
替わりに、男達の後ろから、小綺麗な身なりの優男が出てくる。
「いや、遅い時間に申し訳ない。少々準備に手間取ったものでね。」
優男は、商人ルデマだった。明らかに一人雰囲気の違う品の良さを醸し出していたが、それが逆にリコを警戒させる。
ルデマは、構わず続ける。
「私供が求めているのは貴方の薬ではなく、貴方自身です。」
「え…?」
「私は旅の商人なのですが、一昨日、配下の者が亡くなりましてね。」
その言葉に、リコは自分の腕を掴み、そして竜に喰われた男を思い浮かべた。更に、昨日会いに来たエッケインのことも思い出す。
ただ、ルデマの周りの男達の中に、エッケインの姿は無い。
「…このままでは目的地に行くことが叶わず、多大な損害が出るところなのです。」
部下をこれだけ連れてきておいて、一人減ったくらいで旅が出来ないというのは、隠すつもりのない嘘である、とリコにも解った。だが、自分のせいで亡くなっている以上、それを口にするのは憚られた。
黙って、ルデマの言葉の続きを待つ。
「で、配下が亡くなった理由を調査するうちに、貴方が竜の喚巫女だと聞き及びまして。いや、さすがに腕自慢の私の配下でも、竜を相手にしてはたまらなかったでしょうねぇ。」
「……私にどうしろというのですか?」
リコの問い掛けにルデマがニンマリと笑う。
「少しだけ、損害分を補填させていただければいいのですよ。なに、簡単な話です。貴方に竜を喚び出していただいて、私供の用意した竜狩りがそれを狩る。その竜の死体をいただければ、と。」
そのルデマの提案は予想の範疇ではあった。リコは眉間に皺を寄せる。
「……喚ばれる竜は、獰猛です。きっと、また死人が出る…あまり、賛成できません。」
「ハハハ、私も安全面には最大限考慮します。首都で、腕利きの竜狩りを集めるのです。そうすれば、いくら強力な竜とはいえ、討つことは可能でしょう。」
ルデマは嗤いながらも、鋭い眼光を向けてくる。
自分を首都へ連れて行く気であること、そして、もう帰って来られないであろうこと。
その眼には、それを予感させるには十分な力があった。
「お断り、します。」
「断る断らないの話では無いのだ。ワドル!」
「へい!」
急に態度を変えたルデマに呼ばれて返事をしたのは、昨日エッケインと話した時に長椅子の傍らに居た男だ。
リーダーであるワドルが目配せすると、後ろに控えていた男達が扇状に広がってリコを囲む。
リコは怯えるニッキーを庇うように立ちはだかりつつ、半歩下がる。
「触れば、竜が来ますよ!?」
「触らなければいいんだろう?」
ワドルは醜悪な笑いとともに、部下の一人に顎で合図する。
その部下は、罪人を捕らえるような刺叉を持っていた。それを構え、リコに向ける。
「下手に動くと怪我するぜ!」
リコは考えていた。大人しく従えば、少なくともニッキーに危害が及ぶことはない。
しかし、首都に連れて行かれれば、自分のこの忌むべき呪いを、永遠に金儲けの道具にされるだろう。いや、それだけならまだいいが、いずれ竜狩りにも対処できないような事態が起きた時、多くの犠牲者が出るかもしれない。
何より、彼女には果たしたい『約束』があった。そのためには、まだ囚われの身になるわけにはいかなかった。
ここで僅かにでも目の前の男に触れて、弱めの竜でも喚び出せれば、逃げる時間は稼げる。
だが。
「おねえちゃん…」
震える声に、振り返る。
友達のお礼を言いに、わざわざ嫌われ者の自分に会いに来たこの心優しい子供を、危険な目に合わせることと、天秤にかけられる程、自分の人生に意味はあっただろうか。
そう思い直し、リコはニッキーに微笑みかけた。
「大丈夫よ、すぐにお家に帰れるから、ちょっと大人しくしていてね。」
必死に頷くニッキーを見て、正面に向き直る。
「分かりました。首都へ、行きます。」
「物分りが良くて助かる。なに、我々に協力してくれれば、いい暮らしぐらいは用意するよ。籠の鳥、としてだがね。」
相好を崩しルデマが言う。
リコが観念したように歩き出す。
「おっと触れるなよ?」
「あッ」
男が警戒するように差し出した刺叉の先にあたり、リコが転倒する。
「おねえちゃん!」
「おいノーマン、怯え過ぎじゃねえか?」
「うるせえ!」
仲間に誂われて、刺叉のノーマンが苛立ちを
「おい、早く立ちやがれ!」
再び刺叉で小突かれ、伏しながらもなんとか立ち上がろうとするリコ。
それに向かって、ニッキーが駆け出してくる。
「おねえちゃんをいじめないでぇ!」
「! 来ちゃ駄目!!」
「ちっ」
触れると面倒だ。その思いからワドルが足を掛け、ニッキーを転ばせた。
顔から転倒する。
「ニッキー!!」
こんなときでも駆け寄って抱き上げてあげられない自分を呪いながら、リコはワドルを睨みつけた。
「こんな小さな子に何をするの!?」
「あ?俺は助けてやったんだぜ?竜に喰われるより転ぶ方がマシだろう?」
嗤いながらのワドルの言い分に、言い返せない。そのリコの目の前で、ニッキーが立ち上がる。
擦りむいた頬の上に、今にも零れ落ちそうな涙を溜めながら、それでもニッキーは泣いていなかった。
「おねえちゃんを、いじめるなぁ!!」
そのままノーマンの足に絡みついて、噛みつく。
「ぐあ、痛え、何しやがる!」
「ああっ」
ノーマンが足を振り回すと、ニッキーは離れて地面を転げた。
すかさずワドルが首根っこを捕まえて釣り上げる。
「ニッキー!」
「クソガキめ。なんでこんなやべぇ女になんか肩入れするんだか。」
ワドルが悪態をつくと、ニッキーがぶら下げられながらも、睨みつける。
「おねえちゃんはお友達を助けてくれたもん!だからお友達だもん!だから、助けるんだもん!」
「!」
刹那、その言葉がリコの遠い記憶を呼び起こす。
――――『リコ、絶対助ける!』
自分にはまだ、自分を友達だと、助けると言ってくれる人がいたのだ。かつての彼のように。
リコは涙が溢れるのを堪えることができなかった。
「ハイハイ、いい加減にしなさい。」
呆れたように眺めていたルデマが、パンパンと手を打ちながら、割って入る。
「子供一人にバタバタと。まったく。」
「すいやせん、旦那。」
ニッキーを捕らえたまま、ワドルが頭を下げる。
「は〜な〜せ〜っ」
足をばたつかせて、なんとか離れようとするニッキーだったが、大人の男の力には敵わない。それを見ながらルデマは、思案する。
「……計画を遂行するには、試行も大切か……」
「旦那?」
不思議そうなワドルに近づき、何やら耳打ちする。
リコはその様子を見つめながら、どうにかニッキーを助ける方法を考えていた。
やがてルデマが離れると、ワドルは下卑た笑いを見せながら、ニッキーに言う。
「おいクソガキ、そんなに離して欲しいなら今離してやるよ!」
「え!?」
そのままワドルはニッキーを、少し放物線を描くように、リコに向けて投げた。
「きゃあッ」
考える暇も無かった。リコは、反射的にニッキーの体を受け止めた。受け止めて、しまった。そのまま、倒れ込む。
「そ、そんな…」
「おねえちゃん、ありがとう!」
リコが抱き止めてくれたと解ってお礼を言うニッキーと対照的に、リコの表情に浮かんだのは絶望。
「なんで、なんでこんなことをっ!」
「まあ、ちょっとした実験ですよ。本当に竜が召喚されるのかを確認しないといけませんし。幸い、竜は『触れた者だけ』殺すらしいので、ね。」
ルデマが楽しそうに笑うのに合わせて、男達も笑う。小さな女の子が死に直面しているのを、笑う。それは、恐ろしい光景だった。
「おねえちゃん?」
ニッキーが腕の中で、不思議そうにリコを見上げる。彼女は、竜の喚巫女について知らされていなかった。ただ、両親からリコの店に近づかないように言われていただけだ。だから、怒られないようにこっそり一人で来たのだ。
その無邪気な女の子を抱え、リコは震えていた。かつて、自分が死にかけた時でも、どんなに恐ろしい竜による殺戮を見た時でも、こんなに震えたことはない。
召喚される竜は、竜の喚巫女が人に触れている時間が長ければ長いほど、強いものが来る。だが、早めに離したとして、リコにどうにか出来る相手ではない。周りの男達も勿論、助けてはくれないだろう。竜が強かろうが弱かろうが、ニッキーの運命は決定してしまっていた。
「……これは、思った以上に強い竜が見られそうだ。」
ルデマは、無意識に舌なめずりをしていた。上品な立ち居振る舞いに隠された、殺戮ショーを愉しむような狂気。それがルデマという男だった。
周りのゴロツキ達は、そこまでの狂気は持ち合わせていない。
「だ、大丈夫なんですかい?あんまりでかいのが出たら、俺達まで危ないんじゃ…」
ノーマンが当然の心配を口にする。他の者たちも似たような感情で、リコ達を遠巻きにしている。
「ふむ。では少し離れようか。逃げ出さないように、目線は逸らさずに。」
そう言いながらもルデマは振り返ってさっさと歩いていく。ワドル達は、後ろ向きでジリジリと離れていく。
20mも離れただろうか。リコに抱きしめられているニッキーの視界からは、ルデマ達の姿は消えた。
「皆、逃げちゃったね。」
「……そうね。ニッキーが頑張ってくれたおかげだね。」
リコは、ニッキーの頭を撫でる。撫でながら癒やしの法術で、頬の擦り傷を治してやる。
それに気付かずエヘヘと笑うニッキーに、合わせて微笑みながら、リコの涙は一向に止まってくれなかった。
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