第4話 火傷の男

 雇い主であるルデマとたもとを分かったエッケインは、早朝には街を出て、首都への旅路についていた。

 しかし、昨日のやり取りを思えば、ルデマは相当な曲者だ。帰路にも最大限警戒すべきだと考えた。

 エッケインは草原の街道を暫く歩くと、途中脇道に逸れた。その道を少し行けば、山に入る。整備された街道ではなく、嘗てはよく使われていた旧道で、山越えするつもりだった。大回りにはなるが、背後からの驚異に対する多少の安心には繋がる。


「まあ、急ぐ旅でもないしな。」


 予定の半分以下ではあるものの収入も得たわけだし、ゆっくり帰ろう。そう前向きな思考に『努めて』していた。

 そうでなくては、気を抜くとすぐに昨日の美女のことを思い出してしまう。

 自分達さえあの街に行かなければ、リコは、慎ましいながらも変わらぬ毎日を過ごせていた筈だ。

 いやせめて、あの時酒場へ行かなければ…相棒を止めていれば…

 巡ろうとする悔恨を振払うべく、必死に頭を振る。


「どのみち、ルデマの奴に見つかった、さ。」


 そう思い込むことで、罪の意識を押し止めようとした。

 気づけば、旧道は森へ突き進んでいた。道、とは言っても馬車も通れないくらいの細道であり、街道が整備されて以来、人通りも殆ど無い。

 見上げれば、太陽はそろそろ真上に来る時間帯だったが、鬱蒼と茂る葉によって、日差しも弱い。


「……さっさと抜けよう。」


 急げば日が暮れる前までには、山を越えられるはずだ。

 そう思った正にその時。エッケインは信じられないものと遭遇する。


「グルルルルルルルル…」


 茂みからゆっくりと現れ、涎を垂らしながら喉を鳴らすそれは、体高2メートル以上はある走竜だった。

 二足歩行で、腕のように曲げた前足の先には、鋭い爪がある。強靭な顎、尖った歯は整然と並び、見る者に噛まれた時の痛みを連想させる。


「この辺にはいないんじゃなかったのかよっ」


 竜狩りの男達の言葉に愚痴りながら、エッケインは剣を抜いた。

 額から汗が吹き出す。用心棒としてそれなりの腕はあるが、一対一で自分より大きい竜になど勝てる筈もない。

 とはいえ、どうせ走っても逃げられない。剣を振り回して、怯えて去ってくれれば儲けものだ。

 意を決して、必死に剣を振ってみる。しかし、走竜は逃げる気配がなかった。距離を保ちつつ、まるで値踏みするようにエッケインを見ている。


『終わったな…』


 相手がその気になれば、あっという間にカタはつく。

 その絶望的な状況でありながら、エッケインはどこか冷静だった。

 

『竜の巫女を見捨てて、竜に殺されるなんざ、皮肉が効きすぎだな。』


 どこか、贖罪を求めていたところで巻き起こった事態。出来れば死にたくはなかったが、今更どうしようもない。

 諦観からエッケインが目を瞑るのと、走竜が襲いかかってくるのと同時だった。


    ドゴッ


 何か重たい物が地に落ちる音。

 エッケインが薄っすら目を開けると、足元には竜の首。


「ヒッ!?」


 見上げると、首のない走竜の身体。一瞬遅れて、その身体も横に倒れた。

 あまりの出来事に理解が追いつかずにいると、


「大丈夫かい?」


声を掛けられ、初めてそこに男が居ることに気がついた。

 若い男だ。背はエッケインより高い。燻んだ灰色の髪と、右の鎖骨から顎の近くにまでかけてある赤黒い火傷のような痕が印象的だった。

 その手には、片刃の大剣が握られていた。剣と言えば両刃が主なこの国で、柳葉刀のような幅のある片手剣は珍しかった。その刃についた血は、竜のものに違いない。


「あ、ああ、ありがとう。」


 それだけ言うのがやっとのエッケインに、男は二カッと笑ってみせた。


「良かった、間に合って。偶然だけどね。」


 男は少年のような口調で言いながら、剣の血を拭い、腰の鞘に収めた。

 その姿を見ながら、エッケインは竜狩りのリーダーの話を思い出す。


「剣で竜を狩るやつもいるって言うけど、アンタも竜狩りかい?」

「ん?…まあ仕事でやってるつもりはないけど、旅の途中の食料と、路銀にはしてるかな。」


 納めた剣の替わりに懐から小刀を取り出すと、しゃがみ込んで走竜を捌いていく。

 その手際はかなりのものだった。あっという間に肉と革を分けていく。


「……なんか、手伝おうか?」

「ほんとか?じゃあ火を起こす小枝を集めてくれると助かる。」


 振り返って笑ったその顔は、エッケインに好感を持たせるものだった。



  ― ◆ ―


 二人は座って、焚き火に焼ける串焼きの肉を眺める。


「改めて礼を言わせてくれ。俺はエッケイン。本当に助かったよ、ありがとう。」

「いいよ、本当に偶々だったし。」


 肉の焼け具合を確かめながら、気にしない風に言う。


「俺はビトー。よろしく!」


 名乗りながらビトーは、眼前に串焼きを差し出した。

 それを受け取るエッケイン。


「いいのか、俺が食べても。」

「火、起こしてくれたからね。」


 そう言いつつビトーは、既に肉を頬張っている。

 それを見てエッケインもかぶりついた。


「うまっ! 旨いなぁ。竜肉は食ったことあるけどこんなには旨くなかったな。」

「新鮮な走竜が一番旨いよ。」


 ニコニコと言うビトーを、改めて見る。

 言葉遣いや表情は少年のそれだが、実年齢はもう少し上だろうか。彼の明るさがより若く感じさせているのかもしれない。

 その明るさとは相反する大きな火傷痕や、額や鍛え上げられた腕に見る無数の傷跡。竜との闘いでついたものだろうか。若くして、幾多の修羅場を経験してきたと思わせる。

 それにしても…エッケインは思う。この二、三日の間に、色々なことが起こり過ぎている。

 伝説でしかなかった竜を喚ぶ魔法と、それを使う竜の喚巫女という存在。旧道とはいえ、人の通る道に突然現れた走竜。そして、一人でそれを倒す剣士。

 今まで大した接点もなかったのに、急に竜に関する出来事がありすぎた。


「……これも、竜の喚巫女の思し召しおぼしめしかねぇ…」

「!」


 エッケインの呟きに、目の色を変えるビトー。


「竜の喚巫女を知ってるのか!?会ったのか!?どこで!?」


 先程までとは一変したビトーの勢いに、面食らう。


「も、森を出てちょっと行ったところのレスタルの町だよ。そこで薬屋を…」


 そこまで言ってしまって、急にエッケインは心配になった。この若者は、竜の喚巫女をどうするつもりなのか。

 だが、思案にくれる間もなく、ビトーは荷物をまとめていた。


「え、もう行くのか?」

「ああ。良かったら、残りの肉は貰ってくれ。じゃあ!」


 まだ焼きかけの肉をそのままに、ビトーは走り去ってしまった。

 エッケインは不安に駆られる。自分の余計な一言で、またリコに新たな災難が振りかかってしまうのではないか。


「……くそ!」


 エッケインは急いで火を消すと、荷を担いでビトーの後を追った。

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